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3000字小説バトル

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3000字小説バトルstage3
第46回バトル 作品

参加作品一覧

(2019年 5月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
横光利一
3238

結果発表

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Entry1
ミミミまみれ
サヌキマオ

 クロシェが今日はじめにミミミを見たのは病院に行く途中で、「バイト?」って聞いたら「そう」と答えたのでそのまますれ違った。クロシェも急いでいたのだ。ゴールデンウィークを前にして病院は死ぬほど混む。それがわかっているから(ママに死ぬほどいわれたんだけど)無理やり起きて八時十五分に病院に行くとすでに九人も先に並んでいた。並ぶくらいだったらもう薬なんかいらないや、と内心は思ったのだが、なければないで困るので仕方なく我慢することにした。
 いろいろ遊んでいて結局朝の五時に寝たのをママに叩き起こされて、不機嫌の勢いで薄着で来てしまった。四月の終わりとは思えないような涼しい日だ。お腹が冷えてトイレに行きたかったのを我慢して、病院の扉が開くやいなやトイレに駆け込んだらいつの間にか二十番になっていた。「これは看護師にブチ切れよう」と固い決意を持って受付に向かおうとすると、視界の端の長椅子にミミミが座っているのですっかり驚いてしまった。
「さっきバイトに行くって云ってなかったっけ?」「ううん、それは昨日の話だよ」そうだったっけ? さっき病院に来るときに挨拶をしたのはミミミではなかったのだろうか。いや、そんなことはない。あちこちにはね散らかしたショートの金髪に尖った耳の持ち主なんてそんなにいるわけがない。眼の前のミミミは間違いなくミミミだ。隣りに座っていたお姉さんが気を使って席を空けてくれたので、ミミミの横に体を潜り込ませる。ふたりとも尻がでかいのでみっしりする。
「ライン見てないでしょ」
「昨日? ああ、飲んで帰って寝ちゃったから携帯は開けてないや」
「『のづち?』夜中の一時頃だけど」
「そうね、『のづち』を出て家に帰るあたりかな」
 ミミミがスマートフォンを取り出して画面を凝視する。あっやべ、コンタクトつけ忘れてらへへへへ。酒が残っているのだろうか、ミミミがやけに陽気な気がする。
 ん? とミミミが咽で鳴いた。あれ、クロシェ、ラインなんか、なんにも来てないよ?
 え。そんなことはない、とクロシェも慌ててバッグからスマートホンを取り出す。たしかに、昨日の夜中にラインを送った形跡がない。本当だ。
「アンタ、熱でもあるんじゃない?」
 クロシェとしては別に「いつもの薬」を貰いに来たつもりだったのだが、もしかすると家からここにくるまでの間に風邪菌に冒されてしまったのかもしれなかった。そう思ってしまうとそうとしか思えなくなる。受付のカウンターに居る看護師に体温計を借りようと立ち上がる。クロシェが立ち上がった気配に気づいたのか、看護師が顔をあげると、あちこちにはね散らかしたショートの金髪に尖った耳。
「およ、どうしました?」
 看護師の問い掛けを無視して、泣きそうな顔で座って長椅子を振り返ると、やはりミミミが手元のスマホに視線を落としている。

「ねぇ」
「はいよ」
 長椅子に戻ってきて、隣のミミミはいつものミミミの受け答えだ。温度計を貸してくれた看護師のミミミも、やはりいつものミミミなのだ。
 よい質問を考えねばならない。呼びかけたわりにはずいぶんな間を空けて、クロシェは続けた。
「診察券、持ってる?」
「診察券は受付に出してるけど……保険証なら」
「見せてもらって、いい?」
 言外に特大の?マークを浮かべつつ、ミミミは財布のカード入れからプラスチック製のカードを差し出してくれる。
「愛宕耳美」
「はい」
「はいじゃなくて。ミミミ、こういう字、書くんだ」
「前にもしたでしょ、名前の話」
「そうだったかな。これでミミミって、読むんだよね」
「他にどう……『ビミミ』とか?」
「もしかしてあなた、ビミミさんじゃないですよね?」
「は?」
 体温計のアラームがなる。あってほしい、と願った熱は五度七分。平熱だ。

 先に診療と精算を済ませたミミミを見送るとようやくクロシェの順番がやってきた。大方の予想を裏切って、医者はいつものヒゲでハゲた医者だった。何をどう説明したものかわからないまま、状況を説明しそびれて診察室を出る。受付のミミミに金を払って病院を出る。駅までの一本道の間に薬局が二軒ある。自動ドアの手前から首を伸ばして中を除くと、今度は案の定、受付に見知った顔がいる。ヒッ、クロシェは息を呑むと、小走りにもう一軒の薬屋に向かう。こちらはドラッグストアの中に薬剤師が常駐しているタイプの薬屋で、レジの前に数人の行列が出来ている。はね散らかした金髪の不存在を確認すると、レジ脇のトレイに処方箋を滑り込ませる。ホッとして待合のベンチに腰を下ろすと、暇つぶしにと薬局が用意した雑誌の棚がある。適当な女性誌をパッと開き、少し不安になって表紙を見返す。よし、ジャニーズと皇室の顔写真しかない。紙面をバラバラとめくる。健康食品の宣伝のページでミミミが微笑んでいる。
「なにが『おかげで長年の天敵だった冷え性が改善されました』だ!」
「ああアレかぁ。よく見つけたねぇ」
 いつもの「のづち」にいる。手前側、魚の水槽前が二人の定席だ。
「あれは何なの? 健康食品を通販したら『広告に出ませんか?』ってくるの? 連絡が」
「そんなわけない。まぁ、そういうお店もあるだろうけど。そういう、真面目なというか」
「そもそも、ミミミって何の仕事をしてるの?」
「えっ」
 ミミミは口に寄せかけたビールのグラスを机に置き直す。
「それ、聞いちゃう?」
「考えてみればそうなんだよね。そもそも、アタシがミミミの職業について今まで何の疑問をいだいてこなかったのが不思議だったんだ」
「ニートだから? 親元で特に何をするでもなくゴロゴロしてるから、自分と同じような身分だと思っていた」
 いい分析だ。クロシェはすっかり感心したので「なるほど」とうなずいてみせる。
「で」
「はい」
「何だと思う?」
「……なにが?」
「あんた……いや、いいならいいけど」
「あ、職業だ。ミミミの」
「なんだかんだでアンタ、さほど興味が無いんだろう」
「いや?……そんなことはないんだけど、うん」
「当ててみる?」
「当てるって、どうやって?」
「ほら、身なりからとかさ。なんでこの人金髪なのかとか。金髪にしていてもできる仕事、なんだろー、とか」
「そういうのか」
「そういうの」
「なんか、急に面倒くさくなってきたんだけど」
 もうちょっと飲む前にそういう話をしてほしかった。えーとなんだっけ、病院の受付。そういえば、海岸で半魚人にトマトを投げる仕事を手伝った覚えがある。
「あれはね、そういう映画だったのよ。映画のエキストラ」
「この前の草野球は?」
「野球はアレよ、仕事じゃないし」
「もうよくわかんない」
「それはクロシェが働いてないからだよ」
「えー」
 放棄した。もう何もかも放棄した。いつもどおり適当に飲んで飲んで笑えればそれでいいのだ。少なくとも今は。
 ミミミが梅酒のロックに乗り換える。琥珀色のとろりとした様子が美味しそうなので便乗する。至極気に入ったのでボトルを頼むと、紫色のかわいらしい五合瓶が出てくる。これは家にも仕入れようと便を眺め回していると、蔵元の名前に「ミミミ酒造」と書いてある。

 ゴールデンウィークでも公立の図書館は営業しているのがえらい。クロシェが延滞と督促を重ねたDVDを抱えて向かうと、図書館の建物の三階、外から窓を拭いているはね散らかした金髪頭が見える。ミミミ! と呼ぶと、金髪の主は小さく手を振ってみせるのだった。
ミミミまみれ サヌキマオ

Entry2
街の底
今月のゲスト:横光利一

 その街角には靴屋があった。家の中は壁から床まで黒靴で詰っていた。その重い扉のような黒靴の壁の中では娘がいつもしおれていた。その横は時計屋で、時計が模様のように繁っていた。またその横の卵屋では、無数の卵の泡の中でげた老爺が頭に手拭を乗せて坐っていた。その横は瀬戸物屋だ。冷胆な医院のような白さの中でこれは又若々しい主婦が生き生きと皿の柱を蹴飛ばしそうだ。
 その横は花屋である。花屋の娘は花よりもけがれていた。だが、その花の中から時々馬鹿げた小僧の顔がうっとりと現れる。その横の洋服屋では首のない人間がぶらりと下がり、主人は貧血の指先で耳を掘りながら向いの理亭の匂いを嗅いでいた。その横には鎧のような本屋が口を開けていた。本屋の横には呉服屋が並んでいる。そこの暗い海底のようなメリンスの山の隅では痩せた姙婦が青ざめたかれいのように眼を光らせて沈んでいた。
 その横は女学校の門である。午後の三時になると彩色された処女の波が溢れ出した。その横は風呂屋である。ここではガラスの中で人魚が湯だりながら新鮮な裸体を板の上へ投げ出していた。その横は果物屋だ。息子はペタルを踏み馴らした逞しい片足で果物を蹴っていた。果物屋の横には外科医があった。そこの白い窓では腫れ上った首がるそうに成熟しているのが常だった。
 彼はこれらの店々の前を黙って通り、毎日その裏の青い丘の上へ登っていった。丘は街の三条の直線に押し包まれた円錐形の濃密な草原で、気流に従って草は柔かに曲っていた。彼はこの草の中で光に打たれ、街々の望色から希望を吸い込もうとして動かなかった。
 彼は働くことが出来なかった。働くに適した思考力は彼の頭脳を痛めるのだ。それ故彼は食うことが出来なかった。彼はただ無為の貴さを日毎の此の丘の上で習わねばならなかった。ここでは街々の客観物は彼の二つの視野の中で競争した。
 北方の高台には広々とした貴族の邸宅が並んでいた。そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された。時には顕官や淑女がその邸宅の石門に与える自身の重力を考えながら自働車を駈け込ませた。時には華やかな踊子達が花束のように詰め込まれて贈られた。時には磨かれたシルクハットが、時には鳥のようなフロックが。しかし、彼は何事も考えはしなかった。
 彼は南方の狭い谷底のような街を見下ろした。そこでは吐き出された炭酸瓦斯が気圧を造り、塵埃を吹き込む東風とチブスと工廠の煙ばかりが自由であった。そこには植物がなかった。集るものは瓦と黴菌と空壜と、市場の売れ残った品物と労働者と売春婦と鼠とだ。
「俺は何事を考えねばならぬのか。」と彼は考えた。
 彼は十銭の金が欲しいのだ。それさえあれば、彼は一日何事も考えなくて済むのである。考えなければ彼の病は癒るのだ。動けば彼の腹は空き始めた。腹が空けば一日十銭では不足である。そこで、彼は蒼ざめた顔をして保護色を求める虫のように、一日丘の青草の中へ坐っていた。日が暮れかかると彼は丘を降りて街の中へ這入って行った。時には彼は工廠の門から疲労の風のように雪崩れて来る青黒い職工達の群れに包まれて押し流された。彼らは長蛇を造って連らなって来るにも拘らず、葬列のように俯向いて静々と低い街の中を流れていった。
 時々彼は空腹な彼らの一団に包まれたままこっそりと肉飯屋へ入った。そこの調理場では、皮をひき剥かれた豚と牛の頭が眠った支那人の首のように転んでいた。職工達は狭い机の前にずらりと連んで黙っていた。だが、盛り飯の廻りが遅れると彼らは箸で茶碗を叩き出した。湯気が満ちると、彼らの顔は赤くなって伸縮した。
 牛の頭で腹を満たすと彼は十銭を投げ出してひとり露地裏の自分の家へ帰って来た。彼は他人の家の表の三畳を借りていた。部屋にはトゲの刺さる傾いた柱がある。壁は焼けたかまどのようで、雨の描いた地図の上に蠅の糞が点々と着いていた。そこで彼は、柱にもたれながら紙屑を足で押し除け、うすぼんやりと自殺の光景を考えるのだ。外では子供達が垣を揺すって動物園の真似をしていた。狭い路を按摩あんまが呼びながら歩いて来る。子供達は按摩の後からぞろぞろついてまた按摩の真似をし始める。彼は横に転がって静かになった外を見ると、向いの破れた裏塀の隙きから脹れた乳房が一房見えた。それはいつも定って横わっている青ざめた病人の乳房であった。彼が部屋へ帰って親しめる唯一のものはその不行儀な乳房である。その乳房は肉親のように見えた。彼はその女の顔を一度見たいと願い出した。が、いつ見ても乳房は破れた塀の隙間いっぱいに垂れ拡がって動かなかった。いつまでもそれを見ていると、彼の世界はただ拡大された乳房ばかりとなって薄明が迫って来る。やがて乳房の山は電光の照明に応じて空間に絢爛な線を引き垂れ、重々しい重量を示しながら崩れた砲塔のように影像を蓄えてのめり出した。
 彼は夜になると家を出た。掃溜はきだめのような窪んだ表の街も夜になると祭りのように輝いた。その低い屋根の下には露店が続き、軽い玩具や金物が溢れ返って光っていた。群集は高い街々の円錐の縁から下って来て集まった。彼はきょろきょろしながら新鮮な空気を吸いに泥溝の岸に拡っている露店の青物市場へ行くのである。そこでは時ならぬ菜園がアセチリンの光りを吸いながら、青々と街底の道路の上で開いていた。水を打たれた青菜の列が畑のように連なって、青い微風の源のように絶えずそよそよと冷たい匂いを群集の中へ流し込んだ。
 彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら、むしろの上に積っている銅貨の山を親しげに覗くのだ。そのべたべたと押し重なった鈍重な銅色の体積から奇怪な塔のような気品を彼は感じた。またその市街の底で静っている銅貨の力学的な体積は、それを中心に拡がっている街々の壮大な円錐の傾斜線を一心に支えている釘のように見え始めた。
「そうだ。その釘を引き抜いて!」
 彼はばらばらに砕けて横たわっている市街の幻想を感じると満足してまた人々の肩の中へ這入っていった。しかし、彼は人々の体臭の中で、何ぜともなく不意に悲しさに圧倒されて立ち停った。それは鈍った鉛の切断面のようにきらりと一瞬生活の悲しさが光るのだ。だが、忽ち彼はにやりと笑って歩き出した。彼は空壜の積った倉庫の間を通って帰って来るとそのまま布団の中へもぐり込んで円くなった。
 彼は雑誌を三冊売れば十銭の金になることを知っていた。此の法則を知っている限り、彼は生活の恐怖を感じなかった。或る日彼はその三冊の雑誌を売って得た金を握りながら表へ出ようとした。すると、戸口へ盲目の見馴れぬ汚い老婆がひとり素足で立っていた。彼女は手にタワシを下げてしきりに彼に頭を下げながら哀願した。
「私は七十にもなりまして、連れ合いも七十で死んで了いまして、息子も一人居りましたが死んで了いました。乞食をしますと警察が赦してくれませんし、どうぞ一つ此のタワシをお買いなすって下さいませ。私は金を持っておりましたが、連れ合いの葬式が十八円もかかりましてもう一文もございません。どうぞ此のタワシをお買い下さいませ。宿料を一晩に三十八銭もとられますので、それだけ戴けないとどうすることも出来ません。どうぞ一つこれをお買いなすって下さいませ。」
 彼はその十銭の金を老婆の乾いた手に握らせて外へ出て行った。彼は青い丘の草の中へ坐りに行くのである。
「生活とは、」――
 彼は何事を考えても頭が痛むのだ。彼は黙って了った。彼は晴れた通りへ立った。街は彼を中心にして展開した。その街角には靴屋があった。靴屋の娘は靴の中で黙っていた。その横は幾何学的な時計屋だ。無数の稜の時計の中で、動いている時計は三時であった。彼は女学校の前で立ち停った。華やかな処女の波が校門から彼を眼がけて溢れ出した。彼は急流に洗われた杭のように突き立って眺めていた。処女の波は彼の胸の前で二つに割れると、揺らめく花園のように駘蕩たいとうとして流れていった。