Entry1
クロシェだらけ
サヌキマオ
五人のクロシェと暮らしはじめて三ヶ月が経とうとしている。いや、正確には五人ちゃんと揃ったのが一ヶ月前で、最初のクロシェが家に転がり込んできたのが三ヶ月前ということだ。二人目のクロシェは、あたしが仕事から帰ってくると部屋からエロエロな声がしていて、人の家に男を連れ込むバカがあるか、と叱り飛ばそうとするとあろうことか本人同士が布団の上でくねくねと絡み合っていたのだった。三人目は駅の改札でばったり会って、二人してスーパーで買物をして帰ると家では二人のクロシェが待っていたという塩梅だ。四人目は夜中に窓を突き破って入ってきた。五人目は町内会のふくびきで当たった。三等だった。
「ねえねえミミミ」
「ねえねえミミミ」
「ねえねえミミミ」
「ミミミは売り切れだよ」
「いるじゃんミミミ」
「この売れ残ったやつでいいよミミミ」
「しょうがないから見切り品で我慢するよミミミ」
クロシェのひとりが内ももにぐっと手を突っ込んでくる。こそばゆくて気持ちが悪いので思い切りグーで張り倒す。
「わああぶたれた」
「私は何もしてないのにミミミにぶたれた」
「そっちのブスがミミたんにはれんちなことをしたのにこっちのブスがぶたれた」
「ブスブスってお前がブスの総元締めじゃねえかこのブス」
「あぁ? くせぇんだよブス」
「おめえなんか脇からきのこ生えてんだろーがブス」
「あっ、ミミミが逃げるぞブス」
「てめぇミミたん逃してんじゃねーよブス」
わらわらと寄ってきた三人のミミミは四つん這いの私に次々にのしかかってくる。なんとか台所まで這い出ると、トイレの戸を開けっ放したままクロシェが用を足している。ずーん。クロシェ三人の体重に私が負ける。床に崩れる音が響く。下の階の人ごめんなさい。
「というわけで」
「というわけか」
仕事帰りのあまり良く知らない居酒屋にいる。いつものの「のづち」だとクロシェ(たち)に見つかってしまうので、職場に向かう駅前の居酒屋だ。
テーブルの向かい、相変わらずポン子の黒縁メガネの奥からは表情が読み取れない。無表情で細目のポン子は半ば機械的にに枝豆を口に押し込むと、追ってコップのビールを流し込んだ。口の中のものを嚥下して。
「病院にいけ。頭の」
「いや、そういうのじゃなくて」
「あのね愛宕氏よ。ふつーにしれっともの申しておるが、世の中に同じ人間が五人もいるわけがない」
「そういうのじゃ――そういうのか」
「そういうのだよ。しかも同じ家にいてお前さんとくんずほぐれつ? エロ同人じゃないんだから」
「わたしもそう思うにゃわん」
私の横に座ったクロシェが同意する。
「つまり、ああたの横に座っているクロシェさんが別にあと四人いる、ということなんでしょ?」
「そうそうそうそう。あってる」
「で、ここにいるクロシェさんは?」
「五人のうちでも話の通じる、働いているクロシェだから大丈夫」
このクロシェ、昼は保険の外交員、夜はコールセンターで働いているのだ。
「個体差があるんだ。たしかに、このクロシェには知性を感じる――
ポン子のひとつひとつ確認するような口ぶりに、あたしはひとつひとつうなずいた。うなずきながら、一つ、気になることがあった。
「うーん。話を聞くだに、結局は同姓同名で、全く同じそっくりさんが、たまたま家に押し寄せたような――」
「ね、ポン子」
「うん?」
「ポン子って、本名、何だっけ?」
ポン子の動きが止まる。まるで録画の一時停止みたい。ビールを飲もうと中途半端にグラスを持ち上げた状態で、だいたい一分。それで、
「え、花丸だよ? 花丸祐佳」
「そっか、もうずっとポン子ポン子云ってるからすっかり忘れちゃって」
「はははー」
横のクロシェがさして面白いわけではなさそうに笑う。
「だいたいわかった?」
「そう? お役に立った?」
「まぁね」
原因は判った気がする。
じっちゃんの名にかけてもよい。あたしのじっちゃんはとある温泉街で電気屋さんをやっている。そんなものにかけても仕方がないが、かけてもいい。
どうせ、このじっちゃんだって、今作られたものだからだ。
「あ、おかえりなさい。遅かったね」
家のドアをおそるおそる開けると、奥の寝室からほたほたと足音を立ててクロシェが出てきた。
部屋の中はすっかり片付いている。随分高いところの壁も綺麗にしたらしい。年末かなんかに気合を入れて掃除をすると、なんとなく部屋全体が明るくなるアレだ。
クロシェは見慣れない、ピンクのラインの入った上下揃いの黒いジャージを着ている。ジャージを突き上げる大きな胸と尻はそのままだが「帰るっていうからお風呂、沸かしておいたよ」となんとも甲斐甲斐しい。
思ったとおりだ。
見上げた風呂の天井からカビの黒い染みが消えている。この短期間では塗り直すまでいかなかったのだろうが、必死でクロシェが掃除してくれたのだろう。
「入っていい?」
入口のアコーデオンドアを開けてミミミが顔を覗かせる。
「話したいことがあって」
「なに?」
「NISAって、どうかな」
「にーさ?」
思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、アタシはクロシェの言葉を待った。
「今後のことを考えたら、ちょっとでも資産運用とかしておくのもいいかと思って」
「調べたの?」
「うん、よくわからなかったんだけど、放っておくだけでもお金が増えていくんならやってもいいかな、って。だから、今からミミミにNISAの話をするから、あたしの説明でわかんないことがあったら突っ込んで欲しいな」
(なるほど、こんなふうになるのか)
飲んでの帰り、帰宅するサラリーマンで満員の電車に揉まれているうちに、一緒に帰っているはずのクロシェとははぐれてしまった。いや、はぐれたのではない。思惑通り、消えてしまったのだ。
要するに、この世界は。
「ねぇミミミ、聞いてる?――あ、そうか、のぼせちゃったんだ。ごめん」
「そうかも」嘘である。――もとい、
「そうだね」急にのぼせてくる。全身に力が入らなくなる。あ、大変大変、とクロシェがアタシを浴槽から引きずり出してくれる。狭い風呂場の床に倒れ込んだ身体を、沢山のタオルで拭いてくれる。床が濡れているからとてつもなく時間とタオルがかかるだろうが、それでもタオルで拭いてくれる。で、ここからどうするのだろう。クロシェ一人の力でぐったりした私は持ち上がるのだろうか。他のクロシェは何をやっているのだろう。他のクロシェ――
しまった!
罠だ。罠だったのだ。そう思うやいなや、どうしたどうしたと同じ声が重なっていく。これはとてもとても五人どころの騒ぎではない。
「ミミミが倒れたんだって」
「倒れたんじゃないよのぼせたのッ! これだからおっぱいばかりに栄養を取られたやつは」
「じゃああんたはおっぱいに脳みそが詰まってるんですかー! パイずりしたらおりこうさんになるんですかーっ」
沢山のクロシェは狭いところを押し合い圧し合いしながらもアタシを引きずり出し、そのままわっしょいわっしょい万年床まで運び込む。
「やっぱり私達がいないとだめなんじゃないミミたん」
「クーラーキンキンにしておいたから汗をかかずに色々できるよミミミん」
「はーい、みんな揃ったところでミミミんはミミミんかミミたんかで多数決を取りたいと思いまーす」
「もうええわ!」
暗転。アタシは大量のクロシェの死体の中に立ち尽くしている。
どうせまた次の話では生き返るから、問題ない。