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エントリ1 ウーティスさん
(本作品は掲載を終了しました)
エントリ2 喫茶てんぽぷりも奇譚 LORTO
ドアベルの音がして、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中で、マスターが笑顔で挨拶する。三十代前半と思しき、穏やかそうな男だった。
「いらっしゃいませ」
テーブルの空いたカップを片付けていた、女性店員も笑顔で挨拶する。二十代前半か、さもなければ十代後半。どこか気の強さを感じさせる目つきで、長い髪を二つに分けている。
店内には、コーヒーの香りと僅かながらカレーの匂いが漂っており、他に客の姿はなかった。
「お好きな席へどうぞ」
女は小さく頷き、窓から少しずれたテーブル席に座った。
「――お待たせしました」
店員がミルクの入ったコーヒーを持って来た。
「あー、ありがとう」
女はカップを持ち、すっと香りを吸い込んでから口を付けた。
「――道路拡張の話?」
市役所の市民課のオフィスで、飯塚茂に田代美佳が尋ねる。
「ええ。あれで、街路樹の柳が伐採されるって事になったんですが」
飯塚は溜息をつく。
「それで課長と伐るだの伐らないだの言ってたんだ」
田代はマウスを掴んだままの手で、頬杖をつく。
「自己満足だって事は分かるんですけど。なんか、こう」
自身でもきっちり結論が出ていないのか、飯塚の語尾は濁る。
「んーまあ、良いんじゃない?」
田代はにかっと笑う。
「キリストも言ってるでしょ、隣人を愛せよって。あくまで隣り、全部なんて無理な話よ」
市役所からの帰り道、開襟シャツ姿の飯塚は、田んぼと住宅地の中を通る市道の歩道を歩く。
歩道には、片側六十本の街路樹の柳がずらりと並んでいる。
東側はコンクリートで護岸された川で、これ以上道を広げる事は出来ない。
西側は田んぼになっている為、道路を拡張するとなると。
「こっちを伐採、か」
独り言には少し大きめな声で呟き、幹に触れる。
直径三十センチ程の、がっしりした幹。
飯塚はため息をつく。
それに驚いたかのように、蜩が鳴きながら飛び去る。
風に揺られた柳の枝が、飯塚の頭をかすめた。
ぐっと拳を握る。
「よし、やるぞ」
柳は風に揺れ、ざわざわと音を立てた。
校長室内には、賞状やトロフィーが並んでいた。
「――柳を我が校に?」
校長は心底嫌そうな顔をする。
「はい。六〇本の柳は、桜の木ばかりの校庭に彩りを添えると思うんです」
茶を飲みながら、校長は飯塚を見る。
「それは、上鷹野市の意向になりますか?」
「いえ、まだ計画段階の話ですので」
窓の外では、体育の授業をする赤白帽をかぶった児童たちの姿が見えた。
「決定になってから持って来て戴きたいですな」
「いやぁ、街路樹は引き取れないな」
植木屋の主人は首を横に振る。
「中が腐ってる事もあるんだよ」
「簡単ながら診断はしましたが、健康そのものです」
「そうかも知れないけどさ」
飯塚の言葉を遮って、植木屋は肩をすくめる。
「売れると思う? 二〇年も排気ガス吸い続けたっていう事実のある柳をさ」
「一本で良いんですが」
「そうねぇ」
農家の主婦は、縁側に腰掛け広い庭を眺める。
「その辺りになら、良く調和するんじゃありませんか? 坂本さん」
庭木の少ない場所を、飯塚は指す。
「そうね……まあ、そうかも知れないわね」
「でしたら」
「じゃあ、持って来るのはいつ? 明日?」
「い、いえ。工事が始まるのは、来年度以降ですから」
「そんなに先なの? じゃあ困るわー。一月にね、庭潰して駐車場にする予定なのよ」
「……半年で伐る予定のところにやるか、馬鹿!」
飯塚は、自転車で道を走る。
「あー、移植先の目星を付けりゃ、進むかと思ったのに」
ため息をつく。
日が暮れかけ、曇りがちの空は薄暗い。
市内放送のスピーカーから、チャイムが鳴り始めた。
「……五時か」
田んぼの中の道を走る。
「結局、有給一日使って無駄足か」
いつの間にか。
飯塚は、柳並木の道へやって来ていた。
自転車を停め、またがったまま柳を見上げる。
「伐採……」
飯塚は呟く。
それから、木の幹を叩き、奥歯を噛みしめる。
その時。
何の前触れもなく、柳の太い枝が折れた。
反応する間もなく、枝は飯塚の頬をかすめ、肩にぶつかった。
市役所地下の食堂に、飯塚と田代は来ていた。
「飼い犬に手を噛まれるっていうのかしらね」
苦笑いを浮かべつつ、田代はコンビニおにぎりのパッケージを開ける。
「別に飼ってる訳じゃないですよ」
飯塚の右肩はギプスで固められ、片側だけアメフト選手のようになっていた。
「目をかけたって意味だよ――はい」
田代は胸ポケットから、折りたたまれた紙を取り出し、手渡す。
「――寄付申込書? 土木課へ?」
柳が、植木屋のトラックへ積まれていく。
「一度、市民が受け取って、北部運動公園へ寄付、か」
作業を見守りながら、すっかり骨折の治った飯塚は呟く。
「直接土木課に渡すとなると断られるに決まってるけど、市民からの寄付なら、無下に断れないしね」
田代はにやりと笑う。
「あ、お兄さん」
見覚えのある農家の主婦が、飯塚に駆け寄る。
「どうも、坂本さん。今回はどうもありがとうございます」
「良いのよ、それより役に立てて良かったわ」
嬉しげに主婦は笑う。
「公園、移植が終わったら見にいらして下さい」
「ええ、そうさせて貰うわ」
蝉の声が運動公園に響き渡る。
飯塚は、テニスコートの脇を抜け、野球場の近くの柳林へと歩く。柳の下には、白詰草がびっしりと生え、芝生のようだった。
柳のうちの一本の根元に、飯塚は腰掛ける。
いつの間にか、隣りに一人の女が座っていた。
「伐らずに済むように、力を尽くしてくれていたんだね」
女は呟く。
「ごめんなさい」
飯塚はバッグから缶コーヒーを出す。
小さい百九十ミリリットル缶。
「ほい」
自分の分のコーヒーを開け、飯塚はゆっくりと飲む。
「……驚かないのね」
女もコーヒーを飲み始めた。
「だって、柳そのものじゃないか」
女はまだ若く、二十歳ぐらいの年齢に見えた。翠色のワンピースは、太陽を透かす柳の葉と同じ色で、風にそよいでいた。
「迷惑でなければ、恩返しを――ううん」
首を横に振る。
「側にいさせて、くれないかな? 恋人がいても良い、ただ、側に」
「田代さんの事を言っているんだとしたら――あの人は既婚者だ」
「マジで!?」
コーヒーカップを、女はじっと見つめる。
「……籍が入れられないとか、子供が作れないとか、不倫もあり得るとか」
声にならないくらいの声で呟く。
「ふふ、下らない」
もう一口、コーヒーを飲む。
「いつの間に忘れてたんだろ、あの時の気持ち」
カップを置く。
「一つ幸せになると、どんどん欲張りになっていけないな」
女は立ちあがる。
「ごちそうさま、お勘定お願い」
「ありがとうございまーす!」
「ありがとうございます」
女が帰った後、店員はコーヒーカップを下げる。
「あれ、飲み残してる、勿体ない」
「壱子さん。お行儀悪いですよ。それに――」
マスターが止める間もなく、店員はカップに残ったコーヒーに口を付けた。
「甘っ!」
店員は眉をひそめる。
「なんじゃこりゃ、子供の頃飲んだダイドーブレンドそっくり」
マスターは冷蔵庫からアイスコーヒーを出し、グラスに入れて差し出す。
「ん、ぐ、ごっ、ぐっ、ご……ぶはっ! あー、んまい」
店員は大きくため息をついた。
「さ、そろそろ忙しくなりますよ。先にまかない食べちゃって下さい」
「おう、合点でぇ!」
ガラス越しに見える通りは、夕焼けに染まっていた。
エントリ3 遺電子 ごんぱち
ディスプレイの中の受精卵が、分裂を繰り返す。細胞塊は、胎児となり、そして、赤ん坊の姿へ。
「――出産、いきます」
佐原太助は、呟くように声をかける。三〇代半ばで、温厚そうな表情と、痩せた顔つきがややアンバランスだった。
ディスプレイから視線を隣りにあるものに移す。
それは、人形だった。
人間の赤ん坊。
性別は女。
腹に接続されたコネクタは、画面の中に表示されている胎児の臍の緒と同じものに見えた。
「熊切さん」
「はい」
熊切縁は頷く。薄化粧に低い身長のせいで、佐原よりもずっと年下に見える。
画面の中に、ハサミが現れ、胎児の臍の緒を切断する。切断された臍の緒からは、血が流れた。
画面の中の胎児と、赤ん坊の人形が、同時に声を上げて泣き始めた。
その仕草も、声も、本物の赤ん坊そのものだった。
木田技研の託児施設で、小さい子供達に混じって、三歳程の大きさの人形が遊ぶ。
「かのんちゃん、そのブロックとって」
「はい」
人形はレゴブロックを取って、子供に渡す。
「ねえ、かのんちゃん、ここにつけるのって、これってどっちがいいかな?」
別の子供が声をかけて来る。
「んーとね、これ」
――別室で、熊切と佐原はディスプレイを見つめる。
「大分馴染んで来ましたね」
「そうですね」
言いつつも、佐原の表情は晴れない。
「けれど、感覚器の全てが機能不全を起こしている感じですね」
佐原は別ウィンドウを開き、大脳の輪切り映像を表示させる。
「脳の発達が異常に遅い。臨界期に学習を仕切れていないです」
「センサー越しにしか世界を感じられないんですから、仕方ないんじゃありませんか?」
「けれど、初めて人間の遺伝子シミュレーションが発表された時の映像、あれは美しかった」
「あれは、軍用とか諜報用とか曖昧に言われてますけど、最高級品のセンサーで作ってあったんでしょう?」
「だからこそです。センサーだけでどうにかなるんです。もう、我らが気付いていない謎の何かは必要ないんです」
自分の部屋で、熊切はノートパソコンに向かう。
電気機器メーカーのオンラインショールームで、様々なセンサー類の値段を確認していく。
「狂わないだけのセンサーは」
缶ビールを片手で開ける。
「高いなぁ」
キーを叩きながら、ビールを喉を鳴らして飲む。
「あー、目疲れるー」
熊切はじんじんと痛む目をぎゅっと閉じた。
目の前がぼやけているのを、何度か瞬きして元に戻そうとする。
「……ん」
もう一度、瞬きをする。
「目……視力……!」
熊切はキーを両手で叩こうとする。
が、不安定に置いた缶ビールがひっくり返った。
「ああーーーあああーーーー! ちょっとこら!」
「臨界期ですよ、臨界期で幻肢痛!」
翌日、出社するなり、熊切は佐原に怒鳴る。
「え?」
独り、端末に向かっていた佐原は、眠そうな顔で振り向く。
「育つべき時に情報をきちんと与えて育てれば、脳が出来上がります。後は感覚が鈍っても、慣れたり他で補ったり出来ます。手足を切断したって、視覚で幻肢感覚を操作出来るでしょう?」
「なるほど……量産機に載せるのは、充分育てた後。たった一体の育成機なら、センサーをケチる必要はない」
「でしょう? でしょう?」
「よく気がつきました、というより」
佐原は少々悔しげに笑う。
「どうして気付かなかったんだろう」
「男の嫉妬は見苦しくてよ、オホホ!」
「よし、早速パーツを揃え直しますよ」
人形が、小学校の校庭でサッカーをする。
子供達に紛れていると、どれが人形だか分からなくなる。
「かのん、パス!」
「はいっ!」
人形はサッカーボールを受け、ドリブルで進む。
ゴールが近付いて来たところで、思い切り足を振り上げ――。
「やらせるか!」
守っていた子供が、真正面から突進して、ボールを蹴ろうとする。
ほぼ同時に、人形と子供の足がボールにぶつかった。
「うあっ」
「おわっ!」
二人は足を跳ね返された形で、尻餅を付く。
「痛たたたた」
「痛っったああー」
痛みに顔を歪める人形の仕草は、人間でしかない。
子供達の誰独りとして、「かのん」が人形である事に気付いていないようだった。
「――可愛いですね」
屋上からモニターしている熊切が、呟く。
「それにうん、と答えると、ロリ決定?」
「そういう可愛さしかないんか」
鈴木が板橋を小突く。
「ははは、子供が可愛くない親なんていませんよ」
佐原は笑って、屋上から少し顔を出してかのんを眺める。
と、かのんはすぐに佐原に気付いて、手を振った。
「っと、気付かれてしまいましたね」
慌てて引っ込んだ佐原の顔は、弛み切っていた。
「しかし、安物の目でよく見つけられましたね」
鈴木が感心した風にディスプレイを見る。ウィンドウの一つに、かのんの目から入る映像が表示されていた。
「色数やコマ数はともかく、視力換算で二.〇ぐらいの精度はあるんだから、当たり前でしょ」
「痛点は十分の一しかないのに、きちんと痛がってるし」
「視覚がかなりの部分を補ってくれてますね。他のセンサー系が単純な分、プログラムが軽くて、演算装置のグレードを下げられたのも嬉しい誤算です」
佐原は心から嬉しげに、熊切に笑いかけた。
「まあその、ちょっとした思い付きってものです」
顔を赤くしながら、熊切はディスプレイに視線を向けた。
「多少、お転婆なのは、誰に似たんだか」
板橋の言葉に、皆は笑った。
「もう、安心……です」
佐原はゆっくりと、倒れ込んだ。
墓地の前に、鈴木、板橋、熊切、そしてかのんが立つ。
「おとうさん、行って来ます」
一回り大きいボディになった、ドレス姿のかのんは、深々とお辞儀をする。
その表情に、もう暗さはない。ただ、懐かしさがあるだけだった。
「これ、製品用ボディと、服です」
くるりと一回りして見せる。スカートがひらりと舞った。
「可愛いでしょ?」
熊切が微笑む。
「販売価格がちょっと上がったけど、予約凄いんですよ」
鈴木が新聞記事を墓石に向ける。
「色んなヤツが買うと思うと、複雑な心境だけど、まあ、悪意ある扱いに対しては安全装置あるからな」
「大丈夫、あたしは何にも負けません」
かのんは、自分の胸をどんと叩いた。
生産ラインで、かのんの身体が次々に作られていく。
「……売られて行くんですね」
熊切が呟く。
「ええ」
返事をして頷いたのは。
佐原だった。
「寂しいんじゃありません?」
「寂しい?」
頭、手、足、胴体。金属とプラスチックの塊に、樹脂が貼られていく。
「かのんを一番、人間扱いしていなかったのは、僕ですよ」
アンドロイドの工員が、無駄のない動きで組み立て作業を行う。
「思い通りに育たなかった、耐久性を試す、うっかりデリート、そんな、そんな理由で、かのんを、何度も何度も何度も何度も何度も何度も殺して。最後も嘘をついて」
「お陰で、かのんの自我はずっと安定しましたよ。大事な経験だし、最愛の人が欠落した事で、所有者を受け容れやすくもなります」
「しかし……いや、そう、か」
佐原は天井を眺める。クレーンがゆっくりと揺れていた。
「今さら、善人ぶって、後悔のフリなんかしても仕方がない、か」
佐原は決然と微笑んだ。
「僕の娘たちは最高の存在になりますよ。人類にとって」
「……リーダー、一杯どうですか?」
「胃の具合が悪いのは、本当なんですよ」
佐原は苦笑いして、まだ心の入っていないかのんたちが流れるラインを見つめていた。
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