第1回 耐久3000字バトル 第4回戦

エントリ 作品 作者 文字数
1(本作品は掲載を終了しました)ウーティスさんB
2その障害LORTO3000
3その目にとくと刻み込めごんぱち3000
4(本作品は掲載を終了しました)ウーティスさんA
5うみえふぉーと2997
6インターネット社会における落語のあり方小笠原寿夫



投票・投稿ありがとうございました。

バトル結果ここからご覧ください。



エントリ1         ウーティスさんB


(本作品は掲載を終了しました)




  エントリ2 その障害   LORTO


「よっちゃん、今日のあたし、なんか違うと思わない?」
 教室に入って来た野村麻子が、開口一番尋ねて来る。
「違う?」
 問題集を置いて、笹岡芳信は彼女をまじまじと見る。
 いつもの中学のブレザー。いつものショートカットの髪型。眉毛の形も一緒。鞄のアクセサリーも、携帯のストラップも一緒。
「いつもの麻子ちゃんだろ?」
「いかんなあ、いかんよキミぃ! そんなんじゃもてないわよ」
 麻子は顔をぐっと近付けて見せる。
「性格よ性格」
「ああ、なんだ」
 言われてみれば、昨日よりも賑やかになっている気がするし、顔つきも違う。
「最新の性格なんだよ、ミフユバージョン」
「ミフユ?」
「知らないの? ドラマの、ほら」
「ああ、『輝ける明明後日』の?」
「そ!」
 麻子はおもむろに鞄に手を突っ込んだかと思うと、数本のドリンク剤を芳信の前に並べる。
 ラベルにはドラマの役の格好をした役者の写真が印刷され、その隣りにカラフルな商品ロゴがあった。
 『性格向上薬”パーソなる“』
「ね、今度は効くかも知れないし、ちょっと飲んでみない? これはあたしの奢り」
「あのなぁ、きちんと医者の検査で体質的に効かないって……」
「試しもしないで諦めるなんて、良くないぞ」
 極めて明るく、麻子はウィンクをする。
「やれやれ、必要以上にポジティブでお節介焼きか。これでトラブルメーカーまで付いてたらオレは逃げるぞ」
 芳信は苦笑いしてから、ドリンク剤のキャップを開け、中身を一気に飲み干した。

「しかし、性格が変えられないというのは、困りものですね」
 三者面談で、担任の教師が首を捻る。
 どうやら、威厳のある性格にしているようで、いつもの熱血教師ぶりが見る影もない。
「はい……」
 芳信は、机の上に広げられている成績表と健康診断書に視線を這わせる。
 成績は、五段階評価で「五」が並んでいるが、健康診断書には一行、”性格改善薬に異常耐性あり“と書かれている。
「社会人になれば、やはり使用を求められますし、高校入試でも面接のある学校なら不可欠でしょうね」
「ですわよね」
 冷静で礼儀正しい性格を使っている母親が、小さく頷く。
「手術という事になるのでしょうか?」
「そうですね――そんな顔をする事はないよ笹岡君」
 教師は芳信の肩に手を置く。
「なに、心配はいらないよ。手術といっても、脳の脳梁ってところの神経細胞をそう――」
 教師は指先で一ミリほどの長さを作ってみせる。
「こんな少し破壊するだけですから」

 帰り道、芳信は駅前の商店街で足を止める。
「はぁ……」
 ため息が出る。
 目に付いた黄色い看板のドラッグストアに入ってみる。
 様々な薬やシャンプーなどが並ぶ中に、性格向上薬の見慣れた棚がある。そこには、無数のドリンク剤の瓶が並んでいる。
 派手な柄のキャラクタものの性格から、用途別の性格、キヨスクでもよく見かけるサラリーマン向けの性格、ナンバーが振ってあるだけの調合マニア向けの性格。
 新発売の性格だけは、レジの横にも置いてある。
 芳信は何も買わずにドラッグストアを後にする。
「手術、か」
 歩きながら、空き瓶を蹴り割る。
「オレ、病気なのかな」
 いつの間にか、彼は駅に向かっていた。
「治さなきゃ、障害者なのかな」
 衝動的に東京へ向かう電車に乗った。
「手術なんて……」
 車内の同じ顔をした会社帰りのサラリーマンたちを見まわしてから、芳信はうつむいた。

「兄ちゃん、起きな」
 揺すり起こされた芳信は、目をこすりながら辺りを見回す。
 公園の、ホームレスの集落の、にわか作りのテントの中だった。
『そうだ、ここで昨日世話になって……』
「これから仕事だが、どうだ? やるなら一緒に来いや。口きいてやるぞ」
 人の良さそうな笑顔で、家主のホームレスの男が尋ねる。
「あ、はいゲンさん――でも、オレ」
「大丈夫だ、おいらたちゃ性格買う金なんかねえからな、素でやってる連中ばっかりよ。遠慮するこたぁねえぜ」
 ゲンゾウは自分の胸をどんと叩いた。
「は、はい。ありがとうございます」

 一週間が過ぎた。
「止みませんね、雨」
 芳信が、雨を弾くテントの天井をぼんやり見つめる。
「仕事も休みか」
 変造携帯電話をしまいながら、ゲンゾウはため息をつく。
「暇だな」
 彼はテントの奥に置いてあるギターを手に取り、弾き始める。
 芳信は芳信で、ホームレス仲間が廻してくれた新聞に目を通す。
 ページをめくると、新しい性格改善薬の全面広告が載っていた。
「役者ブレンド……役者が撮影の時に使った性格か……麻子なら、飛び付くんだろうな……」
 その時。
 テントの入口が無造作に開けられた。
「よっちゃん」
「あ、麻子!?」
 テントの外には、びしょぬれになった麻子が、粘り強そうな顔で立っていた。

「ちょっと待ってね」
 テントの中に入った麻子は、おもむろに即効性の性格改善薬を飲み干す。それから、濡れた服や顔を拭いている間に、顔つきが変わってきた。
「よっちゃん」
「麻子……よくオレがここにいるって」
「さ、帰りましょ」
 極めて冷静に麻子は切り出す。
「そうやっていつまでも逃げてないで、帰りましょ」
 淡々と喋る麻子の性格は「冷静な評論家」らしい。
「おい姉ちゃん……」
 ゲンゾウが口を挟もうとする。
「黙れ」
「麻子ちゃん! ゲンさんに失礼――」
「社会の義務を放棄した人間に、発言の権利はありません。さあ、よっちゃん、帰りましょ」
「オレは、この性格のままで」
「その性格が、どれだけ通用すると思う? 人生九十年、残り七十年よ?」
「ここで仕事して、暮らせてるだろ」
 雨音が妙に大きく聞こえる。
「確かにそのままでできる仕事もある。だけど、それは手術をした後だって選べるわ」
「でも、手術が必ず成功するとは限らない訳だし」
「先生から聞かされていたはずよ。あの手術に二〇四〇年以降失敗例はないって。手術例は五億近いのに、死亡例も副作用や後遺症もゼロなのよ。爪を切るようなものね」
「麻子ちゃん、その性格……」
 芳信はじっと麻子を見つめる。
「クール系じゃないか。麻子ちゃんが絶対選ばない、嫌いだっていつも言ってた」
「話のしやすいものを選んだだけよ」
 芳信はうつむき、目を閉じる。
「……分かったよ」
 取り立てて感情の動かない顔で、麻子は微笑む。
「もう逃げないよ」
 一つ息を呑み込む。
「オレのために、こんなに一生懸命になってくれる麻子ちゃんが……好きだから」

 芳信は、麻子と病院のロビーで会計を待つ。
「翌日に退院って、思ってた以上に簡単なのね、驚いちゃった!」
 付き添いで来た麻子が、芳信の腕をぐっと抱える。
「なんだ、またミフユか?」
「ちっがーうよ! これは、『ユキミ』だよ!」
「アニメキャラだっけ?」
「うん! 普段はメッチャクチャ明るいんだけど、落ち込むとどよーんって暗い陰の出るミュージシャン!」
「ふーん。で、その陰ってのは、どんな時出るんだ?」
「うーんと、ちょっと寂しかったりする時なんだけど、とにかく!」
 麻子は背伸びして、芳信の耳に口を寄せた。
「よっちゃんと一緒の時は、楽しすぎて出ないみたいっ!」
 奇襲のようなキスを芳信の頬にかすめて、彼女はぱっと離れた。
「こ、こら!」
『笹岡芳信さん、笹岡芳信さん、会計までいらして下さい』
「あ、はーい」
 芳信は、踊るような足どりで――実際踊りながら、会計に向かう。座っていたロビーの椅子の傍らには、性格向上薬の空き瓶が一本、転がっていた。







  エントリ3 その目にとくと刻み込め   ごんぱち


 診察室にいた僧形の男が振り返り、駆け込んで来た東山正隆を見る。
「人か」
 正隆よりも少し年上だが、まだ若い男だった。
「先生……は?」
 男は床を指す。
 床には僅かな灰が残っていた。
「殺した……?」
「式じゃよ」
「シキ?」
「何も知らんで呪だけ入れたところで、戦えんだろうに」
「ジュ?」
「?」
 男はじぃっと正隆を見つめる。
 間が空く。
「お主……何をしにここに来た?」
「ええと、視力が悪いから、レーシック手術を受けに来たら、左目が見えなくなったから、クレームを付けに」
 男は首を右、左に傾げてから。
「……闇医者が、副業をし始めるとは、世も末じゃな」
「闇医者?」
 男は頭を掻く。
「見えないのは左目と言ったな?」
「はい」
「右を閉じて左を開けるんじゃ」
 正隆が右目を閉じ、左目を開けると。
 ぼんやりと光り、妙に実体感のない女が一人、顔がくっつきそうな距離で立っていた。
「うわっ、な、誰です?」
「里中倫子さん。拙僧の使霊じゃ」
 男の姿は、左目には強烈な光の塊に見える。
「霊?」
「そして拙僧は、一〇八の使霊を操る高僧、愚釈じゃ」
 男は爽やかに微笑んで、歯を光らせた。

 翌朝。
「よく見えるようには……なったな」
 高校の制服姿の正隆は通学路を歩く。
『君の右目に施されたのは本物のレーシックのようじゃが、左目の角膜に刻まれたのは、見の呪。これは、光を通さず、気の流れ、つまり霊や魂だけを感知する』
 歩きつつ、愚釈の言葉を思い起こす。
『霊力のない人間にとっては、一番手っ取り早い霊の知覚法じゃ。恐らくは闇医者が、手術装置のプログラムを切り替え忘れたのじゃろ』
「霊……馬鹿馬鹿しい」
 左目に意識をむけつつ、周囲を見回す。
「霊が存在するなら、世界は霊だらけの筈じゃないか。今までどれだけの生き物が死んだっていうんだ」
「おはよー、東山っ! 朝から独り言?」
「いーや、時差ツッコミ」
 後ろから小走りにクラスメイトの草谷なつめが追い付き、隣を歩き始める。
「あれ? 眼鏡忘れたの?」
 なつめは不思議そうな顔をする。小柄で茶色がかった髪と日焼けした肌をしており、頬にはガーゼが絆創膏で貼られている。
「ちょっと……目の具合が、良く、てね、今日は」
 正隆は言葉を濁す。
「それより草谷、その顔は?」
「棚からクッキーの缶が落ちて来たのさ」
 なつめは笑う。
「片付けをきちんとしろと言ってるのに」
「一度も言われてないぞ」
「そうとも言う」
 ふと。
 正隆の左目を何かが横切った。
(……?)
 会話を続けながら、正隆は右目をそっと隠す。
「ぶっ!」
 なつめの背後には、もやのようなものの姿があった。
 実体がはっきりしてもいないのに、猛烈な悪意を具象化しているように見える。
「ん? どした?」
 なつめが不思議そうに正隆を見る。
「なんも」
 正隆は口の中だけで深呼吸をしてから、後ろ手でもやに指を伸ばす。
 指先がもやに触れ――。
(た?)
 僅かな、ほんの僅かな触感が指を通過する。
(……干渉出来ない、のか?)
「そだ、信長終わった? 買ってたよね?」
「んえ? 信長?」
「信長は信長でしょう」
「ん、えー、ああ、そっか。うん」
「じゃ、貸してよ」
「いや、まだ終わってないし」
「五秒前と言ってる事、違うじゃん!」
(霊が……憑いてる?)
 なつめとの会話に上の空で返事をしつつ、正隆は左目でもやを見つめる。
 もやは、なつめの身体につかず離れずの状態で、背後に浮かんでいる。
 二人は、交差点に差し掛かり、赤信号で止まる。
 目の前を自動車が行き交う中。
 何の前触れもなく。
 なつめが車道へ一歩踏み出した。
 大型トラックが、制限時速オーバーで走り去る。
 一瞬早く、正隆がなつめにしがみつき、歩道に引き戻していた。

 ネオンの付いた看板の中に、「末法衆」の文字はあった。
 闇医者が入っていたのと、同じぐらい狭いビルだった。
 正隆は狭い階段を上がり、「末法衆」のプレートのかかったドアを開ける。
「おお、東山君じゃな」
 ドアの向こうでは、椅子に座り事務机に足を投げ出している愚釈の姿があった。衣の裾から毛脛がチラチラと覗く。
「どうも……なんか、こんにちは。実は」
「事情は使霊の虹野さんが大体教えてくれた。事故寸前の事態が本日中に四件」
 愚釈は読みかけの雑誌『月刊カルト』を机に置き、立ち上がる。
「下準備が丁度完了したところじゃ。待っておれ、その悪霊、きちっと往生させてやろう」
「いや、それなんですけど」
「なんじゃ?」
「自分で除霊したいんです。今後の事も、あるし」
「除霊?」
 愚釈はじぃっと正隆を見つめる。
「出来ません……か?」
「君は確かに見えるようにはなった。しかし、それだけじゃ」
「でも、草谷が」
「愛する女を救う為に、君は最高の役目を果たした」
 愚釈は爽やかに笑って、歯を光らせる。
「拙僧に、知らせたんじゃからな」
「それでも僕は」
「『その言葉が聞きたかった』とか『お前の気持ちを試していた』とか? 下らん駆け引きで人を弄ぶ程、拙僧の性格は悪くない」
 愚釈は軽く拳を握り、ゆったりと正隆の腹に当てた。
「脇役の活躍は、アイキャッチ前までじゃ」

 昏倒した正隆が目を醒ましたのは、それから一週間後だった。
「――おー、誰かと思えば!」
 朝、登校する正隆に、なつめが駆け寄って来る。
「久し振り!」
「昨日も見舞いに来てくれたんだろ? 久し振りでもない」
 正隆の顔は笑みに変わっている。
「あんた的には久し振りでしょ」
 なつめも笑う。
 その周囲に、もう使霊の姿はない。
「この前の火事のサイレン音、聞こえた?」
 なつめが尋ねる。
「いつの話?」
「七日ぐらい前かな」
「いや、意識戻ったの、昨日の深夜だし」
「何でも、なんとかかんとかっていう有名な占い師の先生の屋敷だったって」
「ああ、いたな、かなりテレビとか出てるし。この近くだったっけ?」
「うん、うちの近くだよ」
「……うちからはかなり遠いじゃないか」
「あははっ、そっか。もうご近所ではその話題で持ち切り」
「ふうん」
「お義母さんだけは全然興味ないみたいで、話が合わないって困ってたけどね」
「……お義母さんと、ぼちぼち打ち解けられたの?」
「うん」
「……なんか……頑張れ」
 絞り出すように正隆は言って、笑顔を浮かべた。
「おうよっ!」
 嬉しそうに、本当に嬉しそうに、なつめは笑った。

 焼け落ちた占い師の館の柱の上に、愚釈が腰掛ける。
 使霊越しの映像と音声が、愚釈の目と耳に入って来る。
「……察しの良い男じゃ」
『の、ようですな』
 狼の姿をした使霊が頷く。
『あれだけの会話から、義母が黒幕であった事を察するとは』
「疑惑程度じゃろ。ま、いずれ、霊能者を雇ったのが、保険金目当ての嬢ちゃんの義母だと、はっきり気づくじゃろうな」
『そちらは良いので?』
 狼の姿をした使霊が尋ねる。
「今回の件、拙僧が介入した事は、もう知られている。義母を相手にする裏稼業の者は、おらんよ」
『大した自信でいらっしゃる』
「拙僧が出来るのはここまで、後は、あやつにしか――」
 愚釈は立ち上がる。
「いや、もう出来ておるか」
 なつめの愉しげな笑い声が、愚釈の耳にまた、伝わって来る。
「あれ程に彼女を楽しく笑わすのは、あやつだけじゃ」
『愚釈様』
「なんじゃ」
『どうして、あの男を、助けられたのですか?』
「ああ」
 さらりと愚釈は言った。
「見えるところに、いたからじゃよ」
 愚釈は柱の上から飛び降り、姿も見せぬ早さで走り去った。







  エントリ4         ウーティスさんA


(本作品は掲載を終了しました)




  エントリ5 うみ   えふぉーと




 約束した時刻より少し早かったが、ライトブラウンのダッフルコートを着た彼女はすでに駅前の広場にいた。
 僕は彼女に近付き、尖ったボタンがついたその袖を、迷子の子供みたいにぎゅっと掴む。――彼女の手を握って歩くことができるのなら、クールな青春映画のワンシーンみたいになるのだけれど。でも直接肌に触れるのを彼女はひどく嫌がるから。だから僕は服の袖を掴む。
 彼女は僕に告白された時と全く同じように、目を大きく見開いて僕を見上げている。
 僕は何も言わずに視線を外し、駅の改札に向かって歩き出す。彼女のコートの袖を握ったまま、それを強く引っ張るようにして。さすがに強引だとか、彼女が嫌がってるとか、そういうのも全部分かってるけど、でも何度考え直したって方法はこれしかないから。僕は胸の中で暴れる罪悪感を殺し、指先と足先に力を込める。
「ちょ、ちょっと、何するの?」
 慌てたような彼女の声。
 僕はそれに答えずに彼女を引っ張って歩く。彼女は何度か小さい悲鳴を上げたが、僕にむりやり腕を引かれて何歩か歩くと、諦めて自分から歩きだした。僕たちは僕の予想より遥かにスムーズに改札を通過した。
 電車の中はとても空いていた。乗車率は50パーセントといった程度で、カップルが一緒になって座るくらいのスペースは充分に残されている。僕と彼女はスーパーの萎びたキュウリみたいに敬遠されているボックスシートに斜向かいに座った。僕が電車の進行方向の窓側で、彼女は進行方向逆の通路側。
 
 僕は窓の外の過ぎ去ってゆく景色を瞳に映している。
 彼女は僕の顔を親の敵のようにひたすら睨んでいる。
「どういうことか、説明して欲しいな」
 陶器のように弾力を失った硬い彼女の声がする。僕は欠伸をしながらステンレス製の窓枠に肘を置き、頬杖をつく。視線は彼女ではなく、窓の外に向けたままだ。もっとも、景色なんてただ網膜に映るだけで見えてはいない。今の僕には何も見えていない。
 彼女の硬質な声は続く。
「昨日いきなりメールしてきて、明朝8時に駅の南口に来てくれ、なんて。しかも、何回メールで訊いても何処へ行くのか教えてくれないし。もうシカトしようと思ったけど、でも、一人ぼっちで私を待つきみの姿を想像したらさ。それで仕方なく駅に行ったのに、会ったとたん腕掴んでぐいぐい引っ張ってくるし。説明してって言ってるのに完全に無視、無視、無視。ねえ、本当にどうしちゃったの?」
「腕は掴んでないだろ」と僕は指摘した。
「たしかに掴んだのは袖だったけどさ。ていうか、どうしてこんな下らないタイミングで喋っちゃうの? 今までずっと黙ってたくせに」
「別に」と僕は目の前の窓ガラスに言う。
 彼女はもう何も言わない。僕は僅かに目の焦点をずらす。窓ガラスに微かに車内の様子が映し出される。彼女の顔は、スクランブル交差点の真ん中に咲いてしまったタンポポみたいに不安そうだった。

 一時間ほど電車に揺すられると、彼女は眠ってしまっていた。僕はカバンからB5サイズのルーズリーフを取り出す。そしてそこにびっしりと書かれている文章を心の中で読み上げる。その文字たちはすでに頭に刻み込まれているが、僕はもう一度その溝をなぞって深くする。溝が轍となって、永劫に消えなくなるまで、何度も繰り返す。絶対にミスがあってはならないから。
 彼女の寝息が聞こえる。意識を失った者だけが行う、とても穏やかな呼吸だ。僕は電車の天井をしばらく見上げていたが、やがて耐えきれなくなって彼女の髪に手を伸ばす――、自制心は無色の感情に押し流されて消えた。僕はファーのように軽い彼女の髪の感触を、指先で注意深く味わう。ゆっくりと指を滑らせていると、彼女は突然目を開き、弾けるように僕から離れた。それはシチュエーションは違えど、何度も繰り返されたいつものパターンだった。
 そして僕らは泣きそうになりながら互いを見つめ合う。


 電車の窓ガラスが海を映すころ、僕たちはすでに駅を出て海岸へと向かっていた。歩く度に潮の匂いが強くなる。
「海、かぁ。なんだか久しぶりだな」
 彼女は風に煽られる髪を手で押さえながら言う。どうやら電車の中の出来事はなかったことにされたようだ。僕もそれに合わせる。
「僕も海に来たのは5年ぶりくらいかな。小学校最後の夏に家族で海水浴に行ったっきり。それ以来、泳いだこともないし、眺めに来たこともない」
「喋るようになったわね」
「まあね。ここが目的地だから」言いながら僕は戯れに足下の海藻を蹴る。
「教えてよ。なんで私をここに連れてきたの?」
 海岸に着いたから僕たちは立ち止まる。永遠にリフレインする波の音が沈黙を埋める。白い砂浜を冷たい風が走る。
 僕は黄色い太陽を直視して言う。
「海にはクジラが住んでいるんだ。だから僕は君を海に連れてきた」
「ねえ、分かるようにお願い」
 僕は目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。磯の匂いが僕の胸を満たした。
「知ってるかな。クジラは歌を歌うんだ」
「歌?」
「そう。歌」僕は軽くうなずいて続ける。「多くのクジラは繁殖期を迎えると、特徴のある鳴き声を発する。それがここで言う歌なんだ。鳴き声にはきちんとメロディーがあって、パターンも見つけられる。そのパターンを解析すれば数分後の音も予測できる。つまりクジラのその鳴き声は連続性のないワードとかセンテンスとかじゃなくて、確かに意志を携えた音楽なんだ。目的は求愛の時のアピールであると考えられているけど、確証は得られていない。基本的には謎だらけ。でも一定のパターンがあることは確実に分かっている。そのメロディーがクジラの個体によって異なることもね。気取った海洋学者たちは好んでその鳴き声のことをクジラの歌と呼ぶ」
「クジラの歌」彼女は哲学のように無垢な声で繰り返す。
「潮を吹き、肺呼吸をし、さらには歌も歌う、体重は5トンに迫る巨大な生き物が、この海のどこかに潜んでいるんだ。もしかしたら今も海の中に歌を響かせているかも知れない。僕にはちょっと信じられないな」
「素敵な話ね」彼女は微笑みながら言う。「いつからこんな話をしてくれる人になったの?」
「君が僕のことを怖がるようになってからずっと、僕は夢のある話を探し続けたんだ。君に僕のことを怖がらないでもらいたいと思って、必死で」
 僕はカバンの中のルーズリーフのことをふと思い出す。振り払われた手、怯えた目つき、何度も味わった気まずい沈黙が、脳裏にフラッシュバック。僕はどういう表情をしたら良いのか分からなくて指先で眉をなぞる。
「ありがとう」どこかで汽笛の音がした。「知っての通り私はとても臆病だし、それに我が儘かも知れないけど、できればこれからもずっとあなたと一緒にいたい」
 僕は何度も言葉をためらい、やがて決心する。
「今まだは手を握れなくても?」僕は慎重に訊く。
「そう。今まだはキスができなくてもね」彼女はなんでもなさそうに答える。

 赤くなった僕たちの目の前には海が広がっている。
 波は無く穏やかだ。目を凝らすと黒い魚が高速で泳ぎ去っていくのが見える。この透明なくせに青い大きな水溜まりは、神に見放されたようなウツボから、僕たちの夢を集めて造ったようなクジラまで、すべてを平等に抱きしめている。
 
 そう、僕たちはお互いを海のメタファーとして見つめ合い、恋をするのだ。今のところはそうすることしかできない。

○作者附記:文章スタイルもロジックも壊滅してますよね。
 これを読んで気持ち悪くなった方、本当にごめんなさい。






  エントリ6 インターネット社会における落語のあり方   小笠原寿夫


 落語とは本音の世界である。またインターネットも然りである。落語とインターネットに共通して言えること、それは庶民が構築しているということである。
 現在のインターネット人口は1998年辺りから急激に増加した。それに伴う社会の代償は大きい。2ちゃんねるというサイトは今や押しも押されぬモンスターサイトと化したが、これは匿名性を利用し、言いたいことを言い合う巨大サイトである。ここ数年でアンダーグラウンドという言葉がちらほら聞かれるようになってきた。これは目には見えない社会の裏側を指し示す言葉である。
 さて、そこで落語の出番である。江戸時代から続くこの落語という文化は、現代で言うところのアンダーグラウンドの役割を果たしてきた。つまり、役人や武士のいないところでひっそりと影を潜めながら、続いてきた伝統芸能である。
 昨今、落語もインターネットもテレビの恩恵も賜りかなり表沙汰になってきたところは否めない。しかし、より深いコアな部分は、実際にそれを演じる人間、若しくは扱う人間にしか分からない。深くて広い世界なのである。インターネットが普及し始めた頃から、人と人とのコミュニケーションが希薄になったという声をよく耳にする。
 果たしてそうだろうか?
 大勢の意見が聞けるインターネットは人と人とのコミュニケーションを最も第一に考えられたツールではなかったか。その上で落語は、現代において、インターネットと共に、若しくはその上を行くメディアであるべきだと考える。パソコン、携帯電話、地上デジタル放送と、メディアが多様化するなかで、この落語というツールはあるべくしてあると明言しておこう。
 落語、もっと広義には笑いは、人を面白がらせるだけが全てではない。これは断言できる。不愉快にさせることもできるし、人を攻撃することも、操ることさえできる手段なのである。
 例え話として挙げられるのがケータイ模写というものである。明石家さんまさんは本人が発明したとおっしゃっているが、これは指で操るパソコン、携帯電話などを人を介して遠隔操作するものである。いかにしてこれをするのかは不明だが、説得力のある人間が、テレビ、ラジオのメディアを通じて、それを行っているのを食らった経験が私にもある。
 例えば文字入力機能のついた携帯電話のメールでは3を押すと五十音の「さ」が入力される。あとは辞書機能により、「さ」から始まる単語がぞろぞろ出てくる。これをうまく利用すれば遠隔操作も可能であるというわけだ。
 さらに、こういった手法もある。通常、パソコンのマウスの左クリックは右手人差し指で操作する仕組みになっているが、人間は右手人差し指と言われると、無意識に右手人差し指に力が入る性質を持つ。これを利用し、遠くのパソコンを簡単に左クリックさせることも可能なのである。
 またテレビの電波をうまく利用し、声を映像化、つまり言ったセリフを脳の中で呼び起こさせ、文字として認識させる手法もある。
 立川談志さんの一門会を東京立川演芸ホールに立川談志の落語を聞きに行ったときの話である。トリを務めた立川談志師匠の高座は「木乃伊取り」。話の内容はほぼ分からなかったが、そこで不思議な体験をした。高座にいるはずの立川談志の顔の後ろにうっすらと私の顔が見えるではないか。それも一人何役もこなさなければいけない落語でのことである。今にして思えば、あれは立川談志師匠が後ろに手鏡を仕込んで舞台から客席の私の顔を反射させていたのではなかろうかと推察する。落語ほど基本が決まっていながらも進化する話芸もない。落語家は日々、次の話芸はないかと凌ぎを削っている。
 さてインターネットの話に戻ろう。ひとつ言えることはインターネットは娯楽の一部と化している点がある。情報を垣間見るためのツールなのである。今や動画サイトが面白い時代になりつつある。素人でも簡単に動画を作ることが出来得るのだ。
 落語もインターネットも人間がいないと始まらない。
 そこに私は、面白味を感じている。







 

QBOOKS耐久3000字トップ