第2回 耐久3000字バトル 第4回戦

エントリ 作品 作者 文字数
1修羅の国から Vol.4国津武士3000
2
3雨 〜2006年 梅雨〜3000
4エダニハ=カーテンとの協議石川順一3119
5階段しろくま3121



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エントリ1 修羅の国から Vol.4   国津武士


 青空の下、大型客船『マナナン・マクリル』が進む。
 甲板に並ぶビーチチェアで、横になっていた野辺はあくび混じりに目を開けた。
 水着姿になると、がっしりした身体付きが強調される。
 傍らに置いた腕時計を見る。十四時二十四分。
「今頃……いや」
 呟きかけて、首を横に振る。
「頭も停職処分にしておこう」
「あなた」
 妻がやって来る。手には、オレンジ色の飲み物の入ったカクテルグラスをぎこちなく持っている。
「美佐江」
「また、お仕事の事、考えてたの?」
「つい、ね」
 野辺は苦笑いする。
 ビーチチェアには、他にも老若男女が思い思いに身を横たえ、過ごしている。豪華客船のような広さはないが、それが逆に賑わう浜辺のような温かさを感じさせる。
「まったく、熱心過ぎるのよ」
「何度も言われたよ」
「まあ、お陰で日本人にはあり得ないぐらいゆったりしたバカンスを取れるけど」
 妻は笑って隣のビーチチェアに腰掛け、カクテルを飲む。
「あ、おいしいわね、これ」
「なんていう酒だい?」
「知らないわ。前の人と同じのを貰ったのよ。香りはオレンジみたいね」
 妻が空いたグラスを日に透かす。
 高級品ではないが、よく磨かれたグラス越しに、濃い青空が広がる。そして、水平線にグラスを向ける。
 水平線に、ぽつり、と、小さい影が見えた。

 客船地下の厨房は、夕食の仕込みをするコック達の声が飛び交っていた。
「ん」
 ふと、初老のコックが、玉葱を刻んでいた包丁を止めた。彫りの浅い顔立ちに、白髪交じりの黒髪と、同じ色合いの鼻髭を生やしている。
「どうした、リーじいさん? モタモタしてたら、ベトナムに着く前に戦争が終わっちまうぜ?」
 隣でドレッシングを混ぜていたマシェルが尋ねる。ネグロイド系の筋骨隆々とした若い男だった。
「音がしたぞ。マック」
「音?」
 厨房内は、フライパンで肉を焼く音から、野菜を刻む音、鍋の煮込まれる音まで、様々な音が響き、更に、エンジンの振動も伝わって来る。
「聞こえなかったら、ロペス船医のところに行った方が良いな。痛み止めを耳に詰めてくれるぜ」
「そうじゃない。銃声、いや、もっとでかい」
「おいおい、おれたちの恋人、レディ・マナナンを、射撃訓練場なんてのっけたどっかのお転婆と一緒にするなよ」
 リーは黙って冷凍庫のドアを開ける。
 巨大な造り付けの冷凍庫は、ちょっとした会議室ほどの広さがあり、肉塊がぶら下がり、魚の入った保存箱が置かれ、加工済み食材のダンボールが並んでいる。
 リーは黙ってマシェルに手招きする。
「ん? 何かまだ使う食材あったか? 今日のメニューは、リブステーキにクラムチャウダー、フレッシュスプリングロール……」
 首を傾げながら、マシェルが冷凍庫を覗き込む。
 次の瞬間、真後ろからリーがマシェルの膝を押した。
「おわっ!」
 つんのめりながら、マシェルは冷凍室の中に入る。
 続いてリーも冷凍室に入り、扉を閉めた。
「おい!? 何すんだよ、じいさん!?」
「三〇秒良い子にしてたら、まかないにココナツキャンディーを付けてやるぞ、マック」
 リーがマシェルの口を手で塞ぐ。
 数秒後、ドアを蹴り開ける物音と、銃声が鳴り響いた。

 Ak47を構えた男が二人、厨房の入り口に立つ。
「か……海賊」
 誰かが呻くように呟いた。
「よし良い子だ、そのまま庭のノームみたいにじっとして、黙ってろ」
 二人のうち、ヒゲを生やした方の海賊が、流暢な英語で命令する。
「頭を手の上で組んで、部屋の隅に壁を向いて座れ。いきなり動くなよ、定時前のイタリア人の仕事みたいに、ゆっくりだ」
「あ、あんたらは――」
 白髪のコックが歩きながら言いかける。
 その瞬間、銃声が鳴り響き、彼の右の二の腕から血が飛び散る。
「ぎゃあっ!!?」
「おれは臆病なんでね、喋るノームは砕いて棄てるぜ?」
 白髪のコックは、痛みに悶絶しながらも、無言で頷いてから壁に向かいしゃがみ込む。
 コック達は恐怖と困惑の表情のまま、一言も発さずに壁を向き座り込む。
「おい」
 ヒゲを生やした海賊は、一番手前にいた小柄なコックに声をかける。
「お前」
 小柄なコックは壁の方を向いたまま、動かない。
「聞き分けの良い子は好きだぜ、坊や。喋って良いぞ」
「は、はいっ!」
「誰かが抵抗しようとしたら教えろ。もし見落としたら、お前の同僚の誰かが、鉛弾分重たくなる事になる」
「同僚を、射殺、する?」
 小柄なコックは、横目で左右のコック達を見る。
「ああそうだ。あくまで同僚だ。お前は絶対に殺さない」
「それはつまり……」
「多数の仲間を助ける為に、判断力の鈍った狂った同僚を取り除く。マリア様にキスして貰えるぐらい、立派な行為だろう?」
 ヒゲを生やした海賊の声は穏やかで知性的な雰囲気を漂わせていた。
「本当、に?」
「絶対さ。うちのグランマは、嘘を言うと小遣いを減らすんだ」
「そ……それ、なら」
 小柄なコックは、冷凍庫を指さした。
「その冷凍庫に、二人、あなたたちが来る前に、入ったきりです」
「良い子だ。キャンディーをやろう、きちんと棒の付いたヤツをな」
 ヒゲを生やした海賊は、目のぎょろりとした部下に目配せする。部下は、手慣れた調子で催涙手榴弾を冷凍室に放り込み、扉を閉める。
 ヒゲを生やした海賊は、Ak47を構え、じっと扉を見つめる。
 一分ほど過ぎた。
 しかし、冷凍庫の中からは、何も聞こえては来ない。
「……なあ、アニキ?」
 幾分不安そうな顔で、部下が、ヒゲを生やした海賊に声をかける。
「スモークサーモンも冷凍しておけば、ずっと長持ちするだろう」
 ヒゲを生やした海賊は、調理用の麺棒を冷凍庫の扉の取っ手に噛ませ、設定温度を最低まで下げる。
 そして、コック達の方を向いた。
「お前ら、座ったままで隣のヤツと腕を組んで輪になれ。ラインダンスか組み体操の要領だ。時間稼ぎはするな、けれどいきなり動くな、体育の時間みたいにダラダラと動き続けろ」
 コック達が言われるままに腕を組むと、二人はコックの背後から両手に手錠をかけ始める。
 コック達は、組んだ腕を固定され、動こうとすると隣りの者に引っぱられ、ほとんど身動きが取れない。
 その時。
 ビシッ、と、大きな音が冷凍庫の扉の方から鳴った。
 次の瞬間には、激しく扉にぶつかる音がしたかと思うと、蝶番が折れて外れた冷蔵庫の扉が、そのまま突っ込んで来る。
 ヒゲを生やした海賊が発砲しようとするが、間に合わない。たちまち壁と扉の間に挟まれ、骨の砕ける音がした。
「ヒャッッホオオオオオィィイイイイイ!!」
 扉を持って出たのは、マシェルだった。
 一瞬の後、部下がAk47を発砲しようとする。
「よおっ! おっはよおおお、坊や!!」
 だが続いて現れたリーが、棍棒のような得物を振りかぶった。
 部下は、思い切り頭を殴り飛ばされる。
「おやすみぃぃいいい! 兄弟!!」
 吹き飛びかけたところに、マシェルが裏拳を放つ。激しく脳を揺さぶられ、部下は完全に意識を失い、地面に倒れ込む。
 リーは、得物を壁に立てかけた。その得物――半解凍の牛肉――には、催涙手榴弾が深々とめり込んでいた。ガスの噴出口も肉に埋まっており、一呼吸分も洩れそうにない。
 マシェルとリーは、海賊を冷凍庫に放り込むと、コック達を助ける間もなく、調理台に跳び乗り、エアダクトに身体を滑り込ませる。
 コック達は、伏せて身を縮めたままで、リーとマシェルを見てもいなかった。







  エントリ2     


(本作品の掲載は終了しました)
つづく






  エントリ3 雨 〜2006年 梅雨〜   百


「沢口先生はお子さんに会いたいと思わないの?」
 急に言われて驚いた。時々、妙に馴れ馴れしくなる性格の編集だと思っていたが、こうプライベートに土足で踏み込んでくるとは。無邪気さを装った鈍感さにいらいらする。
「会いたいとは思わないね」
 声に微かに苛立ちがこもってしまう。答えなければいいのに、答えないのも何か勘繰られそうで。できるだけ何気なく答えたつもりが、相手に対する苛立ちのせいでさらに誤解されそうだ。
「元奥様、噂になってますよ」
 やっぱり誤解している。私の苛立ちを楽しんでいる女の態度に『ならばのってやるか』と意地悪く観察をする私がいる。
「噂?」
 この女は元妻とは違う出版社だ。どうせたいした話ではないだろう。女は含み笑いをし、もったいぶってから、額に皺を寄せるような神妙な表情をすると、声を潜めた。
「恋人ができたんですよ。それも年下の」
 すぐに意味がわからなかった。思いもよらない単語の羅列だったからか。
「やっぱり、ご存知なかったんですね」
 満足そうに女は大きな鼻息をふんとすると、にやりと笑う。

―私より若いんだよな―

 私は目の前の女を見ながら元妻の噂のことを一瞬忘れた。
 目鼻立ちは大きく派手な顔をしているが、肌に毛穴が目立ち、脂も浮いて、美しくない。それなのに、子どものような大袈裟な表情をするのか。醜いな。私がまじまじと女の顔を見ていると得意気にさらに話し出した。
「昔、同じ編集部にいたことがある海外から帰国したばかりの若い男性なんですって。なんでも男性の方から奥様に『昔から好きでした』って告白したとか。沢口先生の元奥様、きれいですもんね〜」
 
―こいつは何を言いたいんだ―

 私の思考は元妻を思い出し、女の気持ちに気づいた。
 こいつは私に気があるんだ。
 年齢的にも私と元妻の間ぐらいだろう。彼女からすれば私はバツ1というハンデがあり、年齢的にもちょうどよい恋愛対象というわけだ。
 『元妻』の話をして結婚を意識させ、彼女を女性として見ようとしない私に対して『意地悪』をして『気を引こう』としているのだ。
 それなら、彼女を傷つけるような返事をしてやろう。何も気づかない鈍感なふりをして。

「元妻は美人だが、それだけじゃないから。心もきれいだったよ。人の噂や悪口は絶対に口にしなかった。得意気に人の噂や悪口を吹聴する中年女性って一番醜いと僕は思うんだよ。心根というか、なんというか。編集という作家と信頼関係を築くために繊細な心使いをしている君にはわかると思うが……」
 女の表情が引き攣った。顔色も赤くなる。それでも、ぐっとそれを飲み込んだようだ。敵ながらあっぱれ。私はさらに続けた。
「元妻が恋人を作ろうが、息子が大きくなろうが、君に心配されるようなことはないよ。それに、私にも恋人がいるしね」
「えっ」
 女が素っ頓狂な声を上げる。
「言わなかったっけ、私にも恋人がいるよ。結婚も考えている」
 半分は本当で半分は嘘。
 女が黙りこくったので、私はいい気持ちになった。

 女はホテルの喫茶室から出て行った。私はまだお茶を飲みたいと残った。
 
 横浜の老舗ホテルのこの喫茶室は大きなガラスの窓から入ってくる光が柔らかく明るい。部屋が全体的に暗いのでそう感じるのだろう。いつも打ち合わせは大きな窓に面したこのテーブルと決めている。
 窓に大粒の雨が当たり始めた。
 雨足が強くなったようだ。雨なのに外が明るい。浅い海の底にいるような気分だ。私はため息をついた。
 
 息子か……。別れたきり、会っていない。加奈子から会わなくていいのかと連絡が二度来たが返事をしないでいたら、連絡も来なくなった。

 それでかまわないと思っている。息子という存在に対してどう接したらいいかわからない。それでいて、息子が自分の思い通りにならなければ気になるだろう。
 
 私も息子も消耗するだけ。

 息子が成長し自分というものをしっかり持つ年齢になったら、親というよりは遠い親戚のおじさんぐらいのスタンスで会ってもいいかと思う。

 子どもは作らないつもりだった。加奈子にもそう話していた。
「しばらくは仕事を中心に生活したいし、君とふたりの生活を楽しみたい」と。
 加奈子も納得した。『しばらく』という言葉がついていたからかもしれない。
 ただ、私の希望で『しばらく』子どもを作らないのだから避妊は私が責任を持ってするようにと言われた。
 面倒くさい……。加奈子の方でピルを飲むとかしてくれないかと思った。でも、女性の身体に負担をかけるものでもあるから、愛している女性にそれを強要するのは酷かと……。そうなんだよな。私は加奈子を愛してたんだ。
 結婚して、半年ぐらいだったろうか、つい、避妊しないでことに及ぼうとして加奈子に止められた。
「ちゃんと避妊して。妊娠して中絶なんて私できないから」
「産めばいいじゃない」
 つい、そう言ってしまった。
「産んでいいの?」
 加奈子の目が光った。涙ではない。本当に光ったのだ。初めて加奈子が女の本性を見せた時だと思う。
「妊娠したら、産んでいいのね」
「いいよ。産みなよ」
 私は答えた。本心は1回で当たるわけないよと思ったからだ。
 
 加奈子が避妊を気にしたわけが後でわかった。加奈子が妊娠したからだ。

「妊娠しやすい周期だったの。だから避妊をしてって言ったのよ。でも、妊娠したら産んでいいって言ってくれて、うれしかった」
 おいおい。
 ま、仕方がない。子どもか……。女の子なら、なんとなく想像できた。妻と自分の血を引いた小さな女の子。妻を大切にするように、同じく守ってやればいいのだ。

 男の子は想像できなかった。自分が男の子の父親というのも。

 私には父親がいない。私が物心つく前に、暴力を振るう夫と母は別れたのだ。父親のことは何度も聞かされてきた。会ったことすらない父親に対する気持ちは憎しみがほとんどだ。だからか、男の子の父親を想像すると、悪いイメージしか浮かんでこない。暴力的な父親、サル山のボス争い、反抗期、そして手に負えなくなった息子に殴られる年老いた自分。

 女の子でありますようにと願ったが、妊娠8ヶ月の時、男の子と判明した。
 
「名前を考えてね。男の子だから一生名前が変わらないもんね」
 加奈子に言われて考え出したが、どれもこれもピンとこない。しかも字画とかさらに面倒くさい。
 こんなに苦労してつけたのに、世間に出れば「普通だね」「小説家なのに、子どもの名前は、ねぇ」「なんか変」なんて言われてしまうかもと思うと悶々とした。

 結局、産まれるまでに候補すら挙げられず、生後1週間を過ぎたところで加奈子が言った。
「健康で、志を持った人になって欲しい、から、『健志』はどう?」
「普通だなあ。なんかピンとこないなあ」
「字画も悪くないのよ」
 
―一生変わらないなんて言ってたのに、加奈子の旧姓に戻って、字画は?―

 思わず笑ってしまい、我に返って、慌ててコーヒーのカップを口に運んだ。
 
 雨粒の流れる窓に映った自分の顔が涙を流しているように見えた。

 子どもが生まれてなければ。
 もし女の子だったら……。

 考えても、今の現実が変わるわけでもなし。

 別れる時に加奈子が言った。
「あなたは私と健志をどうしたかったの?」
 
 守りたかった。
 そして、自分のものでいて欲しかった。
 
 いらないとは思わなかった。
 ただ、自分のためにそばにいて欲しかった……。








  エントリ4 エダニハ=カーテンとの協議   石川順一


 「ジャック、やはりお前だけが残ったか、相変わらずの責任感だな」
 すねすね団の特殊部隊長エダニハ=カーテンが直々に会見を求めて来た。
 「おまえこそ。実はおまえらの姿の描写は武装親衛隊がモデルになっておるが、作者がいまいち、具体的な内容を把握して居ないので以下、ストーリーの流れしか出てこないが御容赦願いたいと断って置きたかったのだ」
 「下らない。どうせ麻衣子やラナが来ると思っていたくせに。わしらはこのヒトラー大学を乗っ取りに来たのでは無い。実は俺は元々ジャックとだけ話に来たのだ。どうだ俺はお前の弱みを握って居る。お前の秘密を握って居るのだよ。まさかしらを切るつもりではあるまい。お前は麻衣子やラナを手玉に取って居る。彼女らに自分を騙すように仕向けて置きながら、御前の方こそ彼女らを裏切って騙そうとして居たのだ。俺が知らないとでも思って居るのか。アイちゃんとサッちゃんの存在を。」
 「ナニ?私はあなたがその事実を知って居ると言う事を知って居る。アイちゃんもサッちゃんも私の私設秘書なのだ。なんら疾しい事は無いよ」
 「ジャック君、君は私が事実関係を把握して居ると言う事を知って居ると言ったが、私がどう言う事実関係を把握して居るか君は本当に知って居るのか。アイちゃんとサッちゃんの名前だけに過剰反応して居ないか」
 「過剰反応する必要なんて無いよ。本当にただの秘書と言う事だけなんだから」
 「そうか。私は君と取引に来た。まあたんとしらを切るが良い。これが報告書だ。これを読めば我々と取引せざるを得ない筈だ。さあ見て見たまえ」
 「うーむ」
 ホワイトジャックは唸って仕舞った。非常に詳細な報告書で写真がたくさん添付されて居り動画再生テープまで添付されて居た。ここまで動かぬ証拠が用意されていてはホワイトジャックも多少譲歩せざるを得ないかと思った。
 これを元に俺を強請る気かとホワイトジャックは少し不安に感じた。
 「私はヒトラー大学学長から指令を受け取って居る。ジャック君二人を抹殺し給え。そうすれば君の経歴に傷は付かない」
 「嘘だ。学長がそんな事を言う筈が無い。直接聞くまでは信じないぞ。出鱈目を言うんじゃない」
 「出鱈目では無い。確かに間接的に言われれば信じたくなくなるのも無理は無い。しかし断じて出鱈目では無い。君は君のキャリアに穴を開けたいのか」
 「二人は大事な私設秘書だ。出来る訳無かろう」
 「馬鹿ものが。その二人と火遊びをしたのは何処の何方かな。この世の中強い者が勝つ弱肉強食じゃないか、邪魔になった二人を消す、ただそれだけで君の経歴は守られる。ヒトラー大学で教えて居る者に、その程度の謀略なぞ訳無かろう。その程度の謀略が出来ないようでは、恐らく学長からも情けない奴と低い評価を受ける事になるぞ。そしたらヒトラー大学で教える事は出来なくなるのは確実だ。人を使ってもいいし自ら手を下してもいいから、さっさと任務を果たすのだ。」
 「だいたいおまえらはすねすね団の者で、何でうちらの学長からそんな親密な指令を受け取れると言うのだ。常識的に考えればおかしいじゃないか」
 「確かに。しかし元々ヒトラー大学の母体はすねすね団だったのだ。君も知って居る筈だ。ヒトラー大学の成立過程を。栄光のヒトラー大学の歴史を」
 「うーむ。知らない訳ではない。しかし私のヒトラーに対する学識はここ数年の物で、医者としてのキャリアを捨てる時も絶対的に自信があってやった事では無い。たまたまヒトラーに関心を持ち医学研究の傍ら、細々と研究して来ただけだ。だから私がヒトラー大学に就職できたのは実は万分の一ほどの奇跡的な出来事なのだよ。なのでどうも自分の好かない事はどうしても重要な事であってもスルーして仕舞う。大学の成立史を知る暇があったらほんの少しでも実際のヒトラー関連の歴史を知ろうと努めるよ。それでも私の教授就任試験の成績は合格ぎりぎりだったとのもっぱらの噂なんだ。そう言った悪い噂を打ち消すためにもひたむきに勉学に励むしか無いじゃないか。」
 「ふむ、君のひたむきさは学長もお認めになって居る。しかしこの世界謹厳実直なだけでは通らない事もあるんだよ。特に君みたいに秘書遊びにおぼれた者にとっては」
 「秘書遊びねえ、言い得て妙だな。その報告書を見ると私のにゃんにゃんが非難されて居る様にも読めるが、実に客観的に仕上げられて居てどうとでも読めるように構成されて居る様だ。学長はどんな感想を持ったのかなそれが知りたいな」
 「ふふ、学長は相変わらずの能面ずらだったな。あのお方は公平な方でいらっしゃる。たとえどちらに非があるか明らかな時にも、どちらか一方に肩入れしたりしてはしゃぐようなお方では無い。だがあのお方は謀略のスペシャリストだ。自分のストラテジーに疑問を差し挟む者には容赦無く鉄槌を下される様なお方だ。だから言っておくが、ジャック君、君がこの要求を拒むのは自由だ。但し、その自由を享受した以上、君はおろか君の関係者が行方不明になるだけではすまんな。最低限の水準として君や君にとってかけがえのない者一人残らず行方不明になって仕舞うと言う事だ。それ以外にどんなひどい事が上乗せされるかは君も多少は予想がつくだろう。」
 ホワイトジャックはかなり迷った。カーテンの言って居る事は多少誇張があるとは言え、学長の謀略に関しては掛け値無しですさまじい残虐さを発揮する事をホワイトジャック自身思い知らされているからだ。あのお方は直接手をお下しにはならないが、あのお方の謀略網は、世界の隅々にまで張り巡らされて居り、あのお方の指令一つで、すさまじいまでの残虐な謀略がすさまじいまでの早さと完璧さで実行されて仕舞うのだ。その恐ろしさときたら、世界のどの国の政権与党でも、学長の言う事に従って仕舞うぐらいなのだ。しかしホワイトジャックにはまだ気がかりな事があった。
 「ラナと麻衣子はどうしてる。彼女らの動向が気になるのだが、特に今回の件に関して何らかの関わりを持って居るのだろうか」
 「ふふ、そんなんでいいのか。玉子も居るじゃ無いか。彼女が妬くぞ。どうしてラナと麻衣子だけに拘る?玉子も居るし、兄貴たちも居るじゃ無いか。」
 「実は麻衣子とはデートを頻繁に繰り返しただけでは無い。母親のラナから特別な頼まれ事をされて居たのだ。確かに癌にかかることほど深刻な事は無い訳で、その事ばかりがその話ばかりが流通しているが、彼女は麻衣子は特定疾患夢遊病オナシスにもかかって居る様なのです。この疾患にかかると、真夜中に寝入った肉体が打撃天使ルリと化して仕舞うのです。おかげでこのやまいによって死ぬ事は無いのですが、もううるさいったらありゃしない。本人に自覚症状が無いだけに止めにくいのです。もう打つわ打つわのお祭り騒ぎで止められない。これははた迷惑な話です。この件に関してラナからとにかく癌よりもこっちを直してくれでも恥ずかしい症状だからとにかく秘密にしてくれと頼まれて居たのです」
 「それでどうしろと。わたしも謀略のプロだが、そりゃどうにもならんぞ。君は医学博士号をもっとるんだからどうにかせんか。その程度の事が出来んようでは今回の任務は果たせんぞ。実は学長直々の御命令でアイちゃんサッちゃんは行方不明を装ってジャック君だけの力でこの地上から消してみろとのお達しだ」
 「え、行方不明を装って。その謀略は学長の御専門なのに、ど素人の私に手段まで御指定とは」
 ホワイトジャックはまだ受けるとも言って居ないのに自分にとって不利な条件を出されてますます自分が窮地に陥って居るのを自覚せざるを得ないのだった。







  エントリ5 階段   しろくま


 成田から七時間半かかってジャカルタの空港に着陸した。飛行機から降りて感じたのは、むわっという湿気を持った南国の空気だった。暦は二月。離陸する前の日本は大雪だった。家を出る時は服装に悩んだ。
 ジャカルタのホテルは吹き抜けの三階建てで、部屋数が十程の小さな、でも清潔で比較的新しいホテルだった。オーナーはいつもポロシャツと半ズボンを着ている四十歳位の若い日本人だった。その奥さんはインドネシア人で、ホテルにはその夫婦と子供達三人と、コックを含めたインドネシア人が十人程働いていた。
 二十日間、隆は言語研修を受けた。一緒に派遣された日本語教師は隆を含めて九人だった。隆以外の八人は皆女性だった。今まで会社に勤めていた人が何人かいたが、だいたいは隆と同年代だった。二十日間、文化センターで語学研修の後、それぞれの任地に向かうことになっていた。
 語学研修は朝から二時間、午後から二時間の一日計四時間だった。隆以外は毎日研修が終わるとタクシーでジャカルタの観光に出掛けていった。隆は一人、毎日研修が終わると文化センターから直接ホテルに帰った。ホテルに戻ると自分の部屋でその日の復習と翌日の単語テストの勉強をした。
 年長《としおさ》のメンバーが、隆になぜ観光に行かないのかと訊いたことがあった。その時、隆ははっきり答えることができなかった。夜、ベッドの上で暗い天井を見つめながら、なぜ初めて訪れた土地の観光に興味が沸かないのだろう、なぜ一人ホテルに戻って、昔は嫌いだった復習や予習をするのだろうとぼんやり考えた。
「考えてみれば、今程はっきり努力が将来に結び付くと実感できることは、ここのところ無いことだった。インドネシア語の勉強は、シンプルに将来に結び付く」
 それが隆の答えだった。
 ジャカルタの観光は、いつかまたしたい時にできそうだ。観光目的に来たのでは無いから、今はこのジャカルタという地に特に魅力を感じているわけでも無い。それよりも、これから働くこの国の言語を学ぶということが、酷く簡潔で、直接的に自分の将来を支えることを隆は実感していた。他のメンバー達よりも、自分はそれを強く感じることができているのだと隆は思った。単語一つ一つを、不要なプリントの裏に反復書き続け、覚えること。小学校の頃の漢字の練習を思い出した。しかし、それは億劫でなく達成感を伴うことだった。努力とテスト結果も直結していた。
 他のメンバーが外で食事を済ませてくる中、隆は一人ホテルで夕食を済ませていた。食事はいつも日本食だった。オーナーの家族も隆と同じ時間に食事をとった。ほかの宿泊客もちらほら顔を出した。
 いつもホテルで食事をとっていると、オーナーが隆に話しかけてくるようになった。
「皆さんは観光に行かれているようですが、隆さんは行かれないのですか」
「はい、そうですね……」
「どうして行かないのですか」
「毎日インドネシア語の単語のテストがあるので」
「真面目なんですね」
「そうじゃなくて、ただ今は珍しく勉強を楽しめているので」
 従業員の中で、一人だけ流暢に日本語の話せるインドネシア人がいた。名前をブンと言った。ブンは夕食後、いつも吹き抜けの下の小さなラウンジのソファーの所に隆のコーヒーを持ってきてくれた。
「タカシさん、日本では何してたの」
「僕は研究生ですよ。マスターに入って、ドクターにも入りたかったんですけど駄目で、一年間そのまま大学に残って勉強してました」
「隆さんは今二十五だっけ。パスポート見たから」
「そうですよ、ブンさんは何歳ですか」
「今年三十二歳。僕も日本で働いていたんだよ」
「え、どこですか」
「九州の福岡」
「だから日本語がそんなに上手なんですね」
「でも忘れちゃうから」
「ブンさんはいつからここで働いているんですか」
「去年から。十か月ぐらい。ここができたときから」
「もう日本には行かないのですか」
「うーん、行きたい。タカシさんは外国で働けていいね」
「でも僕は日本に帰ると仕事がないですよ」
「そうか、日本語の先生だからね。でもいいなー、日本。また行きたい。日本で僕も何か大きな仕事がしたいなー」
 吹き抜けの上の廊下から、部屋の鍵を指にぶら下げた若い従業員がブンに話し掛けた。二三言、二人は隆の分からない言葉を交わすと、
「それは僕の仕事じゃないのに!」とブンは言って、階段を昇っていった。それがブンの口癖だった。
 隆にとってジャカルタの生活は楽しかった。オーナーやブンとの会話は隆にとって何よりも楽しいものだった。ブンは時折インドネシア語で隆に話し掛けて勉強を手伝った。研修を億劫に感じているメンバーをよそに、隆は誰よりもインドネシア語を習得できていた。
 食事もオーナーの家族と同じテーブルで食べるようになった。子供達は女の子が二人と末っ子の男の子が一人だった。インドネシア人の奥さんが男の子に流暢な日本語で言った。
「お箸を使わなくちゃだめでしょ」
「おれインドネシア人だから手で食べるもん」
 子供達はブンをからかうように話すから、食卓はいつも明るかった。
 食後、ラウンジでコーヒーを飲みながらブンが隆に話しかけた。
「女の人が多くてタカシさん羨ましいね」
「肩身が狭いですよ。それに任地に行ったら関係ないですから」
「彼女はいるんですか」とオーナーが訊いた。
「いませんよ。ずっと一人です」
「じゃあインドネシアで見つけるんだ」
 ブンはからかうように言った。
「できるかなぁ」
 隆は笑って答えた。
「オーナーは外国の人と結婚して外国に住んでいて、凄いですね」
「妻は祖父が日本人で日本に長く住んでいたんですよ」
「お子さん達は小学校では何語で勉強しているんですか」
「下の二人はインドネシア語ですよ。上の子だけ日本語です」
「ブンさんも日本人と結婚したいの」
「えー、わからないよ」
「どっちがいい」
「わからない」
「でも、イスラムの人はイスラム同士じゃないと結婚できないですからね」
「そうなんですか」
「はい、だから私もイスラムに改宗したんですよ。名前も持っているんですよ」
 ジャカルタでの最後の晩、日本語教師のメンバーで外へ食事に出掛けることになった。隆も一緒に出掛けた。
 食事中、教師の使うべき一人称について話が広がった。女性の教師達は当然「私」を使うが、隆は授業でも「僕」を使うだろうと言った。
 隆より二歳年下の、メンバーの中で一番若い女子が訊いた。
「なんで『私』を使わないんですか」
「自分のこの性格とイメージで『私』を使ったら、学生達の誤解を招くと思う。僕みたいな人間は普通『私』を使わない」
「教科書の一人称も普通『私』ですよね」
「教科書が『私』でも、日本の男は普段は『私』を使わないよ。使うのは仕事のときとかで、僕が『私』を使ったら正しい日本語じゃないと思うから」
「いやいや、私が言いたいのは授業は公的な空間ですよね、ということで、隆さんは自分の勝手な考えで、学生に間違った日本語を覚えさせることを、どう思っているんですか」
 隆は答えを返せないままトイレへ手を洗いに行った。
「おかしいな、彼らより自分のほうが真面目な姿勢のはずなのに」
 大学院の三年間が、自分の社会性を取ってしまったのだと思った。いつしか格好のつかなくなっていた自分が歯痒かった。
 ホテルへ帰るとメンバーは明日の準備のためにそれぞれ部屋に戻っていった。隆は一人ラウンジのソファーに腰掛けた。仕事を済ませたブンもコーヒーを手にやってきた。
 隆はなんとか自信を取り戻したいという気持ちになっていた。
「人生の成功って何なのでしょうね」
 こぼすようにしてブンに訊くと、ブンは、
「仕事の成功と家庭を持つこと」と、はっきり言った。








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