エントリ1 大先生の講義 石川順一
「シャッターを切られ私は死んでいる。わしの自慢の短詩形文学じゃよ」
高浜大先生は得意げに口髭をしごきながら背もたれのついたソファーでふんぞり返った。
「確か毎朝コンクールで大賞を獲得したな」
「え、でも先生は審査員を務めていたのでは。応募して良かったんですか」
「いいんじゃよ。それぐらいの事をしなくてはコンクールが盛り上がらん」
「でもそれは単にルール違反であると言うだけなのでは?」
「うるさいうるさい、少なくともわしは自分の作品は選ばなかった」
「そりゃ当然でしょう。仮令大先生が自分の作品は選ばなくても公正さを保証出来ないじゃないですか。他の審査員の先生方はどんな人たちでしたか」
「ふむ、夜半亭君に水巴君に久女君じゃったかな?」
「え、大先生以外たったの3人」
「ふむ、確かそうじゃったよ」
「それで厳正なる審査がおできになると」
「もうとにかくこまけーことはいいから。とにかく俺の過去を聞いてくれ」
「大先生の過去であれば威儀を正して聴きますよ。貴重な機会ですからね」
「ふむ、それでは聞かせてしんぜよう。2012年・・・ふむ、今年じゃな。近い過去じゃが、2月15日(水)の事。O風邪をひき引退宣言考える Oマスクして味噌煮込み屋へ行く5日 の2句です。その日の事と、その日から見て過去の事(大過去と言えばよかろうか)を詠って居ます。一応季語が入って居ますが、川柳とみてもいいでしょう。水洟がひどかったころの事です。」
「そうでしたか、もっと別の年や月日の事も聞きたいですね」
「そうかい?では言ってしんぜよう。裸の大将が一番前の真ん中の席に着座する/私は隣の隣に既に腰掛けて居た/裸の大将は手足や腰が頻繁に痛むらしく頻繁にそれらを動かしては、そんな事を書くとおまえは呪われるぞと警告した」
「何ですか、ポエムですか。大先生は詩作もなさるのですか?知らなかったなあ。それは何時です」
「2012年3月29日(月)だが、その日の事ではない。そう言えば肝心な事を言い忘れて居ったが、私の原型になった人、つまり私は高浜大先生だが、その、元となったのがいわゆる高浜虚子大先生じゃな」
「そうですね、あなたは高浜虚子に自分を重ねて居られる」
「まあ高浜虚子と呼び捨てにするな。彼は1874年明治7年2月22日に生まれた。丁度わしと生年月日が百年違いで同時進行して居る(居った)のじゃ。だから西暦の下二桁が常に彼の年齢と私の年齢が同じな地点で一致して居る。喜んでいいのか、煩わしがっていいのか分からんが。虚子大先生と言えば客観写生花鳥諷詠じゃ。あの「ほととぎす」のな。まああの「ほととぎす」と言うのは極めて大雑把に言って戦前は第一期黄金時代の飯田蛇笏、渡辺水巴、村上鬼城、前田譜羅。(うーむ、もしかしたら原石鼎(はらせきてい)が混じるかもしれんな、その四人の中に)そして第二期黄金時代の4Sと言われた水原秋桜子、山口誓子、高野素十、阿波野青穂(ファーストネームのイニシャルからじゃな、4SのSと言うのは)じゃった」
「何か感慨深いものがありそうですね、大先生にとっての虚子と言うのは」
「当然じゃ。何せ私が高浜大先生と呼ばれるのはそもそも高浜虚子大先生と言う大先駆者が居られたからじゃ。あの先行者の大先生に倣って付けたわしのペンネームじゃからな」
大先生はちょっと喉を整えてから再び喋り始めた。
「それじゃあわしの事に戻ろうか。あ、でも矢張り高浜虚子大先生の御句を諳んじないと調子が出ないな。なので、O眼つむれば若き我あり春の宵 Oものの芽のあらはれゐでし大事かな O天日のうつして暗しかとの水(「かと」はオタマジャクシの事じゃな) O爛々と昼の星見へ菌生え(「菌」は「きん」では無くて「きのこ」の事じゃな) O神にませばまことうるはし那智の滝、など以上高浜虚子大先生の御句でした」
「調子が整いましたか?」
「うむではわしの事を語ろうか。2011年12月18日の事じゃ。夕刊を配り終えると/カニが水につけて台所用流し台に/置いてある/盥の中にある/」
「またポエムですか。大先生は短詩形文学のエースじゃなかったですか」
「いいんじゃよ。ポエムは若返りの秘訣じゃ。勿論2011年12月18日に記したと言うだけでその日の出来事ではないが」
「私は大先生の短詩形文学を堪能したいのですが」
「うむ、それもよかろうが、もう少しだけわしのペースでやらしてもらおうかな」
「いいですが、ではどうぞ」
「うむ、懲りずにまたポエムじゃ。私が走り出すと晴れ出す/意味が無いではないか/走って居る時は曇って居る/まるで私の体温に合わせて天候が変わって居る様だ/この詩はどうじゃ。実にポエティカルじゃろう。とにかくわしは高浜虚子大先生の生まれ変わりと思うとる。しかし彼とて独りでは無かった。友達も居れば師匠も居たのじゃ。その代表格が友達は河東碧梧桐で師匠は正岡子規じゃよ。河東碧梧桐は1873年明治6年2月26日に生まれて居ます。1873年と言う年は11月10日に内務省が設置されて居ます。(これはまだその長は「内務卿」ですね。内閣制度が整備されていませんから。初代内務卿はたしか大久保清だったと思います。彼は結局は内閣制度の日の芽を見ずに暗殺されますが、当時は大久保政権の時代だったと評価されることがよくあります。彼は当時実質的に内閣総理大臣に相当する人だったのですね。私は政治にも思いっきり興味関心があります。政治の話題になるとあまりリラックスした心持になれないんですよ。なので結構丁寧な口調になります。)。1873年と言う年は4月1日に万国博覧会が開幕して居ます。7月28日には地租改正法が公布。9月13日岩倉使節団帰朝。10月25日明治六年の政変(征韓論政変)。うわあこの年の2月26日は与謝野鉄幹も生れて居ますよ。彼らは生年月日が一緒だったんですね。知らなかった。ある意味きもいですが、勿論没年月日は違います。与謝野鉄幹は1935年には亡くなって居ます。226事件を知らずに亡くなられたのでね。河東碧梧桐さんは1937年2月1日に亡くなられて居ます。226事件は知った上で亡くなられて居ますが、彼の場合は1937年の盧溝橋事件を知らずに亡くなられて居ますね。あの日中戦争が起こる切っ掛けになった事件(以後太平洋戦争終結までの15年戦争の始まりです)。」
「大先生何かだいぶ口調が変わった様な気がしますが」
「うむ、そうじゃった。政治社会の事を語り始めると結構口調が丁寧になる。あるいは短詩形文学者でも過去の人とか、尊重せないかん人とか。結構丁寧な口調になる。しょうがなかろうて。でなきゃこう言う世界では生き残れんよ」
「ですよね、大変勉強になると共に参考になりました」
エントリ2 おいら宇宙のバスドライバー 白醤油
「次の停留所は、宇宙コンビニ『ロビーンソン銀河四丁目北店』だぁ」
車掌ロボの杉元がアナウンスする。
おいらは「止まる」ボタンに手をかける。
辺境の小さな惑星にあるその停留所から、乗り込んで来るようになった客がいる。
都会のハイスクールの制服で、金髪で泣き黒子がキュートな娘。
入学して一月近いのにまだ運賃の支払いを間違える、ちょっと計算が苦手なあの子。
愛車コスモエースR2は、バス停に停車する。
あれ?
やっぱり来ないな。
「あのぉ」
乗客Aが口を挟んで来る。
「銀河讀賣によると、この星って昨日悪の宇宙人に襲われたみたいですよ」
「何だと!?」
ボタン一発、不要な客席をパージし、コスモエースR2の推進部一つでおいらは走り去った。
惑星エビルが近付いて来る。
発展の方向性を間違えた現住生物の手ですっかり枯れ果てた星で、主たる産業は略奪と誘拐だ。
銀河警察は宇宙街道で切符を切る事にしか興味を持っていないから、事実上放置されている。
『YO! 警告すんぞ、なんだオメエ!?』
強制通信が割り込んで来る。
「うちの客を返して貰おうか!」
緑色の顔をしたこの星の現住生物が通信ウィンドウに現れる。
肉体ばかりが発達した、愚かで醜くて頭の悪いグリーンスキンめ!
『他人だったら関わるなYO! 痛い目見るだけだZE!』
「バスドライバーは絶対客を見捨てねえ!」
警戒区域を突破する。
湾曲フィールドを解いた攻撃艇が次々と姿を現す。
「四、五、六、七、まだ出て来るだ!」
杉元がレーダーを見ながら怒鳴る。
「先手必勝、攻撃をかける!」
覚悟を決めて、おいらは対小惑星掘削共振波のトリガーを引いた。
頭がガンガンする。
ああ、頭が痛い。
痛い……。
痛い痛い、ちょっ、なんかマジ痛い。
いたたたたた……。
「痛ぇ!」
「あ、おきた」
綺麗なブロンド、あどけない顔立ち、ハイスクールの制服に窮屈そうなEカップ。
が、椅子を振り上げていた。
「だいじょうぶ? グリーンのヤツひどい事するわ」
「君が介抱してくれたのかい?」
「ママの言ったことは本当ね。つかなくなったテレビはとりあえずぶっ叩けばなんとかなるって」
彼女は椅子を置いて座る。足が一本折れ曲がっていた。
天井、床、壁、壁、壁、木の格子。
どうやらここは、グリーン共の牢屋のようだ。
「無事だったんだね、ガール」
「キャサリンよ」
「おいらは田野中・V・平助。いつもバスを使ってくれてありがとう」
「バスドライバーの人よね」
キャサリンはちっちゃな溜息をつく。
「でももうバスに乗ってハイスクールに通う事もないのね。グリーンのランチにされちゃうんだわ」
「心配はご無用!」
レディーを不安にさせちゃジェントルマンの名が廃る。
「グリーンは一日二食だ、ランチになる事は絶対ないさ!」
「そう!」
キャサリンの顔がパッと明るくなる。
「じゃあ、明日までは生き延びられるわ」
「ちょっ! それおかしくねえ? 君がディナーでおいらがブレックファースト、これが順当ってもんだろ?」
「私はレディーよ、レディーファーストだわ」
「レディーファーストなら君が先で良いんじゃないか」
「あら、そうね?」
タイムリミットは今日のディナー。
何としてでもキャサリンを助けなけりゃ!
キャサリンを!
カギ穴に差し込んだヘアピンが、キリキリと音を立てる。
手ごたえ、あ……り、か……。
「ダメだ」
開かない。
「だったら!」
おいらは牢の奥まで下がって、それから。
ダッシュでぶつかる!
強烈なタックルに凄まじい音が鳴り響き、倒れた。
おいらが。
「痛っってえええええええええええええ!」
「おいどうした!」
看守がやって来……言ってる場合か! いたい、痛い、痛い、肩折れた! 多分! マジ痛い! 五十鼻毛ぐらい痛い!
「屠殺前に病死や事故死されては肉の質が落ちる、ちょっと見せてみろYO!」
看守が入って来ようとする。
「ダイジョウブよ、ぶつかってかたを打っただけだから」
何断っちゃってんの、このひと! 反射的に大丈夫言っちゃう日本人気質!?
「ともかく見せろ」
看守が鍵を開け、入って来た。
「どこが痛む?」
「か、肩」
……待てよ? これチャンスじゃね?
「ふむ、アザが出来てるな」
看守の後ろにいるキャサリンに目配せする。
キャサリンはにっこり笑ってウィンクを返す。
うわ、可愛い。
ちがぁう!
伝わってねえ!
ならば、声に出さずに口だけで。
『ぶっ叩け!』
「え? ナニ? ぶったたけ? なにを?」
「ん、何を言っている?」
看守がキャサリンの方を振り返ろうとする。
「貴様!」
身構えた看守に、キャサリンは反射的に座っていた椅子を持ち上げ、とても手慣れた調子で振り下ろした。
おいら達は牢から出て、裏路地を走る。
『ご町内の皆様、捕獲した非グリーンが逃亡中です。発見した方は通報願います。尚、捕獲に役立った通報者には、五十グラムのボーナス配分を致します』
町内放送が流れる。
「五十グラムっていうとどれぐらいかしら?」
キャサリンは小首を傾げる。
「卵一個ぐらいじゃなかったか」
「それはおかしいわ。うちのニワトリ、まいにちタマゴを生んでるけど、体重は二キロからへってないもの」
路地の先が通りにぶつかる。
このまま出るのはヤバイ。
傍らの家のドアを力任せに開いた。
「うわっ」
グッドタイミング!
ドアを開けようと反対側でノブをつかんでいたグリーンが、引っぱられる形でバランスを崩す。
拳一発、二発、三発、グリーンは悶絶する。
グリーンを家の中に引き込む。
「この部屋の住人はこいつだけみたいだな」
室内は独り暮らしの男独特の散らかり方をしている。
「そうみたいね」
キャサリンはダイニングのテーブルの上に置かれた瓶からクッキーを出して食べ始める。遠慮がないな。
「食べ終わったらちゃんと歯磨きしろよ」
流し台の傍らに歯ブラシと練り歯磨きが置いてある。洗面台を使わないとは、グリーンだな。
……ん。
歯ブラシに改めて目を向ける。いや、歯ブラシの隣の練り歯磨きの方に。
「……そうだ」
「どうしたの?」
「こいつを、こうやって……」
練り歯磨きをチューブからしぼり出し、ノックアウトしたグリーンの顔に塗りつける。グリーンの肌が白にすっかり隠れる。
これを、部屋の外に放り出す、と!
『いたぞおおおお!』
『え? え? うわあああああ!』
『運べ運べ!』
『大漁だ!』
声が遠ざかっていく。
「あはは、上手くいったぞ!」
「バカねグリーンって。ハダの色がちがうだけでわからないなんて!」
「ま、グリーンだから仕方ないさ」
おいらはキャサリンと微笑み合う。
「あなたのおかげでたすかったわ」
「乗客の安全を守るのは、バスドライバーの務めだぜ」
キャサリンはおいらの肩から首に手を回し、唇を近づけ――。
『こんにちは! みんなの友だちネオKKKでーーす!』
『グリーンがいるって聞いて、駆け付けました!』
『ぎゃはははは、死ね、死ね、良いグリーンは死んだグリーンだけだ!』
『平助、無事だか?』
突如、反重力エンジンの振動と激しい銃声と拡声器越しの音声が聞こえ始めた。
「あらざんねん、かえる時間みたいね」
キャサリンはにっと笑って、唇をおいらの頬に当てた。
「お帰りはバスをご利用を、臨時便、グリーン本拠地発、間もなく出発だぜ!」
ひとしきり笑ってから、おいらとキャサリンはドアから飛び出して行った。
エントリ3 土筆料理 ごんぱち
最終下校時刻を告げる校内放送が、生徒達を追い立てる。
制服のネクタイの結び目を手で探りながら、関屋哲也は校門から出た。
「こらぁ、関ぃ屋ぁ!」
怒鳴り声がした。
「ネクタイはきちんとぉぃ、むすびなさぁい!」
「似てないな」
哲也は振り返る。
「自覚はある」
春日光がにんまり笑う。
やや茶色味のあるショートカットの髪、哲也と同じぐらいの身長、そしてすらりとした体型。制服のスカートがなければ男子生徒と間違えられそうでもある。
「陸部の連中は?」
「今日は一年の片付け確認の当番なんだよ」
「新入部員多いとこは良いな」
光は、哲也の隣を歩き始める。
「女バス、少なかったっけ?」
日は西の空に傾いてはいるが、山際に触れていない。
「最近の若いのは、スラムダンクを読まないから」
「汗くさいのは現実だけにしときたい」
「確かにな」
光は哲也に顔を近づける。
「お互い様だ」
「そ、んなことはない。オレの身体からは薔薇の香りがするのだ」
「そんな源氏物語みたいな人類がいるか」
学校が遠ざかり、道は畑の脇に差し掛かる。
何軒かの住宅と畑とを比較的新しい舗装道路が隔てている格好だった。
手前の畑はすっかり耕されており、その奥の畑では菜花が黄色い花をつけている。
「アブラナがすっかり咲いたな」
呟く哲也の脳裏に、ふと、光と始めて出会った時の光景が浮かぶ。家庭菜園のキャベツに付いていたモンシロチョウのサナギを、二人で見守っている。去年の事だった。
「アブラナっていうとさ」
「え」
不意の光の言葉に、哲也はやや大きな声を上げる。
「アブラナって、うんこの臭いしねえ? 本当、見た目キレイなのに残念だぜ」
「あー、まあ、そういうものはあるよ……色々」
住宅が途切れ、右手は畑、左手が三メートルほどの高さの緩やかな土手になった。土手は様々な草が生え始め、うっすら緑色に見える。
「いや、そこは前提としてだね――ん」
光が不意に足を止めた。
「関屋! ほら!」
土手の中ほどを指さす。
「何?」
光は土手に上り、しゃがんで土筆を一本摘んで見せる。
「ああ、なんだ」
光は土筆を摘み始める。
「ひょっとして食べたりするのか」
「当たり前だろ」
光は土手に顔を近づけ、土筆を探す。
土手にまだ残る枯れ草の色は土筆に紛れやすい。
「あ、そっちある! ほら、それ、よろしく!」
光は笑みを浮かべながら土筆を摘んでいる。
哲也は光と土筆とを何度か見比べた後、自分も土手に上がってしゃがみ込み、土筆を摘み始めた。
哲也はひょいと伸びた土筆に手をのばす。
袴があって、胴体が二センチか三センチ伸びて、また袴があって。一番上は、六角形でびっしり埋め尽くされていたドーム状のものが、開いて先が少し黒くなっている。
哲也は土筆の根元をつまむ。
つるつるとして多少張りがあるが、草の茎のような固さはない。
少し力を入れて引きちぎる。
茎から出た汁が指先に付く。
鼻を近づけてみると、草の匂いが僅かにする。
ほんの少し奥歯を開けかけて、止めた。
光は背を向けて、黙々と土筆を摘んでいる。
手には一掴みほどの土筆の束が出来上がっている。
また一本、摘まれた土筆が束に加わる。
哲也はぼんやりと光の背中を見つめる。
「そっちはどうだ、関屋!」
光が振り返る。
初めて出会った時のような、好奇心混じりの笑い顔だった。
「ぷっ」
哲也が噴き出す。
「土筆好きなんだよ、悪いか」
「にしたって、笑顔過ぎだ」
摘んだ十本ほどの土筆を、哲也は光に差し出す。
「さんきゅ」
光は傍らに置いた学生鞄を開けようとする。
「その手じゃバッグ汚れるだろ」
哲也が自分のバックから出したレジ袋を放る。
「助かる」
やや不格好にキャッチしたレジ袋を広げ、土筆を入れる。
Lサイズのレジ袋の底に僅かに土筆が溜まって見える。
光はレジ袋を腕に引っかけ、またしゃがみ、土筆を摘み始める。
哲也は光に背を向け、土筆を探し始めた。
「うわっ!」
光が声を上げる。
「アゲハの幼虫でも見つけたか?」
振り向かずに哲也が尋ねる。
「ジョロウグモだよ、ううっ」
「相変わらず、カラフルなのダメだな。場所替わるか?」
「もうどっか行ったから平気」
土筆はレジ袋の五分の一ほど溜まっていた。
「まあこんなもんかな」
傾きかけた日は、山の端に触れていた。
「こっちは一生分摘んだ気分だ」
哲也は汁と土で黒く染まった指先をこすり合わせる。
「協力に感謝する、がははは!」
光はぐっと背伸びをして、土手から道路に降りる。
その左側を哲也は歩く。
「どうやって喰うんだ?」
「ウチだと、土筆ご飯と卵とじ……まあ何にでもなるだろ」
「うまいの?」
「何か作ってやろうか」
「作って……?」
哲也は眉を寄せる。
「炒め物ぐらいならやるんだぞ」
「やるのか」
辺りは暗くなり、影が伸びて来る。
坂を下り、丁字路に差し掛かる。
哲也は右に、光は左に別れる。
「じゃなー」
「おー」
翌日の放課後、校庭の片隅で哲也ら陸上部二十三名は練習に参加していた。
準備体操、ランニング、柔軟体操、筋力トレーニング。
「なあ、テツ」
二人組になっての前屈の途中、組んでいた大林太智が小声で言う。
「昨日、春日と何やってたんだ?」
太智はぐっと哲也の背を押す。
哲也の身体は胸まで地面に付いた。
「土筆採ってた」
「なんで」
「食べるんだと」
「毒抜きとか大変そうだな」
「あるのか?」
「なかったっけ、毒」
「春日が料理するぐらいだから、ないんじゃないか?」
「え! 春日料理できんの!?」
太智の声が響き、部員達の視線が集まる。
「何見てんのよ、スケベ!」
太智は言うなり自分の胸を隠して腰をひねる。
部員達の何人かが声を上げて笑った。
「……できはするだろ」
哲也は校庭の隣りに建つ体育館に目を向ける。微かにバスケットボールが床に当たる音が漏れ出ていた。
数日が過ぎた。
昼休み、哲也はクラスメイトと机を囲み弁当を広げていた。食べ終えた哲也が弁当箱に蓋をしていると。
「ういーっす」
光が教室に入って来た。
クラスメイト達の何人かに挨拶しつつも、光はまっすぐに哲也の方に歩いて来る。
「関屋、ほれ」
光は机にずんぐりした瓶を置く。
「ごはんですよ?」
ラベルがかすれかけた、のりの佃煮の瓶だった。
「それは世を忍ぶ仮の姿」
哲也は瓶の蓋を開ける。
中には、醤油色に染まった土筆が詰まっていた。
「ふうん」
哲也はしまった弁当箱から箸を再び出して、土筆の頭の付いている部分を選んで取り、口に入れる。
間が空く。
「言うな! 言うな! 調味料の味しかしないって! 仕方なかった、結構時期が終わって伸び切ってる土筆だったから、多少誤魔化そうという心に負けた」
「食べ頃ってのはどんななんだ?」
「まだ頭が締まってるヤツかな」
光は手を合わせて形を作って見せる。
「こうキュッとドームみたいに」
「ふうん」
「まあ今度、は味の分かるの作ってやる」
光はきびすを返し、瓶を拾い上げようとする。
だが、光の指先は空を切った。
「期待してる」
哲也は瓶の蓋を閉め、自分のバッグに入れた。
「まかせとけ」
小走りに光は教室を出て行った。
「それなんだ?」
同じ机を囲んでいたクラスメイトの一人が尋ねる。
「土筆の佃煮だ」
「どんな? ちょっとくれよ」
哲也は佃煮の瓶を入れたバッグとクラスメイトを見比べてから言った。
「断る、俺のだ」
窓の外に見える木々の若葉を、風が揺らしていた。
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