祖父は昭和の初め、浅草六区で奇術師として舞台に立っておりました。我が家のアルバムにはタキシードにシルクハットを被りポーズを決めている写真が何葉か残されております。祖母の話によると、垢抜けたスタイルで「種も仕掛けもございません」と云う口上は当時の流行語にもなったそうです。
ある秋の日、舞台を終えた祖父は「煙草を買ってくる」と云い残し楽屋を出たまま姿を消してしまいました。祖母も周囲も驚きましたが芸人のすることだからと2、3日は様子を見ておりましたが、一週間も経つ頃にはさすがに警察に相談しようと云う話になり、本格的な捜索が行われる事となりました。
失踪当日、レヴュウの踊り子と一緒にいたとの目撃情報があり、その踊り子も行方をくらませている事が判明いたしました。時を同じくし、東尋坊より女性の水死体が上がり、検死の結果それが件の踊り子と判明したのであります。宿帳より祖父とかの地まで流れ着き事に及んだようです。現場には、女の履物の横にシルクハットと重し代わりの懐中時計が置いてあったとそうですが、付近の捜索にもかかわらず祖父の遺体は上がらず、文字通りこの世から忽然と煙のように消失してしまったのです。
「手品師大全」/岡田徳一著/天洋書房
「明治・大正・昭和の浅草」/小島竜彦著/岩屋出版社
「<種も仕掛けもございません>奇術師植木天堂伝」/高橋睦美著/蛍雪舎