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第1回6000字小説バトル Entry20

 1,夢

 はぁ、はぁ、はぁ……。
 暗い暗い、闇の中。
 私は一心不乱に長い長い道を走っていた。
 息が切れて、すごくすごく苦しいけれど……でも止まれない。
 止まってしまっては、ダメだ。
 何で走っているのかも分からないのに、それでも。
 止まったら、きっときっと捕まってしまう。
 何故かは分からないけれど、そういう漠然とした不安が私の頭の中を目まぐるしく回っていたのだ。
『何に捕まるの?』そう聞かれてもきっと答えられないと思う。 
 けれど、捕まる。
 捕まってしまったら、きっと逃げられない。
 もう二度と日の光を見ることはかなわない。
 だから、私は逃げているのだ。
 逃げなくては、ならないのだ。
 でも。
 近付いてくる。
 大きくなる足音に、近付く荒い息づかい……。
 私はもうクタクタに疲れていて、走る速度が遅くなってしまっているというのに、追いかけてきているものは速度がまるで落ちていない。
 このままでは……。
 このままでは、捕まってしまう。
「や、いや……。」
 捕まりたくなんか、ない。
 私は自分の体に鞭打って、走る。
 走る、走る、走る。
 ……走る……。


「っっっっ!」
 朝の淡い太陽の光がカーテンの隙間から差し込み、冬の肌を刺すような寒さが先程までベッドの中にいて、勢いよく飛び起きてしまった私の顔や手を冷やしてゆく。
 また、あの夢だ。
  私はそう思いながら、少し出てきた額の汗を拭い、あの出来事が夢であったことに安堵の溜息を吐き出した。
 あの夢はもう、三ヶ月前から見ている夢。
 何かに追いかけられ、私は必死になって逃げる夢。
 いったい、この夢は何を意味しているんだろう?
 私は夢を見ると言いようのない恐怖が全身を駆け抜けるのを感じ、不安が私の胸を締め突ける。
 私はそんなモヤモヤした気分を振り払うかのように、ひんやりと冷たい床に足をつけて立ち上がった。
 どんな夢を見たって私が高校生であることには変わりないし、今日は平日で学校があるのだ。
 例え、どんなに気分が悪くたってさぼる事なんて出来ない。
 私は部屋の近くにある洗面所へと向かい、着くと始めに鏡の中に自分の姿を映し出す。
 寝癖が付き、目も充血していて本当に酷い顔。
 私はそんなに美人だとは言い難い顔の造りをしている。ぶすではないのだが平凡すぎる顔であった。
 私はそんな自分の顔に溜息を吐いてから、顔を洗い歯を磨く。それから、髪を梳かし髪型を決める。
 それらが全て終わると、次は朝食だ。
 私は階段を下り、キッチンに向かった。
 キッチンに付くと、冷たくなった朝食が置いてあった。
 これも、いつものことだ。
 私の両親は朝早く仕事に言って、夜は遅くに帰ってくる。顔を合わせない日さえあった。
 子供の頃はその事に不満を訴えたこともあったのだが、今ではもうどうでも良くなってしまっていた。
 あの人達は自分の子供より、仕事の方が大切な人たちなのだから。
 私は、少し表情を曇らせながらそう思い、朝食を食べようと準備を始めた。 



 2,孤独

「おはよう!由真(ゆま)ちゃん」
「あ、おはよう」
 学校に行く道。
 そこで、私はクラスメートの女の子に会ってしまった。あまり人と会いたい気分ではなかったというのに。
 彼女は私に元気良く挨拶をしてきて、私もその挨拶に答える。そう、ただ答えるだけ。
 彼女もきっと、たまたま私がいたから声を掛けたのだろう。
「由真ちゃん、一緒に学校に行こ」
「あ、うん。いいよ」
 彼女、山倉 亜佐美(やまくら あさみ)は私の言葉に、嬉しそうに笑って見せた。
 私は、そんな彼女の笑顔を嫌なものでも見るかのように眺める。
 もちろん、そんな態度は微塵も見せないけれど。
 私は、彼女のことがはっきり言ってあまり好きではなかった。
 誰にでもいい顔をしている、優柔不断女、八方美人。それが私が山倉に抱いている印象だったから。
 だが、私と山倉にどんな因縁があるのかは知らないが、毎朝なぜか会ってしまうのだ。
 私はなるべく顔を合わせたくないと言うのに。そんな私の心の中を知ってか知らずか、山倉は私に話し掛けてくる。
 私は、独りで居たいのに。


「由〜真〜ちゃん!一緒に帰ろ」
「え……や、山倉さん?」
 空が、もう既に赤紫色に染まってしまっている、その時間。
 誰もいなくなっていたと思っていた教室の中から顔を出した山倉に、私は思わず驚いてしまった。
 委員会で遅くなった私のことを待っていたのだろうか?
 私にとっては迷惑でしかないというのに。
 山倉は私の気持ちになんか気付いていないようにニコニコと笑いながら、近付いてくる。
 仲のいい人なんか、いらないと言うのに。
 なれ合いなんか、したくない。 
 私は人と必要以上に仲良くなろうとはしないし、人も私とは仲良くなろうとはしていなかった。
 だが、山倉だけは別だった。
 どんなに関わらないようにしていても、あっちから関わってくる。
 しかも、鈍くて私が避けているのにも気付かないのだ。
 はっきり言って、苛つく。必要以外に私の心の領域に入ってきて欲しくはないのに。
「でも、私、寄るところあるし」
「でもさ由真ちゃんの家って、私の帰り道の途中にあるし。私も、独りじゃ寂しいしさ」
『私も……』というその言葉に、私は思わず顔を歪めてしまった。
 それじゃあ、まるで私も寂しいみたいじゃないの!?
 私は独りでも孤独でも平気だというのに。私を山倉みたいな弱い人と一緒にしないでよ。私は強いんだから。
「寄るところは、家とは反対方向だから。遅くなるし。山倉さんは、家族が心配すると思うからやめといたほうがいいよ」
「由真ちゃん、それじゃあまるで由真ちゃんの家族は心配してないみたいな言い方だよ。」
「っっ」
 私はあまりに鋭い山倉の言葉に、一瞬言葉を失い、それから山倉に一瞥さえもくれずに教室を飛び出したのだ。
 ……なんなの、あの子!?
 あまりの不愉快さと怒りで私は一瞬、山倉に怒鳴りつけてしまいそうになった。
 アンタに何がわかるって言うのよ!と。でも私はそれを寸前のところで堪えたのだ。
 そして、私は心に決めた。
 明日から、本格的に山倉を避けようと。
 もう、我慢が出来ない。
 あいつとの因縁なんて、私からぶち切ってやる!!! 
 


 3,影の恐怖
 
 ……逃げないと……。
 私はまた何かから逃げていた。
 また、また夢なのだろうか!?
 でも、この体に走る恐怖は並大抵のものではない。
 怖い怖い怖い。
 捕まってしまったらどうなるのだろう?
 嫌だ。
 でも、なんだか昨日よりも後ろのものが追いかけてくるスピードが速くなっているような気がする。
 このままでは。
 捕まってしまう。
 そう思った、その瞬間。
 私は、何かに躓いて転んでしまったのだ。
 っっっしまった。
 そう思ったときには、もう遅かった。
 何かが立とうとした私の足を掴み。
 そして……。
 私は、今まで私のことを追いかけていたものを見てしまったのだ。
 それは……。
「っっっ私!?」
 そう、私だったのだ。
 私は声も出せないまま、もう一人の自分をじっと眺めてしまった。
 もう一人の私は、ニヤリと嫌な笑いを顔に貼り付けながら私のことを見下ろしていた。そして、こう言ったのだ。
「やっと、捕まえた。貴女、友達も家族もいらないんでしょ?一人でも生きられるんでしょ?だったら、だったら、影の私と交換してよ」
 な……。
 あまりの言葉に、私は言葉を失ってしまった。
 何を言っているんだ!?
 そう言いたかったけれど。
 私が口を開いた、その瞬間。
 私の意識は、闇に飲まれてしまったのだ。
 


 4,交換した、影と私
 
 気付いたとき、私は……闇の中にいた。
 そして、私がこうなる前のことを、思い出してみる。
 ああ、そうか。
 私は、影になったんだ。
 物を見ることも話すことも出来ない、影に。
 そんな私に、唯一出来ることは聞くことのみ。
 目覚ましの音に、家の近くの電車の音。友達の笑い声に、先生の声。私の知らなかった、声。
 ……そして、私は誰も私が変わってしまったことに気付いてくれないことに気が付いた。
 そう、どうせ私などいてもいなくても良い存在だったのだ。
 だから、誰も気付かない。気付いてくれない。
 と、私はそこである人物の声が聞こえないことに気が付いた。
 山倉 亜佐美の声が、聞こえない。
 いつもうるさいほど私に纏わり付いてきたというのに。  どうしてなのだろう?
 だが、私は一つ思い出した。
 前日、私が彼女と一緒に帰ることを断ったことを。
 その事で機嫌を悪くしたのではないだろうか?
 あり得る。
 私はそう思いながら、何も見えない暗黒の世界の中で、たった一人、孤独を味わっていた……。


「由真ちゃん」
 突然聞こえた、山倉の声。
 私はその声に、思わず反応してしまっていた。
 そして、思い知る。私がどれくらい山倉のことを考えていたのかを。
「なに?山倉さん」
 私ではない、私の声が山倉の声に答える。
 違うのに。
 私は、ここにいるのに。
 きっと、山倉も気付かないだろう。 きっと……。
「由真ちゃん、一緒に帰ろうか?」
「うん、いいよ」
 なんだか、元気のない山倉の声。
 いつもの、山倉らしくない。
 彼女はいつも元気に私に声を掛けてきて……ううん、私だけじゃなくて、友達みんなに声を掛け、みんなに好かれて。
 ああ、そうか。私はそこまで思ってから、初めて気が付いた。
 私は山倉のことを嫌いな振りをしていたけど。本当はとっても羨ましかったんだ。彼女は、私にないものを沢山持っていたから。
 それに、私が強がっていたときにも、自分の弱さを知っていて……。
 山倉はいつでも強かったのだ。
 純粋で、元気がよくって。
 誰にでも臆することがなく心を開いて見せることのできる。
 私とは、全く違う少女だったんだ。
 今頃気付いても、遅いのに。
 もし、今度山倉に会うことがあったら、色々謝ろう。
 邪険にしてごめんねって。
 そして友達になってくれないかな? と。
「由真ちゃん」
 私がそんなことを思っていたら、山倉が私ではない私に話し掛けたのだ。
 私は、耳を澄ます。
「なんか、今日の由真ちゃん、由真ちゃんじゃないみたい」
 !?
 気付いてくれてたの?
「何言ってるの、山倉さん。私は、私よ」
「ううん。本当に由真ちゃん本当に今日、変だよ」
「何馬鹿なこと……」
「だって、私の知っている由真ちゃんは、勉強が出来て運動もよくって。すごく責任感のある人なのに、今日の由真ちゃんは変だよ。先生に指されても答えられてなかったし、体育だって真面目にやってなかった。そんなの、私の尊敬してた由真ちゃんじゃないよ」
 尊敬、してた……?
 私は山倉のその言葉に、思いっきり驚いてしまっていた。
 まさか、私が尊敬されるなんて。
 山倉の方がずっと私なんかよりもすごいのに。
「良いじゃない。もう、私は変わったんだから。」
「良くないよ!私、いつも由真ちゃんが私のことウザイって思ってるの知ってたけど、それでも良かったんだ。嫌われるのなんか怖くなかったって言ったら嘘になるけど、でも。無関心に、他のみんなと一緒に取られるよりもずっとずっと良かった。だから、戻ってよ。貴女は姿は由真ちゃんの格好をしているけど、由真ちゃんじゃないんだから!!私の大好きな、由真ちゃんじゃないんだから!」
 涙が出てきた。
 私のことをこんなにも思ってくれている人がいるという事実に対して。
 それと同時に……戻りたいと思った。
 孤独なんか、やっぱり嫌。
 そして、戻れたら……。
 戻れたら、やることがある。
 私は全て諦めてたけど、お母さんやお父さんに仕事ばっかりしてるなってくいついてやろう。
 それに、友達を作るのもきっと難しくないだろうから、話し掛けてみよう。
 全てを諦めずに、最後までやりたい!
 私が今まで諦めていたその分。
 きっと、大丈夫。
 今の私になら、出来る。
 だから、私の体を返して!
 私はもう孤独なんか、望んでいないんだから。
 ……私がそう強く思った、その刹那。
 「由真ちゃん!?」
 山倉の叫び声と共に。私の意識が遠ざかっていった……。

 

 5,戻った私と消えた影、そして見なくなった夢

 「ん……」
「由真ちゃん!」
 私が意識を取り戻した瞬間に聞こえた山倉の声。
 私は、その声を聞きながら、目を開け、物が見えると言うことに驚いていた。
 ……戻ったんだ。
 そう、影から自分の体へと。
 戻れた。
 そう思ったら、私の瞳から、涙が一滴こぼれ落ちる。
「由真ちゃん、どうしたの? 痛いところでもあるの!? いきなり玄関で倒れたから」
「ちが、違うの。山倉さん、今までごめんね」
「由真ちゃん……」
 私は嬉しいんだか悲しいんだかわからなくなりながら、ただひたすら山倉に謝っていた。
 今まで私がした山倉への態度に比べたら、いくら謝っても足りないぐらいだ。
「由真ちゃん、いつもの由真ちゃんだっっ!よかった。私は、平気だよ。全然、平気。だから、気にしないでよ」
 優しい言葉。
 私にはそんな言葉を掛けてもらえる資格なんかないというのに。
「……ありがとう」
 自然に口を突いて出てしまった、言葉。
 前の私なら山倉にそんなことを言うことなんか出来なかったけど、今なら言える。
 そして、私は静かに微笑んだ……。
 


 それから。
 
 私はもう孤独がいいなんて思うことはなくなった。
 人は、一人では生きていけないということを知ってしまったから。
 でも、あの出来事は一生忘れることの出来ない出来事だと、私は思う。
 私の人生を変えた、あの事件は忘れない。
 影と体を交換した、あの不思議な体験は。
 
 けれど、あの日からもうあの夢を見ることは無くなってしまっていた。
 
 私に、大切なことを教えて、影は消えてしまったのだ。
 
 もう影の意識は感じることはできない。
 
 影は、私のことを助けてくれたのだろうか?
 今となってはもう分からないけれど。    
 
 でも。
 
 私は、あの時のことを絶対に、忘れない。
 私に大切なことを教えてくれた、影のことを。


 アナタは、影の存在に気付いているだろうか?
 いつも絶え間なくアナタのことを見ている影の存在に。
 影は意志を持っている。
 でもアナタはその事を知らない。
 そのことに気付かない。
 でも。
 もしもアナタが孤独を望むのならば、影は黙ってはいないだろう。
 だって。
 影は孤独の寂しさを、誰よりも知っているのだから……。

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