第1回6000字小説バトル Entry4
今朝は、歯が疼くのであまり天気はよくないようだ。身体も重いし仕事に行きたい気分じゃない。もし仮に普段と同じように満員の通勤電車にゆられて職場に出向いたところで誰も褒めてくれるわけではない。今年何とか課長に昇進したものの、同期からは大きく遅れて、出世した気分でもない。私が仕事を休んでもこの行き逢う人たちは誰も叱りはしないだろうし、声もかけてこないだろう。
『今年は俺も厄年か……。去年遅ればせながら結婚し、待望の子供ももうすぐ生まれるというのに……』
『なんか……むなしい……』
ぼーっとしながら、私は駅へと続く階段を途中で引き返し、脇の路地へふらふらと何かにひかれる様に歩いて行った。しばらく行くと、小さなビルの入り口の看板が目に飛び込んできた。『こちらから→』それは、ベニヤ板を白く塗ったものに赤いペンキで書いてあるだけのみすぼらしいものだった。一度は通り過ぎようかとも思ったのだが、何となく気になったので少し覗いてみることにした。中は薄暗くシーンと静まりかえっている。階上への入り口は『立ち入り禁止』の立て札があり電灯もついていない。看板は地下へと続いていた。『こちらへ↓』一体何のことなのかさっぱりわからないままゆっくり階段を降りていくと、奥の方から少し人のざわめく声が聞こえてくる。
だんだん灯りも見えてくるようになり、突然私は宴会場の真っ只中にいた。盃、ジョッキーを手に楽しそうに話をしている人たちの傍らで忙しく店員たちが動き回っている。『居酒屋なのか……。変わった店だ、ちょっと寄って行こうか』そう思って空いている席を探したがどうも満席らしい。あたりを見回しながら奥へと歩いていくとまた階段があり、『こちらへ↓』の看板。導かれるまま私は下へと降りていった。
次の階は少し雰囲気が異なり、三、四人程度のグループが六組ほど静かに、しかしにこやかな笑顔で酒を飲んでいた。
「おお、吉田!」客の一人がふいに声をかけてきた。
「山本?……。山本か?!」それは、中学の時の同級生だった。
逢うのはもう二十七年ぶりになるだろうか。彼とは格別仲が良かったわけではないが、通学路がたまたま同じ方向なので、部活がない日などは一緒に他愛もない話をしながら帰ったりしていた。
「おい、久しぶりだなぁ!」かなり酔っているのか山本は私の肩をパンパン叩きながら嬉しそうに、
「みんな!俺の中学校の同級生の吉田だ」
「どうも……吉田です」自分の名前を紹介されるのは少し照れくさい。
「吉田さん、お会いできて光栄です」
「吉田さんやぁ」
「吉田さん」紹介されるや否や満面の笑みをたたえながら皆が握手を求めたり、身体に触ってくる。
「吉田さんにかんぱ〜い!」
「かんぱ〜い!」
気がつくと、山本のいるグループだけではなく、他の席の人まで私の名を呼びながらこちらを向いてにこやかに微笑んでいる。
「ヨ・シ・ダ!ヨ・シ・ダ!」最後には、全員こちらを向いて大合唱。頭をかきながらどうしていいかわからない風をしていると、
「お待たせしました。どうぞこちらへ……」
若い物静かな店員に導かれるままゆっくりと通路を歩いて行くと、みんなが熱い視線をなげかけてくる。『……すこし気味が悪い。……』そういえば、最初にこの店に入った時も私と目が合った人は、必ず微笑みながら会釈していたのを思い出した。
「どうぞ」
彼女の手は地下へと向かう階段を示していた。『またか』と思いながらも、何となく今きた道を引き返す気にはなれなくて、一段一段と降りていった。『……予感はしていた……』暖簾をくぐるなり皆、屈託のない満面の笑みを私になげかけてくる。部屋の大きさは先ほどと同じくらいであろうか。しかし、ここも満席らしい。『熱い!まるで『羨望』にも似た眼差し』が私の五感にチクチク突き刺さってくる。
「こちらです!」通路を奥まで行くと、やはり階段……。一体何階まであるのだろうか。もう酒を飲む気分ではなく、とにかく今の状況から早く逃れたいという気持ちで一杯だった。階段を駆け降り暖簾をくぐり、また降りて……。無垢の笑みの中を私はどれくらい進み、階段を駆け降りたのであろうか。しかも、どんなに速く走っても階段の入り口には必ず彼女がいて「こちらです!」と案内する。しかも客達とは全く異なり一度も私と視線を合わそうとしない。
とうとう彼女を押しのけ自ら階段を降りていった。暖簾の裾を恐る恐る上げ、中を覗いてみると今までと雰囲気が違う。中に入ると誰も私を見ない。席もぽつぽつと空席がある。少しホッとしていると、
「あれ?吉田課長じゃないですか。珍しいですねぇ、こんなところで逢うなんて……」
後ろからの呼びかけに一瞬、『ギョッ』としたが、振り返ると見慣れた顔がそこにあった。
「あっああ」
「どうしたんですか?汗いっぱいかいちゃって……」
「いや、何でもない。ちょっと年甲斐もなく走ったりしたもんだから。はは。…ええと…島崎…君…だったよね?」
「いやだなぁ。部下の名前忘れちゃったんですかぁ。そうですよ、頼りないなぁ。しっかりしてくれないと困りますよぉ。まっ一杯どうですか」
「いやぁ、バカだなぁ忘れるはずないじゃないか。ただ、ちょっと今日は疲れてるのかなぁ」
差し出されたビールを一気に飲み干して、体中の力が抜けていくのがわかった。
「ん〜!やっぱりこれだよねぇ。君はここにはよく来るの?」
「あはは、まさか。たまたまですよ、た・ま・た・ま!」一瞬、意味がわからなかったがそんなことはもうどうでもよかった。
「……、だよなぁ。そうだよなぁ。ままま、飲もう飲もう!」
私達は、いろんな取るに足らない話をまるで子供のようにはしゃぎながら盃を酌み交わしていた。うとうとしながら前の席をみると若いカップルらしい男女が座ってじっとこちらを見ている。『……そういえばこの席に座ったときからいたな……』
「あっ、この方達は?ご挨拶が遅れまして。君のお友達?」
「ああ、彼らはただ相席しているだけですよ。何でも終電に乗り遅れたとか」
「ええ?もうそんな時間か?」
「あはは、そんなものあるわけないでしょう」また、理解しがたい返事。
「そういえば課長。僕の同級生が十回目のチャレンジでやっと司法試験に合格したんです。実は今日、彼の新しい門出を祝うためにここに来たんですよ!」
「そりゃぁすごいね。努力したんだろうねぇ」
「でしょ?でしょ?田中っていうんですが、もう来る頃だと思いますから一緒にエールを送ってあげてください」
「もちろんだとも。田中君だね?!」
そのとき……。『コツコツコツ』
誰かが階段を降りて来る足音。その音にあたりは静まり返って暖簾の向こうをじっと見ている。足音が止まり、暖簾の裾が微かにめくれ上がり一人の青年が顔を出した。突然、歓声が沸き、拍手の嵐……。いつの間にか客席は満席になっていた。
「彼ですよ!彼がそうなんですよ!」誰ともなく、そう耳打ちされた。
「おめでとう!田中!」
「田中さん!」
「田中さん、お逢い出来て光栄です」
「田中君、頑張れよ!」
私も、知らず知らずのうちに彼に大きな拍手を送っていた。彼は、当惑気味に通路を会釈を繰り返しながら通り過ぎていった。
「……こちらです……」
聞き覚えのある声に思わず我に返った。『あの女だ!』彼女はその青年を階下へと案内していった。
「いっちゃうんですか?課長も……」その言葉を後ろに聞きながら、私は何かに憑りつかれたように彼らの後を追っていた。しかし、どんなに急いでも彼らに追いつかない。私が暖簾を上げると彼らはすでに次の階段を降りはじめている。また暖簾、そして階段。繰り返される祝福と歓声の中、人を押しのけながらただひたすら私は走り続けていた。
そんなことを数回繰り返したのち、ある部屋にたどり着いた。今までの部屋とは違い狭く薄暗い。
「あれぇ?吉田君。どうしてこんなとろこに」ぼんやりとした薄灯りの中から、また私を呼ぶ声が……。三名しかいない客はみんな顔見知りだった。一人は去年定年退職した佐藤さん。もう一人は小学校の時の担任の谷先生。最後の一人は、なんとおやじではないか。
「どっどうしてみんなこんなところにいるんですか?おやじも何で……」
「良一、ここが最後だよ。この下の階には誰もいないよ」
「若い女の店員と青年がここを通らなかった?」
「いや、それは違うな!」
「……えっ?」
「吉田君。昔から君はそうだった!」
「なっ何??」
「良一、いい加減目を醒ませ。そんな子に育てた覚えはないぞ!!」
『何がなんだかわからない。みんな酔っ払っているのか?』しかし、部屋の奥にはまた階段があった。一瞬彼女の姿が見えたような気がして、私は再び歩き出した。おやじ達はそれ以上私の顔を見ることもなく、元のように静かに酒を飲み始めた。
『この下はもう誰もいないのか?』真っ暗な階段を降りながら少し不安になってきたが、何故か後ろを振り向くのが怖い。『真っ暗だ……』降りてきた部屋は、全く光がなくひんやりとした空気が漂っている。どこがどうなっているのか分からない。『コツコツ』と自分の足音だけがあたりに鳴り響く。どうも、かなり広い空間があるようだ。突然、何かにつまづいて私は転んでしまった。『いてて、何だ?』手探りで触ってみると、長い紐のついた突起のようなものがある。それをひっぱってみたがびくともしない、もう一度今度は力をこめて引っ張ると、ゆっくりと扉が開き下から光が差し込んできた。
恐る恐る下を覗き込むと、どうも外に出たようだ。基礎工事のようなセメントが見える。3mくらいの高さだろうか。飛び降りたら上がることは不可能な気がする。でも一刻も早く外に出たいし外に出れば何とかなる。そう思い、手で角につかまりながらじわじわと身体をくねらせて足から降りていき、め一杯身体をのばした所で飛び降りた。その瞬間、『バタン!』と扉は閉じてしまった。
飛び降りた反動で少し足が痛いが大したことはなさそうだ。『ここは一体どこなんだろうか?』降り立ったところは、ビルの一階のようでもあるし作りかけの駐車場のようでもある。『剥き出しの鉄骨、表面がざらついて窪んだセメント』建物から出てみると、すぐそこには小高い山々があり、夕日がまわりををセピア色に染めている。目の前には散髪屋があるのだが看板も動いていないし、全く人の気配もない。数軒家はあるものの、道にも家にもやはり誰もいない。
『チンチン』……、電車か?……
一台のチンチン電車が段々近づいてきて、すぐ近くの電停に止まった。私はすぐに飛び乗った。行き先もわからないまま。
電車には双子らしい男の子をと女の子が乗っていた。年の頃は4、5歳くらいであろうか。彼らはじっと私の方を見つめている。それにしてもこの電車はどこに行こうとしてるんだろう、窓から外をぼんやりながめているが家並みは見えるものの、全く人の気配がない。その家並みも段々と少なくなっていく。前を見ると山の奥の方にこの電車は向かっているように見える。
突然、二人の子供達が歌い始めた。
「ここで見るものあっち向き、あっち向き……」
『何なんだ?あっち向き?』彼らはそう歌いながら、電車の進行方向とは逆の向きを横目で何度も示していた。『……胸騒ぎがする……』
「おっ降ろしてください!」そう私は叫んでいたが、電車は止まらない。運転手の方に駆け寄ると誰もいない。『くそっ!』ブレーキも利かない、ドアも開かない。もう我慢できない。「君達も一緒に降りよう!」私の問いかけに、彼らは少し下を向いた後ゆっくりニコっと微笑んだ。幸い電車の速度はそれほど速くない、自転車程度の速度であろうか。私は後ろのドアを転がっていた棒でなんとか抉じ開け二人をかかえて電車から飛び降りた。
起き上がると私はただ一人、駅に向かう通路の真ん中にいた。私の周りをめまぐるしく人の波が通り過ぎていく。しかし、誰も私を見ないし誰も声をかけてこない。『3番線に電車が入ります』その声に、私は慌ててプラットホームへと向かっていた。
満員電車は、いつもと同じように私を押しつぶしながら会社へと運んでいく。会社に到着していつものように仕事をしていると、ふと気になることを思い出した。
「ねぇ、島崎君は今日来てるかな?」
「島崎?……ああ、課長、何言ってるんですか。彼はもう五年も前にやめたじゃないですか。やめたって言っても、入社三ヶ月くらいですぐいなくなっちゃいましたけどねぇ。理由は知らないけど。あっそういえば家の方にも帰ってないらしく、大騒ぎしてましたよ。あっ課長がここに来る前でしたね!」
「え?ああ、そうだったのか。いや、別に何でもないんだ」
『プルルルルッ……ガチャッ!』
「……はい、あっ少々お待ちください。課長、お電話です」
「ん?ああ」
「あ〜もしもし、お電話代わりました」
「パパ、生まれたわよ。うふふふ」
「え?生まれたか。で、男か女か??」
「それは後のお楽しみ、かわいいわよぉ」
「そうか、元気か?」
「元気よ、今日は早く帰れるの?」
「昼から休みとってそっちに行くよ!」
昼食もとらずに私は家内の入院する産婦人科病棟に向かっていた。病室には家内が寝ており、そばに看護婦がひとりいた。
「あっおとうさんですか?おめでとうございます。母子共に健康ですよ。じゃぁ、連れてきましょうね!」そういって、彼女は部屋から出て行った。
「お前の体の方はどうだ?」
「ちょっとまだ痛いけど、大丈夫」
「子供はちゃんと泣いたか?」
「大きな声でね。うふふ!」
しばらくすると、さっきの看護婦ともう一人の看護婦が子供を連れてやってきた。
「は〜い、パパにご対面ですよぉ」
「え?双子?!」
「そうなの、しかも男の子と女の子よ。私達子供の性別も何も生まれるまで知りたくないって言ってたけど。あなたの予想も私の予想も当たったってわけよ」
「そうかぁ。おい見てみろよ、二人とも目を開けて笑ってるぞ!」
「あはは、まだ目は見えないわよ」
「いや、今確かに笑ったよ」
「あなたのお父さんにも見せてあげたかったわねぇ」
「おやじも子供好きだったからなぁ。きっと喜んでるさ。どっかで酒でも飲みながらね!」
……数年後……
毎日繰り返す通勤の道、雑踏の中すぐそばを通り過ぎているのに誰も私と目を合わせようとはしない。相変わらず誰も、私のことなど気にもとめない。会社に行っても仕事以外の事で誰も私には声をかけてはこない。しかし、私はなんとなくこの方が居心地よく感じるようになってきているのだ。家に帰り着いたとき、唯一私を待っている者達がいる。それが本当の幸せだとわかったからかもしれない。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい!」
「パパお帰りぃ!!」
「お土産今日ないの?」
「あはは、忘れるはずないだろ」
「今度の日曜日、遊園地連れてってね!」
「おお、そうだったね。よしみんなで行こう!」
「やったぁ!」