Entry2
貨道列伝
ごんぱち
値段の記された木の品符がテーブルに並ぶ。
「千七百六十四円です」
同時に、しかし急ぎ過ぎの印象を全く与えず、スーツ姿の近藤雅弘が合計金額を読み上げる。
着物姿の女の買手は、素早く実貨の二千円札を一枚差し出す。
一瞬の間もなく、雅弘は銭箱から硬貨を掴み出す。
「二百三十六円のお返しです」
「ありがとうございます」
互いに爽やかな会釈を交わし、一礼した。
それから、買手はカウンターを通り、また元の椅子に座った。
拍手が部屋に満ちる。
雅弘は軽く会釈してから、売手席から離れた。
「流石は三代目、素晴らしい」
「動きの一つ一つに気品がありますね」
「あの計算の早い事!」
「田口様が霞んでしまいますわね」
同席した者達の称賛に、雅弘は笑顔で会釈する。
(当たり前だ。俺は三歳の時から品符を持たされてたんだ)
笑みが僅かに皮肉っぽく歪む。
(だからこそ、俺はここにいられるんだから)
電気モーターの微かなうなりと共に、黒塗りのリムジンや、純白のロールスロイスが走り去った。
「ふぅ……」
雅弘は小さく息をついて、ネクタイを弛めた。
「――見事な手前だった」
「父様」
声に雅弘が振り向くと、そこには杖にすがるようにして父の伸行が立っていた。
紋付き袴姿の伸行の髪はとうに白く、腕には鬱血が見られる。十七歳の雅弘とはとても親子には見えない。
「お疲れでしょう、お休みになっていて下さい」
「客のもてなしが貨道の心。出迎え、見送りをせずして、席主が務められるものか」
「父様……」
雅弘は呟いて、その朽ちかけた男を見る。
(あなたは席主なんてやれませんよ。もうとうの昔に。近藤流貨道家元の名は、俺が守っているのですから)
最後の車が、見えなくなった。
「さぁ、戻りましょう」
雅弘は伸行の手を取った。
(その為に、俺を拾ったんでしょう? 義父様)
古びた老舗デパートに、雅弘はやって来る。
「いらっしゃいませ」
ゲートが雅弘を感知し、人間と寸分の違いもない合成音声が挨拶する。
店内では、自走式監視カメラが、器用に客の間を縫って巡回している。
笑顔のない人間の店員が、二名だけいるサービスカウンターの前を通り過ぎ、雅弘はエレベーターに乗る。
「――七階、ホビーフロアでございます。文具、古銭、画材、玩具はこちらでお求め下さい」
エレベーターから降りた雅弘は、真っ直ぐに古銭屋へ向かう。
画材売場と書店の間にある古銭屋のショーケースには、切手、古銭、有価カード等が並んでいた。
ショーケースの側には、「競技用実貨」とPOPを付けられたワゴンがあり、比較的新しい時代の貨幣が並ぶ。
置かれているのは、千円、二千円等の紙幣から、全種類の硬貨まで様々で、樹脂でパックされており、ほぼ額面の三倍の値段が付いていた。
(ふうむ)
雅弘は五千円実貨を手に取り、新渡戸稲造の印刷を確認する。
電子マネー出現以前に流通し、幾人もの手を経た実貨は皺が寄っており、それがまた人物画に趣を与えている。
(使い込まれているのはいいけど……これは、三嶋流の貨道皺だな。使用皺じゃない)
そんな事を考えながら、雅弘が次の実貨を品定めをしていると。
「――ちょいとゴメンよ」
隣から伸びた手が、無造作に千円実貨を三枚取った。
(!)
そう、あくまで無造作だった。
手を伸ばし、札を三枚指先だけで数え、掴んで手を引く。その動作は、流れ、淀みなかった。そして、その指先には、札ダコがくっきりと出来ていた。
(貨道家?)
雅弘は反射的に振り返る。
ごつ。
「痛っ!」
「おわっ!」
勢い良く振り向いた雅弘の頭と、千円実貨を取るために覗きこんでいた手の主の頭が激しくぶつかる。
「も、申し訳ありません」
「あ、い、痛たたた……」
額をさすりながら、手の主は顔を上げる。
雅弘より少し年上に見える青年だった。合成革のジャンパーを着ている。
「大丈夫ですか?」
「平気平気、平気、だけど、あんた頭固いなぁ」
青年は額をさする。
「言われた事ありませんよ」
雅弘は床に落ちた札を拾う。
「すみませんでした」
「――ん、あんた、貨道やるのか?」
「え?」
「札扱いが凄く綺麗じゃねえか。その歳で」
青年は屈託なく笑う。
「君こそ、さっきの手さばき。大分やってるんですか?」
「あはは、オレのはオフクロに教わっただけだよ」
(――親? という事は、どこかの貨道家元か? 流派はなんだ? 実際、どれほどの腕だ?)
雅弘の心に浮かんだ興味は、急激に膨らんでいた。
「君、こうして会ったのも何かの縁、時間がありましたら一席どうですか? 私は近藤雅弘です」
「貨道家としては、一会を無駄には出来ねえ――なーんてな。OK、一局ぶつか。オレの名前は錦織昭一ってんだ」
(局と呼ぶのは……三嶋流か? 交流貨会での見覚えはないが)
「それじゃ、これを買っとくかな」
昭一は、先ほどの千円実貨三枚をバッグに入れ、売場出口のゲートをくぐった。
「一万円のお買いあげになります。ありがとうございました」
自動的に支払いは完了し、合成音声が響き渡った。
デパートの近くのコミュニティセンターのロビーで、雅弘と昭一は向かい合わせに座る。
誘った側の雅弘が品符を並べ、昭一が銭箱を置く。
品符は黒光りするほどに使い込まれ古びているが、手入れは良く文様も描き直されくっきりしている。
「なあ、茶果にしねえか? 品符って、どうも固くなっちまってさ」
「いいですよ」
雅弘は品符をしまい、席を立つと、自動販売機で茶と炭酸飲料を買う。
(品符が基本なのは、三嶋流でも同じ筈だが)
カップを取りながら、雅弘は椅子に座って紙幣を確認している昭一に視線を向ける。
(よほど自信があるのか、それとも妙な癖でも付いているのか)
昭一の実貨さばきは、無造作な動きの中に、熟練のキレが見える。
(対峙すれば分かる事か)
「お待たせしました」
雅弘はテーブルにカップを二つと、自分のバッグの中に入っていた飴を置く。それから、付箋に値段を書き込み、カップと飴に貼る。
二人は視線を合わせ、軽く一礼する。
ぴんと空気が張り詰めた。
「こんちわ」
実に自然に昭一が微笑む。
(――型からはずれているが、初礼も完璧)
「いらっしゃいませ」
雅彦は一礼する。
「これと、これ、くれ」
昭一が、カップ一つと飴を一粒寄せる。
「二百四十八円になります」
急ぎ過ぎず遅過ぎず、雅彦は値段を告げる。
「二百四十八円だな」
無造作に昭一は銭箱から硬貨を三枚掴む。
(二百五十円だと? 釣り銭が二貨では、貨音が満足に出ないぞ?)
「二百五十円お預かりします」
雅彦は平静を装いつつ、硬貨を手のひらで受け取る。
チャリン。
限りなく澄んだ貨音が響く。
この数十年間、貨幣が電子マネーに移行して以来、聞かれなくなった音。電磁支払い方式のせいで、消失した売り手と買い手の交流。
それが、貨道家たちの手によって残され、このテーブルの上で再現される。
「二円の……お返しです」
(二貨でどう貨音を鳴らす?)
「ありがとう」
昭一は穏やかに微笑み、アルミ実貨二枚を手のひらに受ける。
何の音もない。
(やはり、払い金選びを見極めなかった素人か――)
その時。
ピシッ!
今まで、雅弘がどんな貨席でも聞いた事のない音がした。
鋭く、力強く、しかし耳障りではない。
(手の中で当てた!?)
それから昭一は銭箱の上で手を開いた。
チャリン。
一円実貨二枚は、銭箱の硬貨の上に落ち、胸のすく様な貨音を立てた。
(美しい……)
雅弘は呆然と昭一を見つめていた。
「また来るぜ」
「あ、ありがとうございました」
「いや、実際のとこ、オフクロから習った事って少なくてさ」
貨席は終わり、昭一はカップの炭酸飲料を飲む。
「じゃあ誰に?」
(我流であんなものが出来たっていうのか? ふざけるな)
尋ねる雅弘の目は、鋭くなっていた。
「よく分からないんだが、家に山ほど実貨があったんだよ」
昭一に嘘をついたり、はぐらかそうとしている様子はない。
「山ほど?」
「だもんで、実際に使っててな」
「店で?」
(馬鹿な。そんな店が、そうあるわけがない!)
「案外、相手してくれるもんだぜ。どんな店だって、店番の店長ぐらいはいるからな」
「実際に使って……」
(そんな事を、しているのか)
「後、三嶋って人のビデオは何度か観たな」
「貨道開祖のビデオなんて残ってたんですか?」
(やはり、三嶋流の人間か)
「そうらしいな。荒削りだけど、いい金遣いだったぜ」
「でしょうね」
「まあ後は、あちこちのカルチャースクールに潜ったりなんたりだな」
「家主催の貨席には出られないんですか?」
雅弘は、茶に手を出す事もない。
「分かんねえけど、オフクロはその辺の関係ずっぱり切れてるし、オレも特に入門する気にならねえんだよ」
「何故? そこまで腕があるのに?」
「オレは実貨を使うのが面白えだけで、技術を磨こうとかそういうのはどうでもいいんだ」
昭一の手に出来たバランスの良いタコは、その言葉を物語っている様だった。
「錦織――?」
書斎で実貨を磨いていた伸行の手が止まる。
「三嶋流の者の様ですが、父様、ご存知ありませんか?」
伸行の顔から目を離さぬ様にしながら、雅弘が尋ねる。
「腕前は、どうだった」
一瞬の後、雅弘は答えた。
「貨席は、設けておりません。古銭屋で立ち話をしただけです」
(負けを、知られてはいけない。俺は、負けてはいけない。いや、負けるにしても、打ちのめされた等と、近藤流の跡取りが)
雅弘の顔色に変わりはない。
いつもと同じ、生き延びるための言葉。生き延びるための、自分の存在価値を認めさせるための。
「……お前よりも三歳年上になるか」
「ご存知なのですか」
「あれは」
俯いた伸行は、一瞬言葉を切った。
「お前の兄だ」
「どういう、意味ですか」
雅弘は伸行から目を離さない。
「私の、たった一人の嫡子だ」
伸行の目は、ギラギラと光っていた。
「三嶋の女との間に生まれた子供だ」
(不義の子、か)
「近藤流二代目家元を継ぐかどうかという時期だ。そんなものは攻撃材料にしかならない。私は妊娠中の彼女と、手を切った。手切れ金は四千万円分の実貨。その後、彼女が三嶋から逃げたのか追い出されたのかは知らん」
喉の渇きを覚え、雅弘は唾を飲み込もうとしたが、喉を通らなかった。
「妻は私の跡取りを身ごもる事はなかった。だから、お前を養子にし、全てを教えた。お前に教え込んだ貨道こそが、我が貨道。その事実は寸分も狂わん」
伸行の胸が、ひゅうひゅうと鳴り、言葉に雑音が混じる。
「錦織は、私の死に気付いてやって来たハイエナ。死体になった私から、家元の名を奪うべく、お前に勝負を挑んで来るだろう」
伸行が両手で、雅弘の手を握る。
「だが心配はない。私の跡は、私の貨道が継ぐ。私の貨道は、最高だ」
痩せこけた指だった。
「……はい。父様」
半年後。
二代目家元伸行の遺影が飾られ、線香の煙が漂う日本間で、雅弘と昭一はテーブルを隔てて対峙していた。
立会人たちに聞こえないように、昭一は囁く。
「――あの時、既に気付いていたんですね」
「知って近付いたんだよ。実践を知らねえ型貨道家の割には、マシな腕だったがな」
「君は三嶋流ではないのか」
「どっちでもいいんだよ。買い物に、流派なんて無意味だ」
「貨道が嫌いなのか?」
「好きさ。こいつはオレに成功をくれる。家元という、下らんが金にはなる成功をな」
二人は一礼する。
雅弘が買い手。昭一が売り手。
「こんにちは」
雅弘の初礼は、正に教本通りだった。
「いらっしゃい!」
実践で練り込まれた昭一の動作には、圧倒的な説得力がある。
「これと、これと――」
雅弘は品符を五枚選ぶ。
(何故、貨道が生まれたか)
その流れる様な手さばきには、寸分の狂いも、そして何より迷いもない。
(それは、実貨取引が失われたからではなかったか)
「六百八十八円になります」
「はい」
雅弘は銭箱から百円実貨二枚と、五百円実貨一枚を取り、昭一に手渡す。
チャリン。
(開祖の三嶋は、消えゆく実貨取引に美しさと文化を見た)
「はいよ、十二円のお返しです」
チリン。
(この人間同士のやり取りの、美のみを取り出し、永遠に遺そうと思った)
雅弘は受け取った釣り銭を、静かに銭箱に戻した。
(ならば、万人の手を経て洗練された型は、その基本であり歴史の結実。つまり俺の貨道が――)
「どうもありがとう」
(最も美しい)
雅弘の動きは、型通り、寸分の狂いもなく、それでいて優雅だった。
「ありがとうございました!」
二人は一礼した。
「勝負ありましたね」
立会人たちは、雅弘に会釈をする。
「馬鹿な……」
呆然と昭一が呟く。
「何故だ、何故負ける。この前は、完全にオレが勝っていた!」
「確かに、実践に裏付けられた君の貨道は素晴らしい」
雅弘は銭箱に納めた小銭を整える。
「だが、貨道は悠久を見据えた芸。刹那の美しさを追求するものではありません」
一枚の硬貨を見せる。ある程度磨かれてはいたが、くすんだ色をしていた。
「もっと磨けば、銅の輝きを出す事は可能でしょう。ですが、それではより早く硬貨が朽ちてしまう」
そっと硬貨をしまう。
「実貨を使う事は、貨道の精神にむしろ反する。それに気付いた時、君の貨道に翻弄されることはなくなり、私は私の貨道を行うだけで良かった」
「オレは、外道だってのか」
呻くように昭一は言う。
「認めねえ! 認めるもんか! オレたち一家をゴミクズのように捨てた近藤や三嶋の貨道なんぞ!」
昭一は畳に両手をついて、肩を震わせる。
「君の身の上には同情します。相応の遺産分配も行いましょう。ですが」
銭箱の蓋を、雅弘はぴったりと閉めた。
「近藤の貨道に、君の貨道が負けたのは、事実です」
燃え尽きた線香の灰が、音も立てずに崩れ落ちた。
「お見事でございました」
弟子達が、深々と頭を下げる。
「流石は雅弘様」
「あの相手によく勝たれました」
「素晴らしいお手前でしたわ」
「私も負けるんじゃないかとヒヤヒヤしていたんですよ」
雅弘は笑う。
弟子達の何人かも笑った。
「――君たちもそう思いましたか」
先ほど笑った半分ほどの弟子が、笑う。
「今笑った君たち」
鋭い目で雅弘は弟子達の一部を睨む。
「破門です」
「そ、そんな!」
弟子達はうろたえる。
「近藤流を疑う者に、弟子たる資格はありません」
雅弘には、いつの間にか家元の威厳が宿っていた。
「出て行きなさい」
(この感情は怯懦――だろうか)
有無を言わせぬ雅弘の口調に、幾人かの弟子達はうなだれて席を立つ。
(或いは、見たいのかも知れない)
「三嶋にも行くことは許しません。続けたければ、錦織にでも行く事です」
(完成された、義兄の貨道を)
――この一席の三年後に発した『錦織流貨道』は、「実践貨道」を提唱した。
それまで主流だった三嶋流、近藤流の在り方を否定、長い対立の歴史を歩む事となる。