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代行人 かつて日本からの移民も多かったこの国で、日系人が要職に附く 事はそう珍しくない。しかし帰化して日の浅い私がいきなり州知事 に当選となれば、やはり奇異な話であろう。 「シマノ知事、また顔色が冴えませんねぇ」 副知事が口元を歪める。知事選の本命と目されていた男。私の当 選に疑念を抱いている。 「失礼する。少し、気分が悪い」 私は彼の視線を背にトイレへ立った。個室の戸を閉めるや激しく 吐く。あの日以来、事ある度に訪れる、重く生臭い泥の水だった。 当時日本企業の工場を指揮する駐在員だった私は、新設備建設地 の視察の為、案内人達と共に密林の泥河を遡っていた。 ふと案内人が舟を留め、こう言うのだ。 「旦那、これを見て下さい」 怪訝に思いつつも指差された川面を覗き込むと、深く緑に澱んだ 水の、熱帯の日差しが微かに透かす奥に、何か大きな影が動いてい る。 「済まねえ、旦那」 私は不意に背を突かれ、河へ転落していた。 泳ぐにも、重い水に腕は旨く抜けず、粘る深みの中でゆっくりと しか動かぬ脚を、堅く、ぬるりとした生物のうねりが撫でていく。 「助けてくれ!」案内人達は目を逸らした。 ごばりと水面が分かれ、巨大な魚の顎が眼前に開いた。洞穴の様 な喉に音を立てて泥水が流れ込み、私は強靱な顎に捕えられ水中へ 引き込まれた。 耳を、鼻を、喉を、泥が満たしていく。顎に銜え取られたまま、 私は果てしない深みへと沈む。見開かれた視界から太陽が遠ざかり、 やがて何も見えなくなった。 もはや上下も分からぬ重く冷たい泥の闇で、ただ締め付ける大き な顎の感覚だけが残る・・ (マッテイタゾ、ニホンジン) 大顎が語りかける。 (マッテイタゾ、ニホンジン) 無数の小魚が触れてくる。その小さな身が異様に歪んでいるのを、 なぜかありありと感じ取れた。 有機水銀中毒・・ (私の、私だけのせいじゃない!) (キミハ今後コノ地デ、我々ノタメニ、働ク) (ソノ勤勉サヲモッテスレバ、タヤスカロウ) (手助ケハ、シテヤル。存分ニ償イタマエ) トイレの個室で私は繰り返し、何度も泥を吐き続ける。 私を支配する、耳鳴りと吐き気。そして、決して表には現れず、 私の手には触れられぬ奇妙な作為の存在。 解放される事はあるまい。いまや脅迫されているという意識も薄 れてきた。むしろ泥を吐き、吐きながら、或いは何かに変容してい く、そんな予感すら高まりつつあった。 私は口を拭い、ネクタイを締め直した。 < 戻る |