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母の写真 「ママ、オバーちゃんの写真見せて」 翔にせがまれ、私は手に取った写真立てを渡してやる。 「すぐ返すのよ。もうお出かけだから」 母の顔を指さして、翔は無邪気に笑う。翔はもっと幼い頃からこ の写真が好きだった。母の昔の話をすると、目を輝かせて聞き入っ た。 その表情を、病床の母にも見せられると思っていた。 母は写真機を嫌った。 「写真は魂を取りよる」などと手で顔を覆い、すっと逃げてしまう のだった。 私がただ一枚持つ母の写真は、就職で上京する朝、余ったフイル ムで頼み込んで撮ったものである。 「笑って、はい!」 駅のホームの端っこで、母は何やら不可解な笑みを湛えて写真に 収まり、私のお気に入りの一枚となった。 やがて十年余りが過ぎ、私は東京で結婚し、子を生む。 母が病に倒れたのもその頃だった。 見舞いに行ける機会は、年に何度もなかった。 病院のスリッパに履き替える辺りから、翔は無口になっていく。 病室の母は薬品と食事の香りが混ざる独特の空気の底で、いつも窓 を向いて横たわっている。翔が私のスカートの裾をそっと握り、母 はゆっくりと頭をこちらに回す。 「ああ、美都子、翔ちゃんも、ようきてくれた」 ありきたりな会話の間、翔は押し黙って寝台を見上げている。そ して私はその頭を撫でながらこう言うのである。 「恥ずかしいのかな?」 嘘だ。病室の雰囲気は、常に子供向けではないものを暗示してい る。 スカートを皺になるまで掴みながら、それでも翔は微笑んで見せ る。起こしたベッドで顔をほころばす母を見て、私は少し救われた 気になる。 そして私は日常へ帰っていく。陰鬱な面持ちを作りながら。 ねえ翔くん。 キミが好きなオバーちゃんは、あの薬臭い年寄りじゃなくて、写 真の人なんでしょう。若く活発な昔の母なんでしょう。私がそう、 教えたのだから。 可愛いキミが母になついて、それで私は許されると思っていた。 遠く離れて手紙も送らない私、嫁としての毎日を言い訳に、母の 存在をむしろ日常から追い出していた薄情な娘は、キミを盾にする つもりだったのだ。 結局、私は孫までも母から奪ってしまった。 写真ばかりを慕っていたのは、私なのだろう。 電話が鳴ったのは今朝。母の容体の急変を伝えた叔父は、小声で 付け足した。 「写真を持ってこい」 実に、葬儀に使えそうな母の写真は、本当にこの一枚しか無いの だった。私はそれを写真立てごとハンカチで包み、鞄に収める。 < 戻る |