故郷は、地球

                              
 厚い窓ガラスを透す木星の陽が、船室の老人をひとり、紅く沈め
る。
 遠い星から久々に戻った貨物船には、地球へ下る小型機がすでに
接舷し、乗員の賑やかな乗換え支度も終わろうとしている。
 老人は整水機の中で揺れる、澄んだ流体の音を聴いていた。
 ちゃぷり、
 それは貨物船で得られる水に、からくも残る官能の属性。
 ちゃぷり、
 それは、今は遠い初夏の水音。


 柔らかな日射しが、川辺の子供達を照らす。
 少年は川の流れへと、裾をたくした裸足で踏み入った。
「ダック、網だ」
 少年はそっと手網を受け取ると、小魚の群に悟られぬよう構える。
可愛いジーナが息を殺し見つめるのを感じていた。
 もう一つの強い視線はダックの奴だ。
(あんなので獲れやしないさ・・)黙れダック。ここからが見せ場
なんだ。
「今だ」
 ここでジーナに横目を呉れたのが、詰めの甘さだった。足元のぬ
める苔は、少年の微妙な重心の移動を見逃しはしない。
 一瞬、天地が滑り、彼の体は派手な水しぶきをあげて没した。
 濁った水中の幾つもの泡が上がる向こうに、小さな影が翻っては
消える。
 すかさずダックが叫んだ。
「へん、いかすぜ!」
 身を起こす少年に、哄笑のシャワーが降ってきた。


 通信機のベルが鳴った。
「失礼します、そろそろ出ますけど」
 声は若い整備見習いのものだった。
「やはり帰りませんか。地球は気晴らしなら何だって」
 老人は首を振った。
「有り難う、ここで良いんだ。君こそ楽しんできなさい」

 若者達を載せ小型機が離れていく。老人はその行先に思いを馳せ
た。
 争い傷ついた人類は、その投げ出された焼土の上に無限の力を惜
しみなく注ぎ、不夜の城を再び築き上げた。
 生まれ変わりの地球。そもそも造るという行為は・・壊す時に加
えて、さらに幾倍のエネルギーをつぎ込むものだから、そこはまさ
に跡形もなく新しく、そして美しく、だが、
「今を生きる者としては、それが必然の歴史と言って良い」
 無論それは誇るべき偉業なのだ、と老人は認める。
 ただ大惑星の紅い陽の、魂を掴んでは揺するこの場所が、ひとり
彼にとっては離れ難い、ただそれだけの事なのだ。


(ちくしょう、ちくしょう)
 帰り道、夕日の染みていく冷たいシャツに、微かな泥の香りが残
る。
「また明日・・」
 隣を歩くジーナが、そっと少年に声をかけた。
「また明日、やって見せて・・今度は、きっと」
 少女は微笑んだ。
 それが少年の、故郷の記憶の最後だった。






<  戻る