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蜃気楼 男が一人、砂漠の熱射に曝されるがまま、横たわっていた。 (水・・) 道に迷い、故障した車を捨て歩き出したのは幾日前か。熱された 脳は思考を止め、干された細胞は機能を失おうとしている。 (水・・) 朦朧として薄れていく彼の視界に、誰か覗き込む顔が映る。 (・・ああ) 見下ろす瞳の印象を残し、意識が散った。 石造りの乾いた集落、男はその中央の、祠のような小屋に寝かさ れていた。小屋には岩を掘った水盤があり、澄んだ水が溜まってい る。 男が目覚めたのに気付くと、一人の娘が粗末な器に水を掬い、彼 の傍らに座った。 男は器を奪い取り口へ運ぶ。水は音をたてて喉を抜け、肉体の失 われた部分を満たしていく。娘は空の器を受け取ると、慎重な手つ きで新たに掬った。男は無言で貪り飲む。その仕草をじっと見つめ る娘の目に気付いたのは、彼が三杯目を求め器を差し出した時だっ た。 「どうぞ、幾らでも・・」 寝台はこぼれた水で濡れている。この辺りのどの村でも、水は貴 重品の筈だった。 「・・申し訳ありません」 「お気になさらず。泉の水は少しずつですが、枯れる事はありませ ん」 「有り難う、ございます」 「やっと生き返りましたね」娘は微笑んだ。 男は水盤に近づいて見たが、水が湧き出る孔や水路は何処にもな かった。 「汲んだ分だけ、満たされるのです」 娘は当然のように言う。地下水が微細な隙間から浸み出すのだろ う、と男は思った。最新の技術で掘れば、恐らく井戸になる。 「ああ、まだ名乗ってなかった。私は」 「名乗らないで下さい」 娘は遮った。 「私の事も尋ねぬよう。掟なのです」 娘は下を向いた。 「それからすぐに・・此処を離れて頂けますか。ご免なさい・・車 は直しましたので」 男の体力は完全に回復していた。出発に支障はない。 「分かりました。御恩は必ずお返しします。いつかきっと、此処に 戻りましょう」 「私も」 娘は俯いたまま言う。 「そうあって欲しいです」 外にはいつの間にか、車が置かれていた。 自国に戻った男は、村を開発援助のリストに加えた。彼にはその 権限があったのだ。だが彼自身、何度調査しても村は見つからない。 やむなく近辺を掘ると、大方の予想を裏切って水脈が確認された。 砂漠に生まれた町は交通の要所となり、さらに大資本によって緑 化、砂防を施され発展した。男は生涯村を捜し続けたが、ついに見 つかる事は無かった。 町に彼の名が冠されたのはその後の事である。 < 戻る |