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USゴジラに、(突然思い出したように)やっぱりひとこと言っておきたいの事 これが「ゴジラ」と題されていなければ、私ももっと素直に観られたのだと思う。内容は実に正当派のB級モンスター映画だ。予兆、生存者の証言、出現、大特撮パニック、叫んで泣いてドジを踏むだけが取り柄の恐ろしく馬鹿な女、男達の勇気ある反攻、そしてパート2を暗示するエンディング。本来こういう話は大好きなのだ。だからこの映画は、ひょっとすると興奮して皆に勧めまくっていたかもしれないだろうに、ただモンスターに「ゴジラ」なんて名がついていたばかりに、私にとってひどく傷つけられる作品になってしまったのだ。 だが、ここでご理解いただきたいのは、私が和製ゴジラにこだわっているばかりに新しいゴジラが受け入れられず、こんな苦言を吐いているのではないと言うことだ。 「こんなのゴジラじゃない」とは、日本はもちろん、アメリカの怪獣ファンの間からも上がった悲鳴だと聞く。 その気持ちは理解できるが、しかしよく言われる通り日本のゴジラだって、短い間に随分変化している。かつて夜の東京湾から這い上がり、怨めしい形相で、ビルを押し崩し、人を焼き払っていた水爆大怪獣が、ほんの10年ばかりでUFOに拉致されて宇宙でシェーをしてるんだから、トカゲになって走り回るくらいどうと言うことはない。さらに譲って、ゴジラが戦闘機の弾を数発喰らっただけで死んでしまったとしても、それが正当な物語の結末であれば・・さすがに少し心苦しいが、私は認める覚悟はあるのだ。 私がこの映画を認め難いのは、私が日本人であるからだ。 劇中のモンスターが堂々と姿を現すのは最初だけだ。無抵抗の住民を脅かし、家や車を壊すときだけ奴は「怪獣王」の風格を誇示する。ところがいざ軍隊が到着すると奴は卑怯にも逃げ回るばかりでちっとも戦わない。食べ物に釣られてのこのこ出てくる。暗闇の中をまた逃げまわる。しかし最後は知恵と勇気で形勢逆転、ついに正義の銃弾がズドン。これで一巻の終わり。 演ずるは、日本が生んだ国際キャラクター・ゴジラ。 もしこれが、主演三船敏郎だったらどうだろう。時は開拓時代、黒沢映画宜しく堂々登場した侍ミフネが、罪なき市民を襲いまくり、保安官が現れるとそそくさと逃げ、卑怯な手口でさんざん苦しめるが、食べ物でおびき出されたところを撃たれ、人々は拍手喝采。しかしミフネが残した子種からは再び悪夢が・・なんて映画に堪えられるか? まあ世界のミフネにしても、レッド・サンとか、1941とか怪しい役も多かったらしいが、こんなあからさまな枠組みではなかった。レッド・サンはフランス映画でしたか。はい。 ようするに「ゴジラ」という作品は、ゴジラをダシにして日本人を貶めることにより、アメリカ市民のナショナリズムに媚びを売る映画なのだ。これを国辱と言わずして何と呼ぼうか。どこかの国では、王室を舞台にした映画のロケを断り、他国で撮影した場合にも常に内容をチェックし、問題があれば抗議するとの見解を映画会社に突きつけたそうだが、「ゴジラ」ときたら東宝ですら、蓋を開けるまでロクに見せて貰えず、そして案の定な内容だったにも関わらず、目先の収入のために文句も言わず、貴様それでも 失礼。思い切り偏見と憶測ばかりで筆を滑らせてしまった。とにかく、そういうことなのだ。 国威発揚的映画といえば、「インデペンデンス・デイ」というのもあって、要するに「アメリカがリーダーである限り、宇宙人が攻めてきたって世界は安泰」という内容だったが、これは興行的に相当な成功を収めた。「米軍世界一!」と言う点では「ゴジラ」も同じであり、こんな映画ばっかり作ってる国は本当にやばいんじゃないか、アメリカ国民は全員危険思想の狂信集団なのではないかと勘ぐりたくもなる。 だが幸いにも「ゴジラ」は「インデペンデンス・デイ」ほどは興行収入はなかったようだ。両作品には極悪宇宙人に反逆するかトカゲを虐めるかの違いしかないから、この差が多分アメリカ市民の良心に違いない。彼らはどちらの映画もお伽噺である事は承知の上で、「強いアメリカ」を単純に楽しんでいても差し障りのない作品を選んだに過ぎないのだ。 |