「なぜ、人を殺してはいけないのか」(99/2/19)
あらかじめ断っておく。私は常識に欠ける面もあるし、知識に乏しいし、頭の回転もすこぶる遅い。ただ、考え続ける効用は知っている(努力は苦手だが)。以下は答えではなく、思考の過程の一つ、私の覚え書きにすぎない(そう、記憶力も心もとない。私の主な情報は、紙やコンピュータと言った外部記憶に頼りきりだ)。だから将来まるで違った事を言っている場合もありうる。
朝日新聞の誰かのコラムで読んだが、とあるTV番組で設けられた対談の企画の中で高校生が発言した「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して、その場の大人は誰もまともに答えられなかったらしい。
私はその番組を見ていないし、記事の方もうろ覚えなので不正確な箇所はあるだろうが、コラム筆者は
「あなたは誰にも殺されたくないでしょう」
こう、一人の母親の意見として高校生に教えたい、と記していたようだ。
これはあるレベルの人間までは実に明快な論理性を伴った回答である。
論理性というのは大切なことで、世の中うそつきが増えたお陰で今時、愛だとか、イツクシミだとかいう言葉をどんな真顔で並べてもなかなか真面目に聴きはしないだろう。
また、ルールだから、常識だからなんてのも学校で聞き飽きただろう。「殺さず」が常識だなんて事は誰でも知ってる。常識だからな。その常識にあえて「なぜ」と尋ねているのだ。「なぜ」という言葉に義務教育はあまり答えてはくれない。
さて、件の高校生に逆にこう尋ねたら、どう答えただろう。
「あなたは特別な人間だと思いますか?」
たぶん普通と思ってるだろう。そして多くの人間もそう思っている。みんな同じ、普通の人だ。
あなたは他人からすれば、その他大勢の一人に過ぎない。
つまり自分から見た他人の姿は、そのまま他人から見た自分である事を知れば、自分を尊重することと他人を尊重する事が表裏一体であることに気付くだろう。
「自分のためなら誰かを殺して良い」と言っている人間は、
「俺はあんたのために殺されたって本望だよーん。証文、書こか〜」
と通りすがりのオッサンに叫んでいるのと同じだ。私なら、すげーイヤだ。
もーれつに恥ずかしく、そして恐ろしいことなのだ。
さてさて、先に「あるレベルの人間までは」と書いたがそれはこう言うことである。つまり「あなたは特別な人間だと思いますか?」と訊かれて、
「そう、この私こそは選ばれたエリートコースを行く特別な人間なのだよ」
とか、逆に
「ワシは社会のカスなんじゃあ。生きとったかて何の役にも立たへんのんじゃあ」
とか、下手をすると
「愚かなり、人の次元の者! 我は全知全能なる絶対存在なり〜! コロッケ揚げるなり〜」
とか言い出す者には全く通用しない論理なのだ。それどころか人殺しの口実を補填してしまうから相手の目をよく見てから言った方がよい。そもそもこういう問題に対する意見を不特定多数に発するのは実は危険な事なのかもしれない。まあこれは別の話だから置いとく。
また、
「死ぬのが怖いの? あたしは平気だよ。うふっ」
とか言われてもやはり返す言葉がない。社会ではこういった人を特殊な人間と認定してしまい、特殊な扱いをすることで秩序を守ろうとしているが、詳しく知らぬがうまくいっていない面もあるらしい。
今回はここまで。普通の人間たる私は人を殺める気など毛頭ないし心配要らないのだが、遠くない将来に街でナイフを持った通り魔に迫られた時のために早く続きを考えておく必要はあるだろう。鬼印だから、では済まされませんぜ。
それに私自身だって、先の質問を「人間は特別な生き物だと思いますか?」に差し替えられたら‥‥
※注 問題を単純化するために、取りあえずここでは自分と他人、一対一の関係だけをモデルとしている。
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