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ここでは、私が見聞きした奇妙な話を記します。
内容は概ね実話に基づいていますが、生来の性で多少の脚色が加えられていることをご了承下さい。



生霊は残業する
 
 
人として生を受け幾十年にもなると、ときに得体の知れない苦情に見舞われます。
それは私が勤める仮の職場でのことでした。
 
 
「あのさ、蛮ちゃん(仮名)」
 
同僚の女性が声をかけた。
 
「あのさ、仕事は体でやってほしいんだけど」
 
何を言っているのだ、この女は。
 
「だからさ、居ないのに仕事するんだもん」
 
「………」
 
 
実はこういう事らしい。
前の日の夜、彼女はけっこう遅くまで残業していた。
ふと気づくと、キーボードをぱたぱたと叩く音が聞こえてくる。
ちょうど私の席の方だった。
(ああ、蛮ちゃんも残っているんだ)
と思いながら、仕事をそこそこに片付け、
さて帰ろうと、私に声をかけようとしたら、
 
「……居ないんだもの」
 
と言って私の顔を見る彼女の目には、
明らかに超現実的なモノへの嫌疑の色が浮かびまくっているのであった。
私は慌てて打ち消した。
 
「知らない……」当たり前だ。
 
「それは、空調の音とか聞き間違えたのでわ?
 でなければ、本当に居たんだけど、隠れてて見えなかったとか」
 
彼女の席と私の席はすこし距離を隔てているし、
機材やら詰まれた資料やら雑誌やらオモチャやらゴミやらといったもので
視界は遮られていたはずだ。
 
「でも聞こえたんだもん」
 
「聞こえん、聞こえん」
 
だが、そこに別の女性がやってきてこう言うのである。
 
「それ、私も聞いた」
 
「ええ〜」
「絶対、誰も居なかったよ。ちゃんと見たし」
「でも仕事してる気配だけはあるしね」
「キーボード叩いてたよ」「マウスもかちかちやってたって」
「でも居ないんだよね」「それってあれ? ほら幽体離脱ってやつ?」
「知らない! 知らない!」
 
「よほど仕事が好きなんだ」
 
「あああ……」
 
かくして、私の職場の妖怪説はすっかり確立されたのだった。
 
仕事に追われ、肉体を離脱してまで残業を重ねる私の愛社精神は、
まあウケが良いのがせめてもの幸いではあった。

しかしある朝出社してみると、
知らないうちに仕事が出来ていたなどという奇跡
は決して起こりやしなかった。


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 著作者   蛮人S   mail:banjin-s@gorakken.net