チャンピオン代表作品 
  遠雷
   

      
第1回 小説部門チャンピオン of チャンピオン参加作品 ―1



青野 岬

       
 


 初めての男と肌を合わせる時の緊張感は、雪が降り出す前の痛いくらいにピンと張り詰めた空気に似ている。雪は降り始める直前が、一番冷たい。それは何人の男と寝たところで変わる事は無く、私の中で繰り返される。年齢を重ねるごとにだんだんと臆病になって、男の唇が私の体に触れる一瞬が、とても、怖い。でもそれを過ぎてしまえば、後はどの男もやる事に大差は無い。
 子供の頃はどうしてあんなに、雪が降るのが待ち遠しかったんだろう。鉛色のどんよりとした空からちらちらと白い綿の欠片が落ちて来ると、「雪だー! 雪が降って来たー!」と大騒ぎしながら子犬のようにはしゃぎ回った。降り始めの細雪はだんだんと大きなぼたん雪となり、コンクリートやアスファルトを少しずつ白く覆い始める。その頃には、息苦しい程に張り詰めた空気も緩み、いつも見慣れた景色が幻想的に変わって行くのを、ワクワクしながら見守るのだ。
 やがて男のぬるい唇が、遠慮がちに私の体に刻印を刻む。それはまるでひとひらの雪のように体の上に舞い降りた瞬間、透明な水となって私を濡らす。お互いの体が熱を帯びてどんどん熱くなっていくと、いつの間にか雪は吹雪となって痛いくらいに打ち付けて来る。その痛みに身をまかせるような素振りをしながらも、雪は必ずいつかは止み、泥と排気ガスで醜く汚れ、やがては跡形も無く消え去ってしまう事を私は確信する。
 雪が積もると大喜びで、暗くなるまで外で遊んだ。雪合戦、雪ダルマ作り、泥の混じった雪を無理矢理掻き集めて作る、憧れのかまくら。手袋や長靴をはいたズボンの裾がビショビショになるのもかまわずに、夢中になって雪と戯れた。「かき氷だよ」と言って口に含んだ雪のかたまりは、埃っぽい味がした。誰にも踏まれていない雪の上に仰向けに寝転んで空を見上げると、自分の体が空に向かって吸い込まれて行くような気がした。私は新雪に抱かれながら、「この雪が、いつまでも降り続きますように」と、心の中で祈っていた。
 男が体を離すと私の上に降り積もっていた雪は全て溶けて、少し汗ばんだ私の体には何も残らない。それでいい。ひとときの間だけ汚れを隠し、全てを白く清く染め上げてくれれば、それでいい。「いつまでも降り続いて」なんて、もう願わないから。

 それでも男が囁いてくれた言葉のひとつひとつが、決して消えない雪の結晶となって、私の心の中に澱のように静かに静かに降り積もってゆく。



文字数/1000

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