チャンピオン代表作品 
  琴線
   

      
第1回 小説部門チャンピオン of チャンピオン参加作品 ―9

月の欲望、太陽の勇気

伊勢 湊

       
 


 SM機具が揃ったその渋谷のラブホテルが僕たちの行き付けだった。目隠しをしベッドに縛り付けられたカヤの躯を皮のベルトで何度も叩く。理性の低下した熱にうなされる時間。そんなときにどこか遠くから聞こえてくる微かな声。でも、その声は遠すぎて僕を振り向かせはしない。カヤのあえぎ声が全てを掻き消していく。

 休みの日はたいてい二人で街に出かける。特に特別なことをするわけではない。二人でデパートの地下で食料品を買ったりする。
「えー、まだ買うの?」
「もうちょっと、もうちょっと」
 カヤの笑顔が心地よい。僕も自分が自然に笑えているのが分る。きっと端から見れば仲のいい新婚夫婦に見えるんじゃないかと思う。僕も思わず微笑んで、その世界での登場人物を演じてしまう。でも本当の僕は少ないコピーライターの仕事で月に十五万稼げるかどうかも怪しいカヤの、紐だった。

 痛みがひどすぎないように、でも皮膚に少しは跡が残るようにロウソクを垂らす。普段のカヤは大手出版社のやり手の編集者で、あるいは爽やかな笑顔が可愛い理想の恋人だった。そのカヤの全てがいま僕の手の中にある。このプレイはカヤが望んだわけではない。紐のくせに僕が望んだものだ。なぜ自分がこんなプレイを望んでいるのか自分でも分らない。カヤはただ受け入れるだけで何も言わない。

 握りしめた鞭と、カヤのあえぎ声、その奥でどこかから声がする。その声はいつもより執拗に僕の頭に響いてきていた。その日の昼間、通帳を確認した。ある程度は期待していたが、それ以上だった。今月の収入が二十五万。僕の年齢では決して多いほうではないのかもしれない。でも、確実に増えてきていた。今月からまた新しい仕事も受けている。いままでプレイに集中できないことなんてなかったのに、なにかが僕をそこから遠ざけていた。
 鞭を手放した。ベッドに縛り付けてあったロープをほどき、カヤの目隠しを取り、そして少しだけその目を見つめてからキスをした。ゆっくり柔らかく股間をまさぐり、入っていった。そこはいつもよりずっと暖かく濡れていた。

 終わったあとベッドで体を丸めたカヤをぎゅっと抱き締めて、それから思いきって言った。
「好きだ」
 鼓動が強くて息が止まりそうだ。
「ねえ、それってもしかして、プロポーズのつもり?」
「うん。ちょっと変かもしれないけど、嫌かな?」
「ううん」
 うっすらとカヤの目が潤んでいた。頭の中の声が消えた。



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