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1000字小説バトル 3rd Stage
チャンプ作品
『おいしくなければ』ごんぱち
 ドアベルが鳴った。
 カウンターで新聞を読んでいた店主が、顔を上げる。
 店主は六〇代前半の白髪頭で、真っ白な調理着を身に着けている。
「いらっしゃいませ」
 入って来た四谷京作に、店主は声をかける。愛想が良いとは言えない顔立ちだが、口調は柔らかだった。
「カウンターへどうぞ」
 店内はカウンター席が五席、テーブル席が三つだけで、昼過ぎの今の時間に他の客はいない。
 窓辺には中東や欧州の置物があり、壁には、ビール会社の宣伝ポスターとお薦めメニュー、更にもう一枚「おいしくなければ、お代は頂きません」と書かれた貼り紙が貼られていた。
「ご注文は何になさいますか」
 席に座った四谷に、店主はカウンター越しに水を差し出す。
「あ、あのさ」
 メニューを開きながら、四谷が尋ねる。
「この、おいしくなければお代は頂きませんって、本当なのか?」
 四谷はメニューの表紙裏に書かれた一文と、壁の貼り紙を交互に指さす。
「もちろんです」
「でも、アレだろ、何だかんだ言って払わないつったヤツを常識知らずみたいな圧力かけて結局払わざるを得ない空気にさせるって、レだろ?」
「確かにその疑いはもっともです」
 店主は微笑む。呆れている風でも、嘲る風でもない、疑問を率直に尋ねる客に対する好感が伺えた。
「そのような所業でお客様の信頼を裏切った店は猛省を促したいところです。けれど誓って、そのような意図ではありません」
「ふうん」
 四谷はまだ完全には納得していない顔だった。
「これは単なる客寄せのパフォーマンスではありません。私は私なりの考えがあり、店を発展させる為の方策として行っているものです」
 店主はカウンター越しにやや身を乗り出す。
「無料になるかも知れないと思えば、お客様は通常よりも遙かにじっくりと味わって欠点を見つけて下さる。これを次の料理に活かせば、味は向上して行き、それが店の評判を上げ、発展させると考えています」
「とすると」
「はい」
「あんたの身体がムキムキだったり、今し方ドアにバイトの人が二重にカギをかけたり、カウンターに包丁が突き立てられていたりする事には、何の意味もないと?」
「もちろんでございます」

「――それで四谷、味がどうだったって?」
「最高にエキサイティングだった気がするぜ、蒲田! 最初の一口から最後の支払いまでドキドキが止まらなかった! 料理であんなに心が躍った事はないさ! 最早これは恋だね!」
「吊り橋効果か……」




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