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1000字小説バトル
チャンプ作品
『UTAO−UTAO』太郎丸
少し早起きをした私がいつもより早い電車に乗ったのは淡い期待があったからだが、やはり座れる状態ではなかった。
入り口から3番目の席に座っている初老の男の前に押されて手すりに掴まると電車は発車し、それが聞こえてきた。
歌もた〜のし〜や〜、東京キ〜ィッド〜。
最近少なくなったと思っていたシャカシャカというヘッドホンの音漏れではなかった。澄んだその歌声は本当に小さかったが、前の席から聞こえてきた。
男は下を向いていたから口は見えなかったが、それは録音ではなかった。
「東京キッド」が終わると「港町十三番地」で「悲しい酒、愛燦燦、川の流れのように」と続くメドレーは、一番だけの曲があったり、サビの部分が繰り返されたりした。
勿論ひばりの声ではなかったし、あれほどの歌唱力はなかったが、情感のこもった歌声は好感が持てた。
窓を過ぎる切り取られた季節さえ色鮮やかに感じられる。
終点の駅に着くなり小さなコンサートは終わり、私は電車から降ろされてしまったが、翌日から私はそこを指定席にする事に決めた。
翌日はジャズナンバーだった。「アイ・ゴット・リズム」から「A列車で行こう、サマータイム、煙が目にしみる、クライ・ミー・ア・リヴァー」へと続く。ある日は童謡で翌日はロック、ジャンルや新旧、男女の別もなく一人で重唱さえこなす歌声に、この時間帯が楽しみになっていった。
そしてある日、私はとうとうルールを破ってしまった。歌手の歌に合わせて歌ってしまったのだ。観客である私が歌手の歌の邪魔をしてしまった。
歌声は止んだ。
周りの人達の視線が私に向かう。
彼らにもあの歌声は聞こえていたのだ。彼らの楽しみをも私は奪ってしまった。
しかし歌は又始まった。それも今度は大きな声だった。その時初めて私は男の顔を見た。目尻が下がって満面の笑みだ。
手のひらを〜太陽に〜、透かしてみ〜れ〜ば〜
いつしか周りの人達からも歌声が聞こえてきた。
それはどんどん広がり、電車は歌声を乗せて走る。いつまでも続いて欲しかった。名も知らぬ人達との一体感が心地よい。
とうとう電車は到着し、ステージは終わった。
「私は定年で明日からこの電車には乗れませんが、今まで楽しかったです。ありがとう。これからも歌って下さいね」
初老の男が私に言った。
「え? 貴方が歌ってたんじゃ…」
「いや。始めから貴方が歌ってらっしゃいましたよ」
男は怪訝そうな顔をした。
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