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チャンプ作品
『秋と玉袋』ながしろばんり
会社からの帰り道、ビル街を駅に向かって歩いていると、いつもはひらけて女子医大の病院が見えるところが真っ暗なのであった。はて、こいつは妙だな、と思っているとなにやら夜景に覆いがされているようで、まじまじと見るとそれは長い長い玉袋なのであった。
私は下品なものが心底嫌いなのであっけにとられつつも、そこはかとない怒りが徐々に燃え上がり、ついにはこんな見苦しいものを野放しにしておく警視庁はいったいなにをやっておるのだ、と一通り癇癪玉を破裂させたのである。だがしかし、玉袋はその黒々とした毛を秋の夜風にそよがせながら、実に堂々としているのであった。昔アメリカにいたときにためしに見たポルノビデオの男優の玉袋はすべすべとしていたが、この玉袋はそれはもうぞろぞろと、まごうことなき日本の金玉であった。見事なまでの威厳に満ち溢れていた。
絶望感にも似た怒りでその場に立ち竦んでいると、一人の男がずかずかとやってきて私の隣に並ぶのだった。若干背骨が曲がっているのか、上のものを見上げるのにも難儀そうな顔つきをしている。濃い紫のツイードにあごの先だけ爆発したようなひげをたくわえている。
「やあ」男の声は割れ鐘のようだ。「こいつは見事な金玉ですわい」
私がしかめ面で見ていると、おとこは不満そうな顔をこちらに向けるのだった。
「なぁ」男は明らかにこちらに向けて喋っている。「立派だとは思わないかね」
「ええまぁ」見知らぬ男とは極力係わり合いになりたくない。「だがしかし、けしからんですな、こんな街中で堂々と……」
「けしからんなら、注意してやればいいじゃないか」
「そんな、アタシは別に、いいんです」
「いいってことはないだろう? 現に、よくないんだから」
「いや、別にそういうことじゃなくて」
「するとなにかね」男はいかにも不審げな目を私に向けるのだ。「失礼だが君は、電車で席に座っていて、眼の前で立っている人のチャックが開いていて、あまつさえムーミン柄のパンツが見えていたとしても、教えてやらんのかね」
「ええ、私だったら、云わないように思います」
「じゃあ、しょうがない」男は金玉に向きなおった。
「私は、云うとも……おおい、屋上にいる方。金玉が垂れていますよぉー」
すると即座に「あ、すみませぇぇん」と返事があり、実にスムーズに金玉は秋の夜空に戻っていったのである。
邪魔するもののなくなった天空には、晩秋の満月がかかっていた。
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