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3000字小説バトル
チャンプ作品
『蛍 (前編) 〜2006年 夏〜』百
「タケ、そろそろ降りる準備をしなさい」
加奈子はせわしない。降りる駅は終点なんだからゆっくりさせてやればいいものを。
「ほら、父さんも!」
こっちにお鉢が回ってきた。まあ、加奈子の気持ちもわかる。緊張しているのだ。
旅行に誘われOKを出した後で、加奈子が真剣な表情で話を切り出してきた。
「この旅行で父さんに会って欲しい人がいるの。同じ会社の山田さんって男の人」
旅行先で父親に合わせたい人ってのも強引だなあと思ったが、加奈子なりにいろいろ考えたんだろう。
「その人は……」
加奈子が私の質問を遮るように早口で目を伏せて話す。
「結婚を前提にお付き合いしている人。タケのことも知ってるし、タケも何度か会ってる」
「そうか、わかったよ」
その時はいろいろ話を聞くのも悪い気がしてそれだけ答えた。
加奈子も再婚を考えられるようになったんだなとほっとする気持ちもあった。
三枝子も喜んでくれるだろう。妻の三枝子は加奈子が健志を妊娠中に病気が発覚し、加奈子が離婚した直後に亡くなった。
母親としてはとても死にきれない、後ろ髪を引かれる思いだったと思う。
病気のため加奈子の出産の世話がしてやれないとしょんぼりしていた姿や離婚を相談してきた加奈子に「お母さんはもうなにもしてやれないけれど、あなたが幸せであることが健志の幸せにもなるの。あなたがしたいようにしなさい」とすっきりとした表情で諭してしていた姿が思い出される。
ロマンスカーが箱根湯本駅のホームにゆっくりと進入し、止まる。
ホームへ降り立った健志が驚きの表情で周囲を見回す。
「なんか空気がちがう。葉っぱのにおいがする」
「葉っぱの匂いか。そうだな」私は笑って答える。
箱根は久しぶりだ。しかも夏は加奈子が子どもの時に家族旅行で来たことが一度あったぐらいだ。最後に来たのは秋、三枝子とふたり、最後の旅行だった。
きょろきょろする健志と妙に緊張している加奈子の間を取り持ちながら、旅館の送迎のバスに乗り込む。
「ほたる?」
車の中から健志が駅前ののぼりを見て言った。
「こんな駅そばの公園で蛍が見られるのかね?」
私は運転手に話しかける。
「はい、見られますよ。ご希望があれば送迎もしますのでフロントにおっしゃってください」
「夜になったら見に来よう」
「うん。ぼく、ほたる初めて〜」
健志は両手を頬にあてうっとりとした表情をする。男の子なんだが、こういう素直な子どもらしい仕草が似合う健志はかわいい。
旅館に着くと健志と加奈子は旅館周辺の散策に行くと言う。私は疲れたし、夜に備えて休むことにした。
「昼寝でもさせてもらうよ」
部屋の畳の上にごろりと横になる。
窓から深い緑が揺れるのが見え、川の音が聞こえる。
私はぼんやり考えていた。
―加奈子の相手も山田というのか―
相手も?
も?
急にあの夏の日に引き戻された。
「みちお〜!」
母ちゃんがよぶ声が聞こえる。
ぼくは川に魚をとりに行こうとしていた。なにかようじをいいつけられるのだとがっかりして、外から母ちゃんの声のするえんがわへまわった。
えんがわには母ちゃんと山田のおじさんがいた。
ぼくは山田のおじさんはきらいじゃない。けれど、母ちゃんと山田のおじさんのことでからかわれるのはきらいだ。
「みちお、ゆきおさんと一緒に役場に行っておくれ」
母ちゃんは山田のおじさんを「ゆきおさん」とよぶ。それも、きらい。そんなふうによぶから、へんなことを言われるんだよ。
「みっちゃん、暑いのにすまんね。役場に集まるように連絡があってね。もしかしたら特別配給があるのかもしれない。みっちゃんも相田家代表で行っといたほうがいいと思ってね」
「すいません、いつも気にしていただいて。みちお、ほら、この風呂敷持って」
「母ちゃんは?」
「ばあちゃんのぐあいが悪くてね。母ちゃんは行けないんだよ」
「あれ、おばさん、また腰かい?」
おじさんが心配そうな声で続けた。
「後で湿布作ってきてやるよ」
「すいません」
「なあに、多めに作るだけのことだから」
山田のおじさんは「よいしょ!」と勢いをつけて立ち上がった。おじさんは左足が悪い。引きずって歩いている。だから、戦争に行かない。
「みっちゃん、行こうか」
ぼくはうなずいて歩き出す。
「小学校はどうだね?」
「楽しいよ」
山田のおじさんのことでからかわれなければ、もっと楽しいと思う。
「そうか、よかったな。みっちゃんのお父さんの秀雄とは小学校の頃からの友達なんだよ。秀雄は足が速くて力も強かったな」
「おじさんは?」
山田のおじさんはちょっと笑って「おじさんも走るのが大好きだったよ」と答えた。
「山田のおじさんとお父さんは仲良しだったの?」
「うん、仲良しだよ。今でも仲良しだ」
「でも、お父さんは戦争に行ってるのにおじさんは行ってないよ」
山田のおじさんはちょっと悲しそうな顔をした。
「おじさんは足を怪我してしまって走れないからね。戦地では役に立たないから……。だから、おじさんの役目は銃後の守りだと思っているよ」
橋をわたる時、同級のさとし、まもると会った。ふたりは魚とりのあみを持っていて、ぼく達に気づくとおたがいのわき腹をつつきあってくすくす笑った。
「魚とりに行くの?」
ぼくが声をかけるとふたりはにやっと笑って答えず、すれちがってから叫んだ。
「弟か妹ができたらどうするんじゃ〜い!」そして笑い声と走りさる足音。
ぼくははずかしくって、くやしくって、ぎゅっとふろしきをにぎりしめた。
「なんだい、ありゃ?」
山田のおじさんののんきな声に頭にきて、思わず叫んだ。
「おじさんのせいだよ!」
「おじさんの?」
「おじさんがうちの母ちゃんにやさしくするから、だから……」
「だから?」
「みんな言うんだ。父ちゃんが戦争に行ってるのに、妹か弟ができるだろうって」
おじさんははっとした表情でぼくを見た。
「いつもいつもからかわれるんだ。おじさんのせいだよ!」
「みっちゃん、おじさんは親友の秀雄の家だから、みっちゃんの家のことを心配してお手伝いしているんだよ。そんなことはないから安心しなさい。今度言われたら『そんなことない』と言い返してやれ」
「ほんと?」
「本当だよ」
役場につくと役場の裏の広場に大人がたくさん集まっていた。
ぼく達を見て変な笑顔を見せる人もいて、ぼくは心の中で『そんなことない!』と叫び返していた。
おじさんとぼくは広場の外れの木の影のところに立っていることにした。そのうち、役場の方で人が行ったり来たりばたばたしていたと思ったら、みんなひざをついて座り、静かになった。ぼく達も座った。山田のおじさんはひざをついて座るのがつらそうだった。
お経みたいな声がとぎれとぎれに流れてきた。
泣き出したおじいさんがいた。うずくまるおじさんも。
「なんだろう?」
ぼくは不安になって山田のおじさんの肩につかまった。
山田のおじさんはまゆをよせ真剣な顔で、音を、声を、ききとろうとしていた。
「戦争に負けた!」
急に向こうでだれかが叫んだ。
「負けた?」
ぼくはびっくりした。戦争に負けるということは、みんな戦死するってことじゃないのか?
「戦争が終わったみたいだ」山田のおじさんが言った。
「ぼく達生きてていいの?」
僕の質問におじさんはびっくりしたようだが、納得したような表情をしてからうなずいた。
「生きてていいんだよ」
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