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『五味川さん』石川順一
 私が家に居ると五味川純平が訪ねて来た。しかもうるさいよ五味川さん、インターホンと言うか呼鈴の音が。と言うか今日は2012年2月27日なんだけれども、一時期暖かくなっていたが寒さがぶり返して来ていたころだ。
 「私が五味川おばさんです」
 「え?」
 「アイアム五味川アーント」
 「え?」
 「I’m 五味川 aunt.」
 あー分かった。彼はどう見ても男だけれども何か苦情を言いに来たらしい。
 「あのさー私の所のインターホンさー。旧式でさー。あなたがボタンを押す時はさー、ボタンを押す側にはそんなに鳴ってないように見えるかも(聞こえるかも)しれないけどさー。結構家内には響いて居るのよねー。しかも大きさでは無くてさー。耳触りに響くように設計されているらしくてさー。あくまで大きさでは無くてさー。まあ呼鈴?(インターホン)の役目からしたら鳴って居るのが分からなくては意味が無いから、そのー、かなりね耳に粘着するような感じでさー、ほら最近ツーク(電車)の警笛も音がうるさくても耳触りじゃない音と旧式のうるさければ即100パーセント耳触りな警笛と両方併用して居るじゃない?」
 結局何が言いたいのか五味川さん。
 「私は1916年大正5年3月16日に生まれました。その時の内閣総理大臣は多分第2次大熊内閣でえー・・・」
 「ぶぶー。確かその時にはすでに寺内内閣で・・・」
 「再びぶぶー。大熊君は、ていうか字が違うじゃない。大隈君よ。大隈君はまだ首相でした。彼は1916年10月9日までは首相を辞めて居ません。内務大臣の大浦兼武よ。おまえはやじろーか。ワンパターンなんだよおまえらのやる事は」
 まだ初春の候で肌寒い。「余寒なほ」と言う季語が思い浮かぶ。こよみの上では春だがほとんど冬同然の2月末だ。私は熱くなった五味川さんに乗せられて日本史談議をさせられる羽目になった。
 「て言うかさ五味川さん、あなたの祖母が確か大正2年生まれでもしかしたら祖母が(母方の)生れたころは第3次桂太郎内閣だったかもしれない、だけれども生れた月日が分からないからもしかしたら第1次山本内閣の時に生れて居たかも知れないって言って居たじゃないですか、て言うか第1次山本内閣の成立年月日が1913年大正2年2月20日だから、よっぽど早生まれじゃない限りお婆ちゃんは(母方の)第3次桂太郎内閣では無くて第1次山本権兵衛内閣の時に生まれた可能性の方が高いなあと言って居たじゃないですか」
 「そうだったけ。そうなると私はあくまで1916年大正5年3月16日生まれなんだけれども計算が合わんなあ。なんで私のお婆ちゃんは大正2年生まれなの」
 「おまえの生年月日が違って居るんだって。いくらなんでも」
 「うーむ。何にしても第1次山本権兵衛内閣総理大臣は1913年大正2年2月20日〜1914年大正3年4月16日だから少なくともお婆ちゃん出生後の内閣総理大臣としてはお婆ちゃん自分のフレッシュさを(自分の乳児期の内閣総理大臣なので)彼に投影させて、かなり拘って居たなあ。だから彼女は第1次山本権兵衛内閣総理大臣が倒れるきっかけとなったシーメンス事件に終世こだわって居たよ。だから彼女の研究成果を世に出すのが私の夢なのです。ドゥユーアンダースタンド?」
 「それは分かったけれども、君自身の夢を聞かせて欲しい。いい加減日本史談議も飽きた事だし」
 そう言えば以前初春の候に暖かくなったり寒くなったりを繰り返して居たので三寒四温とか言って居たらノーノーノーそれは冬の季語ね、ユーは馬鹿あるかと中国人の真似をした五味川さんに馬鹿にされた事があったが、彼は俳句にも凝って居るのかも知れない。私は葉の無い柿の木の枝が上に向かって垂直に伸びて居るの見ながらこれはなにゆえに上に向かって伸びて居るのかこんなにたくさん、病気の枝かと憂慮したものだが、どこぞで、これに似た様な枝ぶりを車窓から見て以来、と言っても一回だけなのだが、もしかしたら上に向かって伸びる枝は普通なのかもしれないと言う事と「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規」を思い出しながら五味川さんに質問して見た。
 「五味川君は俳句も嗜むとか」
 「うーむそれなんだが。階段を下りて呟く二月尽 橋間石 北極の旅の絵葉書二月尽 山田弘子 二月逝くうしろ姿の風邪の神 神蔵器 二月尽子が娶らむと言ひ出せり 宮津昭彦 熱引きて窓辺明るき二月尽 細原順子などなど。ネットのサイトの「季語別俳句2月」からなんだけれどもよく暗唱をしている。私は正岡子規や高浜虚子を目指して居ます」
 私は虚を突かれたように驚いたが、何と五味川さんはアンビシャスな男だろうかと思った。
「君のお婆さんは「シーメンス事件」に相当こだわって居たようだけれども、ちょっと「シーメンス事件」について説明してくれないかな」
 「よかろう。シーメンス事件はこれをきっかけに第1次山本権兵衛内閣が大正4年1914年4月16日に倒れました。いわゆる海軍高官による贈賄事件です。三井物産の幹部もかかわって居たようです。そのため三井高弘社長は引責辞任しました。(三井の社長は全て三井高弘と言う名前です。だから彼の場合は・・・。)」
「ちゃうやろ、初代三井高利から名前はすべて違う・・・。」
 私がそう言うと五味川さんは相当分厚い「歴代内閣研究帳」を繰りながら、自らの間違いを認めた。
「そのようですな。私の記憶違いか・・・」(「歴代内閣」と言いながら関連事件に至るまで詳述研究されているようだ)
 「あ、それと五味川さんばっかり自分のやって居る事を言うのずるいじゃない。私がやっている事も聞きなさい」
 「良かろうドンと言いなさい」
 「今は不動産登記、商業登記に凝って居てですね、例えば不動産登記で言えば「仮登記の抹消」だと登記の目的は例えば「2番所有権移転請求権仮登記抹消」などで原因は例えば「年月日解除(昭和49年5月14日とかですね)」などです。仮登記の抹消も共同申請によってするのが原則です。共同申請によって仮登記を抹消する時の登記権利者は仮登記義務者であった者、登記義務者は仮登記名義人である者である。おおむね抵当権の抹消登記に準じて考えればいいそうです。登記原因としては先程「年月日解除」を挙げましたが他に「放棄、錯誤、混同(仮登記名義人が所有権を取得した場合)、条件不成就(条件付の仮登記の場合において、条件が成就しないことが確定した場合)」などが考えられます。ただし「放棄」は所有権の1号仮登記については用いることができないと解されています。仮登記所有権は実態上所有権であり、これを放棄すると、権利が消滅するのではなく、国庫に帰属するものと解されからです。仮登記の抹消であっても、共同申請によるときは、一般原則どおり、申請情報と併せて登記識別情報または登記済証を提供または提出しなければならないのです。仮登記の申請においては、共同申請によるときであっても、申請情報と併せて登記識別情報または登記済証を提供または提出する必要がないことと区別して理解しておいて下さい・・・。」
 話に夢中になっていて気付かなかったが五味川さん寝ころんで爆睡しているでは無いか。五味川さんはうーん?もう終わったかと言うように半目を開いて言った。
 「うーうー眠い実に眠い。おまえの話は眠過ぎるぞー」
 何とひどい私はあなたの話をちゃんと聞いてあげて居たと言うのに自分だけ眠りこけて居るなんて。
 


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