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3000字小説バトル
チャンプ作品
『チェリーちゃん』榎生 東
「おそかったね」
「吉祥寺まで行ってやっと買えたのよ」
「そりゃあ大変だったね」
 カサカサ乾いた音が聞こえる。
「まだ一週間だって」
 女房は満足そうに小さな紙の箱を開けた。
「おお、元気だね」
「可愛いでしょ、一万五千円もしたのよ」
「へー、高いもんだなあ」
「私の方が安かったね」
「文無しの駆け落ちだったからね、お互いタダみたいなもんだ」
「可愛いねチェリーちゃん」
 彼女は頻りに可愛いと言うが、裸でぶるぶる震える雛はグロテスクで可愛くも何ともない。
「不味そうだな、お前は」言った途端、太い腕で怒突かれた。息が止まった。
 若い頃、彼女を呼び出して新宿南口の居酒屋で雀の丸焼きをよく食べた。彼女は姿焼とは名ばかりのだらしなく焼かれた黒い雀から顔を背けた。
「雀を食べる人なんて大嫌い」
 私は頭から囓って一緒になった。
「やなこと言わないでよ」と、私の背中を大きな手でさすっているが、彼女の視線は震えの止まらないチェリーに向けられている。
「小鳥屋さんの箱には五六羽の雛がいて、重なり合っていたけれど、チェリーだけだと寒いと思わない」と、プラスチックの飼育箱を取り出して私を見た。私は大工センターへひとっ走りした。ハムスターの牧草を飼育箱にたっぷりと敷き込んでやった。
 彼女が掌に乗せて、スポイトを嘴に当てると体に似合わぬ大口を開ける。水に浸した粟玉を喉の奥へ押し出してやる。グッグッゴックンと呑み込む。
 食後は彼女に撫で撫でされて三十分ほど眠る。母が子に添い寝するように彼女も微睡んだ。
 一週間で真新しい水を弾き飛ばす黄色の羽が生え揃う。釜のような嘴が新鮮だ。細い足と爪の白さは虚弱にも見える。
 
 チェリーが来るまで、舞台の主人公は私であった。主役をチェリーに取って代わられ一気に無きに等しいまでに落とされた。
 朝六時、彼女はチェリーをおこしに行く。
 私は三十分ほどしてベットを出る。洗顔を済ませ庭に降りて軽い体操をする。心身を整えるのである。厄年に過労で倒れて以来の健康策だ。シャワーを浴び、もう少し太りたいと思いつつ身支度を調える。鞄の書類を確認してキッチンに入る。
「おはよう」
 彼女がしゃがみ込んでいる。
「ちょと見て」
「どうした」
「元気がないの、餌も食べてくれない」
「押し込んでやれ」
「そんなことだめよ」
「飯にしてくれ、遅れる」
「ごめんなさい」
「そうか」ムッとした。朝から文句は言いたくない。
 いつもの玄関の見送りにも彼女は出てこなかった。
 抑揚のない会社の仕事にもう一つ身が入らない。はけ口のないもやもやが胸に溜まった。
(久しぶりに帰りに下北で一杯やるとするかな、いやいや、これきしで酒など呑んだら口が腐る)と、思っていた。電車が下北沢に到着すると下車していた。
「いらっしゃい、覚えていたね焼酎の日」
「うん、まあ、ある?」
「あるよ、何かあった馬鹿に早いけど」
「別に……」
 黒糖の香る芋焼酎、お気に入りの諸葛も何故か今日は辛い。それでも酔いが体を楽にした。気になって一杯で帰る。杞憂だった。
 彼女の機嫌がいい。
「それ、人間の薬だろ」
「小鳥屋さんが、粟玉と一緒にやりなさいって」
「食べるのか」
「食べる」と、小児用の液体ビタミン剤をみせ「お夕飯、何んでもいい?」日がな一日をチェリーにとられて買い物をしてないと言った。
「いいよ」毎日のことでもあるまいしと思う。
 ビタミンの効用でチェリーが見違えるほど元気になる。
 額の赤が鮮やかになり、体も一回り大きくなった。
「ピーピー、ルルルル、ピーョピーョ」体調のよいのだろう、遠くを見て軽やかに囀っている。
 少し飛ぶようになった。一メートル飛んでは歩き、また一メートル飛ぶ。着地は下手でドンと音がする。
 私は紐で足を縛って飛びの訓練を始めた。
 庭の空高く投げて紐を持って走るが直ぐ落ちる。十メートルが精々だ。翌日も翌々日も続けた。
 三日目のことだった。紐を引っ張って大きく二周飛んだチェリーは私の頭に止まった。胸がバクバクして熱い体温が伝わってくる。
 近親感が湧き無性に可愛くなった。
「見なさいよ、この胸を、可哀想に。飛べなくてもいいのよ、カゴで飼うんだから」ぶらぶらミラーで休憩するチェリーのようすに彼女が怒った。
 私は止めなかった。飛べない方が可哀想だ。彼女の留守に訓練した。少しずつ飛びの時間を伸ばす。チェリーの心臓は日毎に強くなり、バクバクしなくなった。
 それだけではない、うっかり紐を離してが返ってくるではないか。紐は存外に重く大きくは飛べないが、調教師冥利、大満足だ。
 次の日、紐を短くしてやった。飛んだ、チェリーは隣の屋根を越えその隣も越えて飛ぶ。
「何処まで行くんだチェリー、戻ってこいチェリー」逃げられる不安が脳裏をかすめた。
「あっ!」紐が電線に絡みついた。救出に時間が掛かった。
 以来、チェリーは私が手を出すとバタバタ大きな羽を飛ばして逃げ回る。
「あなたは嫌われたのよ、暫くほっときなさい」
 私はチェリーを見ないようにした。向こうもピーでもなけりゃビェーでもない。
 彼女とチェリーの穏やかな睦まじい日々が続いた。
「待ってなさいよ、あげるから」チェリーは待ちきれない。彼女の手に乗って鯛焼きの包みに頭を突っ込む。あんこが好きらしい。
 彼女のお椀の縁に乗りみそ汁も飲んだ。甘みと塩気だ。
 チェリーは夫婦の気まずい折の救いになると思ったが間違いだ。
 会話は減り二人で笑うことも無い。彼女がチェリーと話し笑うのを見るだけになった。
「小鳥に嫉妬するなんて」
「嫉妬じゃないよ」巧い言葉が出ず黙って諦める。
 このまま遠のいて他人になる感じがした。さりとて策を弄することは出来ない。自尊心が許さない。やはり諦めた。時間を待つ他ない。
 私はチェリーとの仲の修復を試みた。
「チェリーちゃん」彼女の口を真似て呼んでみる。
 振り向いた。
「チェリーちゃんおいで」と、手を入れるや、小さな体で一直線に突進し、棲ざまじい力で噛みついた。
「痛い、痛いっ」思いっきり振り払った。
 土間に叩きつけられたチェリーはよろよろ頭から倒れた。脳しんとうを起こしている。
「ボタンインコは攻撃性が強いんですって」後日になって聞いた。
 彼女が指を入れると、チェリーは頭をすり寄せて甘える。首を曲げる。首を掻いてやる、反対にクルッと回す、彼女は乞われるままに掻いてやる。気持ちがいいらしい。
 私は本気に馴らす決心をした。カゴの掃除、餌と水の取り替え、寝箱の天日干し、水浴び、全て肩代わりした。
「ピーピー」チェリーが私を呼んだ。
「なんだ」
「ビェー、ビェー、出してよお父さん」
「出たいのか」
「グルルルル、ビェービェー早く出せクソおやじ」チェリーは気が短い。
 頭を激しく上下する行動は彼女の時と同じだ。
「よしわかった」
 中指にぎゅっと掴まる。撫でてやると腰を下ろしふんわり暖かい。
「仲良くしよう、なチェリー」
 可愛い感触に頬擦りするや唇に噛みつき、ぐいっと切り裂いた。
 あまりの痛さに夢中で叩き落とした。床上10センチ、ちぇりーはしぶとく舞い上がりシャンデリアに逃げ込んだ。
 血が流れ落ちる。深い痛みだ。
 シャリンシャリンとガラスを鳴らしピチャッと糞を落とす。
「この野郎!」
「うちにもいます、気の強い可愛いのが」
 女医は平然と言って二針縫った。
「この人だけ噛まれるんです」
 女房が女医と目を合わせ下を向いてくすっと笑う。

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