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3000字小説バトル
チャンプ作品
『忍夜鯉曲者(しのびよるこいはくせもの)』鳥野 新
 何かが強く光ったような気がして滝江は眼を覚ました。
 目をこすりながら部屋の中を見回す。勉強机の上には月の光に照らされて明日の技術家庭科に使う裁縫セットが浮かび上がっている。机の横には鏡があり、前面を覆うようにセーラー服がひっかけられている。無彩色の世界だが、昨夜と何も変らぬ滝江の部屋だ。
「気のせいかしら」
 闇に慣れてきた目にふと、机の上の小さな置物が映った。
 小さな蝦蟇の人形。
 滝江がお宮参りから帰った時に、その産着から転がり落ちてきたといういわく付の蝦蟇だ。これも何かの縁と、部屋に置かれてからもう16年経つ。
 蝦蟇の両目がジッ、と滝江のほうを見ていた。
「気持ち悪い。寝ちゃおう」
 と、呟いた瞬間である。
 フオオオオオッ。
 まるで紙袋に勢い良く風を吹き込んだかのような音が聞こえてきた。
 思わず布団から飛び出すフリルの付いたパジャマ姿の滝江。
「相変わらず、可愛いのう」
 低い声が部屋の隅にうずくまる黒い塊から響いてきた。
「だ、誰」
 息を飲んで、滝江はその漆黒を凝視した。
 そこには。
「あんた……真鯉じゃない」
 口を大きく開いた鯉のぼりがとぐろを巻いて鎮座していたのである。
 丸いキョトンとした目に、滝江は思わず恐怖を忘れた。
「ところで、何でとぐろ巻いているの?」
「昔、玩具屋の倉庫で横にいた飾り物がこう座っていた。奴は出雲のほうに買われて行ったが」
「そりゃ、オロチだわよ。お神楽の。いいこと、鯉はとぐろなんて巻かないの」
 滝江は吹き出した。考えてみればコイツは小さい頃から、滝江の家で上げてきたなじみの鯉のぼりである、怖がる道理は無い。
「確か、あんた大久保さんの家にあげる予定だったわよね」
 滝江の弟も中学生になり、もう必要無くなったのでそろそろ親戚に譲ろうかという話が先日出ていたばかりだ。その言葉で鯉のぼりは身を震わせ始めた。
「ああ、切ない。この鯉心をわかっていただいて無かったなんて」
「何よ、それ」
「お嬢様に恋焦がれ、愛し続けたこの私を捨てるおつもりか」
 丸っこい目が急に三角につりあがり、鱗が逆立った。
「可愛さ余って憎さ百倍、我とともに魔界の道行きにお連れ申す」
 魔の本性を現した鯉のぼりはぬらぬらと動きながら滝江のほうににじり寄ってきた。
「きゃあ、来ないでっ」
 気の強い滝江もさすがに叫び声を上げた。
「誰か来てっ」
 しかし、返事がない。
「いくら叫んでもムダだ。この部屋はもう結界の中だ」
 鯉は口を広げて大きく息を吸った。
 轟音とともに、部屋中の小物がまるで坂から転がり落ちるように鯉の中に吸い込まれていく。慌てて、ベッドの足にしがみ付く滝江。しかし、ベッドごとじりじりと身体は鯉の口に引きずられていく。叫び声を上げようにも声にならず、助けを求めて滝江の視線は宙をさまよった。
 ふと、机の上の蝦蟇と目が合う。
「た、助けてっヨーガマっ」
 思わず心の中で叫んだ一言、その瞬間蝦蟇の目が強く光るとともに部屋中に煙が立ちこめた。そして、薄まる煙の中から現れ出でたのは巨大な蝦蟇。
「思い出していただけましたか、姫様!」
 その言葉に導かれるように滝江の身体が自然に浮き、蝦蟇の背中にふわりと着地した。足の裏にひやりと蝦蟇の湿った感触がしみわたる。
「おお、さすが姫様」
「な、何よこれ」
「私は筑波山麓の四六の妖蝦蟇、そしてあなた様こそ我が主人、平将門の遺児滝夜叉姫の生まれ変わり!」
「た、滝夜叉?」
 返事をする間も無く、彼らに牙をむいた鯉が襲い掛かる。
 が、無意識のうちに滝江の右手が一閃して、鯉ははね跳んだ。
「こ、これは」
 右手に握られていたのは、裁縫用の長い物差し。いや、元物差しと言ったほうが良いか、目盛りの付いた銀色の剣が握られていた。いつの間にか、外は土砂降りとなっている。稲光がひらめき轟音とともに、蝦蟇に乗り剣を構えた滝江の姿が黒いシルエットとなって浮かび上がった。乱れた長い髪が妖しい雰囲気をいや増している。
「それは姫様の妖力で変化したのでしょう。名前をお授けなさい、さすればその剣は姫様の僕となりましょう」
 蝦蟇が、化け物鯉を睨み付けながら促す。
「じゃ、も、物差し丸と」
「……まんまですな」
 蝦蟇の声には、若干の失望の響きがこめられていた。
「姫は昔から、命名のセンスがありませんでした。だから私もヨーガマなどという、ワガママと似たような語感の悪い名前にされてしまって……」
「悪かったわね、センスが無くて」
 諍いをしている間にダメージを回復したのか真鯉がむくむくと起きだしてきた。
「不細工な蝦蟇め、鯉の道行を邪魔しおって。覚悟しろ」
 鯉のぼりがにやりと笑った、と思う間にその鱗がキラキラと光り輝き始めた。明るくなる部屋の中で、二体の妖獣が天然色で浮かび上がる。
「フオオオッ」
 化け物鯉が鏡の前を覆っていたセーラー服を吹き飛ばした。
「ぐ、ぐおっ」
 反対に青い顔をして、硬直したのは妖蝦蟇。
「どうしたの?」
「わ、わが身のあまりの醜さに……」
 鏡に映った己の姿に、蝦蟇は総身よりたら〜り、たらりと脂汗を流し始めた。
「はははは、妖しの物と言えども所詮蝦蟇。己の醜さに恐れおののくが良い」
 勢いを増して襲い掛かかってくる真鯉。物差し丸で防戦するも、動かない蝦蟇の上では次第に滝夜叉姫の形成も不利となる。
 しかし。
「動きが?」
 徐々に鯉のぼりの動くスピードが遅くなっているのに滝江は気がついた。
 良く見ると、あふれ出す蝦蟇の油が染み込み胴体がべとべとに粘っている。
「いただき!」
 剣が空を走り鱗を剥ぎ飛ばした。鯉が悲鳴を上げる。
 そして、のたうつ化け物鯉の目を貫こうとしたその瞬間。
「お待ちください!」
 滑るようにして部屋に入ってきたのは、緋鯉だった。
「馬鹿な亭主ですが、お許しくださいませ」
 真鯉をかばうように緋鯉は自らの身体を投げ打って命乞いした。
「あれは、十年前。私達の可愛い子がカラスにずたずたに破かれてしまった時、お嬢様が捨てられようとしたあの子を縫って、命乞いをしてくださいました。そのお姿を見たこの宿六が身の程知らずにもお嬢様に恋をした次第。恥ずかしながら子供が傷を負ったのも監督不行き届きのせいだと私をなじり夫婦仲も冷えていた折……」
 油にまみれた真鯉はしゅん、としてうなだれている。
「恋の病は妖にわが夫を変え、恩人であるお嬢様を逆恨み。ああ、情けなや」
 しかし、緋鯉はきっと強い目で滝江を見上げていった。
「しかし、馬鹿でもアホでも我が夫。死ぬときは一緒と決めております。亭主を切るならまず私からお切りください」
「お、お前」
 涙と蝦蟇の汗でどろどろになりながら、震える声で真鯉が呟く。
「もう、化けて出ないわね。いい奥さんじゃない、大切になさい」
 物差し丸を収める滝夜叉姫。
「あ、ありがとうございます」
 鯉のぼりの夫婦は頭を擦り付けんばかりにして、礼をした。

 五月の空に油に汚れた真鯉と緋鯉が泳ぐ。
「あれじゃあ、差し上げられないわね」
 セーラー服の胸ポケットに忍ばせた蝦蟇の人形に滝江は囁いた。
「しっかし、まあ早業だこと……」
 滝江が縫った、子供の鯉の下に新しい鯉が泳いでいる。
「鯉が増えてる〜っ、ってお母さんの悲鳴。ご近所にとどろいてたわよ」
「喧嘩の後のナニは極めて良い、といいますからな。夫婦円満良いことです」
 ヨーガマがこそりと呟いた。
「まっ」
 思わず赤くなる滝夜叉姫であった。



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