おことわり:
本作品は随所に差別表現を含みますが、作品発表時における社会の姿としてそのままに呈示しています。
「婦人解放などと人間は騒いで居るが、俺は
夫よりも犬族解放を
先ず第一に絶叫したい」と、こう云って我々の仲間のジョンは、その耳を
欹てた。
「実際、俺達は十分な自覚を
以て人間の
羈絆から脱しなければならぬ。俺は人間の
唯我主義には、生れながらにして反感を持って居る。俺達から見たら奴等だってワアワア吠えて居る動物に過ぎないじゃないか。俺達の言葉は、奴等に判らないかも知れないが、
夫が為に奴等が俺達の理性や悟性を疑うのなら、俺達だって奴等の理性や悟性を疑い返す権利がある。人間は、奴等の間でベチャベチャ喋り合わなければ、お互に理解し得ないのに反し、俺達は道で逢って、お互に
一寸尻尾を振れば、もう、とっくに、互に理解し合って居る。人間は「お早う」とか「やあ今日は」とか、世間並の事を云いながら、
狡猾そうな目附でお互の心を見透かそうとするのではないか。俺達の言葉は少いが、
夫は説明でなくて、一つの象徴になって居る。俺達の音の一つ一つには、広い深い思想の象徴が、含まれて居るのだ。人間は、俺達の
此の尖がった頭や、神秘的な眸の中に、之れ程大きい理智が、含まれて居るのを知らないのだからな。俺達は、昔から人間に対してこの大きい思想を、如何に表現すべきかと云う事に、苦しんで居るんだ。つまり俺達は表現の力を奪われた偉大なる思想家の群なんだ」
ジョンは、何時も真摯な熱烈な調子で我々を説破しようとする。こんな時彼の眼は血走り、耳は逆立って居る。彼には思索家と云うよりも、革命家と云った分子が多い。
彼は極端に
嫌人的だ。生れて二ヶ月になるか、ならぬかに、生れた家を飛び出した彼はその時の模様に
就てこう語って居る。
「俺が生れたのは、ある貴族の家だ。俺の母は人間に使われて動物虐殺の
手伝をやって居た猟犬だった。何でも、南
仏蘭西のプロバンスに生れたとかで、時々は緑に晴れ行く南欧の空に憧れて居る。俺の父は誰だか知らない。人間は私生児だと云って俺を軽蔑するかも知れぬが、人間だって
之が本当の父だと云って、絶対に云い切る事の出来る者が、幾人あると思う。人間の女の貞操だって、我々の女房たちのそれと、格段の相違がある訳ではないからな。ストリントベルヒと云う男は、
遉に話せる。彼の戯曲『父』の主人公は、自分の子が本当に自分の子であるかどうかを、疑って悶えている。父と子との関係は
如何なる場合にも、心もとない推定だ。だから、俺は自分の父が誰だか判らぬ事を少しも恥とも思わないよ。俺の主人と云うのは、十八ばかりになる令嬢であった。俺は今でも彼女を思い出す度に、全身が憎悪の為に
戦くのを禁じ得ない。彼女は俺達の兄弟を三人虐殺した。生れてから一月ばかり経った後、彼女は乳母と一緒に俺達の
臥所へ来た。そして俺達の容貌に
就て色々な批評をした後「じゃ
之を置いておく事にしようね」と云って俺を抱き上げた。そして「婆や、
外のは三吉に云って、捨てさしておくれ」と云った。俺は人間が、自分達の都合で俺達兄弟を
虐遇するのを見て憤慨した。が俺の母はただケロリとして、見て居る
丈だったよ。俺は、憤慨して盛んにわめいたが、何の効果もなかった。それから、二三時間もしてからだった。婆やは令嬢に「まあ! 三吉は犬の子を川の中へ捨てたそうで御座いますよ」と云って居る。すると令嬢が「まあ! 可哀相ね」と云った。俺は、
此の言葉がグッ
卜癪に触ったよ。
之は女性と云う優しさを
傷けない為に心にもない事を云って居るんだ。そんなに可哀相なら、あんな三吉のような残酷な人間に捨てさせなければいいじゃないか。俺達を虐殺する責任を、
体よく三吉に
嫁して居るようなものじゃないか。
又三吉と云う奴も実に
非道奴さ、こんな下等な動物が、人間の下級社会にはよくあるよ。何も川の中へ捨てるには、当らないのだ。どっかの道端へ捨てて置けば、どんな運命が
又彼等の為めに拓かれるかも判らないのだ。
夫れを不遜にも、僭越にも、残酷にも彼等の生命を断ってしまったのだ。俺達は、道端に捨てられても、猫のように女々しくは帰って来ないんだ。自分の家に養い得ないからと云って、我々の運命全体を否定してしまう権利が人間にあって堪るものか。人間の性格の
裡には、実際悪魔が潜んで居るね。……なに人間の間には動物虐待防止会があるって! 馬鹿を云い給え! あれは我々を愛する為の会ではなくして人間が自分の品位を保つ為、自分達が慈善と云う快楽を享受せん為の機関だ。自分達の為に、
他を愛するような
見栄をするのは、利己主義の行き詰りだ。馬や牛を見ろ! ウンと働かされた揚句に喰われてしまって居るではないか。その骨
迄ナイフの
柄なんかにされて居る。俺達を虐待するのなら
思切りやるがいい! 虐待をしながら動物虐待防止などと体裁を作る所が、俺の一番嫌な人間の悪徳だ」
ジョンは我々の解放に
就てこんな意見を持って居る。
「婦人が独立するには、第一婦人その物が自覚すると同時に、経済上の独立が必要だ。
所が我々は、他人から解放されるのではなくして、我々
自身自分を解放する力を持って居る。我々の唯一のモットーは、ルソーの云ったように『自然に帰れ』だ。我々は、あの
芳草の生うる自然の山野に帰れば、
夫でいいのだ」と。が、僕はジョンの云うように、そう人間を見限って居ない。束縛と保護とは常に
相伴って居るんだ。我々は人間の権力の下にあればこそ、保護と安全とを享受して居るんだ。殊に俺は自分の主人の俊郎さんの顔を見ると人間に対する反抗などは、思いもよらなくなる。俊郎さんは、今年十二になる坊ちゃんだ、俺を何物よりも可愛がって居るんだ。俺を虐待した書生を、俊郎さんの発議でお払箱にした事さえある。
「俊郎さんは人間の内じゃ、まあ珍らしい方かも知れない。
然し、君! あれはまだ自意識の発達しない子供だよ。あんな無自覚な者の愛を人間全体の愛だと、誤解して居ると飛んだ目に逢うよ」と、ジョンは俺に云った事がある、要するにジョンは徹底的なニヒリストだ。
狂犬病が
此町に流行った。人間は自分の為になら、他の動物は
幾何犠牲にしてもよいと云う虫のよい
考から、手当り次第に我々を虐殺し始めた。
ある日の朝、ジョンはひょっくり俺を尋ねて来た。賎民から成って居る虐殺隊を避ける為、彼は二日ばかり食事をしないそうだ。俺は朝飯をジョンに
分った後で、二人でジョンの身体の善後策を講じて居た。すると、人間がバラバラと二三人走って来た。驚いて立ち直ると、彼等は
穢多と云う人間の種族で手に手に
棍棒を持って居る。云う迄もない、人間の残酷と得手勝手とを代表した犬族虐殺隊だ。奴等は俺の首に掛って居る札を見ると一斉にジョンに立ち向った。ジョンは身を翻して逃げようとしたが、その行手にも
亦棍棒を
振翳した一人が居た。ジョンの進退は、もう
谷まった。彼は突如覚悟を
極めたらしい、その瞬間、彼の心に充ちた人間に対する憎悪反抗の情が極点に達した。彼は満身の勇気をこめて、最先の一人に猛然と立ち向った。が彼の最後の努力は、振り下す棍棒の下に空しく挫かれた。犬族の
裡の思想家は人間の内で、最も無自覚な者の手に
殪された。彼が最後の悲鳴は、表現を欠いた思想の
うめきであった。
俺はジョンの危機を救わんとして力一杯吠え立てた。犬殺し共は、俺を
後目にかけながら立ち去った。
然し俺はその後で、自分の首にかけた札の有難さが、
沁々と身にしみた。