
残念!
1位作品の得票数が最多得票者数以下のため
規定により、今回のチャンピオンは該当者無しとなりました。
| エントリ |
作品 |
作者 |
得票 |
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| 1 |
九月なのに |
大覚アキラ |
1 |
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| 2 |
インディアンの砦 |
石川順一 |
1 |
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| 3 |
婆ちゃん、野良猫と俺 |
植木 |
1 |
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感想票をお送りいただいた皆様、ありがとうございました。
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推薦作品と感想
■九月なのに 大覚アキラさん
感想:リフレインが心地いいですね。ともすると、リフレインと言うのもくどい印象を与える物ですが、この詩ではリフレイン語が、むしろ扇風機や、エアコンのごとき、清涼感的な性質を持って居る様な気がしました。
投票者:このバトルへの参加作者
■インディアンの砦 石川順一さん
感想:「九月なのに」
そこそこおっさんおばはんの感覚からすると「九月なのに炎天下で」という一行に「そうなんだよな」と思ってしまう。
うすら30年前は8月の終わりには8月の終わりの風情があって、彼岸までは突発的に暑い日がある(けど、夕方には秋を感じざるを得ない)、というのが原則的な感覚として身についている。今ぁ彼岸を越えて、10月になっても32度だのというので、その辺「九月なのに」と共感する。
そうすると、連動して二、三連で描かれる女性というのが「おっさん(か、おばはんか)による若い女の子のイメージなんだなぁ」と読めてしまう。
高みの見物感がある。
「インディアンの砦」
タイトルに関連して「内側」というのは砦の内側だろうか、と読んでいくとそうは問屋が卸さない。色々なイメージの断片が陳列されていて<インディアンの砦が/築かれた>と締められてしまうと「おお、そうなのか!」となんとなく納得してしまう。なんとなくですけど。
なんだろうな、作り方が非常に絵画とか生花みたいだと思います。キャンバスに色をおいていく感じ。
「婆ちゃん、野良猫と俺」
<「慣れてもいいンだよ」>が詩の仕掛けなのかしら、と読む。タイトルと本文から婆ちゃん、野良猫二匹、僕、といて、じゃあ誰が誰に話しかけているのか。
そこを読み解く詩なのだ、と解釈してしまうと「おお、そうなのか!」と自分で自分の説に納得しかけるのだが、そうすると後半の二連と繋がらない。
なんだろうなぁ、これ。
「バイバイアチチ」
1000字や3000字よりもプレッシャー多めでお送りしております。
自分でも「硬いなぁ」と思う。
で、投票。書いてあることが判然としているのは「九月なのに」だし、一番イメージで遊ぼうとしてるのは「インディアンの砦」だし、物語が見えるのは「婆ちゃん、野良猫と俺」です。どれかなぁ。今の気分として「インディアンの砦」かなぁ。
投票者:このバトルへの参加作者
■婆ちゃん、野良猫と俺 植木さん
感想:決して説明的ではないのに、情景が浮かぶ。
遠い記憶の中でシロップのように煮詰められた、甘い諦念。
投票者:このバトルへの参加作者
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