
おめでとうございます!
今回のチャンピオンは「6月 午後2時40分」金河南さんに決定です。
| エントリ |
作品 |
作者 |
得票 |
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| 2 |
6月 午後2時40分 |
金河南 |
2 |
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| 1 |
親 |
日向さち |
1 |
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感想票をお送りいただいた皆様、ありがとうございました。
「私の投票がない!」「内容が違うような」…… 掲載もれ、ミス等ございましたらご連絡いただけますようお願いいたします。
推薦作品と感想
■6月 午後2時40分 金河南さん
感想:全体に漂う雰囲気もあるが、気に入ったからじゃなくて「どれの代わりもいくらでもいるからこそ」選んだというのが特に悲しく思えた。
金魚は他人だろうか、それとも性器を表しているのだろうか。
生き物としての金魚だったら、腐っている=死んでいるだろうから首を振ったり喘いだりしない
にも拘わらず、こういう表現になるのは何故だろう、なんて考えてみる。
しかし結局、対人か性的な面でのコンプレックスを描いているのだろうという漠然とした受け取り方しかできなくて申し訳ない。
自作に関しては、こういうバランスでやりたかったというものが出来たので気に入っている。
読んでくださった方からすれば、それが何か分からないだろうけど、
バトルに出すくらいの気持ちで書かないと創作意欲を維持できないように思えたので投稿させていただいた。
投票者:このバトルへの参加作者
感想:「親」
まずは5行のテキストを読み解くのに手がかりとなるのはタイトルである「親」なのだろうという読み方をするのですが(この読み方さえも間違いかもしれない)そうすると一行目に「親指」とでてくるあたりで「おや、これは親指の話かもしれない」と思い始めてから像がすっかり結ばってこない。
で、5行目の「母」から考えると、これは母の話、であるならば、じゃあなんでタイトルは「母」じゃないんだろう、父の断片はどこに、と考えてしまい、これもまた像を結ばない。「うるさかった記憶の群れが/駅に飛び込んでいった」もキャッチーではあるが具体的になんのことやらって感じであり、どの方面から読もうとしても理解されること自体を拒んでいる気配すらする。
「6月 午後2時40分」
「観賞用の金魚」のメタファーを軸に読み進めていくと、「反対色を取り出す」というのが、もしかすると、そういう苦い体験を思い出にすることで美化できるような、そういう意味合いなのかもしれない。ただ、もっと感覚を言語化する努力はあってもいいと思う。単純に「何を云っているかちょっとよくわかんない」からだ。
よりわかる方に投票する。
投票者:その他のQBOOKS参加作者
■親 日向さちさん
感想:久々のバトルなので批評気味に。
「駅」が要らないワードだと思います。
この詩の主眼は、アイスキャンディーから古い頃の思い出に飛び立ち、母親の膝のうえに着地する、親に回帰する記憶です。
駅という、場所を限定する言葉が、その母親の膝の上のシチュエーションにまで影響が出ている。アイスキャンディーを食べている場所が駅のホームで、母の膝の上も駅のホームでの思い出、といった具合になってしまいます。
「読者それぞれの記憶の中の母の膝の上」まで広げてほしかった。
「意の味を〜」という抽象的な思考に持っていくキーの2行目と、「駅」という具体的な言葉のギャップも、この詩をちぐはぐにしているように思います。
場所を示す言葉は、たったひとつ「母の膝の上」のみのほうが、この詩のテーマをより明確に読者に示すことができたでしょう。
駅、というのが、思い出の停留場であり、それらの停留場の記憶をさかのぼっていって、最終停留所(一番古い記憶)が母親の膝の上だった。という解釈を読者にさせたくて書かれたのであれば、「うるさかった」という一言で終わらせるには短すぎます。
もう少し丁寧に時間経過を書きだしてほしかったな、というところです。
古い記憶へ誘う起点として「アイスキャンデー」という語句を選んだのは素晴らしいと思います。
アイスクリームやジェラートなどでは獲得できない、ノスタルジックさが含まれるいい言葉ですよね。
親指を見つめながら意の味を噛みしめるのは、つまり親という意味、と、溶けたキャンデ「ィ」、両方を噛みしめるという風に受け取りました。もしかすると「親指」+「意の味」→「親の意/指の味」かも知れません。
この辺こだわって書かれたのかな、と思います。解釈するのが楽しかったです。
ありがとうございました。
投票者:このバトルへの参加作者
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