第4回高校生1000字小説バトル
Entry1
「君の心の正直な処を此のノオトに書いてみてはくれまひか」 そう云われて僕は素直に其の紙束を受け取った。 其れには表紙の厚紙も無ければ、罫線も無い、ホチキス綴じのと てもノートとは呼べない代物だった。一番最初の紙には遠慮がちに 小さく珈琲の染みが着いていた。其の染みは確かに遠慮がちでは有 った。まるで自分が此処には居ないかの様に縮こまっていた。だが 悲しい事に彼(女)は現実に其処に存在しており、其れは其れだけ でこのみすぼらしい紙束の品格を更に貶めている事に相違は無かっ た。 つまりこの染みは忌まれるのみの存在なのであろう。其れを知っ たら彼(女)はどんなに悲しむ事だろうか。場合によっては自分自 身を跡形も無く消し去ってしまおうとすらするかも知れない。其れ は確かに人間にとってはとても好都合な事なのだろう。しかし僕に は其れがどうしようもなく哀しかった。 「思つた侭を書けば好いのかい?」 「そふだ」 僕は改めて其の染みを見詰めた。 染みは僕に見付からない様に必死に縮こまっていた。 『ねえ、御仁様。私は染み等では無いのですよ。唯此の紙が製版の 洗礼を受けた時に偶々引き付いてしまつた埃なのですよ。だからそ んな風に私を御覧にならなひで下さひまし』 『しかし君は確かに其処に存在してゐるのだよ』 『其処を何とかしては戴けませぬか』 『だが君は染みであつて埃では無い。其処の処はきちんと了解して 置かねば』 僕がそう云うと、染みは悲しそうに頭を垂れた。其の様が余りに 不憫で、僕は思わず息を吐いた。そして彼(女)がそんなにも望む のならば、この際僕が哀しい位の事は我慢しても良いかと思ってし まった。 『解つたよ。君は埃なのだね。だから払い落とせば良い事だね』 『有難ふ御座ひます、御仁様』 そう云って僕が指を払うと、彼(女)は嬉しそうに空を舞い降り ていった。 同時に緩い安堵感と共に、僕の胸の裡に苦い淋しさがふつふつと 湧き起こって来た。忽ちのうちに僕は堪らない後悔の内に居た。 僕は渡されたペンで、元染みの有った処に其れらしい模様を描い た。 「其れが君の心情なのかい」 「あゝ」 「難解だね」 「そふかな」 堪らない淋しさの裡で、僕は人知れず号泣していた。 彼(女)は本当に倖せだったのだろうか。
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