第7回高校生1000字小説バトル
Entry1
汗が滲んだ背広を肩に背負い、一人の男がとぼとぼと道を歩いて いる。歳は三十路を越え、その背中には夕刻のためか、もしくは、 そのしわだらけの背広のためか哀愁を漂わせている。 信次は営業マンだった。 会社への帰り道。一粒の滴がアスファルトに落ち、そして、染み 込んでいった。その粒がまた一つまた一つと落ちてくる。 信次は、ちっと軽く舌打ちをしながら、鞄を傘に走り出した。 雨はどんどん激しくなってくる。しかし、雨やどり出来るところ はなかなか見つからなかった。やっとの思いで小さな店を見つけ、 そこへ飛び込んだ。 背広やズボンをハンカチで拭きながら、信次は店内を見渡した。 そこには、昔懐かしい駄菓子がところせましと並べられていた。 「いらっしゃい」 奥の方からしゃがれた声が聞こえた。信次が声のした方を見ると、 そこには、老婆が立っていた。 老婆は、丸いすに座り、もう一度いらっしゃいと言った。 雨はまだ止みそうにもなかった。 信次は、ラムネを飲みながら、老婆と話しをする事にした。 ラムネのビー玉を見ると、昔はなかなか買えなかったなと信次は 苦笑した。ラムネのそれを押し、開けた。 信次は、漁師町の片田舎で生まれ育った。遊び場といえば、海か 駄菓子屋だった。そして、子供たちにとって駄菓子屋の老婆は母親 がわりだった。ある時は怒られ、又、ある時は笑いあった。 信次たちはそれを求め、毎日の様に通っていたのかもしれない。 ラムネがこぼれ出す。それを急いで飲み、老婆に話し掛けた。 「珍しいね。こんな店まだあるとは思わなかったよ」 老婆は、その眼鏡の奥に笑顔をたたえながら 「まあ、年寄りの道楽ですよ」と答えた。 信次にはその笑顔がとても儚く見えた。 いつの間にか雨が止んでいた。 「お代はいくら?」 そう言い財布を出した信次を制し、 「お代はいりません。どうせ今日で店じまいですし……」 と老婆が答えた。 そして、「ありがとさんです」と付け加えた。 信次は、もうなにも言えなかった。 少し湿っている鞄を持ち、一礼して店を出た。 信次が店を出たとき、老婆は一言、たった一言口にした。 「頑張りなさいよ。……信ちゃん」 信次はそう言われ、振り返った。しかし、夕陽の逆光で老婆は見 えなかった。 唯一見えた店は、色あせた昔の写真のようにセピア色に輝いてい た。信次は、一つ大きな深呼吸をし、もう振り返らないと心に決め た。 水たまりの夕焼けが、信次にはやけに目にしみる夕方だった。
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