第1回中高生3000字小説バトル
Entry7
彼に会うのは随分と久しぶりだったので、私はいささか緊張してい た。 一度大きく深呼吸をし、群青色で「流星観測所」と書かれた鉄製の ドアをノックする。 「どうぞ」 落ち着いた、それでいてどことなく不安定な声が扉の向こうから返 ってきた。彼だ。 数年前と印象を一つも変えないその声は、つい昨日会ったばかりの ような錯覚を抱かせる。 私はノブを回し、ドアを開けた。キィと金属のこすれる音さえ一つ も変わっていない。 「やあ、これは懐かしい御仁がきたな」 彼は私の顔を見て、少しばかり驚いたようだったが、すぐにその表 情を彼お得意の微笑へと変えた。 「久しぶりだね。何用だい?」 数年来の旧友と出会った時の、何一つ違和感を抱かせない笑顔で彼 は問うた。 「仲直りさ」 「それは良いことだ] そう言いながら、彼はつまらなそうな顔になった。私に殴り込みで も期待していたのかもしれない。 「かければ?」 ぞんざいに手のみで、彼の隣の足の高い金属椅子を示す。私はゆっ くりとそちらに向かった。 私が来るまで、彼は傍らにある銀の筒に見入っていたらしかった。 彼専用の望遠鏡である。 奇妙な形をしていて、接眼部分は1ドルコインのような狭さなのに、 その先が巨大な瓢箪のようにぷっくりと二段階に膨れている。さら にその先は窓を通して外へと繋がっており、この望遠鏡の全形を見 ることは出来ない。 接眼部分のレンズは厚すぎて、枠からはみ出し、彼の方に出っ張っ ている。あんな物で、よく観測できるものだと感心するが、実際見 えるのだから事実を認めざる負えない。 私自身も覗かせてもらったことがあったが、気持ちの良いものは拝 めなかった。 私が彼の隣に座ると、彼はその持ち主の性格を表したような偏屈な 望遠鏡から目を離した。 「やっとこの場所が気に入ってくれたのかい?」 そう言った彼の瞳には期待が篭っている。 「いや」 私は首を振った。 「いまだに好きにはなれないな」 言った途端、見る間に彼の顔が曇った。 「数年間もここに通っていたじゃないか」 「実はあの時から嫌いだったんだよ」 私が思いきって言うと、彼は笑いを冷めたものに代えた。 「それは初耳だな」 声が上ずっている。 必至で隠そうとはしているが、私の身勝手な言葉に怒っているのは 明らかだった。少し間を置いた方が良い。私は向き合っていた彼の 両目からついと目を逸らすと、ガラス張りの天蓋へと視線を投げた。 360度。半球型にガラス版が張られている。うすく透き通った板を 通して、夜の深い闇が私たちを包んでいた。星一つ瞬いてはいない。 「闇に呑まれそうな気がして」 闇を見つめていると、言葉がふと口をついて出た。意識した訳では ない。少し遅れて、自分の言葉の続きだと気付いた。 「この空が?」 彼も私に習って闇を見上げる。気を抜かれ怒りは収まったらしい。 私は続けた。 「この闇はなんだか恐ろしい。気付かぬ間に侵食されている気がす る」 「考え過ぎだよ」 彼は私の話に興味が持てなかったのか、空天から視線を離した。 「空の闇はあくまで空さ。僕らを襲おうなんて考えやしない」 彼は再び、レンズを覗き、ゆっくりと言った。 「それに闇は濃い方が流星も見えやすい」 「止めてくれ!その話は」 私は思わず立ち上がっていた。彼がレンズを覗いたまま、口の端を 吊り上げ、にやりと笑う。さっきの仕返しのつもりか。 「もうその話は二度と聞きたくないんだ」 私はなるたけ気を落ち着かせて言った。彼に意志を伝えるにはこの 方法が最適だった。 「前まであんなに面白がって見ていたのにね。どうしたんだい」 だが、彼は止めなかった。明らかにこちらを挑発している。 「止めてくれと言ったろう」 「どうしてだい?」 私の懇願を遮って、彼は顔を上げ、強い調子で言ってきた。目が本 気だ。答えねばなるまい。 「あの時は何も知らなかったんだ。あの流星群が何か知っていたな ら、私はその美しさに目を輝かせもしなかったし、喜びもしなかっ た。だから今は止めてくれ」 私は正直に、しかし吐き捨てるように言った。 「くだらない答えだね。僕らはそんなことの為にけんか別れした訳 か」 彼は私の告白に落胆したようだった。心底あきれたように深いため 息を一つつき、私の方をねっとりと見つめ返した。瞳の奥が心なし か踊っている。 「多くの命を抱えているから、流星は瞬くのに。君にはあの特別な 美しさがわからないのかい?」 まだ仕返しの続きなのか。違うのか。どちらにしろ、その言葉は私 に対してひどく気味の悪いものだった。 「君の話は吐き気がするよ」 半分確信犯ではあったが、思わず口が滑っていた。すぐに後悔した が今更遅い。 しかし、彼は予想に反して怒りはしなかった。逆に、吊り上げた口 の端を更に引っ張り上げ、凶凶しい笑みを作る。 「そうやって君は僕を軽蔑しているようだけど、実際、今の君はど うなんだい?」 「どうとは?」 「ひどい不況だそうじゃないか。でかいスクープ記事でも取ってこ なきゃ、次の日には、編集社をリストラされてしまうんだろう?そ こで、僕に助けを求めにきた。違うかい?」 背筋がひやりとした。この男はなんでも見抜いている。昔からそう だった。 「それは・・・」 言いよどんだ私に彼はすかさず畳み掛けてきた。 「そらみろ、止めろ止めろと言いながら、結局は君だって流星が落 ちるのを望んでいるんじゃないか!」 「望んでなんかいない」 「じゃあ、どうして僕のところにやって来た。世界平和でも説きに きたのか!」 そこまで言って、彼は自分が珍しく激昂していることに気付いたよ うだった。ふと表情を真顔に戻し、頭を軽く振る。気持ちを落ち着 かせる時の彼のくせだった。 熱せられていた空気が急激に冷める。私は無言。彼も無言。きまず い沈黙が広がった。 しばらくして、彼の方が口を開いた。 「いい加減認めないか。流星は美しい。それもまっすぐ僕達の一番 自然な部分に響いてくる」 「それは違う」 私は即答した。この問いは否定しなければならない。でないと私は 自分という人間を放棄したことになる。 「どう違うと言うんだい。事実を知った後でも、君は9年前に見た、 あの沢山の流星群が浜辺に落ちていく景色を美しいと感じるだろう。 瞬いては地に砕け散る様に興奮をおぼえるだろう。命の灯火が消え ていく儚さに心揺り動かされるだろう」 「あんたはきちがいだ。多くの流星を観測し過ぎたせいで、この闇 に侵食されて、気が狂ってしまった」 「君も55年前のあの大彗星を見ればよかったのに、世界観が変わ るよ。きっと僕とも気持ちを共有しあえたはずだ」 「原爆か」 私が短く放った言葉に彼は顔をしかめた。 「その言い方はスマートじゃないな」 それが合図になった。彼はその一単語にこの幻想的な天文台とは遠 く離れてしまった私の心を知ったのだろう。 「君はここにいるべきじゃないね」 そう言った彼の顔は侮蔑を込めた笑みでもなく、激しい怒りでもな く、辛辣なまでの無表情だった。私はもう友ではないのだ。彼はそ の表情のまま、この静かな空間にこつこつと硬質な金属音を響かせ て、ドアの前まで歩いていく。 数年以来の彼との出会いは私に何も起こさなかった。彼と私と、幻 想と現実との溝を深めただけであった。だが、これでいいのだ、私 が長くこの天文台に寄りかかり過ぎていた。もっと早くから、この 世界と彼とに決別すべきだったのである。 彼がドアノブに手を掛ける。 「おひきとり願おう」 入ってきた時と寸分変わらない音がキィと響いた。
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