インディーズバトルマガジン QBOOKS

第10回中高生3000字小説バトル
Entry2

焦げた蛋白質

作者 : 畑山
Website :
文字数 : 2959

 十一歳の時、僕は学級委員で女子の学級委員など数名と「池田先生を送る会」の計画を練っていた。池田先生は教職資格を取るため、母校である小学校に来ていた。僕らはその"先生の卵"と二週間を共に過ごし、たった二時間だけ理科の授業を受けた。天秤の性質を教えてもらった記憶がある。僕らの仕事は「はじめの言葉」は誰がやるのか、「うた」は何にするのか、「オルガン」は誰が弾くのか、などを逐一決めていくことだった。
 放課後そうやって集まるのも三回目くらいだっただろうか。みんなは担任の先生に「これでいいですか?」と聞きに行った。僕と女の子一人だけが教室に残った。彼女は転向してきたばかりで、それほどクラスの女の子グループに馴染んでいなかった。だから当然、僕なんかと喋ったこともなく、ふたりで沈黙を守った。僕は模造紙にプログラムを書くふりをした。まるで飲食店の前にある人形が、規則正しく腕を振るように。その子は教室の後ろに置いてある本を眺めていた。とても背が高い子で、結局僕は中学校二年生くらいまで、見下ろされ続けることになる。
 僕と彼女はその後も、煙草とライターの関係のように、たびたび顔を合わせた。三打席連続でフォアボールになるくらいの幸運だった。いつのまにか僕は、彼女の髪をすくようになった。五本の指で髪を撫でた。長い髪の時は、頭のてっぺんから髪の端までなぞるのに時間がかかり、指はさらに優しさを帯びた。それだけがふたりのコミュニケーションだった。
「お前、咲のことが好きだろ。おれ分かるよ」トイレの掃除中にクラスメイトにそう言われて、とても焦った。小学生にとっての「好きだ」は、もしかしたら高校生が使う「やらせて」より重いのかもしれなかった。僕は違うよと短く言って掃除を続けた。
「うちね」ある時彼女は言った。「好きな人、たくさんいるんだ」僕らは教室の一番後ろで隣りの席だった。「え、何人?」僕は聞いた。ほんの少し恐かった。「ううんとねぇ、あの班にはいないなぁ」彼女は一つの班を指さして言った。次の班の時は「あの班には一人いる」と言ったので「英君?」僕は即座に質問を浴びせた。少し間をおいて彼女は「秘密」と答えた。そして僕の班(うちの班)の番になったとき、僕は僕が彼女の好きな人リストに入っていることを知る。

 十五歳の時、僕には仲の良い女の子がいた。優衣という。お昼の時間には、班で一緒に食べることになっていたが僕の班はとても仲が良くて、静かな教室で六人だけ笑っていた。彼女は頬がいつも赤かった。化粧ではなかった。
 自然教室も彼女と同じ班だった。一緒にお菓子を食べた。ほとんどは僕が食べた。おかゆのようなカレーをつくった。それも、ほとんどは僕が食べた。僕は彼女に好意的だった。そして彼女も僕に好意的だった。
 国語の時間、隣り合わせの席だった僕らは、ノート一杯にクラスの座席表を書いて、誰が誰のことを好きなのか、情報を交換した。どうやら僕は赤い糸(もしくは赤い意図)に巻き込まれているらしかった。僕の耳たぶは、夕日に照らされる前に紅くなる癖を、そのとき身につけた。
 ある日僕は体育の時間に、同学年の不良ともめ事を起こした。僕の悪口を茶色の髪をした不良が繰り返した。そんな挑発に乗りたくない僕は、無視を通した。僕は友だち数人といたのに、誰も何とも言ってくれなかった。(自分の身は自分で守れ?)僕は何度も繰り返される悪口で、次第に不機嫌になり、五分後に喧嘩をふっかけた。彼に向かって言った。やめてほしい、と。彼は僕の胸ぐらを掴んだ。殴られるかもしれないと思った。事実、彼は毎週もめ事を起こしては、人を殴っている。どうせ、いずれ殴られるのだろうと思って、僕は彼の手をほどいて、胸を押し返した。これからどうなるのか、分からなかった。しかし、なんの脈略もなく彼はこう言った。「あの女の家には行ったのか?」優衣のことだった。「全然行ったことなんてない」僕は答えた。「彼女の家って、とても遠いんだ」と付け加えると同時に「うちの近くにおかまバーあるから紹介してやるよ」と彼が言った。不良のピアスは奇妙に輝いていた。優衣との物語はこれで終わる。

 僕らはみんな別々の高校に進学した。僕の高校はとても田舎にあって、ひとつの閉じた地域だった。一年が、そして二年が過ぎ、三年目、受験を迎えた。僕は退屈な授業を受けながら、一日二十四時間を着実に消化しているつもりった。しかし浦島太郎がそうであったように、僕の通った世界は、咲や優衣の通っている世界の時間速度とは微妙な差があった。世の中で一番恐ろしいのは、微妙なズレだ。誰もそのことに気付かないのに、それは確実に広がっていき、とうとう誰もぽっかり空いてしまった隙間を通れなくなる。
 僕は竜宮城で過ごしたつもりはない。ただ酒を飲み踊った、という点では似ているのかもしれない。いずれにせよ僕はそこでの生活に慣れ親しんだ。僕はもう十八歳という年齢にきていた。
 おととい地元で夏祭りがあった。毎年のことなのだけど、中学時代の友だちと集まり、近くの池で花火をして、その後で酒を少し飲んだ。「みんな変わってないね」僕は確かにおとといの夕方、こんなことを言ったのだ。その言葉の軽々しさに気付くのはその五分後。友だちの一人が前触れもなく、本当に何の前触れもなく、こう告げた。

z@)咲は十七歳で結婚した。
zA)優衣は毎日のように違う相手とセックスをしている。
zB)もうすぐ今日が終わる。

 蛋白質(タンパク質)は一度熱を加えられると、もう元には戻らない。肉は一度焼いてしまうと、もう生々しい血の塊だった頃を忘れてしまうのだ。(お客様、お肉が冷めてしまいます)三つの事実を聞いて、僕は四十年の刑期を終えて監獄から出る人間のような気分がした。哀れな浦島太郎の気分と言ってもいいかもしれない。そして、吐き気がした。僕は彼女たちを、自分の住む世界の感覚で想像していた。しかし、そうでは決してなかった。彼女たちの蛋白質は、もう僕の知っている形質ではなかった。
 僕は友だちに「明日、朝早いから」と嘘を言って、帰ることにした。はやく布団に潜りたかった。(ママー怖いよー)それなのに僕の二本足は、僕を咲の家の前まで運んだ。(ママー怖いよー)僕は深呼吸をした。あの日のように。咲のことが気になって家の前まで来てしまった七年前のように。
 結局僕は彼女の家の前で、表札を指でなぞることくらいしか、思いつかなかった。きっと彼女は別の場所で今日を迎えているだろうと思うと、強烈に悲しくなった。やがてさっきよりひどい吐き気を催した。咲と同様、優衣もどこか僕の知らない場所で、何かを、僕の知らない表情で、見つめているのだろうと考えた。泣きたくても、涙は流れないらしい。
 僕ははやく布団で眠りたかった。だけど部屋を暗くしてしまうと、無性に今までのことが愛おしくなった。それで、僕が失ってしまったものを文字に残そうと努力した。何を得て、何を失ったのか、自分でも分からなかったからだ。かつてシェイクスピアはこう書き残した。すべて世界は舞台である(All the world is a stage)、と。いま僕はその言葉の意味を理解した。そして夢のような劇は二度と繰り返されないのだと、悲しくも確信している。







インディーズバトルマガジン QBOOKS
◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。