| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 棺桶〜making food〜 | 横川敦 | 1212 |
| 2 | 焦げた蛋白質 | 畑山 | 2959 |
| 3 | 雲 | 相川拓也 | 2111 |
「駄目ですね」
「え……?」
「今の医学では、この病を治療することは不可能です」
「そんな、そこまで重いと言うことはないでしょう?」
「しかし、そんなことを言われても、私のコンピュータデータベースを見ればすぐに分かるんですよ。私がいくら素人でも、このコンピュータの選択によって、全て分かってしまう。もうそんな世の中になってしまったんですよ。そう、もう医者なんて、アルバイトでもできるようになるんですよ、いや、全て機械で制御されるようになるかな」
「…しかし、もしもそのコンピュータが壊れていたらどうするんですか?そんなの納得できませんよ」
「いえいえ、そんなことまずありえません。だってそのコンピュータも、また別のコンピュータによって管理されていますから、まったく心配は無いんですよ」
「………」
僕はだんだん怖くなってきた。この医師の理屈は、彼に通用することで、僕にはとても信用できるものではなかった。僕は医師の顔をもう1回じっくりと見た。
医師はあくまで優しく笑っていた。その笑顔はかえって僕を不快にさせ、恐ろしくさせた。医師はニコニコと笑っているが、腹の中では何を考えているのか分からない。僕のことを重症患者と言い捨て、一体何をされるのか分かったものではない。
「ではこちらに来てください。、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫だって言うんですか!!このまま僕をどうしろというんですか。僕はもう帰ります」
「まあまあ、待ってください。このまま死を待つっていうのも考え物でしょう。もしも私の言っていることが正しかったらどうするつもりですか?」
確かに、万が一彼の言っていることが正しかったとすれば、ただ僕は死を待つことになる。それが一体どうしたというのだろうか。
「それで、何だって言うんですか?」
「コールドスリープですよ」
「え……?」
「体を凍らせて眠り、この病の治療法が発見されるまで待つ。既にこれを実行している患者は少なくありません。あなたが救われるには、この方法を使うしかないのですよ」
「………」
僕は結局、自分が死ぬのが怖くて、冬眠を実行することにした。 医師に案内され、何かのカプセルがある場所へと案内された。
「さあ、この中に入って、横になってください」
僕は言われた通り横になると、目を閉じた。
暗い…栓が閉じられたのだろう。これで、僕は、何十年も老いもせず、タイムスリップしてしまうのだろうか…。
「………?」
おかしい。少しも変化がない。冷凍システムが作動するわけでもない。
…まさか!!
システムが壊れたのか!? すると、僕はずっと死ぬまでこの中に居なければいけないのか!!?
「おい!!開けてくれ!!システムが壊れているんだ!!このままこんな所に閉じ込められるなんて嫌だ!!助けてくれ!」
医師は遠目にそれを見ながら、電話をかけた。
「ああ、動物園のかたですか?」
餌ヨウ トリアツカイ注意
「食料が足りないって、言ってましたよねェ…?」
十一歳の時、僕は学級委員で女子の学級委員など数名と「池田先生を送る会」の計画を練っていた。池田先生は教職資格を取るため、母校である小学校に来ていた。僕らはその"先生の卵"と二週間を共に過ごし、たった二時間だけ理科の授業を受けた。天秤の性質を教えてもらった記憶がある。僕らの仕事は「はじめの言葉」は誰がやるのか、「うた」は何にするのか、「オルガン」は誰が弾くのか、などを逐一決めていくことだった。
放課後そうやって集まるのも三回目くらいだっただろうか。みんなは担任の先生に「これでいいですか?」と聞きに行った。僕と女の子一人だけが教室に残った。彼女は転向してきたばかりで、それほどクラスの女の子グループに馴染んでいなかった。だから当然、僕なんかと喋ったこともなく、ふたりで沈黙を守った。僕は模造紙にプログラムを書くふりをした。まるで飲食店の前にある人形が、規則正しく腕を振るように。その子は教室の後ろに置いてある本を眺めていた。とても背が高い子で、結局僕は中学校二年生くらいまで、見下ろされ続けることになる。
僕と彼女はその後も、煙草とライターの関係のように、たびたび顔を合わせた。三打席連続でフォアボールになるくらいの幸運だった。いつのまにか僕は、彼女の髪をすくようになった。五本の指で髪を撫でた。長い髪の時は、頭のてっぺんから髪の端までなぞるのに時間がかかり、指はさらに優しさを帯びた。それだけがふたりのコミュニケーションだった。
「お前、咲のことが好きだろ。おれ分かるよ」トイレの掃除中にクラスメイトにそう言われて、とても焦った。小学生にとっての「好きだ」は、もしかしたら高校生が使う「やらせて」より重いのかもしれなかった。僕は違うよと短く言って掃除を続けた。
「うちね」ある時彼女は言った。「好きな人、たくさんいるんだ」僕らは教室の一番後ろで隣りの席だった。「え、何人?」僕は聞いた。ほんの少し恐かった。「ううんとねぇ、あの班にはいないなぁ」彼女は一つの班を指さして言った。次の班の時は「あの班には一人いる」と言ったので「英君?」僕は即座に質問を浴びせた。少し間をおいて彼女は「秘密」と答えた。そして僕の班(うちの班)の番になったとき、僕は僕が彼女の好きな人リストに入っていることを知る。
十五歳の時、僕には仲の良い女の子がいた。優衣という。お昼の時間には、班で一緒に食べることになっていたが僕の班はとても仲が良くて、静かな教室で六人だけ笑っていた。彼女は頬がいつも赤かった。化粧ではなかった。
自然教室も彼女と同じ班だった。一緒にお菓子を食べた。ほとんどは僕が食べた。おかゆのようなカレーをつくった。それも、ほとんどは僕が食べた。僕は彼女に好意的だった。そして彼女も僕に好意的だった。
国語の時間、隣り合わせの席だった僕らは、ノート一杯にクラスの座席表を書いて、誰が誰のことを好きなのか、情報を交換した。どうやら僕は赤い糸(もしくは赤い意図)に巻き込まれているらしかった。僕の耳たぶは、夕日に照らされる前に紅くなる癖を、そのとき身につけた。
ある日僕は体育の時間に、同学年の不良ともめ事を起こした。僕の悪口を茶色の髪をした不良が繰り返した。そんな挑発に乗りたくない僕は、無視を通した。僕は友だち数人といたのに、誰も何とも言ってくれなかった。(自分の身は自分で守れ?)僕は何度も繰り返される悪口で、次第に不機嫌になり、五分後に喧嘩をふっかけた。彼に向かって言った。やめてほしい、と。彼は僕の胸ぐらを掴んだ。殴られるかもしれないと思った。事実、彼は毎週もめ事を起こしては、人を殴っている。どうせ、いずれ殴られるのだろうと思って、僕は彼の手をほどいて、胸を押し返した。これからどうなるのか、分からなかった。しかし、なんの脈略もなく彼はこう言った。「あの女の家には行ったのか?」優衣のことだった。「全然行ったことなんてない」僕は答えた。「彼女の家って、とても遠いんだ」と付け加えると同時に「うちの近くにおかまバーあるから紹介してやるよ」と彼が言った。不良のピアスは奇妙に輝いていた。優衣との物語はこれで終わる。
僕らはみんな別々の高校に進学した。僕の高校はとても田舎にあって、ひとつの閉じた地域だった。一年が、そして二年が過ぎ、三年目、受験を迎えた。僕は退屈な授業を受けながら、一日二十四時間を着実に消化しているつもりった。しかし浦島太郎がそうであったように、僕の通った世界は、咲や優衣の通っている世界の時間速度とは微妙な差があった。世の中で一番恐ろしいのは、微妙なズレだ。誰もそのことに気付かないのに、それは確実に広がっていき、とうとう誰もぽっかり空いてしまった隙間を通れなくなる。
僕は竜宮城で過ごしたつもりはない。ただ酒を飲み踊った、という点では似ているのかもしれない。いずれにせよ僕はそこでの生活に慣れ親しんだ。僕はもう十八歳という年齢にきていた。
おととい地元で夏祭りがあった。毎年のことなのだけど、中学時代の友だちと集まり、近くの池で花火をして、その後で酒を少し飲んだ。「みんな変わってないね」僕は確かにおとといの夕方、こんなことを言ったのだ。その言葉の軽々しさに気付くのはその五分後。友だちの一人が前触れもなく、本当に何の前触れもなく、こう告げた。
z@)咲は十七歳で結婚した。
zA)優衣は毎日のように違う相手とセックスをしている。
zB)もうすぐ今日が終わる。
蛋白質(タンパク質)は一度熱を加えられると、もう元には戻らない。肉は一度焼いてしまうと、もう生々しい血の塊だった頃を忘れてしまうのだ。(お客様、お肉が冷めてしまいます)三つの事実を聞いて、僕は四十年の刑期を終えて監獄から出る人間のような気分がした。哀れな浦島太郎の気分と言ってもいいかもしれない。そして、吐き気がした。僕は彼女たちを、自分の住む世界の感覚で想像していた。しかし、そうでは決してなかった。彼女たちの蛋白質は、もう僕の知っている形質ではなかった。
僕は友だちに「明日、朝早いから」と嘘を言って、帰ることにした。はやく布団に潜りたかった。(ママー怖いよー)それなのに僕の二本足は、僕を咲の家の前まで運んだ。(ママー怖いよー)僕は深呼吸をした。あの日のように。咲のことが気になって家の前まで来てしまった七年前のように。
結局僕は彼女の家の前で、表札を指でなぞることくらいしか、思いつかなかった。きっと彼女は別の場所で今日を迎えているだろうと思うと、強烈に悲しくなった。やがてさっきよりひどい吐き気を催した。咲と同様、優衣もどこか僕の知らない場所で、何かを、僕の知らない表情で、見つめているのだろうと考えた。泣きたくても、涙は流れないらしい。
僕ははやく布団で眠りたかった。だけど部屋を暗くしてしまうと、無性に今までのことが愛おしくなった。それで、僕が失ってしまったものを文字に残そうと努力した。何を得て、何を失ったのか、自分でも分からなかったからだ。かつてシェイクスピアはこう書き残した。すべて世界は舞台である(All the world is a stage)、と。いま僕はその言葉の意味を理解した。そして夢のような劇は二度と繰り返されないのだと、悲しくも確信している。
街は灰色が覆っていた。重苦しく広がる殺風景。遠くに霞む砂利の道。あたりに無気力が漂い、どろっとした雲間から、弱々しい陽の光が差し込む。梅雨が近い。
圭一は目抜き通りを----かつての目抜き通りを----いまの世間が象徴するように、あてもなく歩いていた。通りには、焼け野原や、その中で孤独に焼け残った建物がある。それだけだ。晴れていれば、耳障りな飛行機が静寂を乱すが、こう曇っていると、それも滅多にない。頽廃(くさ)っていた。
砂利を踏む音が、虚空に散っていく。灰色の向こうから、人影が近付く。
「圭ちゃん。」
この聞き覚えのある声は小池だった。圭一の父親の友人で、小さなころから圭一とは親しい。片手には袋を下げ、呼びかけるのと同時に挙がるはずのもう一方は----ない。戦地で負傷兵となり、送り返されたのだった。以前は饒舌な男だったが、帰って来てからはすっかり喋らなくなった。圭一は、どうも、と軽く会釈をしてすれ違った。
家に戻ることにした。家に戻っても何かあるわけではないが、この街を歩いていても仕方がなかった。
圭一の家族は全員死んでいる。父親は白木の箱になり、母親は妹を産むときに、妹は栄養失調。まともな死に方をしていない、と思った。自分もまともな死に方はしないだろう。もう十六である。すぐに徴兵される。
小池には、五歳になる子供がいた。名前は知らないが、父親が帰って来て、いまは二人暮らしである。母親は空襲で焼かれていた。
長い夜だった。このまま永久に夜が続いていくような錯覚を覚えた。生への諦めが生み出した死への恐れ。降り続いていた雨は止んでいるようだ。心なしか明るい。月の光が、夜の緊張を一層強固にし----来た。空襲。
死の舞踏の拍子を刻む空襲警報が街に響き、人は防空壕に雪崩(なだれ)た。圭一にとって、敵国機の破壊の音は交響楽であった。悲しさ、虚しさ、儚さ、全てがにじんだ。おさまったのを見計らって、顔を出して外を見た。一面の闇。ありがたかった。しかし無情な空気が、周囲の破滅を圭一に知らしめた。
壕の中は、悲痛な声で埋まっていた。とりわけ圭一の耳によく聞こえたのは、一人の女性の声であった。
「ごめんよ…ごめんよ…。」
こればかりかと思うと、子供のものらしい名前を呼んでは、また、ごめんよと泣いた。彼女の側に、子供の姿はひとつもなかった。若い母親だった。「死ぬ」ということを、果たして知っている子供がいただろうか。
翌日、小池が命を絶った。横では五歳の息子が寝ている。不思議な画(え)だった。
戦争もこの国も長くはない、と圭一が感じ始めたのはここからであった。消滅に向けて、全てがひたひたと歩いている。
日の沈みかけた頃だった。山ぎわからの陽の光が、風景を刺す。
四十がらみの小男が歩いていた。圭一と目が合った。
「死にたいか。」
「生きてても…何もありませんから。」
「…よし。一緒に来るか。」
行動で返事をした。男についていくと、割ときれいで、大きな倉庫のような建物があった。蒼い闇が奇妙に映えた。
中に入ると、生臭い匂いがした。傍(そば)には、肉の塊。
「さあ、今日はもう遅(おせ)え。少し臭(くせ)えが、早く寝なよ。」
ぼろぼろの布団が用意された。それでも、もうなくなった自分の家で寝るよりはずっと良かった。圭一が布団に入ろうとすると、
「いや、ちょっと待て…。やめだ。お前、本当は死にたくねえだろ。…おまえの目は未来を見てる、不安だが、輝きのある目だ。俺は好きだ、そういう目が。生きなきゃだめだよ。いや、俺が死なせねえ。」
小男は言った。続けた。
「実はな……。ここの肉は、人間の肉だ。俺が今みたいに、連れてきた人間を寝かして、な。どれも覇気のない人間ばかりだよ。
こいつをヤミで売るんだ。なかなか悪くない商売だよ。だが、お前は生きるんだ。…どうだ、俺を手伝う気はあるか。」
不思議な衝動だった。人を殺す、という意識のないまま、引き取り手のない小池の息子を、「倉庫」に連れてきていた。
「ガキか。まあいいや。折角だ。一度くらいは見とけ。」
と、おもむろに刃物で子供の頭を切り落とした。頭の転がるグラリという音が、大音響で響き、その刹那、圭一の心に殺人の意識が戻った。自分の存在が信じられなくなった。
その間にも、男は子供の小さな体を切り刻んでいた。鼓動を続ける心臓、首から、体から流れ出る血液、小刻みに動く手、体…。肉を取り除いた後に残ったのは、およそ人間と思えない、無残な骨と皮だった。
「少し刺激が強すぎたか。でもな、覚えとけよ。…戦場ではな、帝国軍の兵隊が殺され、敵国の兵隊も、人も、殺されてる。一人や二人じゃねえ。何万だ。…俺だって、やりたくはねえんだよ。生きる為だ…。」
小男は、死体と肉を片付けてから言った。
「嫌なら、帰んなよ。」
圭一も徴兵された。たまらなく嫌だった。六月の雨が耳障りだった。
戦場で、鉄の弾が人殺しをしようと飛び交う中、圭一はただの一度も銃を使うことはなかった。異国に来ても記憶は変わらない。あの日の子供の姿、小男の言葉。引き金が重くなった。
遠い、名前も知らない異国の地、若者は曇り空の下に消えた。