私はだるい体を必死に動かしながら、一人歩いていた。 友達と口げんかをし、あげくの果てには走り逃げてきたのだ。 私は昔から友達づきあいが悪く、今回も自分の思ったことを ストレートに言ってしまい、けんかした。 自分で作ったけんかの種。 それを自分で始末できない所が、嫌いでたまらなかった。 私が家に帰る途中、それは私の目を奪った。 見知らぬ店。ものすごく古そうで誰も見向きさえしない。 今までそんな店見たことがなかった。 いつも通る学校への道なのに。 昔から好奇心旺盛な私は、ためらいもなく中に足を進めていった。 古めかしい臭いが鼻をくすぐる。 ぎゅっと握り締めていた手の平に汗を感じる。 私はそのまま歩みを進めると、そこには古い木で作られたテーブルと、 それに似てもつかないパイプ椅子があった。 私がその椅子に腰をかけると、キシッと独特の音がした。 テーブルの上には古びた黄ばんだ紙。 そこには「あなたに幸せを届けます。」と書いてあり、 すぐ下には「虹色シャーベット」と書いてある。 どうやらこの店は食べ物を売っているらしい。 私は丁度空腹だったので、これを食べることにした。 「すみません。誰か居ますか。」 私は声を張り上げそう言うと、ふいに極度にやせた男の人が私の近くに来た。 「この虹色シャーベットをいただけますか。」 と私が訪ねると男の人は無言でうなずき、どこかへ姿を消した。 ◆ ◆ ◆ 幸せかぁ・・・。 もらえるものならもらいたい。 でも簡単に手に入らないのは自分でもわかっている。 それでも心がホシイ、ホシイ。と泣いていて。 私はいつからこんな弱い心を持ったのだろう、 と疑問に思いながら、今の自分に迫り来る立場、状況をゆっくりと 頭の中に張りめぐらせた。 友達とけんかをして、家族にも自分の意見を言えないまま、すごす毎日。 学校の成績もいいとはいえない。 幸せなんて言っていられる心境じゃない。 むしろ地獄だ。 でも、可能性があるのならそれにすがりたい。 幸せになりたい― すると、さっきの男の人がトレイにシャーベットを乗せてやってきた。 私はそれを受けとる。 スプーンを取り、そっとすくった。 スプーンの中で鮮やかな色がキラキラと光っている。 私はそれを口に入れた。 それはすぐに口の中で広がり深い味わいをもたらす。 なんともいえない味。 まさに虹色と言う名前がピッタリのシャーベットだった。 とつぜん頭の中でいろんなシーンが出てくる。 友達とけんかした時― 走り逃げて来た時― 嫌な思いをした時― 苦い思いをした時― それらは頭の中で、交錯する。 それを考えるだけで涙しそうになる。 だけどそれは、口の中に広がるシャーベットが溶けるように はじけて消えた。 まるで、何もなかった事のように― はじけて消えた。 ◆ ◆ ◆ いつの間にかシャーベットは、なくなっていて。 口の中にはかすかにねっとりとした味が、まとわりついている。 私はまたあの男の人を呼ぶと、いくらかを聞いた。 男の人は黙って首を左右に振ると、またどこかへ行ってしまった。 私は恐る恐る店から出て、家の方に歩き出す。 振り返ってみると、もうそこには、あの店はなかった。 もともと、なかった物のように。 私は自分の心にゆとりがある気がした。 今まで悪いことをため込んでいた所に、すっぽりと穴があいている。 今度はココに楽しいこと、嬉しい事、いっぱい入れてゆきたい。 そうしたら今度は幸せになれる。 ふいに、私の頬に何かが流れた気がした。 次の日。私はけんかをした友達に囲まれていた。 面倒そうな顔を並べている。 「なにか用なの。」とか、「逃げたくせして。」とかいう言葉が聞こえてくるよう。 ついには、 「休み時間が減るから早くしてくれない?」 と、ため息まじりの文章が聞こえる。 私は深呼吸をすると勇気を出して、言葉を放つ。 友達はそれを聞くと、ビックリしたような顔つきになったが、 すぐに顔中に笑みがあふれだす。 「ごめんね。」 その言葉を言うのにそれだけ時間がかかったか。 どれだけ苦労しただろうか。 たった、4文字の言葉。 重い。この言葉は、重い。 だけど友達の、はちきれそうな笑顔を見ると心の中が暖かくなった。 涙しそうになったけど、唇をかみ締めておらえた。 うれしい。すごく嬉しかった。 この日私はちょっとだけ、自分のことが好きになれた気がした。 ○作者附記 この小説は私の友達をメインに書きました。シャーベットを売っている店などは本当のことではないけれど、友達の幸せを願って書きました。
ガラスの嵌め込まれた窓に、外界とこの部屋を遮る布はかかっていない。 満月に近い月はすでに中天まで昇り、もう真夜中と言っていい時間であることを示している。秋の空に煌々と輝くそれは、しんとした部屋の中を青白い光で満たしていた。 窓の隙間から入るわずかな風が気になりでもしたか、ハルは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。 まず目に入ったのは、隣で寝ているユウの丸く幼い指。そのあまりの近さに驚いたが、一呼吸置いてから静かに上体を起こした。青い畳の上には、何枚もの薄掛けが重なり合い、波のように陰影を作っている。 施設に預けられてからというもの、そこで知り合ったユウや、ユウをずっと見てきたというソラ先生との交流も増えていた。それはハルが望んだものというよりも、彼らに半ば無理矢理のように付き合わされての結果だ。だからこうしてソラ先生のところで、夕飯を共にしながら話し込み、そのまま雑魚寝するなんてことも珍しくなくなった。今この部屋には、思い思いに布団を身体に巻きつけて寝入っている男と少年と、それを眺める少女だけがいる。 ふいに、足元で気配がする。 肩越しに顔だけ振り返らせると、離れた床のクッションの上でまどろんでいた猫が起き出して、うんと伸びをしている。やがて軽い足取りでハルの元に近寄ってくると、膝の上にしなやかな前足を掛け、目を細めて甘えるような仕草で見上げた。 おいで。 声には出さず唇の動きだけでそう言って、ハルは猫を抱き上げた。猫は低く喉を鳴らし、耳の後ろを探るハルの手に身を預けている。 ずいぶんと重くなった、とハルは思った。最初にこの猫を抱いたときは、まだ両の手のひらにすっぽりと収まる程度で、今のように腕で抱きかかえたら潰してしまうのではないかと心配するくらいに小さかった。 確か、木々の青い匂いを立ち上らせるようにして雨が降っていた初夏。五感に感じられる全てが、これから来る季節の生命力を誇示しているというのに、木の下に置かれた小さな箱の中には死が忍び寄っていた。 「酷いこと、する奴がいるんだな」 目尻に浮かべた涙を隠しもせずに、ユウは押し殺した怒りを見せた。 捨てた人間にも雨風を凌がせようという程度の心は残っていたのだろうか。けれど木の根元に置かれた箱は、続いていた長雨ですっかり水気を含んでしまっている。中には息絶えた子猫が三匹。そして、二人をここまで呼んだ、たった一匹残った猫が、兄弟達の死を悼むかのように弱々しい鳴き声をあげていた。ハルがその小さな命をそっと抱き上げると、猫は縋りつくかのように腕に鋭い爪を立てる。 「なあハル。まだこいつらあったかい……」 「うん」 「俺達ががもうちょっと早く気付いてれば、あと一時間でも早く来てれば、助けてやれたのかな」 「さあ、どうだろうね」 今はどうしてやることもできず、後で必ず埋めてやろうと言ってユウをその場から引き剥がし、二人はひとつの傘に肩を寄せ合うようにして濡れた地面を蹴った。 薄汚れた猫は濡れた毛がしっとりと張りついている。 「そいつだけでも、助けてやらなきゃ」 「ユウ、猫飼ったことあんの」 水を向けるとユウはぐっと唇を噛んだ。ハルにも、こんな小さな猫を手元に置いた経験などない。 「ソラ先生んとこが近いよな」 縋る藁を見つけたように顔を上げたユウに、ハルも頷く。二人の歩みは自然と速くなり、最後は駆け出すようにしてソラ先生の家の扉を叩いた。 「アレ、どーしたのお前ら、珍しい」 上がり框から身を乗り出すようにして玄関を開けたソラ先生の目には、猫を抱えて必死の形相の少年と少女が映っていたことだろう。 「ソラ先生っ、こいつ助けて」 傘を閉じることも忘れて叫ぶユウに、ソラ先生の眉が柔らかく下げられた。 「キレイにして、あったかくして、腹いっぱいにしてやれば大丈夫だと思うんだけどね」 少年達を散らかった部屋に上げると、こればかりは清潔そうなタオルを三枚取り出して、一枚ずつ彼らの頭に放る。そして残ったタオルを湯に浸し固く絞ると、ソラ先生は子猫の体を耳の先から尻尾まで丁寧に拭ってやった。 「四匹いたよ。息があったのは、こいつだけだったけど」 ハルは、黙ってソラ先生のされるがままになっている猫から目を離すことができなかった。ついさっきまで自分の手の中にあった命が、目の前で失われるかもしれない。一年ほど前まで生と死が隣り合わせの家庭で暴力に耐える毎日を送っていたのに、自分でもおかしいと思うくらいに鼓動が高鳴っていた。 「ソラ先生、これでいいかな」 勝手に皿に注いだ牛乳をユウが持ってくる。小さな猫が泳げてしまいそうなほどなみなみと白を湛えたその皿をテーブルに置くとユウは、ハルの隣で同じように猫に見入った。 「ハル?」 ソラ先生に呼ばれ、はっと目を上げる。 「その牛乳、指につけて飲ませてやって」 言われて、冷たい牛乳に小指をつけると、落ちた滴がぽつんと小さな音を立てて波紋を作った。そっと口元に近づけてやると、猫はねだるようにして指を吸う。温かな舌と生きたいという意思に触れて、ハルはびくりと震えた。 猫が求めるままに、何度も繰り返した。その度に跳ねる水音は、あの木の下で冷たくなった子猫達の上に降り注ぐ、雨の音にも似ていた。 結局その猫は、ソラ先生の元にもらわれて行った。 すっかり元気になった猫は、灰色の綺麗な毛に身を包み、大きな緑色の目でハルを見た。瞳を閉じたまま土の中に眠る兄弟猫達の目も、やはり同じような色をしていたのだろうかとハルは思った。 次第に人にも慣れ甘えることを覚えた猫は、どういうわけか飼い主であるソラ先生よりも、たまにしか訪ねてこないハルに懐いている。 忘れていたような、穏やかな団欒とも呼べる時間を持つことは嫌いではない。けれどやはり、この家を訪ねる本当の目的は、この猫の方にあるような気がしていた。 こうして大勢で夜を過ごすようになってから、知ったことはいくつもある。 まるで幼い頃に優しかった母親に添い寝された思い出が蘇るように、人の吐息を近くに聞いて眠る心地よさや、時々寝返りを打って触れ合う他人の肌。けれどなにより、薄い布越しに猫を抱いて眠る感触は予想外の発見だった。普段はあまり晒さない上腕の内側で、たおやかな猫の肢体を包むという感覚は、何だかとても心に暖かな火を灯してくれた。 擦り寄った猫の温もりに眠気を誘われて、ハルはそっと腕を解いて布団に下ろすと、薄掛けを上げて胸元へと猫を誘った。横になったハルの腕の中、タオルを適当に重ねただけの枕と布団の窪みへ身体を寄せるようにして丸くなった猫に、僅かな苦笑を漏らしながら、ハルは頭を落としてその背を撫でた。 おそらく自分やユウを気遣ってこうした時間を設けてくれるのであろう大人達は、何もかも見透かしたような振りをする。 でも本当は私が、この猫の方が好きだなんてこと知らないでしょ? ささやかな秘密を胸に、おやすみとそっと呟いて瞼を下ろす。 そんなハルのことを、ガラス越しの月だけが見ていた。