第6回中高生3000字小説バトル全作品一覧

#題名作者文字数
1通信欄古賀 明治1371
2真夜中の散歩道chobo2952
3クリスマスイヴ・不思議な出会いnia2203
4純白の羽根蒼河香織1714
5夕暮れの教室山下 まゆこ2771
6彼女が髪を伸ばした理由蔦手2181
7カウントダウンをしよう!Lapis3000
8思春期あきあきら2713
9独り言南城圭一2942
10(本作品は掲載を終了しました)
11飛行機は虫を乗せて―――華丸縛り2720
12雨をよごしたのは誰彩霞3000
13リベンカ左右田紗葵2100
14Stairway.松島 筑一2941
15涙に関する災難葛籠 令人3000

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Entry1

通信欄

私はある文芸サイトのスタッフだ。このサイト内のコンテストでは、あまたのインディーズ作家が自らの投稿作品でグランプリの座を競っている。毎月送られてくる小説は、インディーズならではの新感覚が感じられ結構楽しめる。今日もまた、新たなる作品が送られてきた・・・

”古賀メイジ作 「愛のトリカブト」

ある所に、しがない無名作家がいた。・・・”

うーむ・・・。作品に目を通してみたが、その内容はあまり褒められたものではなかった。設定はありきたりだし、表現は陳腐。古賀くんはどうやら初投稿のようだが、経験の無さを差し引いてもイマイチと言わざるを得ないだろう。私はいささか
失望しながら、「通信欄」に目を通した。「通信欄」は我がサイトにおける作品の
投稿箱、すなわち送信フォームにある記入事項のひとつで、作者が自分自身や自分の作品についてあれこれ書きつづるものだ。
どれどれ、古賀くんは何を思ってこの作品を書いたのか・・・。

《通信欄↓ ※ここに記入された内容は掲載されません。》

「私の書いた小説『愛のトリカブト』は楽しんで頂けたでしょうか。つたない文章で申し訳ございません。突然ですが、今回私が作品を投稿させていただいたのには
理由があるのです。実は私、今人生に希望を無くしているのです。つい先日、私の父が自殺したのです。会社をリストラされた翌日に首を吊ってるのを私が発見しました。父は以前から家庭の中でも煙たがられていて、収入が無くなってしまっては家での存在理由が完全に消えてしまうと思ったのでしょう。私はショックのあまり
声も出ませんでした。しかしもっとショックだったのは、それを見た母の行動でした。何と母は保険金を手に入れるため、父の死を物取りの犯行に見せかけようとしたのです。計画は成功し、母は多額の保険金を手に入れました。しかしそれと同時に、私は人間のもっとも醜い姿を見てしまいました。
そんな中、私の唯一の喜びは、もうすぐ訪れる姉の幸福の瞬間でした。姉は以前から交際していた恋人との結婚が決まっていたのです。ショックからも立ち直り、式も予定通りに行われるはずでした。しかしつい1週間前、その喜びは断ち切られました。姉が薬を飲んで自殺したのです。遺書によると、姉はその前日見知らぬ男に
レイプされたのだそうです。大切なひとを裏切ってしまった、もう顔を合わせられない―――そう書かれてありました。
こういう訳で、私は希望を無くしています。そこで、以前から存在を知っていたこのサイトのことを思い出して最後の賭けをしようと思ったのです。もしこのサイト
のコンテストでグランプリを取ったらまだ人生をあきらめずに生きる、取れなかったら父や姉の後を追おうと・・・
これが私の『理由』です。グランプリを取れるよう祈ってます。あ、それと、この
通信欄で審査の結果が左右されるようなことが無いようにしてください。実力で勝たないと嬉しくないですから。グランプリに選んでくださった際には、どこが良かったのかしっかり示してください」

私は今回のグランプリを彼に捧げることに決めた。この状況で本当に実力を優先させるような選考者がいるとしたら、罪悪感というものが全くない人であろう。私は
人一人の命を犠牲にしてまで文学の何たるかを追求するつもりはない。

さあ、私がこの作品を選んだ「理由」を考えなければ・・・。


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Entry2

真夜中の散歩道

人にはそれぞれ、心の安定剤と言うものがあるのだと思う。音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見て泣いてみたり。それと同じように、わたしの中にも心の安定剤と言うものが存在する。それは決まって、静かな夜に行われた。
青白い丸い月が黒曜石の色に染まった夜空の上にぽっかりと浮かんでいる。その月から少し離れたあたりには、今は見えない太陽の光を反射してきらきらと輝く小さな貝殻達が、静かに眠っている。私はそんな夜空の下をゆっくりと歩きながら、静まり返った家々の間を、まるで物音一つ立てないで歩く猫のようにすり抜け、真夜中の探検を一人で楽しむ。冷たい北風に冷やされた真冬の空気はまるで今、地中の奥深くから湧き出た清らかな水のように冷たく、澄み切っている。
私が真夜中に近所を散歩し始めたのは、今からちょうど一年前になる。可愛い一人娘だからなのだろうか、それとも元々勉強が出来る頭を私が持っていたからなのか、私は両親からの予想以上の勉強に対しての期待に押しつぶされそうになり、家の中で息苦しくなった私は両親が寝静まった真夜中に家を抜け出し、深夜の住宅街へと散歩に出たのだ。それからと言うもの、私は何かあると夜に家を抜け出し、散歩をするようになった。
深夜の住宅街はまるで、別世界へと来てしまったのではないかと言う思いにさせられる。灯りがついている家は一軒もなく、誰も住んでいない空き家だけが永遠に続いているように見えるのだ。駐車場に停められた車や自転車からは、生活のぬくもりが感じられず、時折聞こえてくる消し忘れのテレビの音は、どこか遠い国の言葉で歌われる音楽のように聞こえる。庭で飼われているペットの犬達も、私を見ても吠えようとはしない。全てが静寂と言う見えないベールに包まれ、透明人間のようになってしまったかのようなのだ。
私はその空気が好きだった。普段の日常生活では味わえない空気が、真夜中の住宅街の中に当たり前のように漂っている。
私は小さく深呼吸をすると、後ろを振り返ってみる。月明かりだけに照らされたアスファルトの道路が幻想的に浮かび上がり、私が歩いた部分だけが青白く光っているように見える。私はその部分を目で辿って行く。段々と遠くになるにつれて真っ黒な暗闇が目立つようになり、最後には大きな口を開けた暗闇が全てを包み込んでしまい、何も見えなくなってしまう。その暗闇も、私は好きだった。
その暗闇の向こうには、一体何が隠されているのだろう。その暗闇に呑み込まれてしまったら、私はどうなるのだろう。私は自分の背後に広がる暗闇を見ては、よくそう考えた。暗闇に隠された見えないものを掴もうと、何度も手を伸ばしてみたが、暗闇は空気と同じようなものらしく、掴んだり暗闇に隠されたものを見たりする事は出来なかった。
公園に続く坂道を歩きながら、私は真夜中の夜空を見上げた。夜空はまるで夜の海のように黒一色に染められ、その海の奥深くでは月や貝殻に似た無数の星達が輝いている。私はその空に向かって大きく息をはく。私の口からはかれた暖かい息は一瞬にして外の空気に冷やされ、白い煙となって消えて行く。私は何度もそれを繰り返しながら、まだ小学生だった頃の自分を思い出した。まだ、自分のやりたい事を素直に行っていた自分を。
小学生の私は、きっと今の自分よりも輝いていたと思う。自分のしたい事は進んでし、興味のある事はとことんのめり込んでいっていた。まだ両親が勉強についてあれこれ言わなかったので、本当に今の自分よりも自由に過ごしていた。自分の思った事や感じた事も、はっきりと相手に伝えていたと思う。自分の前に立ちはだかる困難と言う壁も、どうにかして自分の力で乗り越えて行っていた。今の私よりも何百倍もの力を持っていた。
そんな私は中学と言う学校に通い出してから変わった。両親からの熱い勉強に対しての期待は私の背中に重くのしかかり、その期待に答えようとする自分と、その期待から逃れようともがく自分とが、しばしば心の中で衝突しあった。その衝突から生れるあきらめの気持ちを持つ自分が、今の私の中に溢れかえっている。勉強が出来なかったり、友達に裏切られた時に「どうでもいい」と感じる自分がいる。運命の気まぐれにもてあそばれている自分が、今の私なのだ。それと同じように、自分の前に立ちふさがる壁から逃げている自分もいる。「どうでもいい」が今の私で、昔の私のようにきらきらと輝くものも、今は持っていない。
公園につき、私はブランコの隣にある木のベンチの上に座ると、さっきと同じように顔を上げ夜空を見上げた。丸い大きな月が暗闇に染められた雲によって隠されようとしている。その暗闇の向こうには一体何が隠されているのか。私の心の中で、誰かが冷たい静かな声で呟いた。
月はすっぽりと隠され、今まで明るかった地面が急に暗くなり、私は少し寂しくなった。空では月が消えたのにも関わらず、小さな貝殻達はさっきの輝きを失わない。
「あなたは強いのね」
ふいに誰かが私の心の中で、私に向かって言った。
「あなたは強いね。強い子だね」
一番の友達に裏切られた時に、私が何も悲しんだりしていないのを見て、友達が言った一言だった。「強いね」と言う言葉に、私は心の中で何度も首を横に振った。私は強くない。強い子でもない。私は弱い。それも、歳を取る度に段々と「弱く」なってきているような気がする。
確かに体力的には強くなったと思う。けれども、精神的には弱くなっていっている。小学生の頃の自分の方がとても強い。それも、今の私よりか何百倍もの力を持っている。どうして私は弱くなっていっているのだろう。どうしていつも「どうでもいい」と、すぐに感じてしまうのだろう。目の前にある壁を、どうやって乗り越えればいいのだろう。
小学五年生の時、私は作文で自分の将来の夢について書いたことがあった。「看護婦さんになりたいです。」と書いたのを覚えている。その夢は今でも密かに私の心の底で眠っている。その夢に向かって歩いていけば、果たして強くなれるのだろうか。
私は机の引き出しの奥にしまっている看護学校の資料を思い出した。二年前、久しぶりに会った従兄弟に看護婦になりたいと打ち明けた時に、従兄弟が私に送ってくれたのだ。私はその資料をもう一年ほど引き出しの中から出していない。
「ありがとう」
私は電話で従兄弟に礼を言った。「頑張ってね」そう従兄弟は私に言った。
いつのまにか月は雲から顔をだし、私が今から帰る家までの道路を照らしている。私は立ち上がり背中を伸ばした。そして大きく息をはいた。
私はどうやら知らない間に、私自身の将来に向けて歩き出していたらしい。無気力で何も考えていない私の隣では、もう一人の私がきちんと将来を考えていたのだ。後は私の「あきらめない」気持ちだけだ。
私はゆっくりと歩き出した。私の頭の上では丸い月が優しく微笑んでいる。
強くなる方法はわからない。小学生の時に持っていた力の取り戻し方もわからない。けれども、私はとりあえず夢に向かって歩いてみる事にした。そうすれば、いつかは分かる時が来るだろう。いつかは、今の自分よりも強くなっている自分に出会えるだろう。小学生の頃に持っていた強さには及ばないかもしれないが。


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Entry3

クリスマスイヴ・不思議な出会い

クリスマス・イヴ、街は華やかな熱気に満ちています。
お店のイルミネーションと人々の笑い声はとても綺麗なハーモニーを紡ぎだし、
天から舞い降りた雪たちはまるで天使のようなのです。
 モミの木は、そんな熱気の中心に居ました。その大きさと来たら、
街のまん真中にポセイドンが現れたかと思う程でした。
力強い根に、堂々とした葉。何一つ恥じる事無い木なのです。
しかし、モミはいつも淋しく背を丸めて立っているのでした。
(また人が僕の前を通り過ぎていく。でも、僕を気にかけてはくれないんだろうな。
僕に付けられた綺麗な飾りに心奪われても、こんな僕は見向きもされないんだ)
 モミは友達が欲しかったのです。沢山の友達と、思い切り語り合ってみたいのです。
でも、モミに友達は居ませんでした。モミの周りに色とりどりの花や、力強い木々達は誰一人として居なかったのです。
(昔は良かったなぁ、野原に集まったリス達と遊んだり、チューリップ達の美しい歌を聴いたり。
でも、皆いなくなってしまったんだ。突然現れた大きな鉄の塊が、僕を残して全部切り倒して行ってしまったんだ)
 モミの周りにあるのは、もうコンクリートのブロックや、厚いガラスの壁なのです。
そう思うと、モミは何だか悲しくなってきました。自分がこのまま一人ぼっちで枯れてしまうのが怖かったのかもしれません。
モミはただ通り過ぎていく人を見つめながら、ただ立っていました。
ずっとそうだったのです。そして、きっとこれからも。
 夜になってモミは変な音を聞きました。ガリガリという音です。とがった物が、コンクリートを引っ掻く音なのです。
モミは慌てて身体を起こしました。初めて会う「何か」に恥ずかしい姿は見せられないと思ったのです。
「何か」はゆっくりとコンクリートを掻きながら歩いてきて、やがてモミの広場へとやってきました。
「何か」とは、一匹のライオンでした。でも、モミの木はライオンを見たことが無かったので、
ライオンが恐ろしいものに見えてしょうがありませんでした。
ライオンはゆっくりとモミに近づいてくると、静かに口を開きました。
「やぁモミの木、君もひとりぼっちかい?僕もなんだ」
モミは驚いて葉を揺らしました。木々やリス以外に自分に話し掛けてくれる人が居ただなんて。
「そうなんだ」
モミは自分でも気がつかないうちに口を開いていました。
ライオンはそれを聞いてにこっと柔らかい笑みを浮かべました。
「君と話がしたいんだ。僕はそれを待っていたんだ」
モミはライオンの言っている意味がよくわかりませんでした。
でも、誰かと話したくてしょうがなかったモミはあわてて口を開きました。
「僕もそれを待ってた。風がそよぐ事や、太陽がさんさんと輝く事を誰かとたくさん話したかったんだ」
それを聞いて、ライオンはますます嬉しそうな顔をしました。
「そりゃあいい。僕も風がそよぐ事や、太陽がさんさんと輝く事を誰かとたくさん話したかったんだ」
 モミとライオンは沢山話をしました。この前気持ちいい風が吹いた事、この前太陽が一日中姿を見せなかったこと、 
星が信じられないくらいたくさん輝いたこと。とても楽しい時間でした。
 しばらくすると朝になってしまいました。すると、ライオンは悲しい顔をしたのです。
「僕はずっと動物園に居たんだ。ライオンは僕だけで、誰とも話せなかった。
 シマウマ達は僕が話そうと近寄っていくといつも逃げてしまうんだ。僕はただ話がしたいだけなのに」
モミは大きく頷きました。自分もまったく同じだったからです。
「僕もずっと誰も居ない所で立ってた。人間は僕の飾りを褒めるだけで、僕に語りかけてはくれないんだ。
 でも、もう大丈夫だよ。これからは毎日君と一緒に話して、木の葉の話や、綺麗な水の話ができるんだからね」
モミは嬉しそうに微笑みました。でも、ライオンはもっと悲しそうな顔をしたのです。
「どうしたんだい、ライオン。僕と話すのは嫌いかい?」
すると、ライオンは大きく首を振りました。
「そんな事はないよ。君と話すのは美味しいお肉を食べる事より、
 美味しい水を飲むより、ずっと楽しかった。でも・・・・・・」
 ライオンがそう言った途端、パーンという大きな音が辺りに響き渡りました。
モミはそれが「銃の音」だとはわからずに、びっくりして音がした方向を振り向きました。
そこに居たのは黒い服を着た男の人たちでした。男たちはモミに近づいてくると、ライオンの前に立ちました。
そして、それと同時にモミは目の前で起こった出来事を知らずにはいられませんでした。
「ライオン!」
ライオンはぐったりと倒れ、体から赤い水を次々と噴出していました。
「ライオン!どうしてしまったんだい!?」
モミはライオンを呼びつづけました。しかし、ライオンがまた元気な笑みを見せてくれる事はありませんでした。
男たちはライオンの前にかがみこむと、黒い箱で誰かと話しているようでした。
「ライオンを発見しました。ええ、街の中です。暴れまわったら大変でした。
 銃で殺しておきましたよ。じゃあ、今から連れて帰ります」
男は黒い箱をポケットにしまいこむと、遠くへと引きずっていってしまいました。
「ライオン・・・・・・」
モミは一人で泣き続けました。ただ、泣き続けました。
ライオンが居なくなってしまったことが、とても淋しかったのです。
 時間が経ち、しだいに街に活気が戻りはじめました。
今日もまたモミの寂しい一日が始まりました。


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Entry4

純白の羽根

真っ白な蝶が、わたしを誘うかのように飛んでいた。
なんで・・・・こんなところにまで来ちゃったんだろう?
辺りは、森。木々がどこまでも続いている。
地面には、ところどころイバラがはえていて、いちいちそこをよけなければいけなかった。
しかも、ゴツゴツした岩もあるし、枯れて倒れた大木もころがっている。
こういうのを、ホントの山道というのだろうか。
わたしが、あの純白な蝶を見つけて、ここまで追いかけてきて、どれくらいたったんだろう?
まだ五分くらいしか走っていないかも。
だけど、三十分も走っていた感覚にも思えた。

私は、三日ほど前からお母さんの実家の、この田舎へきていた。
そして、なんとなく、田舎の道を歩いてみたくなって、外にでた。
そしたら、あの真っ白い、純白の羽根の蝶を見つけたんだ。
その蝶は、わたしの周りを一周フワリと舞うと、ガラスの欠片のような、きれいな銀色のりんぷんがあたりに散った。
そして、ほんの一瞬だけ。
ホントに一瞬だけ、その白い羽根が、雨上がりの虹の色になった気がした。
それになぜか惹かれて、自然と蝶の方へ体が行ってしまった。
そして、こんなところにまで。

「待って・・・・ちょっとくらい止まってよっ」
わたしは、走りながら声をはりあげる。
そんな私の言葉が、分かるはずないけれど、蝶は一回転しながらフワリと舞って、銀色のりんぷんを散らせながらまた森の奥へと飛んでいった。
つられて、わたしの足も速くなる。
「待って・・・・待ってよ・・・・・」
息もきれてきた。スピードが落ちていく。
我慢できなくなって、とうとう、ゼーゼーとすわりこんだ。
当然のことながら、蝶は、またフワリと舞うと森の向こうへ消えていった。銀のりんぷんをのこして。
「あ、ちょっと待って!」
わたしは腰をおこすと、今度はゆっくりと歩いていった。
もう走る気力もあまりなかったし、歩いていれば、もしかしたらあの蝶が葉っぱにとまっているのを見つけられるかもしれない。
しばらく歩いたけれど、蝶は姿を見せなかった。
「あんまり奥へ行くと、帰れなくなるかもしれないし・・・。でも、どうやって戻ればいいんだろう?一直線に走ってきたような気もするんだけど・・・・」
わたしは後ろをふりかえった。
ダメだ。森が広がるばかりで、あの田舎の町は全然見えない。
薄暗くて、樹のほんの少しの隙間からはいってくる日光だけがあかりなのだ。
その時だった。
フワッと、春風のような風が頬をなでた。
「なに・・・・?」
思わず、前を向く。
そこには、木製の椅子に座っている、女の人がいた。すごく美人だ。
銀色の髪の毛に、純白のドレスを身にまとった人。
真っ白なドレスが目をひいた。純白のウェディング・ドレスを思わせるような服だった。
「あの・・・・あなたは、誰・・・ですか?」
思わずそんな言葉が口から出た。
あまりにも唐突な質問にも関わらず、その女の人はニコリと笑い、こちらへ近づいてきた。
そして、あなたは?と聞いているように、手でしめした。
「わたしは・・・・サツキです。ここは・・・どこなんですか?」
質問を変えてみた。
それでも、女の人はニコリと笑うだけで、何も言おうとしない。
優しそうな微笑み。
その微笑みに向かって、わたしはオズオズと、また違う質問をしてみた。
「どうしたら、この森から出れるんですか?どうしたら・・・帰れるんですか?」
すると、女の人は、すこしだけ驚いた表情を見せると、また、すぐニコリと笑って、わたしの頬に手をふれた。
さっきみたいに、春風が頬をなでたようだった。
そして、その女の人の真っ白なドレスが、あの真っ白な蝶のように、ほんの一瞬。
ホントに一瞬だけ、雨上がりの虹のような色になったかと思うと、わたしの体を、暖かい風がつつんだ。

―――――・・・・・

わたしは、田舎の町の道にいた。
ほんの何分か前、ううん、何時間だったかもしれないけれど、歩いていた場所に。
何も変わっていない。何も変化はない。
わたしも、森のなかを走ったにもかかわらず、泥よごれ一つない。
ただ、なにか銀色の欠片のような粉が、パラパラと体についていた。
「なんだったの?あれは・・・あの人は――――」
わたしの頬には、まだ、あの春風のような感覚が残っているような気がした。


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Entry5

夕暮れの教室

 子供達の声が聞こえてきます。 朝日が差し込んで少し暑いなと、私は、思います。それでも、誰かがそれに気がついて、私の、場所を変える事は無いと思います。私が、そう思っている事には気が付かないだろうし。ましてや、私が、そう伝える事も出来ないわけですから。
 私は、もういくらか前から、この場所にいます。いつからなのかは、もうぼんやりとしてしまって、思い出せません。それが、私に、与えられた場所なのです。今更、移動したいと思う事もありません。物とは、そう在るべきだと、私は、思います。
 水曜日になると、掃除当番の子供達は、私に、被せたビニール袋を新しいものと交換します。私の中に、収められていた灰色をした要らないもの達は、キュッとビニール袋の口を閉じられて密封されます。
 子供達のじゃんけんをする声が聞こえます。彼らを誰が運んで行くのかを決めているのです。
 じゃんけんに負けた男の子は、めんどくせぇなぁと、呟きました。私は、ここに来た当初、子供達に疎んじられる灰色達を、可哀想に思っていました。嫌われる、避けられる、煙たがられる、という行為は不快な気持ちを引き起こすものだからです。
 月日が経つにつれて、彼らは、この教室で必要とされていない事に、気が付きました。必要とされないという事は、嫌われたりするのとは違うと、私は、思います。それからは、子供達の言動を当り前のように受け止めています。必要とされないものは、無くならなくてはならないのです。
 私は、毎日毎日灰色達が必要とされなくなる様子を見つめてきました。子供達は、灰色達の事を、ゴミと呼んでいました。
 ゴミ。
 私は、子供達に必要とされなくなったものが、そう呼ばれるという事を、理解しました。

 しばらくしてから、クラスの子供達の中で、ゴミと呼ばれる子供が、いる事に気が付きました。私は、彼がゴミと呼ばれているのに、毎日教室にいる事がとても不思議でした。彼は、大抵独りで机に座っていて、何をするでもなく、黙って俯いていました。彼の教科書には、他の子供によって描かれた落書きがありました。時々、彼の椅子が、無くなっている事もありました。そういう時、彼は、机の前から姿を消しました。そして、そのまま最後の授業が終わるまで教室には姿を現しませんでした。
 その日の帰りのホームルームには、決まって担任の先生が、苦い顔で子供達に話をしていました。弱い者を、いじめるんじゃない、と、いうような事を言っていました。
 それを聞くたびに、彼は、弱いのだろうか、と、私は、思いました。彼に対して、他の子供達が、何かをする時、彼らは、常に複数でした。彼は、いつも独りで黙っていました。大勢でしか行動が出来ない方が、弱い者ではないのか、と、私は思いました。
 しかし、担任の先生が、そういうのでしょうから、彼は、弱い者なのかもしれません。私は、そう、納得しました。

 西日の強い夏の夕方。もうすぐ夏休みが始まるので、子供達は、早く家に帰っています。私は、このままでは溶けてしまうかもしれない、と、思いました。暑い教室には、誰独りいません。静かです。私は、外から聴こえる、蝉の声に耳を傾けていました。

 不意に扉の戸が開きました。先生かと思いました。けれども、そこに立っていたのは、ゴミと呼ばれている少年でした。
 彼は、躊躇せずに私の前に来ました。私は、彼が、灰色達のように、私の中にすっぽりと収まるのだと思い、彼は、私よりも大きいから、入らないだろうと考えました。誰も、彼を、私に収めなかったので、彼が、自ら入りに来たのだと思ったのです。必要とされないものは、灰色たちと同じようにならなければいけないのでしょう。それが、必要とされていないものの義務なのです。
 彼は、私のことをじっと見下ろし、そしてポケットに手を突っ込みました。何をするのだろう、と、思っていると、彼は綺麗な色をしたものを取り出しました。それは、真ん中が丸い球状になっていました。ガサガサという音を立てながら、彼は、それを壊しました。綺麗な色のものは、2つに別れました。
 甘い匂いが、私の嗅覚を、擽ります。彼は、球状のものを、自分の口の中に入れました。そして、綺麗な紙切れのようなものを、私の中に落としました。もう一度、ポケットに手を入れると、同じような事を、何度も繰り返しました。
 私の中に、色取り取りの甘い匂いのする紙切れが、積もっていきます。

 何度目かのその行為が終わると、彼は、壊さないままの綺麗な色をしたものを、彼の机ではない、他の子供の机の上に置きました。それに、机の中にも。
 その机の持ち主は、友達を引き連れて、いつでも彼に、何かをしていました。子供達と一緒になって、彼の椅子を隠したのも、その子供が、言い出したことでした。いつも、学校に遅刻をして来る子供です。彼の事を、「ゴミ」と言い出したのも、その子供のようでした。
 彼はドアをきちんと閉めて去っていきました。
 明日は終業式です。

 朝日が暑い。子供達の声が、聞こえ始めました。私は、私の中に入った甘い匂いに、溺れてしまいそうでした。今まで、そんなものを入れたことはありませんでした。慣れない匂いは、私を、複雑な思いにさせました。けれども、なにか幸福なような気持ちもしました。灰色達でなくて、今日の私は色取り取りの紙切れを収めているのです。
 彼らは、誰もに、必要とされているに違いありません。こんなにも、良い匂いがしていて、綺麗なのですから。私は、今まで必要とされないものばかりを収めてきたので、とてつもない優越感を感じました。

 甘い匂いがする、と、言ったのは、女の子のようだった気がします。そして、クラスは、俄かに騒がしくなりました。
 私を覗き込んだ、誰かが、言いました。飴じゃないの?この匂い。それを聞いた、他の子供が言います。誰が持ってきたんだろう?口々に子供達が、話し始めます。 
 
 先生に怒られちゃうよ。 あれ? 和馬君の机に飴玉乗ってるよ。 もしかして和馬がやったの? 馬鹿だなぁ。あいつ、どうするんだろ。 あ、もうすぐ先生来ちゃうよ。 和馬のヤツ、今日も遅刻かな? 昨日の放課後にでも、食べてたんじゃねぇの?

 ざわざわと、子供達の間で推測の声が挙がります。どうやら、子供達にとっては、あまりよくない事のようです。

 私は、彼の横顔をチラッと盗み見ました。彼は、いつものように、黙って俯いています。それでも、いつもとは違うように、私は、思いました。もしかしたら、彼は、とんでもない事をしたのではないでしょうか?それも、たった独りきりで。やはり、彼は弱い者などでは、なかったのです。

 私は、彼が、私の中に収めた紙切れを、誇らしく思いました。朝日に反射して、紙切れは、キラキラと輝いています


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Entry6

彼女が髪を伸ばした理由

 彼と初めて会ったのは、大手企業に就職した私の、初仕事の日だった。
 私はこの春、偏差値ばかり高くて大した授業を聴かせてくれない、それでも割と名の通った大学を結構な成績で卒業し、この就職難の時代(特に女子の就職率は最悪だ)にこれまた名の通った大企業に就職した。エリートコースまっしぐら、先行きは明るく開けている。
 そしてまた彼も、同じような人種だった。
 偏差値の高さと学費の高さでは日本随一の私立大学を出て就職し、私と同じ部署に配属された。ただ、これは後から知ったことだが、彼の父親はこの会社の幹部らしい。ゆくゆくは彼がそのポストを継ぎ、父親は名誉ナントカという名ばかりの地位について隠居するのだろう。そういう家庭に育った人だ。
 彼は一目で上等のものだと分かる濃紺のスーツできっちりキメていて、細身の身体からはいかにもおぼっちゃま、という雰囲気を醸し出していた。そして、割と整ったまだ幼さの残る顔を引き締めて、新入社員の松沢宏樹です、よろしくお願いします、とマニュアル通りの自己紹介をした。
 私はと言えば、いかにも安っぽいパンツスーツを着て、就職活動ですっかり板に付いた営業スマイルを顔に貼り付けて、やっぱりマニュアル通りの自己紹介をしたのだけれど。

 ようやくまともな仕事(コピーでもお茶汲みでもなく、上司が会議で使う資料を作るのだ)をさせてもらえるようになった頃のことだ。突然彼が、話しかけてきた。
 私は同期の女子社員ともまともに話したことがなかった。給湯室や女子トイレであげられる黄色い声の中に入っていく気は、さらさらない。それでもとりあえず、話しかけてくる人の相手はちゃんとしてる。お昼は自分で作った弁当を一人で食べた。入社直後に見つけた、割と見晴らしがよいのにほとんど人目につかない喫煙スペース。そこに彼は、ひょっこりと現れた。
 「金井さんって、いつもここでお昼食べてるの?」
 無邪気な顔で、そう訊いてくる。片手には会社の近くにある牛丼屋の袋。
 私がええ、と笑顔で返事をすると、彼も相変わらずの笑顔で、一緒に食べよう、と向かいの椅子に腰かけた。私は何も言わなかったけれど、彼は特に了解の声を求める様子もない。私はやっぱり何も言わなかった。
 入社してから2・3ヶ月、彼と私はそれなりに話をし、それなりにお互いの行動を見ていた。彼はいつも笑顔で、上司にも同僚にも好かれていた。飲み会の誘いにも大抵は笑顔でついて行ったし、どうしてもはずせない用事があって、と断るときも、本当に申し訳なさそうにしていた。私もとりあえず反感を買わない程度には付き合いをこなし、「物静かな人」という評価を与えられていた。
 彼は私の向かいで牛丼のふたを開け、紅しょうがをたっぷりのせてかき込み始めた。割りばしの持ち方が少し変だ。その姿を眺めながら、訊いてみる。弁当はもう、食べ終わっていた。
 「あなた、心から笑ったことある?」
彼はその声に顔を上げて、訊き返す。笑みの形に細められた瞳が茶色っぽい。
 「君こそ。」
私はその返事に満足し、ほんの少し微笑んで、水筒からお茶をそそぐ。
「お茶、どうぞ。」
「ありがとう」
彼もまた、微笑んだ。

 それから彼と、週に1・2回一緒にお昼を食べるようになった。それ以外の日、彼は上司や先輩、それに同期の人達と一緒に外に食べに行っている。仕事は二人とも順調で、酒の席で私たちは若手のホープとして上司に背中をばんばんたたかれたりした。
 お昼を食べるとき、彼は私を下の名前で呼ぶようになった。私も彼を下の名前で呼んだ。
特にきっかけもなく、そうなった。
 彼の声は不思議で、私の平凡な名前も彼が呼ぶとひどく美しく、官能的に響いた。
 「麻衣に名前を呼ばれるとゾクゾクする」と、彼は言った。
 「俺を見上げる目が挑発的で、いっつも困る」とも。

 今日、彼は弁当屋のからあげ弁当を食べ、私はいつも通り自分で作った弁当を食べている。彼は自分の湯飲みを持ってきて、私の水筒のお茶をすすっている。
 「麻衣ってさあ、」
彼の目は窓の外の高層ビル群に、私の視線は手元の書類に向いている。
「髪伸ばしたりしないの?」
 私は視線も上げず、何も言わなかった。彼も窓の外を見やったまま、話し続ける。
「女の匂いが乏しいって言うのかな。パンツスーツで、ヒールのない靴履いて、仕事もばりばりやって。せっかくきれいな髪なのに、そんなに短くしてさ。」
 そこでようやく顔を上げた私の目は、いつの間にか私に向けられていた彼の視線に射抜かれた。
「シーツの上に流れる髪を梳くの、好きなんだ。」
その瞳は茶色っぽくて、小さく灯がともったように光っていた。

 その日、私たちは初めてキスをした。


 深夜に一人、お湯につかって北風が通り過ぎていく音を聞いていた。
 湯船から腕を出し、天井の電球の光を避けるように手を広げた。乳白色の心なしかとろりとしたお湯は、肌の上をするすると滑っていく。
 その指先にはカシス色に濡れた爪が光って、私は苦々しく、口角をあげる。
・・・私もやっぱり、女なんだ。
 木々の葉のこすれる音がざわざわと響いて、思わず自分の心の音のようだ、と思う。あの人を思うときの心の音のようだ、と。
 そしてそんな言葉を思い浮かべた自分にまた、苦笑する。
 ようやく肩につくほどの髪はまとめきれずに、後れ毛がお湯につかっていた。


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Entry7

カウントダウンをしよう!

 私しかいない一軒家にあいつがやってきたのは、冬の寒さが厳しくなってきた季節の事だった。確かに私の家には私が一日では到底使いきれないほどの部屋が余っているから、食費を誰かが出すといえば居候なんか私としてはOKだった。
 しかし田舎である私の町に誰か居候したいなどと思うだろうか。
 別に、田舎が悪い。などとは思っていない。
 私には、三つ違う兄と五つ違う姉が居る。しかし兄も姉も今年の紅白歌合戦をこたつでみかんでも食べながら見る事は出来なかった。つまり、この田舎には帰ってこなかったと言う事だ。
 カウントダウンすらやっていない。ひとりで騒ぎ気がしなかったからだ。
 私は、居候したいなどと言う人などいないと思っていた。
 しかし、いた。新学期が始まって私が早く家に帰ってこたつで温まろうと思って家に帰るとあいつが私のお気に入りの場所に抜けぬけと座っていたのだ。

 そういえば、確かに親戚のおばさんから電話があったのを覚えている。
「今週一週間だけ、そちらで居候させてもらえない?」などと言っていた。もちろん、私は「別に、構わないですけど」なんて言った。
 他人が、自分の家にくる事なんてなんか不愉快な気分にもなったのだが、特にこれと言って断る理由もない。ただ…、こんな田舎に本当に居候させていいのか?なんて思ってしまう。
 後で文句言われても「田舎だしね」なんて言う情けない返事しか知らない。

「あんたが、おばさんのなんとかさん」
 私は、知らなかったからそう言った。たしかおばさんからの電話で名前を聞いたような気がしたが、おばさんの声は電話の受話器で一段と聞きにくくなっていた。
 それで「もう一回言って下さい」などと連発すると、機嫌を損ねる事など知っていたから、一回聞いただけではっきりとはきこうとはしなかった。
 大体、母方のどう言う親戚のおばさんなのか知らない私にとっては、私の家に居候する人がそのおばさんのどういう人にあたるかなんて知る訳がない。
「そう、なんとかさん。じゃなくてさ、悟っていう名前があるんですけど」
「そうそう、悟だ。確か、鈴木だったかそんなんに似た名字だったよね?」
「そう、鈴木。じゃなくてさぁ、佐藤だよ。佐藤 悟」
 そういえばそんな名前だった気がする。なんて曖昧な記憶なんだろうと自分自身で笑って見る。でも、実際そうでそれを情けねぇ…とまでは思わない。
「そうそう、佐藤君。じゃあ、私の名前は田中 由紀って言うの。まあよろしく」
 あいつは、「よろしく」と言い添えてまだ私のお気に入りの場所に居続けていた。去年送られてきた蜜柑の箱から、六つ蜜柑を取り出して私はそれを両手いっぱいに抱えてこたつのところまで行った。
 そして、私はあいつに足で「どけ」と唸った。あいつは渋々と横にずれた。
『――当然だ』と私は不適な笑みを浮かべた。
 次に私は、持ってきた蜜柑をあいつに三つ分けた。それをまじまじと見ているもんだから。
「蜜柑が嫌いなの?」
 なんて言うと、あいつは困ったように笑った。
「いいや、好きだよ」
 そう言って蜜柑をむき始めた。
 あいつは見かけに寄らず、物凄く几帳面らしくあの蜜柑の白い筋を丁寧に除いていた。
「几帳面だねえ、そんなのをのぞいているなんて」
「じゃあ、由紀は除かないのかよ」
 というと、「そうね」と頷いた。
 私は、蜜柑は皮を剥いただけですぐに食べる傾向が強い。なんて、ただめんどいからだ。
 『由紀』と呼ばれてはっとした。なんで今日初めて会った人に呼び捨てにされなきゃならないんだ!と思ったけど、でも…嫌じゃない。
 蜜柑を食べた後で、私はせっせと夕食の準備をしようとしていた。
 その役目はこの家の住むのならば、居候であると言うのは関係ない。
 と言う訳で、一応あいつにも手伝ってもらう事にした。

「んな、そんな細かい所までやんなくて良いの!」
「でもさあ、由紀のは超大雑把じゃんかよ。このにんじんまだ皮残ってる…」
「皮なんて、食べれば一緒でしょ?」
「あー――!この煮物もアクとってないし」
「いいじゃん、良いダシになるって」
「なるかー――!アクとらなかったら、苦味が生まれるんだぞ!」
「なんでさぁ、悟ってこんなにもさぁ料理に詳しいわけ?」
「基本知識だろう?」
「いや…、違うんじゃないの?」

 夕食も終えて、食器も洗い終えて、一息ついた。
 思えば、なんであいつは一週間私の家に来る事になったんだろう?
 という事を、率直にあいつに聞くと当の本人はけろりと答えた。
「人殴って、停学処分になったから」
 なんていうから、少し後退りした。それでもこいつで悪人には見えないし、悪人に仕立てようとしても無理だ。
「そっちこそ、なんでこの広い家に由紀ひとりしか住んでいないんだ?」
「ああ、その事か」
 やっぱり来たか。と私は思った。
「父さんも母さんも、お仕事で外国にいる。姉さんや兄さんは都会での仕事が忙しいから、っていうか田舎が嫌いだから今年も帰ってこない。それだけ」
「じゃあ、カウントダウンは?」
「はぃ?」
 その質問に、気が抜けた。普通、こんな暗そうな話からどうして“カウントダウン”が出てくるんだ?
「2002年のカウントダウンは?」
「してない」
 と呟くように言うと、急にあいつは立ちあがって「やろう!」と意気込んだ。2002年のカウントダウンなんて遡る事一週間に終わっているはずだ。
「どうやって?」
 私は立ちあがったあいつを見上げて尋ねた。あいつは私を見下ろしたかと思うと次は私の手を引っ張って立ちあがらせた。
「やるんだ!」
「いいか、今あと60秒で2002年が来る。2001年はどうだった?楽しかった?淋しかった?でも、来年は、きっとどうしようもないほどの良いことがある筈に違いないんだ」
「どうしてそんな事が言い切れるのよ?」
「この俺がそう言っているんだから、そうなんだよ」
 強引過ぎて、ちょっと理解できない。それでも、大きな手が私の手を包んでカウントダウンは始まった。あいつが、時計の針を12時に合わしていたから本当にカウントダウンをしているんだ!という臨場感があった。
「5!4!3!2!1!0!」
 って、家中に響き渡るぐらいに大声で叫んであいつと抱き合って一週間ぐらい遅れて新年を祝った。

 それからの一週間はあっという間に過ぎ去って、あいつの停学が解ける頃にはきっと私はこんな田舎に来てくれたあいつに感謝すら感じていた。
 私の町には、唯一県庁所在地でもないのに飛行場がある。私はそこまであいつを見送りに行った。
「何故俺が人殴ったか、どうして聞かなかったんだ?」
 と尋ねて来るから、私は特に考えることなくこう言った。
「それは、悟の家でじっくり聞かせてもらうよ」
 ぽんぽんと、あいつの肩を叩いた。
「本当は、泣きたいんじゃないのか」
 と言われると「どうだろ?」と言って言葉を濁した。
 大きくてを振った後で、あいつに『絶対に振りかえらないでね』と念を押した。
「泣くんだ?」
「泣くね、絶対に」
 そう言って笑った。あいつも困ったように笑った後で私を抱き締めた。
 あいつの姿が消える。あいつは私との約束をちゃんと守って一回も振りかえらなかった。
 ぼろぼろと、案外私もこんなにも泣けるんだな。って言うことが分かった。
 しばらくは、まだ私は切なくてその場所から動けなかった。
 
 …カウントダウンをしようか。
 今度あいつに会えるその日まで。


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Entry8

思春期



 15歳と言えば、いわゆる思春期の真っ只中である。
その年頃になると、子供は死への願望やら、無への憧れ、勉強や生きて行くことに対しての疑問を持つ・・。
 そんな事くらい、知っているわよ。
 だから、余計に虚しい。
いつか、この思いが風化されてしまう事が・・。
消えないで、ずっと私の中の全てであればいいのに。

 「くっだらない。」
 ざわつく教室、もはや注意する事など忘れたような教師は、まるでそれしか出来ない様に手を動かし、黒板に文字を書き続ける。
セラは小さく悪態をついた。
誰も注意しない。
それは自分も同じこと。
だから、くだらないんだ。
それがわかっていても、呆れて、覚めてしまう自分が。
 「・・ばかみたい・・」
どうせ聞いても聞かなくても、わかる無いようなんだから。
だって、ソレ昨日やった所なんだよ?
先生。
生徒はわかっていて笑い、無駄な時間を作る。
教師は、そんな事すら気付かないくらい、生徒と関る事を拒絶した。
鐘が鳴って、教師は安心した様に、逃げるように教室を後にする。
更に輪をかけて、騒がしくなる教室。
 頭上を飛び交うボールも、机の間を世話しなく行き交う男子達も、特定の人物の机の周りに集まって、TVやアイドルの話しをする女子達も。
 ゼンブイラナイ。
 呆れてしまうほど、退屈なんだ。
なんの変化も無い、ただ退屈な毎日。
実際こんなもんなんだ、人生って。
とくに、中学校3年間ほど、セラにとって退屈なものは無いだろう。
部活に専念するわけでも無い、色恋沙汰に興味があるわけでも無い。
ほしいものもない。
自分は無感なんだ、とセラは時々おもうときがある。
熱いとか、寒いとかはもちろんあるけれど、悲しいや心がイタイ、怒りなどは無いように思える。
友達もいるし、別に苛められているわけでも…無いだろう。
その場限り、上辺だけの友達ならいくらでもいる。
心から信頼しきっている友達は、いないのだけど。
それは別に悲しいと思った事は無い。
大勢の友達の中にいて、不意に虚しくなる事はあっても、悲しいと思った事は無い。
自分が何かいうたびに、クスクスと笑う女子や、キモいと言うような男子にも、もうなれた。
 「セラってば?きいてるのっ?」
 「…ん…あ。なに?」
 深い思考の海から一気に沖に出たように現実へ引き戻されたセラは、間の抜けた返事をする。
 「もうこれで授業終わりだし、どうせ今日もHRないだろうし。
ねぇ、帰りにコンビニで話してこうよぅ。」
甘ったるい香水の馨がする細身の女子、ニナにせがまれながら、セラはカバンに教科書を詰めていく。
 「悪いけど、今日雨降ってるでしょ?洗濯物、とり込まないといけないし、暗くなる前にかいものすませたいんだ。」
になの巻き付いてくる腕を払いのけ、誰に挨拶する訳でもなくセラは教室を出た。
カバンがやけに軽い。
 廊下を歩いていると学年主任の先生が歩いてきた。
たしか何度か名前を聞いた事がある。でも、名前を覚える気が無かったから、未だに覚えていない。
その先生はセラに近付いて来るともう帰るのか?
笑ったようだ。
 「明日も学校、こいよ」
ポン、と頭に乗せられた大きな手。
セラは振り払おうかと思ったが、一応相手は教師で自分は生徒なので止めておいた。
先生の顔を見なかったが、声からして笑っているのだろう。
この先生はたしか年配者にも関らず、陽気で面白いとかいって教師いびりのリストに入れられなかった数少ない生存者だったとおもう。
先生はセラにそれだけいうと、セラの隣のクラスのHRを始めるべく、教室に入っていった。
 セラは降り返る事無く、階段を降りていった。
二回についた時、職員トイレから女の泣く声が聞こえてきて、セラは足を止めた。
この声は…しってる。
 「なにしてるんですか。粟山先生。」
セラは担任である教師に声をかけた。
職員トイレのドアに持たれかかりながら、鏡の前で泣いている担任を一瞥し、かばんの中に入っているプリントを出した。
辺りにティッシュのゴミを散らばしている担任は何かされるのかと一瞬びくついて、恐る恐るセラの手からプリンとを受け取った。
 「なに?これ…?」
カサ…と開きながら呟く担任。
声が掠れていた。
 「先生が提案した、『体育大会☆おめでとう!がんばってよね!パーティー』の出席届け。」
みるみる担任の顔に笑顔が浮ぶ。
 「セラちゃん!ありがとうぅ!!先生嬉しい!!」
ばっ、と抱きつかれてセラは目を細める。
イヤじゃないけど、イラナイ。
教師狩りの標的に上位に名前の載ったセンセイ。
やる事全部、空振りしてて、それでも…。
 「先生。はなして下さい。」
 「あ、ゴメンね!センセイ…うれしくって…。また1人でおにく食べる羽目にはならないから…。」
ばかみたいにあったかい。
 「ダメよね、センセイすぐおち込んじゃって…どうして、みんな先生の事嫌いなのかしら…?」
また悲しくなったのか、目を潤ませる担任に、華古は小さく呟いた。
 「自分を、捨てないからですよ。」
だから、1人で盛りあがって、空振りして…虚しいし、嘲われている事も、わからない。
自分を捨てないで、変な個性を持っているから…。
 『ばかじゃないの?』
 『一生夢でも見てれば?』
ヤメテ。
 「イライラするなぁ…」
 「え?セラちゃん?」
 ダンッ。とドアを殴って開けて、セラは下駄箱へ急いだ。
 「私がとっくに捨てなきゃいけなかったものを…持ってどうしてそこまで生きていけたのよ。」
黒いローファーを履いて昇降口を出た。
アノセンセイは、嫌いじゃないけど。
 「スキじゃない。」
 サクラの樹が続く正門前を通りすぎ、ニナと寄るはずだったコンビニの角を曲がって、ずっと走った。
息が乱れてもいい。
このまま息ができなくなって、死んでしまえばいい。
それでも、自分の意思とは裏腹に、酸素を求めて激しく呼吸する自分の身体。
立ち止まって、
膝をつく。
 「どうしてこんなに、虚しい?」
家は目の前にある。
鍵を開けて、中に入れば、少なくとも学校よりは落ち付く筈なのに。
 スクールカウンセラーは『思春期だからね、いろんなことを考えるんだ。』それだけですませた。
わかってるわよ、ほんとうは。
大人達は、みんなこんな時期を過ごしてきたから、いつか終わってしまう事を知ってるから、『思春期だから』で片付けてしまう。
でも、覚えていないの?
アノころ、思春期だったころに感じた世界を、人間を。
大きくなって、見えてしまうのはいやだ。
知ってしまった大人にはなりたく無い。
その内に自分の中で、綺麗に解決されてしまうのはイヤだ。
必死に足掻く自分が、虚しい。
 「無駄なくせに…」
セラは自分に言い聞かせる様に呟いて、立ちあがった。


 分かってる いつか この思いは 風化されてしまう。


END


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Entry9

独り言

 その日はひどく寒かったのを覚えている。
 後はひどく曖昧で、僕と誰かが公園のベンチで座って居たことと、暖かな缶コーヒーで手を温めていたことだけしか覚えていない。
 しかもそれは長い時間、真面目なようで不真面目な、意味が有って意味が在る時間だったと思う。
「なあ、人ってさ、脆いものだよな」
 誰かが言った。
 僕以外の、誰かだ。
 ひどく感慨深げであったし、ひどく投げやりな感じを受けさせた。
 僕は何気無しに「生き物って、そんなものだろ」と相づちをうった。
「ああ。そうだな。本当に、脆いんだよ。
 ちょっと手を加えただけでさ、動かなくなっちまう。それに、俺はその気じゃなかったんだよ。ただ暇だった。だからやったんだよ。それなのにさ、反則だよな、動かなくなっちまうなんて」
 ズズズッ、とコーヒーをすする音。ハァ、と息を吐く音。
 それらは白い吐息と共に、夜の空へと消えていった。
「なあ、人を殺したらさ、犯罪だよなぁ」
「そうだな」
 僕は即答した。
「けどさぁ、正当防衛ってあるじゃんよ。あれも人殺しだろ?」
「でもそれは、自分を守るため仕方なく、だろ。ぜんぜん違うよ、状況が」
「でも俺は仕方なくやったんだぜ。暇をつぶすためにさ」
 ハァ、と僕は息を吐いた。
 もやもやとした魂のような白さが、黒の中へと融けていく。
 感慨深げに、二人でその消え様を見送った。
「人間なんて、そんなもんだろ?
 矛盾だらけで生きてるし、矛盾だらけで生きて行くし、矛盾だらけで死んで行くし、矛盾だらけで忘れてゆく。だったらゴミのような人間の一人や二人、居なくなったって、矛盾の中の範疇なんじゃないのかな。
 ほら、動物は同族同士で間引きをするって言うじゃないか。
 あれは生きるための殺し合いだ。
 それと俺と、どこが違うんだろう」
「さあな。わからない」
 僕は肩を竦めた。
「けど、僕は嫌だね。矛盾でも何でもいいけど、僕はそんなので殺されたくない。それに、どうしようもない人間だって、生きている価値はあるだろうさ。さもなければ、生まれもしないんだろうから」
「けど、駄目なものは、確固として存在する」
「まあね」
 僕はコーヒーを飲みきった。
 ポン、と投げた空缶が、ごみ箱の中へと落ちていった。
「けどさ、許されないことは、許されないこと。
 確固たる罰もまた、存在する」
「そうだな」
 誰かは頷いた。
 ひどく恐い顔をして、グッ、と拳を握り込んだ。
 ベコリと缶が凹んでしまい、地面に落ちてカラカラと鳴った。
「だから戦うよ、俺は。
 別に悪くないんだから、罰を受ける必要はない。
 それに、お前以外にこれを知る者はいないんだから」
「へぇ。その足で帰ってきたのか」
 よく見ると、その人の手首は赤く黒い物で染まっていた。
 でもそれは所詮絵の具のようで、まるで現実感がない。
 パリパリと手の表面から剥がれる音と、生臭さく、鉄臭い香りが辺りに漂う。
「僕も、殺すのかい?」
「そう、なるな」
 その人はひどく恐い顔のまま、ポケットからナイフを取り出した。
 刃渡り七センチほどの、クルクルとまわして自慢してみせるタイプのナイフだ。
「悪いな、うん。悪いと思う」
「なら殺さないでさ、そのまま帰ればいいよ。
 暖かい寝床で寝て、温かいご飯を食べて、普通に生活すればいい。
 僕は知らないけど、警察が知るまでは、平和に暮らせるよ、きっと」
「それじゃあ、困るんだよ。俺は悪くないんだよ。だから、罰は無い。罰は無いんだから、何も困る必要はない」
「それは君の問題だよ」
「いいや、俺らの問題だね。
 問題を共有するのだから、お前も犯人だよ」
「それはひどいなぁ。僕は何もしてないよ。
 それこそ、無実さ。罰なんて、必要無い。罰は悪い人が受けるものだから」
「そうだ。その通りだよ。
 だから俺に罰は似合わない。だから俺に罰は必要無い。俺は悪くない。俺はいい子だ」
「駄目だね。自分で言ってるようじゃ、いい子なんかじゃ、少なくともないよ」
 僕は立ち上がり、尻をはたいた。
 その人も立ちあがり、同じように尻を叩く。
「お別れ、だね」
 僕は言った。
「ああ、そうだな」
 その人は言った。
 僕は始めて、その人の顔を見た。
 金色の髪で、どこにでもいそうな風貌で、目が血走ったまま必死に辺りを見回していた。
 ああ、確か、こんな風に思ってやればいいんだな。
 哀れだよ、君。
「ここでお前が死ねば、また元通りだ」
「ああ、外面はそうかもしれないね」
 僕は頷き、空を見上げた。
 真ん丸のお月様が、はずかしげに顔を覗かせている。
 酷く静かな夜だ。
 辺りには僕とその人以外、誰も居ない。
「でもね、罪は無くならないよ。
 人である限り、ね」
「そんなもの、最初から無いさ」
 吐き捨てるように彼は言う。
「でもね、あるんだよ。
 人でいる限り、人の法には従わなくてはいけない。
 人はね、人を殺しちゃいけないんだ。
 それは自分が知っている。本能が、そう教えてくれる。根元理性がそれがいけない、と止めてくれる。人である限り、人を殺す罪からは逃れられないよ」
「関係ないね」
 その人は血走った目のまま、僕に向かって一歩踏み出した。
「罪なんて、僕には無い。だから、罰なんて、必要ない」
「ふぅん。罪が無いなら、そのナイフを仕舞ったほうがいいよ。
 そんなもの、ちらつかせたら、恐い人たちが寄ってくるよ」
「その前に、お前が居なくなればいいんだ」
 血走った目は、まるで血そのもののよう。
 まるで獣のようで、理性を忘れているようだ。
 いや、忘れようとしているみたいで、ひどく哀れ。
 ひどく、
 哀れだ。
「本当に、やるの?」
「ああ」
 ためらいはない。彼は僕の目を見た。
 あ〜あ。駄目なのに。
 僕を敵と認めたら、駄目なのに。
 彼はそれをしてしまった。
「人を殺せば、人により裁かれる。人が人を裁く以外に、誰が人を裁けようか」
「へぇ、哲学的じゃないか」
 彼は馬鹿にしたように、ナイフを振り上げつつ言った。
 僕は空を見上げ、手を広げ、月を抱き込んだ。
「もし神よ、天井より我を見下ろしているのなら、今答えよ。汝は本当に、神たる神なのか」
「答えるものは、いないさ」
 彼のナイフは、すぐ僕の前まで迫った。
 振り下ろせば、僕の目に突き刺さるだろう。
「神なんて、いない」
「なれば見よ。
 人は神を造り、神たる者を創った。
 人は群れることにより、強きモノを追い払った。
 これが、人の力。
 人が、使う力。
 即ち――」
 ナイフが、僕に、迫った。
「――人類の、理性である」
 ナイフが、僕を刺した。
 だから、彼も刺された。
 僕の右目に刺さったように、彼の右目にも何かが刺さった。
「心の痛みが、体の痛みに。
 理性の痛みが、体の痛みに」
 もんどりうって倒れつつ、意味不明な単語を叫ぶ彼に言ってやった。
「人は言う。
 我は、神の代行者だと。
 神とは、人の事であり、人の集まりの上に立ち、外敵から守るものである」
 そして、
 僕の手は、
 簡単に、
 彼の頭を握り潰した。


 気をつけよう。
 独り言を聞くものは居る。
 それは誰でもない、
 貴方自身。

 もしそれが、自分を怨む独り言であるのなら、
 自分で自分を殺したいと本当に思うのなら、
 僕が現れる。
 僕が現れて、それで道を省みなければ、
 僕が、
 貴方を、
 人の道に戻します。


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Entry11

飛行機は虫を乗せて―――

 昔はまりにはまったミニ四駆のモータを、こんなときに利用できるなんで思いもしなかった。
 父さんの寝室の押し入れで、約4年間ほこりをかぶっていた。取り出すとき、箱の取っ手に蜘蛛のような足を持った虫が、にょきにょきうごめいていた。
 それを複雑な気分で、僕は手で振り払う。そこまで僕もお人よしではない。その虫の名前も知らないくせに、見た目で悪と決め付けるような容赦のないことだってする。

 人間は気紛れだ。
 それは僕も同じなのである。
 いや、僕は変わった人間なんかじゃない。
 当たり前の人間だからこそ、僕はいま、飛行機なんか作っているのだ。




 晩飯を食べ終わり、僕は部屋に戻った。灯りも、テレビも点けっぱなしだった。まぁ、電気代は僕が払うわけでないので、それに対して特別悔んだりしない。
 ベッドに放っていたビニールブクロを乱暴に引き裂いた。中から今日購入した、僕が2番目に好きな歌手の新曲を開けると、コンポの下品な口へそれを大事に差し出した。

 イントロが始まると、僕はふふんと鼻を鳴らしながらベッドに身体を投げ出した。反動でぎしぎしと4本の足が悲鳴を上げる。
 くるりとうつ伏せになり、さっき破ったふくろから、同じく今日ゲットした小説を取り出した。
 ワクワクしながらページの一枚目をめくると、丁度曲はイントロが終わり、しゃがれた声色の唄が始まった。その歌手は、作詞作曲、ベース、コーラスまで自分で担当している。だからこそ僕はその歌手が二番目に好きなのだ。

 いまCDでは、男が泣いてる場面だった。朝起きると、自分が付き合っていた彼女が、その辺に飛んでるような虫に変わってしまったのだという。
 だが、男は翌朝になると、何でもないような顔で朝日を迎えていた。そして別の女を部屋に連れてくると、ベッドをリズムよくきしませながら、周りを浮遊する一匹の虫を申し訳なさそうに叩き落してしまった、という曲だった。
 それは別段ブっ飛んだことではなく―――人間が虫になるというのは置いといて―――当たり前の人間の行動だろう。それを夏らしいメロディーにのせて、さわやかに歌いこなすのだから、僕はこの歌手を二番目に尊敬している。

 唄は終わり、僕は小説の世界に感情移入するため、コンポを消そうと床に手を伸ばした。リモコンの信号を鏡に反射させ、本に向き直ろうとベッドにふっと視線を落としたとき―――その虫はいた。
 ハエとも蚊とも言えない、どこにでもいる、丁度今掛けたCDに登場するようなただの虫だった。何故かは分からない。本当に後から考えてみても、どうしてそんな気持ちになったのか、とても奇妙だと思う。
 ひとつ理由を付けるなら、その虫は、ひどく弱々しかったということだ。米粒ほどの身体を左右に震わせ、僕の手でも当たったのか、羽が片方だけしかなかった。
 こいつはこれからどう生きていくのだろう。髪の毛ほどの足で、どこへ行くというのだろう。
 ひどく興味が沸くとともに、この虫が哀れでしょうがなかった。

 そして不思議なことに、このチリほどの虫を助けたい≠ニいう衝動にかられたのだ。




 机のうえで作業を始めて、もう2時間が経とうとしている。厚紙を紙飛行機のようにかたどって、前方にモーターをつないだプロペラを貼り付け、あとは前後左右の重さのバランスを調整する。と、口で言うのは簡単だったが、本当に飛ぶのかどうか不安である。
 まぁ、人間は肝心なところでアバウトだ。はっきり言って、助けたい、と本当に命を救いたいなら飛行機など作ってる場合ではないと、工作しながらも自覚している。
 ただ、虫が二度と空を飛べない、というのは僕は涙がでるほど悲しいことのような気がしてならなかったのだ。実際僕は、一枚しかない羽を羽ばたかせて、必死に飛ぼうと身を震わせている虫をみて目頭が熱くなった。

「よしっ、完成だ」

 頭で想い描いていたとおりの、厚紙飛行機が出来上がった。飛んだとき重心が前のめりにならないように、後ろの単三の電池を微妙に後ろへずらす。
 何となく、テスト飛行はしたくなかった。
 この飛行機に自信がなかったといえばそうなのだが、一回勝負をすれば上手くいくような、全く根拠なんてないいい加減な、それでも雲をつかむような確信があったのだ。

 ベットのシーツの上の虫は、もう歩く事さえままならないくらい力がなかった。ぐっ、と僕は胸がつまり、優しくその虫をしわしわのコクピットへ案内した。
「待ってろよ、今飛ばせてやるからな」

 窓を開けると、三日月が輝いていた。その光はとても強い。風はわざと気を利かせてくれたのか、丁度いい追い風だった。これなら、上手く乗れば、延々と空を飛んでられるだろう。
「いくぞー……、虫!」

 今さらになって、名前でもつけりゃよかったと後悔する。まぁ、図鑑でも見たらカタカナの理科的な言葉で名づけられているのだろうが。
 その虫を、なるべく風圧を受けない場所まで指で先導させた。あまりに呆気ない幕切れは、見たくなかったからだ。
 モーターのスイッチを付ける。ブーンと、荒っぽい音をまき散らしながらも、プロペラは問題なく回転した。

 力の入れ具合は難しいところだったが、あまり悩まない方が成功するような気がしたので、とりあえず気持ちで押し出すことにした。
 そして、目標を定める。
 目指すは―――三日月。

 僕は息を吸い込んだ。
 夜の空気が胸に澄みわたる。
 手にべっとりとした汗がにじみ出る。
 風が流れている。
 その流れを感じながら、右腕を頭の後ろの方まで引いた。
 機嫌の悪い三日月が、か弱い虫を受け入れてくれることを願いながら、僕は飛行機を、夜の闇に飛ばした。

「……いけっ、飛べ!」

 意外なことに、飛行機はちゃんと真っ直ぐ飛んだ。しかも追い風に乗って、どんどん高度を上げている。
 三日月の突き刺すような光が、一筋の道に変わったような気がした。虫を乗せた飛行機は、その道をぐんぐん進んでいる。

 マジかよ……、と僕は思わず感嘆の声を漏らした。
 虫は笑っている。
 目には映らないが、僕が虫なら間違いなく笑っている。

 ―――そして、飛行機はとうとう見えなくなった。

 それを確認すると、僕は窓を閉め、軽いガッツポーズをした。虫はもしかしたら、本当に月へ行ったのかも知れない。そんないつもなら鼻で笑いたくなるようなことも、今の僕は本気で想っている。
 ふと、上を見上げると、蛍光灯の周りにさっきと同じような虫が何匹も群がっていた。
 いつもなら顔をしかめて殺虫剤を吹きかけるとこだが、今夜くらいは好きにさせとこうと、何もしないでベッドに寝転んだ。

 これもまた人間の気紛れである。
 ……けどまぁ、悪い気分はしなかった。


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Entry12

雨をよごしたのは誰

 『雨をよごしたのは誰』
 古い、とても古いその歌を、今ではそう聞くこともできなくなった。僕が聞いたのもレコードからではなく、ある少女の口からである。
 古い、とても古いその歌を、今では知る者は少ないが、僕はこの歌を捧げる。
 降り止んだ雨と、ディエによせて。


 彼女は――ディエは、この辺りの人間にしては珍しくなだらかな頬骨と鼻をしていて、よく年下の従妹たちと遊んでいた。僕が今も覚えていることと言ったら、ほんのわずかなものだ。
「あのね、ハル、ひみつよ」
 一年を三六五日で数えたならまだほんの十四、五年しか生きていないディエは、ある日黒い瞳をきらきらと輝かせて僕に耳打ちをした。
「あたしの四分の一は、よその国の血なの」
 あと数年もすれば単に心苦しいだけのものになるだろう秘密は、彼女が言うとひどく新鮮なものに聞こえた。
「それなら、僕にも秘密がある。僕の半分もよその血なんだ」
 僕は読んでいた本を閉じて言った。
 その時のディエの微笑みと言ったら、どうだったろうか。僕はそれまででこんな笑顔を見るのは初めてだった。
「それじゃあ、ハルの方がおおきなひみつね!」
 皆には内緒よ、とディエは指を立てた。
「ハジャールもマッジも、あなたにこっそり意地悪してるのよ。気付いてる?」
 いいや、と首を振ると、もっとしっかりしてよと背中を叩かれて、僕は思わず苦笑してしまった。
「まだ他にもあるのよ。あたしの名前のひみつ」
 ディエは地面に木の枝で丸を描いた。乾いた地面は容易に跡を残して、丸は十六のかけらに分けられた。
「一、二…このうち十二がこの国で、あとは…二つと、二つ」
 指折りしてたどたどしく数えながら、彼女は得意そうに言った。
「三つの血でディエはできているのかい?」
「そう。あたしの名前はね、この二つ目の国の言葉で蝶々っていう意味なんだって教えてもらったの」
 蝶々。
 砂漠を浮遊し、オアシスに羽を休める虹色の蝶。ディエならばそれにぴったりだ。
「僕の名前にも、他の国の意味があった…争い事で役立つような名前だけどね」
「あたしには争いを望むひとたちの気持ちがわからない」
 僕たちの表情は自然と曇っていた。
 ここにも『その日』が近づきつつある。戦線は次第にこの国の内側へと近づきつつあるのだ。
 不意にディエは沈んだ雰囲気を打ち消そうとするように、僕に笑いかけた。彼女は何より、悲しいことが嫌いなのだ。
「…ねえねえ、あたしの名前に他の意味はある?」
「ディエかい? …D、I」
 アルファベットを綴りかけて、僕は口をつぐんだ。D.I.E。それは決していい意味を持つ言葉ではない。
 死。僕たちが生まれた時から向かうことが義務付けられている、すべての母だ。
「ごめん、わからないな」
 僕はとっさに嘘を吐いた。
「つまんない! じゃあ、他に知ってることある?」
「少しなら」
 不思議と、嘘に罪悪感を覚えることはなかった。
「あたしも知ってる。三つ目の国の歌よ」
 聞いててね、とディエはその歌を歌い出した。――雨をよごしたのは誰、を。
『ささやかに ふる雨
 きらきらと 音をたてて
 かすかに 草をぬらす
 誰がよごしたの?』
 ディエはひどくたどたどしい声で、僕が初めて聞く歌を歌ってみせた。初めて聞く発音の言語だった。
「きれいな歌だ」
「でも淋しいでしょう?」
 僕にもディエにも詩が示すところはわからない。おそらくこの歌は何十年も昔に、遠い国で歌われたのだ。
「この国には砂漠なんてないんだって。水にも食べ物にも困らないんだって。
 ハル、そんな夢みたいな場所なんてあるの?」
 僕は悲しくなった。ディエは何も知らない。文字の読み方も知らないディエは本を読むこともできないし、この国がどんな場所なのかも知らない。そうして知らないまま、他の女たちと同じように死んでいくのだろう。
「もしあるのならとてもすてきな所なんでしょうね」
「…きっといつか行けるよ。ディエのふるさとにも」
「雨もきれいになっているといいわね」
「え?」
「『雨をよごしたのは誰』って言うの」
 ディエは風にさらされて色褪せたざくろ色のスカーフを巻き直して微笑んだ。
「この歌の曲名」
 雨をよごしたのは誰なのかは、僕たちは知る由もない。


 彼女がここの暦で十九歳になった日、この村には雨が降った。熱くて冷たい鉄の雨が、一晩中降り続いた。
 翌朝様子を見に行ったが、僕には感情の表し様がなかった。ディエの家があった所には白茶けた土くれが広がっているだけだったからだ。
 ギリシアのレリーフのように固まった妙な像が僕の従兄だと気付くまでには、随分時間がかかった。いや、それは僕の従兄だったものだった。既に、土に戻りかけていたからだ。
「またあたしだけになった」
 二日ぶりに会ったディエは、さらに色褪せたスカーフを巻き微笑もうとした。
「ディエ」
「…神様は誰の味方をしているの? あたしたちの味方でないなら、…誰の味方なの?」
 何度も、彼女は独白のように繰り返した。答えられる人間は今でも誰もいまい。
「ディエ。もう一度あの歌を歌って」
 僕は彼女の肩をさすってやりながら言い聞かせた。ディエはうわごとのように色々な言葉を呟いていたが、涙と一緒に呟きも流してしまうと、震える声で歌いだした。
『びしょぬれの 男の子
 ふりやまない 雨
 草も枯れ 彼も消えた
 残るはだれの涙
 雨をよごしたの?』
 遠くで反響のような銃声が聞こえる。僕が顔をあげると、白く明るい空を灰色の飛行機が我が物顔で飛び廻っていた。
『なぜ爆弾を落とすの?』
 砂にまみれた赤い靴の持ち主だった少女は言う。
『ここには、あなたを傷つけようとするひとはいないのに』
 じっと見据える目は、僕ではなくどこか遠くの一点を見ているのだと理由もない推測をする。あるいは楽観。
『だって、無関係なひとを殺すなんて許せないでしょ?』
 綺麗な長い亜麻色の髪の少女は言う。
『だから仕返しに、無関係なひとを殺していいよね?』
 土色のテントが崩れていく。これから訪れる長い冬を越せるのだろうか、本当に?
「…神様…!」
 僕は震えるディエの肩を掴んだ。ディエは固く目を瞑っている。
 どうして神は、僕たちを争いなしでは暮らせないように作ったのだろうか。彼らは僕たちの存在を忘れてしまったのだろうか。皆同じ生き物ではないのだろうか。
 何をした? 赤いボタンを一つ、あるいはいくつか押した? それで一体いくつもの流れ星が降り注いだ?
 何を考えている? ここを汚れた国だと思っている? 緑もある、人もいる、そのことを知らないというのか?
 僕は信じることを望まない。割り切ることも望まない。正義と悪、それは裏返せば同じことだ。
 ぱたり、と地面に水滴が落ちた音に気付いて振り向くと、ディエが感情のこもっていない顔でただ涙だけを流していた。
 雨は止まない。
「…どうして雨なんて降るの?」
 僕は黙っていた。沈黙が答えを出してくれるかもしれないと思った。しかし残念ながら沈黙は静寂ではなかった。子どもの叫び声が聞こえる。ディエ。もうマッジは僕等よりも早く土に却ってしまった。雨は止まない。火薬。ディエ。緑色の、爆弾と同じ色の食糧パック。地面の軋み。もしくは、神の呻き声。ディエ。目を閉じる。頭の中が雨に満たされてゆく。何も考えられない。
「いつか、降り止むさ」
 僕はそれだけ言った。ディエは黙って肯いた。
 雨はまだ止まない。


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Entry13

リベンカ


「花には、離弁花と合弁花とがありますが、入試に出ることはないでしょう」
塾の先生は黒板のほうを向いたまま話している。どうして塾の先生はみんな同じように色つきのワイシャツを着て黒っぽいずぼんをはいているのだろう。制服なのかもしれない。
奇妙な響きの単語、『離弁花』。

リベンカ。私はそれをイタリアの女の人の名前だと思った。──リベンカにはトニーという灰色の眼をした恋人がいる。トニーとリベンカは毎週金曜日にどこか海の見えるところにいるのだ。
リベンカは上手に微笑まない。リベンカは上手に話せない。顔も心も錆びついているものだから。それを和らげる唯一のものがトニー。
「毎日つまらなそうだね」
トニーは逢うたびリベンカを気遣う。優しいけど、結局トニーは何も判っちゃいない。リベンカは不器用に口の端だけをくっ、とつりあげて(これが彼女なりの笑い方)彼の言ったことを否定する。
「そんなことない。」
トニーはそうか、と安心したようにゆっくり2回肯いた。私は一つのことに集中できない。リベンカも。いつも考えている。だから今トニーが言ったことを聞き取ることが出来なかった。
「え?」
「日曜日空いてるかってきいたんだけど」
トニーは不機嫌そうにもう一度言ってくれる。日曜日ねえ…。
「友達とかと遊ぶんなら別に良い。空いてるなら」
友達って。自分からすすんでその人の前でそう言える人はいない。やっぱり何も判っちゃいないのね。

想像を膨らませるうち私の意識がふたつにわかれてしまった。ぷちぷち音をたててそれははなれていく。不透明なひとつには体があって、透明なひとつにはそれが無い。不透明な本能と、透明な感情込みの言語付き思考。

塾の講師が黒板をたたきながら言う。
「チューリップも花びらが別々なので、離弁花ですね。」
どこかからチューリップの歌と電子オルガンの伴奏が聞こえてくる。
ずっとさがしていた。さがしてもさがしてもみつからないひとを。たくや。私はたくやをさがしていた。今は名前しか覚えてない男の子。なぜ仲がよかったのかどうやって仲よくなったのかも覚えていない。ただ残っているのは、
「たくや!」
と駆けより、ぽんと抱きとめられる記憶。一瞬 静かになった世界を覚えている。自分とおなじぐらいの高さの小さな肩にあごをのせたことも、周りの大人の丸くなった眼も覚えている。あのときは抱きつけば抱きとめられるのがあたりまえで、恥ずかしいからよそうとかよけられるかもしれないという考えはかけらも無かった。だからこの記憶は私をいやすのだろうか。この記憶は安心できない時間から逃げるための最高の乗りもの。
でもその記憶は仮想の現実なのかもしれなかった。「初恋の人」という概念から生まれた身勝手な妄想。確かめるのが怖い。いやしがなくなれば壊れてしまうから。だから確かめない。
透明なひとつである私が暗いきもちになると、不透明なひとつが苦しそうにうめいた。わかれても回路がつながっているのだろうか。

もしここに私が存在しなければ何だったのだろう。希望としては、だれか頭の良い子供のアキレス腱辺りの細胞がいい。ぼんやりと在って、本人の知らぬまに消滅。一回、細胞の気分を味わいたい。細胞分裂がしてみたい。ゆっくりと時間をかけて染色体がわりばしみたいにわかれてゆらあ、と細胞質をただよってラーメンのスープに浮かぶ油のような形になって、無限大の記号みたいになって
ぷちっ
と分裂したい。
──さようなら、右側にわかれた私。さようなら、左側にわかれた私。
ぷちっ ぷちっ
──さようなら北にさようなら南にさようなら東にさようなら西にわかれた私。
透明なひとつが楽しくなると不透明なひとつは
「あははははは」
ときっかり6文字ぶんだけ正確に笑い、止まった。


「バラの花も離弁花です」
あ、時間ですね。と講師が言い、そこで授業は終わりとなった。もう帰れるのに、斜め前のもうひとつ前の席の女の子たちはまだ話している。
「あー、リスカしたい」
「リスカって何?」
「リストカット。自殺。手首切るの。ああ自殺してぇー。」
「やめなよ。こわいよぉ」
自殺したいという女の子はその反応に対し、薔薇色の頬をして醜悪な笑みを浮かべてげらげら笑っている。
(死にたきゃ死ねば? 死にたくなくて死んでいく人だっているのに贅沢な。)
私の考えを教えてやりたかったがそんな事したら人の話をきいていたというおろかな行為がばれてしまう。でもあんな大声で話しているから聞こえて当たり前だ。ばかみたい。
(私はどんなに追いつめられたって病んだって生きるんだ。)
板書を写したノートに細かくうずまきを書いた。気持ちがのりうつったように混乱したうずまき。私はうずまきが好き。うずまきを愛しているの。ホルマリン漬けの寄生虫が描くうずまきも、人差し指の指紋のうずまきも。かたつむりの殻も。
わたしは合皮の鞄に勉強道具を詰め、人間の匂いがたちこめる塾の建物を出た。

外は晴れているのに雷がなっていた。駐車場にいくと母が迎えに来ていた。
「ただいま」
母の車に乗り込み、シートベルトをしめる。おかえり、といつも通りに母は微笑んで白いオデッセイを発車させた。


リベンカは今頃トニーと夕飯を食べているはずだ。


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Entry14

Stairway.

 洋楽の流れる冬の町並みを、俺は急ぎ足で駆けていった。
これほどまでにすれ違うカップルを羨ましく感じた事は無い。
今の俺には、ああやって幸せになれるだけの資格が……あるだろうか。
病院へ向かうアーケードを走り去る時、少しの涙がこぼれた。
絶対に、絶対にあいつは俺が守ってやる。

数ヶ月前だろうか、フラれてやさぐれた俺は、
なんとなくと言うただそれだけの理由で他人の車を傷つけ、店先の商品を
崩し、とにかく感情のままに色んな事をしていた。
社会の冷たい目が俺に刺さるが、その鮮血を俺は拭おうともせず進んでいた。
その時、
「やめなさいあなた! 何があったのかわかんないけど!」と声がした。
ふと見るとその子は俺より年下のようだった。
なんだか自分が恥ずかしくなって、それっきり悪戯をやめた。
それは怒りが収まったと同時に、その子に対する好奇心すら感じてきたからだ。

それからしばらくして、俺とその子はそれなりに話をするようになった。
その子の名前は周防悠。やっぱり、俺より2歳年下の18歳だった。
俺の家のすぐ近くのファーストフード店でバイトをしているらしいが、
実家の方はちと遠い所にあるという事はわかった。
ただ、こんな親密な会話をしているくせになんだが、
別に俺にしろ悠にしろ互いの恋愛感にはまるで興味など無かった。
その時の俺は一人だったが、悠には年上の彼氏だって居たのだから、当然か。
ただ、その時の俺は完全な一人ぼっちではなかった。悠が居た。
それが、俺を変な道に進ませなかった一つの要因かもしれない。
それなりに幸せは感じていたし、悠に彼氏が居る居ないは、俺にとっては
全然関係の無い事だったし、寧ろ喜ばしかったぐらいなのだ。


それから数日経った。
その日は悠はバイト。俺は逆にバイトは休みで、どうしようかと想ってた矢先
俺のケータイに見慣れない番号から電話がかかる。
「はい、もしもし。」
「大沢陽一君か?」
「はい。そうですけど」
「私は、悠の父なんだが……」
「へっ?」
正直ヒヤリとした。何か悠の奴が変な事を言ったか?
それとも俺の言葉に何かマズイことでもあったのか。
「実はな……悠がさっき、交通事故でやられた」
「……え?」

悠のオヤジさんは既に病院にいる。なんでも悠は意識が途切れ途切れの中、
俺に電話をするよう悠のオヤジさんに言ったそうだ。
……何で俺なんだよ。俺より、先に彼氏に連絡しろよ。
そう思いながら、俺が病院へ向かう足は、ますます速くなった。
病院に入ってみると、悠は既に意識不明の状態で、何も言えない状況だった。
のにも関わらず、俺は悠の側でしばらくずっと叫んでいたと思う。
聞こえるか? 聞こえてるか? そうやって、答えない悠に問い掛けていたと思う。
不明瞭な言い方をしているのは、俺がその時のことを覚えてないからだ。
「君だね?悠の彼氏というのは?」悠のオヤジさんが俺に問い掛けた。
――多分悠は俺の事を彼氏だといったのだと思う。職業は夜の仕事、
年は遥かに上、下手すると悠のオヤジさんと同年代。そいつが悠の本当の彼氏。
それは絶対に言えなかったのだろう。まだ、俺の方が信頼あったのだろう――
それを一瞬で悟った俺は、ただ首を縦に振るだけだった。

家に戻らないと、心配してるぞ、とのオヤジさんからの忠告に従い、とりあえず
俺は家路を急いだ。……もう夜11時、今更帰っても変わらないけど。
家に帰ってから俺は泣き続けた。何故、あいつが……。
気付けば俺は、友達である悠に対して、何故か恋人を失おうとせん慕情に打ち惹かれていた。
気が付けば、自分の部屋で俺が泣いていた、それが証明していた。

翌日、オヤジさんに連れられ、俺はある場所に行った。
店の前で俺は驚いた。そこは紛れも無い宝石店だったのだ。
「事故の前にな、悠が言ってたんだよ。今度の彼氏とは結婚する予定だって。
 今度の休みにでも、彼氏を連れてくるってな……」
「……」
「それで、その時に結婚指輪を一緒に買いに行こうと言っていた。だが……」
「……わかってます。悠が元気になったら、俺が指輪を差し出せばいいんですね?」
「……それが悠の幸せ。やっぱり、わかってくれるか?」
「はい……」
――本当は、彼氏なんかじゃないのにな。悠の想いは、俺なんかじゃない。
全然別の人が居る、けど……
今は本当の事を言ってはいけない時期だなんて、ガキの俺にもわかったんだよ――

悠はしばらく意識不明の状態だった。
俺はバイトの合間合間に、病院に駆けていっては、悠の耳元で
ずっと囁きかけたり、歌を歌ったりしていた。少しでも悠に届くように。
今考えれば全然聞こえていないはずなのに、でも必死で話していた。
気付けば、そんな状態でずっと一方通行の会話をして、2週間ほどが過ぎた。
本当に、何も出来なかったのに、時間は凄く早く過ぎていった。
オヤジさんもいつも近くに居た気がする。悠を思う気持ちは、当たり前だが
オヤジさんの方が大きいのだから……それは当然だったのだろうが。

しかし日を重ねるごとに彼女の容体は悪化していった。
医者も何度か短い手術を繰り返していたが、それさえもムダだ、と。
俺がいつものように駆けて病院に入り込むと、病室で、医者の話を聞いてオヤジさんが泣いていた。
なんとなく、内容はつかめた。聞かなくても、オヤジさんが泣いた理由なんてわかった。
――もう、悠の命は長くないなんて、俺にだって簡単に悟れたんだよ。


次の日、バイトも手につかず、先輩に叱られ、もう既に頭の中は、
あと何日持つかわからない悠の事しか頭に無かった、そんな昼休み。
オヤジさんから一本の電話がかかった。
――悠の容体が急変した。来れるのなら今すぐ来てくれ――
その電話を、俺はすぐに切った。そして病院へと駆け出した。

病室に着くと、既に悠のオヤジさんを始め、お母さん、悠とは2つ違いの弟、
とにかく悠の家族が、悠と、それを救おうとする医者、その2人の周りを囲っていた。
悠に取り付けられたオシロスコープは、昨日とは全く違う動きをしていた。
秒針のようなスピードで、不規則に動く。まるで俺の鼓動とは対照的だった。
「お父さん、お母さん……悠ちゃんの手を握ってあげてくれませんか」
既にマッサージの手に諦めの表情を見せている医者の声で俺は現実に引き戻された。
「……陽一君、君に右手を任せたよ」オヤジさんの言葉に、
俺は、悠の両親への深い感謝と、現実の悲しさに涙を流して悠の右手を握り締めた。
いつしか秒針のようだった悠の鼓動は、更に遅くなり、病室の時計が彼女の鼓動を追い越した。
気付けば、友達なんてものではない、何かが、俺の握る力を強くさせた。
何で彼氏でもないのに……。

――そして、彼女の鼓動は、時計を抜くことなく、ひたりと止まった――
その瞬間、俺の涙が、スッと止まった。悲しいはずなのに。
「ご臨終です」
声なんて聞こえてなかった。悠の家族が泣くのも、俺には見えなかった。
ただ、俺の目には、涙の向こうにある悠の、寝息の無い眠った顔だけだった――


あれから何百と言う日にちを数え、もう2年になった。でも、未だに、俺は、
天への階段を上ってしまった悠以外視界に入らない。
早く忘れてしまえ、と友達は言うが、そんな事が俺にできるわけもなく、ただ待ちつづけている――

――今年で、悠もようやく二十歳になるんだね――


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Entry15

涙に関する災難

 涙を流す人形があると聞いて、はるばる遠くの町を訪ねたというのに、肝心の人形がないとはどういうことか。
 私は憤慨し、若い館長に文句を言った。が、彼女の返答で私は何も言えなくなってしまった。
「ごめんなさい。その人形とは、わたしのことなのです」
 美術館の狭い空間で、可愛らしいオルゴールの有線が流れていた。
 目の前の館長だと思っていた、若い女性はやんわりと微笑んで私を見ている。
「からかわないでください」
「本当なんですよ、見てください」
 女はすっと、私に手を差し出した。薄暗がりでよく見えなかったため、顔を近づけてその手を見る。そして気付く。
「すみませんでした」
 私は素直に謝った。女の指の関節は、ビー玉のような球体だった。嘘ではなかったのだ。



 涙を流す人形をこの眼で見ることができれば、私は泣けるに違いない、と勝手に思いこんでいた。
 最近、涙を流すことは少ない。世界中の苦しみを知っても、美しい映画を観ても、私は泣けない。私の隣で大粒の涙をこぼしている人がいるのだから、それは本当に涙に値するものなのだ、とは思うのだが。
 だから、私は病気なんだと思った。
 無性に泣きたくなった。
 噂好きの友人から人形の話を聞いた途端、わたしの心に愛らしい人形が、虹色に光る涙を流す姿が浮かんだ。波打つ髪も、青い瞳も、わたしを癒してくれるに違いない。



 今、目の前に涙を流す人形がいる。しかし、私は泣けない。
「泣いてもらえませんか」
 想像していた人形と全く違うが、涙を流す姿は見てみたい。
「ごめんなさい…… 泣けません」
 美人とは言えぬその顔は、困ったふうに微苦笑していた。
「ごめんなさい」
 人形はもう一度謝った。人間のようだ。髪も瞳も黒いのだから、黙って市街を歩いていても、目立たず、誰も人形だとは気付かないだろう。こんな人形、一体誰が造ったんだ。
 冷静になって考えてみると、こちらの方が驚くべきことだ。涙なんて、おまけのように思えた。いくら進んだ技術があろうとも、何かの魔法でなくては、できぬ奇跡だ。
「いきなり泣け、なんて、無理なことですよね」
 私にとって、涙のことはどうでもよくなってしまった。人形は悲しそうに、頷いた。
「涙を流すようなことがないのです」
 私ははっとした。それは私と同じだ。
「長い間、ここにいて、泣けなくなってしまったのです」
「僕も、泣けないんですよ」
 思わず言ってしまった。ここにも、同じ人、否、人形がいるとは。
「最初はここに来て、寂しくて泣いていました。人の眼も嫌で、なおさら泣いていました。でも、もう慣れなんでしょうね。泣けないんです。わたしの心は麻痺しているんでしょうか」
 人と同じようにものを考え、感じる人形。皆珍しがり、好奇の眼差しを向けただろう。彼女は辛かっただろう。
 この町を訪れたとき、彼方此方に美術館に関する錆びた看板や、薄汚れたポスターを見た。当時は大勢の人がこの人形を見に来ていたのだろう。が、今は本当に町おこしに失敗した、寂しい田舎町だ。
 人形が泣かなくなり、誰も来なくなってしまった。泣けなくなった人形には、誰も興味を抱けないのだ。こんなに喋り、動けるというのに、なぜ涙が出ないというだけで、このようになるのだろう。
「……おかしな話ですね。人形に心なんてあるはずないのに、心が麻痺しているか、なんて」
 それでも、人形は笑っていた。なんて、可哀想なんだ。笑顔である必要もないのに、笑顔以外の表情が出来ないなんて。私はたまらなくなり、言ってしまった。

「あなたは人形じゃありませんよ」

 女は目を見開いた。
「もう一度、言ってもらえませんか」
 声が震えていた。
「お願いします」

「人形では、ありませんよ」

 こんな言葉でいいのなら、何度でも言ってやろう、可哀想な人形に。
 人形の眼が急に爛々と、生き物のように輝きはじめた。館内の黄を帯びたライトが瞳を照らす。一瞬、瞳が大きくなったかと思うと、木の床に何か落ちる音がした。
 女は屈んで、落ちたものを拾った。
「不思議。嬉しくて涙が出るなんて」
 再び女の眼が輝く。その手には、大きな石英の欠片がのっていた。形は絵に描くような、安直な涙の形。私がとっさに手を出すと、女は石英を渡す。ひんやりとしていた。石英は、眼と同じようにライトに照らされ、輝いていた。
 綺麗だ。
「これがわたしの涙です」
 涙は次から次へと、乾いた音をたてて床に落ちていく。
 しかし、実際に人形が涙を流す姿を見ても、私は泣けなかった。――なんだか、これは違う。
「あなたは人形であることを否定してくれた」
 きらきら瞳を輝かせながら、女は宙を仰いでいた。嬉しそうだということは分かるが、何を考えているのかうかがえない。
 なぜか、急に恐ろしくなってきた。私の手の中の涙が、熱を帯びはじめているような気がする。
「ありがとうございます」
 女が微笑んで私の顔をしかと見た。その瞬間、手の中の石英が液体の涙へと変わった。氷が一瞬で溶けてしまったようだ。
「おかげで、呪いを解くことが出来ました」
 呪い? そんなもの知らない。何のことなんだ? やはり、魔法?
 手が湿っているのは涙のせいか、それとも冷や汗か。
「今からわたしは人間……」
 女はまどろむように目を閉じ、すうっと息を吸った。
 私の心臓が高鳴りだした。寒気もする。これは、おかしい。
「そして、あなたは人形」
「僕が? 何を言ってるんですか」
 目の前の女から笑顔が消えた。人形はこんな顔はしない。もともと、笑顔しかできないのだから。
「涙で濡れた手を見てみなさい」
 私は言われるがまま、急いで見た。
「ああ!」
 指の関節全てが球体に変わっていた。私が先ほど見た人形の手とそっくりに。服の袖をまくると、腕の関節も大きな球体に変わっていた。
「わたしの代わりに、人形になってください」
「嫌だ!」
 しかし、私には何の抵抗もできず、体温が勢いよく消えていくのを止めることはできなかった。

「あなたは人形です」

 呪文のようなその一言で、激しく鳴っていた心臓が止まった。わたしは人形になったのだ。
 騙された。
 私は悔しくて、女を睨んだつもりだが、きっと笑顔のままだろう。どうしようもないことが情けなく、腹立たしかった。
「あなたは!」
 私は怒りのあまり、震えそうだった。女の肩をつかむと、何かの膜越しに、女の温かさを感じた。先ほどまであったものが、私には無く、女にはある。
 女は白い歯をこぼしながら、私の腕を払った。
「でも、良かったでしょう」
 満足そうに言うと、私に背を向けて、美術館を出ていった。

 急に静かになったが、オルゴールは相変わらず可愛らしい音色で館内を満たしていた。

 硬い涙が目からこぼれ、頬も伝わずに床へ落下した。情けない。他人事では泣けないというのに、自分の事だと泣けるのか。
 顔を覆っても、冷たい涙は止まらない。でも、これが涙とは、言えないような気がする。やっぱり私は、泣けないのだ。
 呪いを解くには誰かに人形であることを否定してもらう必要があるのだろう。
 女は巧妙に否定させた。しかし私にはそんな能力などない。
 どうすれば良いだろう。気の遠くなる思いがして、また涙が出そうだったが、ぐっとこらえた。
 人間に戻ることは可能であることが、私の唯一の希望であった。
 もう、ここにいる必要はない。是が非でも元に戻る、と決意した私は、美術館を出ていった。

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