第7回中高生3000字小説バトル Entry9
真夏の陽射しが熱くて、私は思わず天を仰いでオレンジ色の口紅を引いた唇を歪めた。つばの小さな帽子とUVカット剤が入ったファンデーションだけでは防ぎきれそうにない。青い葉を思い切り伸ばしている銀杏の木陰を小走りに通って、冷房の効いたお寺の本堂に逃げ込んだ。昔は10キロくらい軽く走れたのに、ロングスカートとハイヒールの脚はほんの10メートルの小走りで痛くなった。
ひんやりした人工の風の中でほっと一息ついて真っ白なハンカチで汗をぬぐい、薄く付いたベージュ色に顔をしかめながら、どうしてシゲちゃんはわざわざこんな季節を選んだのだろう、と思う。夏の法事は喪服が暑苦しいのに。シゲちゃんは頭が良かったけれど、そういう気配りだとか常識だとかには本当に疎い人だった。良く言えば俗世間にまみれていなくて、悪く言えば世間知らずだ。
あれはまだ私が、ファンデーションの塗り方なんて知らなかった頃。真夏の太陽はぎらぎらと照りつけて、その陽射しの中を爽快さすら感じて歩いていた。日焼け止めなんてぬっていなくて、帽子なんてかぶっていなくて、真っ白なセーラー服にぐっしょり汗をかいて、胸元のリボンをなびかせて。脚にくっついてくるスカートをばさばさいわせながら、歩いていた。中学からの帰り道、陽炎の立つ上り坂。
夏休みの部活はどこか開放的だ。暑さと太陽のせいで頭はくらくらだけれど、それすらもなぜか楽しい。もうすぐ夏の大会で、それが終わってしまえば引退だということもそれに拍車を掛けているのかもしれない。監督の先生は冷房の効いた職員室の窓の中でのんびり麦茶を飲みながら、「倒れないようにほどほどにな」とだけ声を掛けてきた。
土けむりの立つ、サッカー部や野球部と兼用の小さなグラウンド。5キロを全力で走り抜き、最後のコーナーを曲がったときに見えた青空。10メートル、いや15メートルはあるユーカリの青々と繁った葉が揺れて、何一つない真っ青な空に風が吹き抜けていった。夏の鮮やかなコントラストに、きりきり痛む肺も張りつめたふくらはぎも忘れて飛び込んだ。ゆっくりと脚を止めて天を仰いだ私の上を、風がすりぬける。私は、ぞくり、と鳥肌を立てた。
坂を上る私の目の前に見えるのは、いつもと同じ近所の畑。腰の曲がったおばあちゃんが自分の楽しみのために作っているような小さなものだけど、今は背の高いひまわりが金色に光ってすごくきれいだ。ちょうど坂を上りきったところに立っていて、みんなを見下ろしている。さっきまで私が走っていたグラウンドも、ここからだったら見えそうだ。
ぼんやりひまわりを見上げていたら、麦わら帽子をかぶったシゲちゃんがたばこをくわえながらでてきた。シゲちゃんはここのおばあちゃんの孫で結構有名な大学に通っているのだけれど、無精ヒゲにTシャツとハーフパンツ、ビーチサンダルをつっかけた姿はどう見てもその辺のプータローだ。近所には同年代の子がいなかったので、昔はよく遊んでもらった。そのせいか、私はシゲちゃんのことが大好きだ。
「シゲちゃん、水まき?」
シゲちゃんに会うのは久しぶりで、私はうきうきしながら話しかける。シゲちゃんはよく焼けた顔を思いっきり崩して、手伝って、とだけ言った。シゲちゃんが笑ってくれたのがうれしくて、私はスポーツバックをとろけそうなアスファルトの上に投げ出してひまわり畑に飛び込んだ。
すぐとなりにあるシゲちゃんの家からホースを引っ張ってきて、私の二倍くらいありそうなひまわりたちに浴びせる。花びらと葉っぱに付いた水滴がきらきら光って、さっきよりずっと大人っぽい顔をしたひまわり。みんなすました顔をして、同じ方向を眺めている。私はホースの先を思いっきりつぶして、太陽とシゲちゃんをを背にして、うっすらと出来た虹をシゲちゃんに自慢した。
「あのね、シゲちゃんにだから言うけど、ぜったい秘密ね。今日は午後から、てっちゃんと映画に行くんだ。」
私は小学校からいっしょのサッカー部のてっちゃんに夢中だった。短くした髪、焼けた肌、良く響く声。その表情全部に惹かれていて、クラスの女の子達にはすっかりあきれられていた。それでもシゲちゃんだけはてっちゃんの話をちゃんと聞いてくれるので、今日のデートも特別に教えてあげたのだ。
私はすっかりご機嫌でそろそろ水を止めてもらおうと振り向くと、シゲちゃんは良かったねえ、と言いながら泣き出しそうな笑顔をしていた。
私は一瞬どきりとして、でもそれをシゲちゃんには気付かれないように笑顔を作った。ホースの水は出しっぱなしだった。
ひなたちゃん、ひまわりっていうのはね、もともとは女の人だったんだ。確か妖精の女の人だったと思う。その人は、太陽の神様に恋をした。だけど神様に声を掛けられるはずはなかった。おまけにその神様は、かっこよくて女神様達の間でも憧れの的だったんだ。で、彼女はどうしたかというと、彼を朝から晩まで見つめ続けた。陽が昇って、沈むまで。何日も、何年も、ずうっと。そうしているうちに彼女の脚は大地に根付き、やがて彼女は花になった。花になっても、彼女は彼をを見つめ続けた。だからひまわりは、今でも太陽を追いかけるんだ。
ほんとはひまわりが太陽を追うのはつぼみの間だけなんだけどね、と笑って付け足して、シゲちゃんは水を止めにいってしまった。私はその背中を見つめて、シゲちゃんがなんでこんな話をしたのか考えていた。でも訊いてはいけない気がして、何も言えなかった。私がもっと大人になったら分かるのかもしれない、と思ったし、そのころにはシゲちゃんも話してくれるかもしれない、とも思った。午後になっててっちゃんとの待ち合わせ場所に行った私は、てっちゃんの真っ白なTシャツ姿を見ただけでそんな話のことなんてすっかり頭の中から消えてしまった。てっちゃんとのデートは楽しくて、映画を見ている間ずっと二人で手を繋いでいた。終わったあと、まだ暗い映画館の中で初めてのキスをした。今度シゲちゃんにあったら自慢してやろう、と思っていた。
でもシゲちゃんはその3日後に自殺してしまった。お風呂で手首を切ったらしく、私がお葬式で見た死に顔は割ときれいだった。遺書も一応あったのだけど、お父さんやお母さん、友達への感謝のメッセージくらいしか書いていなかったらしい。おばさんは、特にいつもと違ったところはなかったように見えたのに、私は母親失格だ、と言ってわんわん泣いていたけど、それはシゲちゃんが悪いのだ。きっとシゲちゃんは、自殺する人間はすごく悩んでふさぎ込んだり、身の回りのものを整理したりするのだということも、遺書にはちゃんと自殺の理由を書くことも知らなかったのだ。
シゲちゃんのお通夜の日、七五三以来のお化粧をした。もちろんうすくだ。今ではお化粧も毎日のプログラムに組み込まれてしまうような歳になったけれど、シゲちゃんの気持ちは未だに分からない。私はもうシゲちゃんの年を越えてしまったから、もうこのままずっと分からないのかもしれない。今年も鮮やかに咲き誇ったひまわりを思い出して、お供えのお花はひまわりにすれば良かった、と思った。