あの日、あの暑い夏の日、僕は電車に乗っていた。薄いストライプのTシャツは汗で湿り、足にかかるクーラーが不自然に寒く感じた。ふと窓の外に目をやった時、今では名前も忘れてしまった古い駅に、長い髪の女学生が座っているが見えた。キレイな黒髪の彼女はセーラー服で、古びたベンチに腰掛けていた。 僕はまだ10代になったばかりで、あの女学生はきっと僕より1〜2歳年上だったと思う。ガキの好奇心か、何か正体も解らないキラキラした気持ちから、僕は毎日その電車に乗った。あの女学生を見るために、何度も。見るたび、彼女のキラキラの黒髪が風に靡いて、僕の心は意味も無く揺れた。「亮太!あんた、登校日サボったんだってね?担任の先生に聞いたわよ。この不良息子!」 ある日、僕が登校日にサボったのがおふくろにバレ、相当な雷が落ちた。その日から一歩も家を出してもらえず、何日か女学生を見ることが出来なくなった。 でも、僕は諦めなかった。何日か経って、おふくろが家を空けることになって、僕は逃げ出した。70円を握り締めて、全速力で駅まで走った。「廣野町まで!」 急いで切符を買うと、電車が出発しないうちに乗り込んだ。僕は汗まみれで、息を切らしていたようだ。でも、そんなことは問題じゃなかった。黒髪の女学生をみることが、たったの70円が、僕のすべてだった。 駅が近づくにつれて、僕の心臓は鼓動を打ち始める。ドックン、ドックンと大きく。遠くから彼女の姿が見え、僕は興奮した。 そして、電車が駅に着いた。僕は、女学生をよく見ようと、目を細めた。その瞬間、彼女が顔を上げた。なんてキレイな瞳をしているのだろう。髪と同じようにキラキラして、夢みたいだ。彼女は微笑んだ。頬に笑窪が浮かんだその笑顔は、とても可愛かった。そして、電車は出発した。 あの日から、もう何年経っただろう。夏は過ぎ、僕は駅に通うのを止め、あの女学生を見ることもなくなった。当然、あの駅も消えた。青春の思い出ともちがう、人生で一番キラキラした時期。ああ、なんと呼べばいいのだろう。光り輝いていたあの瞬間を。車窓から、いつも眺めていた彼女を。
※作者付記: 高校生って言葉がしっくりこなかったので、女学生と置き換えてみたら、微妙に時代を感じさせる文章になってしまいました。戦後すぐ?みたいな(笑)。まあ、セピア色っぽくなってしまっても、キラキラって言葉がしっくりきているのでいいか・・・。
私は、暗闇の中でいつも2時半に目を覚ます。ここ数ヶ月、同じ時間に目を覚ます。ザァザァと言う得体の知れない音で私は目が覚めそれに気を集中させる。あきらかに、それは何かを探し、何かを狙ってる、私には、っというより誰にでも感じられるぐらい強烈なものだった。私の部屋は、四つの角がある部屋で寝てる方向から左下角から、・ザァザァと聞こえる。私は恐怖のあまり、布団をかぶり目を瞑り、信じてもいない神にさえ、私はすがる思いで唱えていた。私には、霊感やそれらの類が強くわかる人間ではなかったが、ある夜、私は決心して、それの正体をたしかめるために二時半まで起きていた。首には、母の数珠をつけ、手には近所のお寺で買った健康祈願のお守りを持っていた。心臓が今にでも飛び出しそうになり、雨の降る音より大きな心音を奏でた。それでも、布団をかぶる事なく、目を凝らし続けた。すべての形ある物体に祈った。本当に心の底から怖いっと思った。ザァザァ‥‥ザァザァ‥‥私は、体が震えた。それでも自分の意志に負ける事無く、音の方に近づいた。そして、部屋の電気の紐に手をかけ、バァっと勢いよく電気をつけた。私の目に飛び込んできたのは、紙袋に黒い物体が2体?居た。光が、部屋に満ちた瞬間にその黒い2体の正体が分かった。そこで、私は気がついた。数ヶ月前に買った、コンビニの弁当が入った袋がそのままだった事を‥一瞬止まった思考が一挙に押し寄せ。私はその場に座りこみ、大笑いしてしまった。人は、恐怖から安堵感に変わるとここまで笑いがでるのかと思うほど大笑いしてしまった。それから、何分笑っただろうか。私は疲れて、床につこうとして時計の針を見た。すると、時計は2時半を指していた。今度は、小笑いした。いや、むしろ苦笑いだった。毎回二時半に音がしていたのではなく、私のベットの時計は二時半で止まっていたのだ。
「しょうゆラーメン!大盛りねっ」 食堂は四限目の講義を終えたばかりの学生たちでごった返し、大都会の喧噪さながらのにぎわいを見せていた。 人口密度が異常に高くなった食堂で、注文したラーメンをこぼさないように細心の注意を払いつつ、友人たちの待つ席へ向かう。 「次の講義さぁ、どうせ出席とらんやろうから新宿に遊びに行かへん?」 適当な相づちをうちながら、ボクはバッグの中からコンデンスミルクの入ったチューブを取り出す。「うわっ!出たよ。お前ゼッタイ味覚障害だゼ!」「近い将来、糖尿病になんで!ソレ」「っせーなぁ。うまいんだって!おまえらのにもかけてやろうか?」 すっかり白濁してしまったしょうゆラーメンを啜ると、最近買いかえたプラスチックフレームの眼鏡がみるみる曇っていった。 物心のついた頃にはこんな食べ方をするようになっていた。 最初の頃は親も注意をしていたのだが、そのうちボクの悪癖に呆れ果て、何も言わなくなっていた。 刺身にそうめん、白飯と「食べ物」と定義されるものにはすべてコンデンスミルクをかけて食べるようになっていた。ただ、そんな食べ方をするようになってからは好き嫌いも無くなった。 周りから白い目で見られてしまうので、できる限り自制するようにはなったが…。「お前ホンマに変わってるよなぁ…」 もう言われ慣れてしまった言葉である。 以前のボクならそんなこと無いだろうと思っていたのだが、最近では自分のアブノーマルさを自覚している。いや、自覚せざるをえなかった。 ひょんなことからコンデンスミルクが雑誌のグルメ欄にかかってしまったことがあった。「あっ!おいしそう……」 ふと漏れた独り言と興味本位から、恐る恐るそのページを破って食べてみた…。普通においしく食べられた。 その後、ボクの「食」に対する興味は猛然と加速していき、画用紙から段ボールへとコンデンスミルクをかける対象が変わっていった。 そのうち消しゴムやTシャツにも試すようになり、最後に雨宿りしていた野良猫にもコンデンスミルクをかけてみた。 皆まで言わぬが自分自身が怖くなって、ボクの「食」に対する飽くなき探求は終わった。 どうやらボクにとっての「食べ物」の定義は、「コンデンスミルクをかけられるモノ」であるらしい。世界的な大飢饉に襲われてもコンデンスミルクがある限りは、ボクは生き残れることが分かった。「とりあえずダーツしに行こうゼ!」「ええよ。マイダーツ持てくりゃよかったわぁ…」 食べているしょうゆラーメンに味付けがまだ少し足りないと感じたボクは、コンデンスミルクのチューブを再びひねった。 手元が狂って、勢いよく飛び出したチューブの中身は、このあとの段取りをしている友人の顔にかかってしまった。「なにすんだヨ。お前!」「あっ!おいしそう……」
「はい、こちらに並んでくださいね。」誘導員の指示に従って、俺は、十数人が列を作っている一番後ろに並ばされた。そういえば、俺は今何故こんなところにいるのだろうか?「今日はあなたで最期のようです。少し、これからの生活に最初は戸惑うかもしれませんが、じきになれるので…生前と変わらないと考えてください。」俺を列に並ばせた誘導員がそう言ってきた。なんだって?生前…?わけがわからない。混乱していると、やがて列は前に進んでいき、次第に俺は、『事故死』と書かれた扉の前まで来ていた。どうやら並んでいた連中はこの扉の先に行ったらしい。「渡辺 達也(わたなべ たつや)さん、26歳ですね?」扉の前に立つ男が尋ねてきた。なんで知ってるんだ?俺を。「本日、深夜1時26分、国道○○線を乗用車で運転中、飲酒運転のトラックと正面衝突。運転席がわに衝突されたあなたはその場で即死。なので『事故死』用の区域に搬送されることになりました。あなたの場合は交通ルールを守っていた側なので、治安がよく、生前と変わりのない快適な区域であると想います。」「…は…?」その男が淡々と説明する言葉は、俺にとって理解不能だった。即死?区域?意味がわからない。その男の言葉が本当なら、俺は、死んだってことか?「やはり、ご理解に苦しむようですね。でもご安心を。あなただけがわからないということはありません。ここにはたくさんの人が訪れます。その誰しもが理解不能を示しますから。当然といえば当然ですね。人間の死のほとんどが唐突なものですから…。」「っていうことは、俺は、死んだのか?」「えぇ。そういうことです。覚えていませんか?あなたが車を運転中、目の前からトラックが自分に向かって走ってきたのを。」淡々としゃべる男に不快感を感じるが俺はそこで冷静になろうと記憶を辿ってみる。言われて思い出したが…そうだ。俺は確かにさっきまで車を運転していたはず。なのに何故ここにいる?そうだ…男の言うとおりだ…俺は仕事の帰り、国道を走っていた。普通に、だ。だがいきなり目の前にトラックが見えたと思ったら…そこからの記憶がない…「ここは…どこなんだ?」「その質問は、ここに来られた方が必ずする質問で、私もここに来れられた方全員に同じ答えをお返ししました。ここは、死後の世界です。」「ばかばかしい!じゃぁなぜ俺はここにいる?」「あなたは死んだからです。」「死ねばみなここにくると?」「そうです。知りませんでしたか?まぁ、知らないのが当たり前ですか。人は、死ねば無に帰すと思ってる方が多いようですし。」「わけがわからん…」「最初のうちです。いいですか?死後の世界といいましたが、勘違いなさらないでください。死は、無ではありません。次の生のために現世の裏側に隠れこんでしまうことなのです。そして、あなたがこれから先に綴る死後の生は、全てまた現世へと還る修行と思ってください。」「…それじゃぁ、変わらないじゃないか。生きてても死んでても。」「そんなことはないのです。先ほど申したとおり、死者によって区域がわかれています。それは、生前その人が行ってきたことを善悪を基準にして分けられます。あなたの死因は事故、それも責任は相手のドライバーにある。あなたは被害者だ。だから立場上快適な区域が設けられます。しかし、これが悪人なら、現世の人々が思い描くとおり、地獄のような区域へと搬送されるのです。」「そんなものが…?」「えぇ…現世の人々が知らないだけで、ね?」男は笑って言った。「この扉の先にはなにが?」「それはあなたにしか見えない世界です。」「生きてるのか、死んだのか、わからないな…。」「そういうものです。では、快適な死後の世界を…。」そういうと男は扉をあけて、暗い部屋へと俺を導いた。死後の世界?だが、今こういう体験をしている俺は、生きていた俺ではないのか?疑問を浮かべながら、その暗い部屋に足を踏み入れた。
階段を下りているといつものようなこの人の群れ。割り込んでくるおやじを遮って下る。ふと先の方を見ると1人の少女の後ろ姿。群れとは別世界。独り静かに歩いている。周りの大人達はだれも気づいていないようで、かなり不気味な光景である。まるで戦場の中を赤ん坊が歩いているようだ。ぶつかることもなく、すっと右に曲がる。薄気味悪いが美しい。滑らかに電車に乗り込む彼女のあとを無意識についていく。 気がつくと俺は座席に座っていて、彼女は俺の前の座席に座っているようだ。見えるのは膝から下の小さな足。彼女の顔を見るのがなぜか怖い。頭には痛いほど視線を感じる。1分も我慢できない。俺は頭を動かさずに視線だけを上げる。ドン。まっすぐ俺を見ている。動けない。見える範囲に人はいない。完全に彼女の世界。息もできない。彼女は無音の中、無表情のまま立ち上がる。同時に俺の視線も少し上がる。 砂(さ)。砂の上を裸足で歩く音。砂 近づいてくる 砂 砂。座ったままの俺の膝の前には彼女の体。動けない。その時、叫んだのかささやいたのかわからない声。「たすけて」 俺は反射的に抱き寄せギャー・・・娘の泣き声と同時にとび起きる。そう、彼女にも俺しかいない。ぎゅっと抱きしめる。この幸せを、守るということの不安を、抱きしめて、彼女のぬくもりを感じる。
「やめろ!おぬしら、よってたかって大人数でかよわい一人の女子を襲うとは、武士の風上にも置けぬやつらじゃ」「やいそこのお前。そのお嬢さんからお前の汚い手を離しやがれ」「お嬢さん、もう大丈夫ですよ。さあ、拙者の後ろに隠れて。そこから顔を出さぬようにしてくだせぇ」「え?なーに大丈夫ですよ。あいつらの剣などすでに腐っておる。あのくらいの人数では拙者の相手にもなりはしません」「おぬしらの腐った剣では拙者を切ることはできぬ!おとなしく剣を捨てよ!」「ほう、ここまで言われてもなお剣を抜くか。まだほんの少しだけ、武士の魂を持っておったか。しかし、拙者の敵ではない!」「ぬん!でやっ!そりゃっ!やあっ!」「ふっ。おぬしら、もう一度武士の魂を一から磨きなおすのじゃ。そして自分の心に一本、武士道を貫くのじゃ。でなければおぬしらの剣が、もう一度輝くことはなかろう。去れっ!」「な〜に、礼などいらぬ。拙者は自分の武士道を貫いただけ。人を護るために剣の腕を磨く。それが拙者の武士道。ただそれだけでござる」「名前?はっはっはっ。拙者には名のる名などありはしませぬ。まだまだ未熟者じゃ。それより、ここは物騒なところじゃ。こんなところを、あんたみたいな可愛いお嬢さんが一人で歩いておったら危険じゃ。早くここから立ち去るのじゃ」「拙者には帰るところなどないのじゃ。ただただ、風の導くまま。心の流れるままに行くのみ。お嬢さんとはもう二度と会うことはなかろう」「なに、武士はいつも独り。独りでおるからこそ強くなれる。少なくとも拙者はそう思っておる。さあ、もう行きなさい」「ああ、気をつけるよ。では―」「しんじ〜、ご飯よー」「はーい!今いくよー」(明日の学芸会はこれで大丈夫そうだな)
※作者付記: はじめまして。読んでいただけるとありがたいです。
「あーあ。私、はやく恋したいなあ」「私も私も。彼氏ほしー!」私はいつも親友の美和子と恋の話をする。恋って甘いよなぁ・・・そんな感じが私にはするのだ。甘くて、切なくて、もちろん、哀しいときもある。私は、まだ一度も恋というものを体験してはいないのだが、恋ってなんか雰囲気ですべてが分かる気がする。夕方、オレンジの太陽がまだ沈んでないとき、アイスティーを飲むときの一時の時間・・・そういう甘い感じがする、恋の雰囲気って。チカ先輩はこう言う。「彼に愛されてるときが、一番幸せ」、と。幸子はこう言う。「勉は、少年っぽい。だから私の心をくすぐるのよ」、と。みんな、幸せそう・・・なんか生き生きしてる。私は思うのだ。恋は軽はずみなものではなく、純粋で愛しい結晶のようなものだな、と。もちろん、美和子には好きな人がいる。私はいつも美和子の恋の相談相手をしているのだが私にアドヴァイスを聞いたって・・・とつくづく思ってしまう。本気で恋している、そう、チカ先輩や幸子に相談に乗ってもらえばいいのに、と。「告白してきた」美和子は私にそう言った。放課後、誰もいない教室で。オレンジ色の太陽が、教室を橙に染めている。「ダメだった」美和子は私にそのことを伝え、目に一杯の涙を溜めていた。逃げてきたんだろう・・・いや、逃げたんじゃない、多分、玉砕して耐え切れなくなったんだな、と私は思う。甘さが、無くなる。辛くなってしまう。カップルの間が、こういう関係になってしまったらもう駄目なんだろうと私は常に悟ってしまう。美和子はその日、私に慰められ、穏やかな清清しい気持で帰っていった。と思う。告白した恥ずかしさの余韻は残っているのかもしれないが、彼女は前より笑顔が素敵だ。人を好きになって恋するにのって、人を純粋にさせるのかなあ。私はまたひとつ、勉強する。今迄、恋について色々考えた。考え尽くした。でも、実際、試さなきゃ始まらないんだよな・・・って思って焦ってしまう。そんなとき、美和子はこう言う。「たかがちょっとイケメンだとか優しいからって、軽はずみな気持で恋しちゃ駄目。彼の目をよくよく見つめるのよ。そして、彼があなたに気づいたとき、恋しなさい。目と目が惹かれあわない恋なんて、論外よ。奇麗事かもしれないけど、私は本気でそう思うよ」今から、どんな出会いが待ってるんだろう。このどきどきした気持ち。一生、味わってゆけたらいいなぁ・・・
ベランダに血まみれがいる。ぐちゃりとした質感の肉塊に、目や耳や口やヒゲ、指や縮れ毛や、時折きのこ状のものまで現れる。 月すら見えない、ただ、闇のような夜。無風。パキラは血まみれが口ずさむ歌を聴いていた。かすかな風鳴り。平板に味付けしただけの音階。おそらく血まみれは瀕死の状態にあるのだろう、パキラはミディアムショートの髪を撫でつけ、そう推測した。 血まみれに血を与えることが、彼女の日課になっていた。そうしないと、コレは死んでしまう、パキラはそう思っていた。傷つけても、血の出過ぎない体の部位はどこか? そんなことばかり毎日考えてすごしていた。部屋は散らかり放題。 ただ、血まみれの歌が彼女を救っているわけじゃなかった。それでも、耐え得るものにはしてくれていた。 随分前、コンビニへ日用品を買出しにいった帰り、パキラはエレベーターの階数ボタンを押し間違えた。普段は見えないはずの13階が現れたとか、そういう話じゃない。5階を押すはずが、6階を押してしまっただけの単純な間違いのはずだった。 エレベーターのドアの向こうに、密林が広がっていた。巨大なシダ植物が夜空に張り出し、食虫花が踊る。魚が四つのヒレで歩き出しそうな風景の中に、パキラは立ち尽くしていた。手から落ちたコンビニの袋が、泥水の中、ぐずぐずになって沈んでいく。重く垂れこんだ空から黒い雨が少女の頬を打つ。雨はぬるい。不思議と彼女にとっては不快なものではなかった。どこか、懐かしいものだった。ふと、湿地に目を落とす。血まみれのドロが足元にすりよってきた。 パキラは、黒い喪服もしくはリクルートスーツを乱暴に脱ぎ捨てているとき、歌が聞こえないことに気づいた。 血まみれはまだ、生きていた。だが、歌う元気は無くなってしまったらしい。あらためて見てみると、何て醜い生物だ、とパキラは思った。彼女は机の上に置いてある錆びたカッターナイフで、手の甲の青い血管を切って、血まみれに血を降り注いだ。「私を好きだと言いなさい。無理なのは分かっているけれど」 血まみれがついに枯れた。パキラは涙の一滴も流さなかった。血まみれは死の間際、パキラに良い恋人ができるようにと祈ったが、すぐに余計なお世話か、と思いなおし、苦笑した。 彼の歌った歌を忘れてしまった頃、彼女は初めてSEXした。彼女の新しい彼は、とても優しかった。 ベランダの観葉植物は枯れて、土に還る。
何年も前の話。「じゃ、又ね」 そう云って部屋を出た。 オレンジの世界でビールを飲みながら、こちらを振り向くことなく彼は、窓の外を見つめていた。 私たちは自然に出会い、自然に恋をし、自然に分かれた。 大学に入って初めてあった頃の彼はひどく魅力的だったし、私もまだ若かったから将来の事なんて気にもとめなかった。彼は芸術学部、私は教育学部。卒業して、美術教師になった私と学生を続ける彼の生活はすれ違いはじめたのだ。 でも、本当につきあってたって言えるのかどうかはわからない。 彼は、来るもの拒まず去る者追わず。食った女は数知れず。まあ、私も彼一筋って訳ではなかった。実際、その日も彼の部屋を出たその足で違う男の部屋へと向かったのだから。 「又ね」とは云ったけれど、もうそれから一度も会う事なんてなかった。 休日の朝。 駅前まで出てきた。 普段こない町中の画材店。 いい筆がないかと思って立ち寄ったけど、めぼしいものが見つからなかった。 しょうがない帰ろうと思って壁を見ると、一枚のポスターが貼ってあった。 二階で画廊を開いているようだ。 せっかく、此処まで来たんだからと階段を上がる。 まあ、地方都市のしがない画材店。めぼしい絵なんてなかった。 それでも、それなりに真剣に見ていくと、鮮やかなオレンジの絵があった。 タイトルは「オレンジの時」、何でもない絵で、ただ膝を抱いた女性がベットの上から窓を眺めている。それだけの絵。「どうです、気に入りましたか?」 後ろから、店の主人らしき声がかかる。「ええ、とっても」 絵から目を離さずに答える。「この絵、描いたご本人が持ってこられたんですか?」「いえ、その人の恋人という方がお持ちになりました」「そうですか」「お知り合いなんですか?」「いえ、ただこんな絵を描いた人がどんな人だか知りたかっただけですから」 静寂。 私は、ただただ絵を眺め続けた。「……この絵、おいくらですか?」「そうですね。特に定価というものは決めてないのですが……」 どんな値段がはじき出されてもかまいやしなかった。 部屋に戻って、その絵を壁に掛けてみる。 あの時の、あの部屋のにおいがするような気がした。「愛してたのかな」 だれが、何を? でも、そんなのはどうでも良いことだ。 もう一度あそこへ戻りたいとは思わない。 ただ、あのオレンジの時に包まれた時間がきっと幸福だったのだと思えた。
日曜日の昼下がり、ホームで私は電車を待っていた。私が立つ停止線には二列で十人あまりいたが前に立っていた男によってその日の印象は色ずけられた。 男はジャンパーから菓子袋を取り出した。 中身がかなり減っていたが、懐かしい物が目に入った。「−−−パイナップルの飴か−−−懐かしいな」 子供のころよくなめたが鮮やかな黄色が子供の時のようにさわやかに見えた。 男は自分と同じか少し上、三十半ばだろう。子袋を取り出して舐めだした。「−−−ああ、いい香りだ−−−」 男のすぐ後ろとはいえフルーティーな香りまで届くとは思ってもみなかった。「あのぅ、すみません。そのキャンディー、駅の売店で売ってましたか」 なんと馬鹿なことを聞いてしまったんだ。 香りに負けてしまったのか男の肩を小突き、たずねていた。「はぁ!これっ売ってないよ。プレミアキャンディーだから。一個売ってあげるよ。百円ね」 振り返った男はサングラスをかけていた。 あまり印象のいい男ではなかった。 「じ、じゃぁー一個売ってくださぁ」 言葉にならないほど情けなくなっていた。 ポケットに百円玉があったので男にさしだした。 「くくっ」 隣にいた若い女二人が顔を見合わせあざけり笑っているように感じた。 俺の顔は今ロバなんだろ。 たかだか十円ほどの飴を百円で買っているのは、そうはいないだろうと 心の中で泣いていた。「あっ、電車がきたよ!中で渡すよ」 何を言ってるんだこの野郎。金を受け取っておきながら、すぐにわたせよ と言いたかったが口に出せなかった。 あぁ、どこまで情けない。都会はここまで荒んでしまったのか。「なっ、うまいだろ」 やっと電車の中で男にもらったキャンディーを舐めたが、うまいと思っても 味は半減していた。そのはず、男は肩を組むような格好で感想を聞いていた のだ。 「−−−最悪だ−−−今日は−−−」 うなずいて愛想笑いを付け加えたが、言葉にするほどお人よしを見せたくはなかっ た。「−−−電車賃だ。電車賃が百円足りないんだ−−−」 乗り換えて次の電車に百円足りなかった。 値のはる本を今日買ったことに後悔した。「じゃっ」 男は次の駅で降りていった。 ささやかな開放感を感じたが男が去ってから腹立たしさがこみあげてきた。 駅を五つほど歩いて帰らないといけなくなった。「あぁ−−−たかが百円去れど百円か−−−」 苦笑しながら歩き出した時さりげなく百円の幻影を探すかのごとくポケットに手 を入れた。「あっ!何で百円がここにあるの−−−」 ポケットにさっき渡したはずの百円が戻っていた。 それだけではなかった。「うわっ!何これ」 反対側のポケットにはパインキャンディーか゜十個ほど入っていた。「パイン男め−−−粋なことしやがって−−−一期一会を大事にしろとでも言うの かよ」 飴をもう一粒舐めてみると何かさわやかな風が吹いてきたような感じがした。 百円は戻ってきたが駅に帰らず歩いて帰ることにした。 なぜか、いつも電車で素通りする道が心なしか華やいで見えた
―教師。 この言葉から、何をイメージするだろうか。 学術を授ける者、生徒の手本たる者、導く者、肯定的なイメージばかり存在する様に思われる。 だが、現実とイメージは皮肉なことに一致するとは限らない。 未だ社会の秩序―年功序列などおよそ弁えていない生徒たちに陰口を叩かれ、時には正面から反抗され、社会のルールを乱した一部のそれの責任を負わなければならない。もちろん非は生徒のみにあらず、教師の方にも責任はあるが。 斯く言う私も公立高校の教師だ。特に生徒に信頼されているわけでもなく、顧問をしている部活の指導も公立高校にいる所為かおろそかだ。 現在、教師生活二十云年になりこの状態であるが、教師になったばかりの頃は若々しく、 (私が教える生徒に学術だけではなく、人生の相談役としても「教育」しよう) と志をもっていたものだ。 しかし、その志も年月を経るにつれ発生する膿―心を開かない生徒、教師同士の権力争い―に侵されてしまった。もはやそこには教師の威厳などは存在せず、さえないサラリーマンと同じ類に成り下がっていた。 職場への通勤の途中で見知らぬ高校生が喧嘩していようとも見て見ぬふりをし、職場でも生徒たちに小馬鹿にされようとも笑って聞き流し、日々を過ごしてゆく。 いつからこんな情けない人間になってしまったのだろうか。辛い、面倒だ、波風を立てたくない、そんな我が身がかわいい官僚みたいな人間。昔に志した「教育」をする資格は無くなったかもしれない。私は決心しようとしていた。 そのようなことを抱えていた小春日和の日、使い古した鞄をぶら下げながら通勤する途中の事、コンビにでたむろする学生達を見掛けた。 いつもの光景だ、関わっていると遅れてしまう―と何の心の抵抗無く過ぎ去ろうとした。その時― 「ここで何をしているのだ。学校へ行かねばならぬだろう。」 ぶっきらぼうな言い方だが、感情のこもった声。若い頃に自分が良く言った言葉が耳に刺さってきた。思わず視線を向ける。 言葉をかけられた学生達は声をかけた人物―痩せた、どこから見ても頼りなさげな男だ―を睨みつけ、脅しの言葉をかけ、追い払おうとしたが、彼は諦めず言葉を与えた。 彼らは納得したのか、渋々と学校のあろう方向へ自転車を漕ぎ出して行く。 私はその光景を見ながら注意した男の顔を見て何かを思い出し、別の何かを崩した。 冬の太陽の温もりを感じながら。
「夢なんてくそくらえだ。」少年は目の前に置かれた一枚の紙に向かってそうつぶやいた。『あなたの夢はなんですか?』その下の解答欄には何回も何回も消しゴムで消したあとがある。「そんなに悩むなら書かなきゃいいのに……。」「んな訳にはいかねえよ。」「なんで? 今日の将ちゃんはなんだか将ちゃんらしくないよ。」「……ってなんだよ。」「えっ?」「俺らしいってなんだよ!」再び沈黙が二人を襲う。少年はあの日のことを思い出していた。あの日もこんな少し風の冷たい日だった。いつも警察官という不規則な仕事を第一としていた父ちゃんがいつもよりずっと早く帰ってきて、母ちゃんは困った顔をしながらも声がはずんでいた。三人でファミレスでご飯を食べて…あぁあの時俺は水を倒したっけ…いつもは厳しい父ちゃんだけどあの日は笑っていた。俺と母ちゃんはホッとして仲のよい幸せな家族になっていった。そこから先は……思い出したくもない。父ちゃんは…父ちゃんは翌朝早くに家を出て行ったまま……今も帰ってこないでいる。俺は父ちゃんの仕事である警察官という職業に憧れを持っていた。正直いうと警察官になりたかった。父ちゃんが出て行かなければ自信をもって警察官だと書けたのに……。どこからか桜の花びらが舞い降りてくる。少年はその花びらを握り潰そうとしたが少し躊躇ってやめた。なぜなら桜は父ちゃんの好きだった花だったから…。その時、少年の隣りに座っていた少年がつぶやくように言った。「将ちゃんが自分が思ったことを思ったとおりにやってるときが一番将ちゃんらしいよ。」………お前今までそんなこと考えてたのか?「将ちゃんは自分に嘘ついてるんじゃない?」やめてくれ…ほっといてくれ…「無理してるように見えるけど…」俺は無理なんかしていない。「将ちゃんは自分のこと好き?」ああ、好きさっ。大好きだよ。「じゃあ、なんでそんな泣きそうな顔してるの…?」…………。「将ちゃんはね、将ちゃんでいいんだよ。」その言葉を聞いた瞬間、少年は走り出した。風を切って全速力で走る少年の真っ直ぐな瞳に涙が浮かぶ。「ちくしょう。」つぶやくように一回言ってから、今度は叫ぶように言った。「畜生!」涙が次々に頬を伝って流れ落ちる。「畜生!! 畜生!! 畜生!!」「将兵は将兵でいいんだ。」それはあの大好きだった父ちゃんの言葉だった。『あなたの夢は何ですか?』 ―夢を見つけること。
小さい頃から父さんの背を見て俺は育ってきた。 哀愁漂う、その背中を。 つまりは俺が小さな頃から父さんの哀愁は漂っていたということであり、その原因となるものは昔から存在しているということだった。「なあ、雪奈。クリスマスはサンタさんに何を頼むんだい?」 その頃もう小学校に通い始めていた俺は既にサンタの正体を知っていたが、園児であった妹の雪奈はまだそれを知らない。本物のサンタがいると信じており、雪奈はそのサンタに対して自分の素直な思いを願っていた。 だから雪奈は言う。純真な瞳と、天使のような笑顔で。「お金持ちで、娘に甘くて、皆に自慢できるぐらいかっこいいお父さん!」「………」 父さんは固まっていた。なぜかその姿を見て、俺は涙がこぼれそうになる。 そして雪奈だけは、相変わらず天使のように微笑んでいた。「……雪奈は、お父さんのこと嫌いなのかい?」 よせばいいのに、父さんは先ほどの言葉が信じられなかったのか雪奈にそう尋ねる。 子供は時に残酷だ。そして、雪奈は時に残虐だった。「ううん、お金もないし、お小遣いもあんまりくれないし、顔だってたいしてかっこよくなくて、将来お父さんみたいな人とは絶対結婚したくないって思うけど、私のお父さんだもん。嫌いじゃないよ」「……そうか」 雪奈の悪魔のような発言に、父さんは疲れた返事を返すことしかできなかった。「と、父さん。お茶でも飲む?」 見るに耐えられず、俺はそこで話を中断させることにする。 これ以上続ければ、我が家からサンタが失踪しそうな気がしたから。「ああ、ありがとう、壮介。お、茶柱か…」 小さな幸せでも、いまの父さんにはかなりの癒しなのだろう。茶柱を見つめながら、父さんは穏やかな笑顔を見せていた。 だけど、「ちっちゃいことでも単純に喜べるのって、お父さんの良い所だよね」 雪奈の発言が、再び父さんを凍りつかせる。 そしてその晩、父さんは枕を濡らす事に。 父さんは、昔から背中に哀愁を漂わせていた。 その原因は………語るまでもないことだろう。
おーーー!久しぶりじゃないかマックス!!!」「気安くおれに声をかけるな!お前、自分の立場わかってんのか!!」「いいじゃないか〜、僕たち友達だろ〜。」「くそ!いったい、いつからお前はそんなに地球語がうまくなったんだ!」そう、俺とこの人間の姿をしたやつは10日前に俺の農場で出会った。あの時俺はいつものように畑仕事をしてたんだ、一人でひっそりと。ここはかなりの田舎で人が通ることなんて1年に2、3回くらいだ。そんな時向こうから俺のほうへ近づいて来る物体が見えた。「ありゃ・・・、何だ・・・?」思わずひとり言を言ってしまった・・。そう、無理もない。わたしが見た物体はへびのような、怪物のような・・。人間と同じく二足歩行なのだがくにょくにょしていて今まで見たこともない体の色合いだ。わたしは腰が抜けそうになったがなんとか冷静になって考え、こいつは着ぐるみに違いないと思い。しかし、何でこんなところで着ぐるみをきているんだ?とにかくわたしはこちらに向かってくるその着ぐるみをきたやつの所まで行った。「おい、あんたどうした?道にでも迷ったのか?」その着ぐるみをきたやつはわたしの顔をなめまわすように見ていた。「おい、いい加減、それをとれよ。」その瞬間、バタン!そいつは俺の目の前に倒れた。「おい!!あんた、大丈夫か!!!こいつぁ〜、いけねぇ!」俺はなんとかそいつを家まで運び、ベッドに寝かせてやった「おっと、あんた、着ぐるみぬがすよ。このままじゃ寝にくいだろう。」着ぐるみをぬがそうとしたが、どこにチャックがあるのかも分からず、そいつは「う〜、う〜、」っとこの世の声とは思えない声でうなっていた。「仕方がねぇ〜、すぐ起きるだろ。」俺は一仕事終え、まだ寝ている着ぐるみを確認し、そいつの分の晩飯も作ってやることにした。「おい!!おめぇ、飯だ!飯、食わねぇとうごけねーぞ!!」その瞬間、急にそいつは動きだし、テーブルの上にあった食事をいっきにたいらげた。俺の分まで・・。俺はそのとき気づいた・・・・、こいつは人間じゃないぞ・・・、何かの新種の動物か?「おい、お前、何もんだ!!!」っといてみたが、答えるわけもないと思ったがなんと!「オ・・レ・・・・ハ・・・・。」どうやら、俺の言葉をまねして自分の言葉に訳そうとしているみたいだった。今、俺が言えることはこいつは地球人じゃないってことだった。そして、今にいたるというわけだ。
※作者付記: 人気があれば続編にしたいと思っております。
あの人には確かなものを感じた。暦の上だけでの春が、暖かく感じられた。私はその頃長い恋にようやく別れを告げ、愛だの恋だのということはまったく幻想で自分勝手な夢であると確信していた。それなのに、どうしてかあの人には確かなものを感じずにはいられなかった。謙虚に差し出された手指は温かく、それは私の平熱のそれとよく似ていた。ヤニで黄色くなった白目は私の母親を思わせた。彼は今年24歳になると言っていた。そして、ある占い師に24歳が寿命だと告げられたことも。「うそっ、本当?ねえ、本当に?」あれから数ヶ月の月日が流れた。私は今月18歳になった。もう秋も深い。彼の誕生日はとっくに過ぎている。一緒にお祝いしようと言っていたのに。もちろん18年も生きているんだ、約束の一つや二つ破られてもそんなに傷つかない。でも。かさかさ鳴り舞い落ちる落ち葉にあの桜たちを思い出さずにはいられないのだ。そしてそこに重なるあの人の影を。車のなかで、手をつないでとせがむ私をさらりと許した。少し人を馬鹿にするように笑った。自分が嫌いだと言った。あの人は24歳になり、どこかで時を終えてしまったのだろうか。 付合っていたわけではなかったので、何日かくらい連絡がこなくなってから私は元彼と会って寂しさから体を重ねあったりしてしまったこともあった。クラスの男の子とメールをしたり、大学生と合コンをしたり、好き勝手に触れ合いを求めたけれど、全ては幻想以上の何でもなかった。あの人の持つ温かさは誰からも放たれていなかった。 今私は震える手で携帯電話のボタンを押す。「次の電話は俺からするね」と言っていた。つまり私からはしてほしくないということを優しく言い換えたのだ。けれど私は優しい嘘をありがたくうけとめられない。幻想みたいな恋愛など望んでいないから。 三回コール音を聞いてから彼の声がしたた。驚きもせずに、「元気か?」と言う。電話したのはこちらなのにまったくずるい人だと思った。「ひさしぶり」ひさしぶり。飯食べた?風呂入った?今布団の中?何度電話をしても同じことを聞く。そして私がよく話し出すと決まってあくびをする。私の話を流したふりをして笑う。誘いに乗らない。その全てが愛しく思えて、胸がいっぱいになり、電話を切った。 かわりに私の胸から確かなものが消え、幻想的な恋愛感情だけが残ったことを知った。また、私は大切なものを失くしてしまった。
ハウルの動く城の着メロが鳴っている。となりのテーブルに座る女の携帯電話だ。女は、難しそうな顔をして携帯に出た。私は、友人にすっかり待ちぼうけを食わされているところだったので、暇つぶしにその会話に聞き耳を立てた。女は予想外に、押し殺した低い声だった。「あなたの子じゃないわ・・・生まれつきなの・・・大丈夫、あの子は死なせないわ・・・五千万よ」 病院の帰りなのか?検査の結果を心配する電話の相手に答えているのだろうか。 予期せず、子供が出来てしまったのか?よくある話だな。でも、妊娠に「死なせないわ」は、変か。すると、妊娠じゃないのか。ならば彼女には、幼い子供がいるのかも知れない。その子が病気になり、自分が父親だと思っている男が心配して電話して来たのか?いや、男はその子の本当の父親なのかも知れない。女が、男に負担をかけまいと嘘をついているのだとしたら、この会話は成立するだろうか?「生まれつきなの」は、どういう意味だろう?先天性の疾病を抱えているのかも知れない。心臓病?そうじゃないとしても、手術に五千万円くらいかかる重病なのだろう。 もう一度、女を見てみた。ローライズのジーンズに、踵の高いヒール。それに、しなやかな肢体には不釣り合いな大きいバッグ。OLの旅行と言っても、誰も疑わないだろう。その陽気な姿と周りに聞かれまいとする無機質な受け答えとの乖離が、女が抱えている問題をより深刻なものに感じさせる。 しばらくすると、私の友人がやって来た。待たせた詫びを言いながら、ウエイトレスにコーヒーを頼む。コーヒーが来た。私のは、もう空になっている。女は、重そうにバッグを持ち上げ、お金を払おうと席をたつ。友人が、パソコンの新型モデルの話しをし始めた。私は、想像をすっかりやめた。 翌日、河井物産の会長の孫が誘拐されたという事件が、新聞の一面を飾っていた。子供は殺されていた。犯人はプリペイドの携帯電話から割り出されていた。身代金の請求をしたときには、すでに死んでいたと書いてある。私はその記事を、ただじっと見つめていた。そうするしかできなかった。死体をバッグに入れて持ち歩いていたのだ。身代金の要求額は五千万円。犯人は女。「もしもし? お前は誰だ。 加奈子はうちの子だ。いくら欲しい?加奈子は私の子も同然だ」(あなたの子じゃないわ)「加奈子には何の罪もないだろう。手段を選ばないエゴイストだな」(生まれつきなの)「加奈子は無事か?加奈子を出せ」(大丈夫、あの子は死なせないわ)「要求は何だ?」(五千万よ) 昨日の喫茶店へ行ってみた。ハウルの着メロが鳴る。あの女は今日もここにいた。
それはこれから先の過ぎ行く日々の中でも永久に消えることのない強い光とともに焼きついた私の一人舞台だった。 昔から彼とは父親同士が大の親友で幼い時から当たり前のように顔を付き合わせる深い縁があった。そういう奴のことをかっこよく表現すると「腐れ縁」なんて言うが私はそんな風に彼のことをぞんざいに思ったことはなかった。五才の誕生日に父にもらった当時好きだったアニメキャラのぬいぐるみを今でも部屋に飾っているくらい物持ちのいい私は彼のことを大人になっても変わることのない関係を築ける一つの境遇が与えてくれた大切な絆だと信じた。 その日は降り注ぐ太陽の光に叩きつけられるような重みを感じる暑い夏の日だった。 「ねぇ、今日これから町に遊びに行こうよ」 放課後、五時間目のプールでくしゃくしゃになった髪を弄びながら彼の元に駆け寄り当然のように呟く私 普段周りの女子とは話もせず本当の友達はこの世界で彼一人だって思ってた。本音で語れないうわべだけの会話なんてまっぴらだ。 「いや、これからちょっと待ち合わせ」 「ちょっとってどれくらい?アンゴルモアに世界を焼き尽くされた後の途方もない荒野で「やあ、偶然だね」とかいっちゃうくらい先の話?」 「それちょっとって言わないだろ。てかありえないそんなことは!」 わかっていた。それは互いの絆とは関係ない個人的な嫉妬だってことに。 彼には他に二人、私と同じ女友達がいていつも休み時間になると集まって一人一人が彼だけに話しかける。一つのグループとしてあるにもかかわらず彼女達と会話をすることがあまりないというのは滑稽だが私を含め彼女達に興味があるのは彼と学校での自分の居場所だった。 「じゃあ今度の日曜日さ、映画見に行こう。見たい奴あるんだ」 「それだったらちょうど村田さんにも誘われたから一緒に行こうよ」 村田は私と同類の他の二人の片割れだった。 そそくさと鞄に荷物を詰め込み教室を後にする彼。私はその跡を背後霊のごとく追いかけ不意に彼を呼び止めた。 「ねぇ、こんなこと改めて聞くのもなんだけどさ、私達親友だよね?」 彼の言葉を待つ間私は自分の言葉の矛盾に戸惑う 「友達だけど親友じゃない。それはもっと自分の傍によれる人にかける言葉だと思うよ」 放課後のざわつきが遠くに聞こえ蝉の唸りだけが鼓膜をかすめる ただそこにあるのは淡く芽生えた彼への思いと瞳に焼きついた強い光の残像
ま、まさか。 信じられない・・・・ 京子は仕事帰りだった。日が長くなり、夕方でもずいぶん明るい。 会社から十五分ぐらいのところで一人暮ししている京子は途中で何かにつけられてるような気がしていた。(・・・・?) コツ。コツ。コツ。コツ なんとなく歩調が重なっているような気がする。気のせいであることを祈りながら足を速めた。 コツコツコツコツ。 歩く速さも京子との距離も一定を保っている。どうやら気のせいではないようだ。 何だろうと不安がよぎる。もしかして変質者?それとも・・・・ストーカー?考え出したらきりがない。悪い方へ悪い方へと考えてしまう。このままでは身の危険性もありそうだ。(どうしよう・・・・) 振り返るべきか気づかぬふりをするべきか。 ・・・・。 しばらく悩んだ結果、勇気を振り絞って振り返ることにした。ドクン、ドクン。掌に汗が滲みでる。右手を握り締め、思い切り振り返った。(ほっ・・・) 道路には野良猫一匹いなかった。京子は胸を撫で下ろした。瞬間、視線を感じた。誰かにじっと見られている。 怖くなった京子はさらに足を速めた。しかし、見失うものかとぴったりとついてくる。ハイヒールの音だけがやけに大きく響いていた。 次の角を曲がればアパートはすぐだ。角の手前でもう一度振り返ろう。誰かいれば走ってアパートへ飛び込めばいい。 京子は高鳴る鼓動に「大丈夫」と言い聞かせながら足を止めた。そして、再び、思いきり振り返った。 後ろには誰もいなかった。 夕日は雲に隠れていた。 辺りは薄暗くなり、足もとから伸びていた京子の影も姿を消していた
※作者付記: 読んだだけで理解されれば嬉しいのですが、作者が未熟なもので、オチが分からないという方へ 背後から忍び寄る影は京子の影です。
俺は走った、頭の中が真っ白だ、街が人が、怖さと恥ずかしさで、歪んで見えた。 靴の紐がほつれて転んだ、暑いアスファルトに顔を摩り付ける、痛い、暑い、恥ずかしい。 本屋の店員(デブ)の声が、頭の中をグルグル描きまわす。「お客さん、こちらの商品は、成人指定の内容となっておりますので、お客様の年齢の確認できる、身分証明書などお持ちでしたら、お見せ下さい。」 判って言ってんだろ―けどさ、もってるわきゃね〜だろ!だって俺、中学生だもん。俺は、エロ本をひったくって駆け出した、モ―リスグリ―ンのように、イガグリ、エロ超特急、恥ずかしさから逃げるように。 顔もひじも、足も擦りむいた、降ろしたてのスボンが破けた。歩道の隅で、靴紐を結ぶ、どうやら、追っ手は来ない様。「我々の、イエス様は!・・・・・・当店の商品は、実際のFBIが使った本物の!・・・・・安いだけジャな〜いロ○ット。」 フラフラと、駅に向かって歩き出す、狂ったような雑踏、独りで知らない街に行くことが、こんなにも冒険だなんて、初めて知った中二の夏。 手に持ったエロ本を、熱くなるまで握っていた、表紙がクシャクシャになっていた。 悪いことをした、返しに行ったらどうなるだろう?親が呼ばれるのか?警察が来るのか?取調べを受けるのか?。親に聞かれたらなんて言えば良い?エロ本買いたかったけど、断られて、恥ずかしくなって盗ってきた?。 怖さと、恥ずかしさで頭が歪む、喉が乾いて息が上がる、駅から本屋まで、三往復もしていた、グルグルグルグル、グルグルグルグル。 なんか泣けてきた、お腹がすいた、足の裏が痛い。 立ち止まって、じっくり考えようとした、ドキドキして、落ち着かない、もう、家に帰りたかった、日が傾いていた。そして、決めた、この本は、俺が預かろう。 十八になったら、ちゃんと、お金を返しに行こう、そして・・・・・・。、無茶苦茶、エロイ、エロ本を買ってやろう。 今、俺は、地下鉄に揺られている、背中のリュックには、あの時のエロ本が、所々黄ばんでぺ―ジの張りついた、俺の、相棒、を持って。
※作者付記: 思春期の、焦りのような、好奇心と言うか、ちょっと実話入ってます。(エロでは在りませんので、ご安心を)
『1000』カウントが暴力的に木霊する。堪らず耳を塞いでも、余りの反響に頭がきしむ。それもその筈。此処は幅3メートルに満たない四角形なのだ。それは部屋というよりも箱だ。家財や雑貨は勿論、窓や通気口の類すら一切無い。何も無い。地面、天井、前後左右。六方全てに映るのは、壁だけだ。壁は純白に塗り固められ、その上に墨で延々と呪詛が書き綴られている。耳なし芳一を思い出させる光景だが、余隙が全く無い点が違う。ようやく反響が止んだ。此処は千の牢獄。誰一人とて抜け出せぬので、人々は何時しかそう呼び始めた。何百もの受刑者達は、刻々と減り続けるカウントに従い、ただ終りを知った。規律は決して破られぬ事を、背徳の先には祝福など無い事を、その存在を賭けて証明し続けた。視界を覆う数多の言は、彼らへと下された裁きなのか。或いは彼らの零した嘆きなのか。そして俺もまた、そこに吸い込まれる運命なのか。白と黒へと溶けて、消えてゆくのか。「助けて!助けてくれ!」気付くと天井へ向かって叫んでいた。妙に掠れて、かん高く、他人の声のようだった。(助けて!助けてくれ!)六方全面の壁に反射して今も鳴り響いている。まるで迷子みたいだ。『500』しかし、カウントは無情にも、それすら打ち消した。溜息すらも飲み込まれる。ああ!底知れぬ後悔が俺を襲った。汗と涙が枯れ果てた末の絶望ではなく、むしろその逆の、何もせぬまま終る事への痛みだ。堪らない。俺は絶叫しながら壁を叩いていた。強く、両の拳を握り締めて、叩き続けた。衝撃は何処にも抜ける事無くそのまま手へと弾き返される。鉛の固まりでも殴っているかのようだ。壁には傷一つ付かず、手応えはまるでない。腕を酷使する感覚だけが、俺を突き動かす。手の甲でも折れたのか、汗が額からどっと吹き出る。熱い。『250』くそっ!くそっ!くそっ!叫びが空間を逃げ惑う。くそっ!ヒビ一つ入っていないだろう白黒の壁。すがるように、そこへと視線を落とす。そこには、確かにヒビ一つ入っていなかった。だが、代わりに色が付いていた。白黒に赤!赤だ! 俺の血の色だ。何一つ変わらなかった秩序への、破壊の色だ。笑いが溢れる。『100』「ははははははは」力が通わなくなった右腕を、筆のように壁に擦り付ける。赤く不器用な線が引かれた。俺の証明だ。完璧の崩壊だ。絶対たる規律など無いのだ。俺は、抜け出せる。俺は『10』あああああああ
※作者付記: ああああああ! 夏草の匂いが、つんとする。虫の鳴き声が、風に運ばれている。足裏からは、確かな土の感触が伝わって来る。 果てし無い大地の先には、彼方へと続く空。雲が戯れに泳ぐ、青空がある。暖かなそれを、腹いっぱいに吸いこむ。「自由だ! 俺は、自由だ!」 俺は今、戒律を打ち破り、限りない自由を手にしたのだ。延々と旅をするのも、まどろっこしく恋をするのも自由だ。幸せだ。幸せだ。とても幸せだ。もの凄く幸せだ。満たされた気分だ。ほら、祝福するかのように、小鳥だって、さえずっている。チュンチュ『レッドカード!』
ふと気付くと、真っ白い廊下に立っていた。ドアは無く、白い壁。天井には蛍光灯が並ぶ。「おーい・・・」 夢だろうか。それにしては意識もはっきりしている。 と、何時の間にか天井に備え付けられていたスピーカーから声が聞こえて来た。『間違いを見つけてください』「はぁ?」 白い廊下に赤い矢印が浮かび上がった。進め、か。 仕方なく歩いていると、病院で使われているようなベッドが現れた。包帯ぐるぐる巻きの男が乗っている。「液体窒素を被って低温火傷しちゃってねえ」 少し考えてから、言った。「低温火傷っていうのは湯たんぽとかの50℃〜70℃という割と低い温度のものに長時間触れていてなるものだと思うけど?」「無念」 男もベッドもぼんやりと消えた。「こういうことか」 足を進めると、今度はバラを咥えたキザったらしい男が現れた。一冊のノートを手渡される。 詩だった。そう悪くも無いものだった。「どうだい? 僕はなかなかのポエマーだろう」「詩人ってのは英語でポエットっていうんだが」「ぎゃふん」 また消えた。ぎゃふんって言う奴を見たのは初めてだ。 次に現れたのは、年配の女性。「先程は愚息がお世話になりました」 急に、さっきのキザ男が現れた。「ひどいよ母さん、愚息なんて!」「愚息っていうのは愚かな息子という意味ではなく。愚かな“私の”息子、という意味。自分を卑下する言い方なんだよ」『ぎゃふん』 親子揃って消えていった。「次は何だろう・・・的を“射ている”を“得ている”に間違えた奴かな」「畜生!」 声が聞こえた。当たりだったらしい。「うおおっ!?」 突然、壁面からチェーンソーが生えてきた。ガリガリと壁を切断して大穴を開け、出てきたのはホッケーマスクを着けた大男。そのまま切りかかってくるが、俺は冷静に告げた。「チェーンソーと言えば、すぐにジェイソンを連想する。だが劇中でジェイソンがチェーンソーを使ったことは無い」 消えていくジェイソン。そこで放送が流れた。『おめでとう、そこのエレベータに乗りたまえ』 また突然現れたエレベータに乗り込む。下り始めた。『馬鹿め、引っかかったな! これはエレベータではなくドリルマシンだ。このままプレートを突き抜け、高熱のマントルで焼け死ぬがいい!!』 技術的に不可能という点か、ドリルマシンというネーミングセンスか、どちらか迷った末に、叫んだ。「確かに学校の授業で教えることだ。だが、プレートやマントルといった地球の内部は全て想像に過ぎない! そう考えると都合が良いというだけで実際に見た者は一人もいない!!」『お見事』 気が付くと、乗った覚えの無いエレベータの中だった。首を一度傾げる。そして、初夏の日差しを目指して歩き出した。
※作者付記: 今回ほど自分の小説に間違いが無いか不安な時は無いと思います。でも良くありますよね、こういう間違い。
追い風に恵まれた学校の帰り道。章はうなだれて、車道の脇を走っていた。 章という青年は社会科の教師が嫌いで、授業中は吐き気を催すまで、終始机にふさぎ込んだ。 今日はその教師の授業が終わった後だった。彼の症状は特に酷く、平衡感覚を失い、背筋を伸ばしたつもりでも、首は曲がったままで、腰痛が彼を苦しめた。 自転車をこぐ足は時々踏み外し、ハンドルを握る手をハンドルに叩きつけ、怒りや、憎しみを当て所無く発散する。 章はそのまま家にたどり着き、朦朧とする意識のなかで眠りについた。 次の日の朝、章は自転車にまたがると、学校へと向かった。最近になってクラスに馴染むようになった章だが、頑なに友達を作らずにいた。 理由は彼が周囲の人間に抱いた不信感だ。それは、具体的に言えばギャンブルだったり、カンニングだったり、携帯のアダルトサイトの閲覧だった。 生活指導もかねて、担任がどれだけ彼に集団行動の大切さを説いても、彼は自分の誠実な心を傷つけてまで、奉仕したいという思いは起こらなかった。「どうして友達を作ろうとしないの?そんなに学校が嫌い?」 担任の文子は体を傾け、章の瞳をのぞき込んだ。人間的な心の活動を確かめたかったのだ。「理想と現実は違うんだ!!」 章はそう吐き捨てると、プリントを提出しに訪れた職員室を後にした。 教室に戻ると、章は誰も見ないで自分の席につく。周りを見れば、夢も希望も持つだけ無駄だと、放心しそうだったからだ。 ある者は、何かとつけては章の行動をのぞき込み、勉強方はあからさまに真似ていた。ある者は被害妄想を章に抱き、咳や鼻息などの授業妨害は、発作を起こした豚にしか彼の目には映らなかった。 と、そこへ文子が教室の入り口に現れた。「章、ちょっと来なさい。」 言われるまま、文子に付いていく章。 何かと思い、あれこれ想像を膨らませる章が連れて行かれたのは進路指導室だ。 そこには社会科の教師がいて、文子が余計なお節介を焼いたらしい。章は裏切られた思いで頭の中は真っ白になり、しばらく、その教師の露骨な軽蔑や執拗な言及にも耐えることになった。 「どうして、本当のことを話さなかったの?」 文子は進路指導室に頭を下げると、章にこっそりと聞いた。怪訝そうな面持ちの社会科の教師は、とうとう耐えかねて切れたのだ。「苦しくても、全ての事には終わりが来るから。・・・・・・ほら、一つはこれだよ」
※作者付記: おもしろいものは書けない。そんな才能、俺にはない。でも、できることはあると思った。今がそのとき。ちなみに俺は十七歳、高三。実話ではないが、哲学を反映した作品である。
一人暮らしを始めてようやく一ヶ月が経ち、なんとなく部屋らしくなってきた。っと、言っても友達も出来ないし、お隣さんとも会った事すらない。岩手から出てくるとき母親に風邪だけはひかないようにと言われたのが身にしみて分ったのが一週間前だ。その日は寒かったので持ってきた服を重ねて布団の中でうなだれていた。暖房器具を持ってこなかったのも、このとき初めて後悔したのかもしれない。岩手の友達に電話はしたけれど、結局は慰めの言葉だけ。冷蔵庫の中にあるもので飢えを凌いでいたが、さすがに三日目にはコンビニへと向かった。上京したときに疑問だった、深夜の立ち読み客の多さもなんとなく分ったような気もした。きっと、大都会の一人暮らしに疲れた人たちのコミュニケーションの場所なんだと自分で納得をした。おにぎりとお茶。それと日持ちするパンを何個かかごに投げ入れ、レジへと向かう。笑顔のお兄さんが白いビニール袋に入れ替える。お会計と共に思わずポイントカードを出しそうになるが、ここはコンビニ。山形にはコンビニが少なくスーパーだけで。ビニールには入れてくれるわけなく、ましてやおにぎりを温めてもくれない。家の扉を開けると真っ暗な部屋が私を向かえる。朝を知らせてくれるのはカーテンからの木漏れ日。そして毎日決まった時間に送られてくるメル友からのおはようメール。今日の待ち合わせ時間の確認をしてきたのだ。彼とメールを始めたのはこっちに来てから一週間経った頃だった。友達の居ない私は出会い系に投稿した。数分も経たないうちに100通以上のメールがひっきりなしに届いた。Hなメールや真剣なメール。さまざまある中で彼のメールはちょっと違った。「今夜は満月が綺麗だね」東京の生活に慣れようと頑張っていた私に、彼の言葉は胸にしみた。ゆっくり空を見ていなかった私は彼にメールを返した。それから一ヶ月。再び満月の日に会う約束をしていた。「東京タワーの展望室で19時に」東京タワーを初めて見たのは新幹線からの車窓だった。日本で一番高いと聞いていたけど、周りのビルのせいかあまり大きく見えなかった。でも、下に来て見ると不思議と高くいつか倒れてくるのではと不安に感じた。高さにも驚いたが上に登る値段にも驚いた。緊張した心のダンスに汗を浮かべ開いた扉の先には暗闇に零された光の粒が広がっていた。そして、白いジャケットを着た彼の姿が満月と共に浮かび上がっていた。
――携帯電話で千文字バトルに投稿してみよう。 そう思ったのは会社の慰安旅行のバスの車中だった。大阪から長野まで。二日目は愛知万博という一泊二日の強行日程。慰安旅行ぐらいゆったりさせてほしいものだ。 ドッと笑いが起こった。 今、バスの後ろでは賭け事が行われている。クッピン、シッピンという声から、カブをやっているようだ。実に楽しそうなのだが、賭け事には弱い上に、薄給、給料前、おまけにレートも高い。手を出す気にはなれない。 バスの中は三組に分かれている。一つは賭け事組――が大半。二つ目がだべり組。最後に寝る組。おっと、バス酔い組というのもいる。 前日、0時まで仕事していた私としては、寝不足を解消したかったが、逆に目が冴えて眠れない。今更だが車の中で眠れない体質を痛感する。 暇だ、と思っていた時、頭の中がパッと輝いた。 ――携帯電話で千文字バトルに投稿してみよう。 ところが、非常にめんどくさい。ここまでで401文字。メールを打つのは嫌いじゃないが、メールでこんなにボタンを押したのは初めてだ。 ――448文字。 勢いで書き始めたものの、正直に言ってネタがない。 いつもどうやって千字にまとめようかと首をひねるのに、今日はどうやって千字まで届かせようかと考えている。実に単調で暇なバスの車内。そもそも一体何を書けばいいのだろうか。 まさに、千字は短し、されど遠し。 などといっている場合でもない。そろそろ投稿の準備を始めなければならない。今までメールの下書き形式で書いていたが、投稿フォームに直接書く時が来た。少しドキドキする。千字小説を携帯電話から投稿した人間など、いないまでも多くはあるまい。偉大で無駄な功績が送信されようとしていた。 ピッピッ! 唐突に電話が鳴った。 着信ではない。 電池が切れかけているのだ。 どうやら緊急事態らしい。私は投稿フォームに急ぐ。 ピッピッ! 焦る。何回もミスしながら、題名を打ち、やっと本文に取り掛かる。 その時だった。「手を挙げろ」 見知らぬ男が言った。黒いマスクで顔を隠し、夏日だというのに黒い革ジャンを着ている。声の印象から、かなり若い男だろう。 そして、その手には鈍色の銃が握られている。 周りを見ると、皆が手を挙げて私を見ていた。「このバスは我々が占拠した」 冷たい声。そして電池が切れる。私はそっと手を挙げた。 どうやら、この話は長くなりそうだ。
※作者付記: 文字の形式などを心配し、結局パソコンで入力しました。しかし、若干補正はしましたが、すべて携帯電話のメールで打ちました。
初夏の陽光まばゆい朝。とある駅の裏通りに一羽のカラスが舞い降りた。艶々の羽は緑にも紫にも輝いている。足元に白いものが落ちている。首をかしげながら、何かを確かめるように見ていたかと思うと、次の瞬間くわえて飛び去った。 今春、橋田家は念願のマイホームを手に入れた。狭いけれど3階建ての都市型一戸建。北西の角地にあり、北側にはプランターを並べ、小さな花を植えている。 朝7時に夫が家を出る。駅までは徒歩7分。ちょうどタバコを1本吸える。 夫を送り出し、花へ水をやる喜代。「あら、また」最近毎日のように吸殻が落ちている。根元まで吸われたものには見覚えがある。今日は何が何でも言わなければと決心する。 いつもの時刻に夫が帰ってきた。「お帰り」と玄関のドアを開け、表に出て花壇を見たが何もない。やはり夫ではない。 食事をしながら「最近おかしなことがあるの」「なに」「毎朝タバコの吸殻が花壇に落ちているの」「朝?俺が会社へ行くときは無いよ」「そうなの。あなたが行くときは無いの。でも、その後で水遣りに行くとあるの。それもあなたの吸殻なの」「俺の?」「そう」「俺のってお前、俺が捨ててるとでも」「そんなはず無いんだけど、あなたのなの。根元まできれいに吸う人なんて、あなたしかいないでしょう」「そんなこと分からんだろう」「けど、あれはあなたのよ。このところ毎日のようにカラスをみるの。悪い予感がするの。お願い、タバコをやめて」「何を急に言い出すんだ」「前から気になっていたの。タバコによる健康被害の大きさはあなたも知ってるでしょ。子供たちにも影響するの。癌になってからじゃ遅いの」「ちょっと待ってくれよ。そりゃ体に良くないことは分かっているけど、そんな簡単にやめれるわけ無いだろ」「分かってる。並大抵のことじゃないって。でも、やめてほしいの。もし、やめてくれないなら、わたし……」「なんだよ。離婚するとでも言う気か」「そうよ。子供たちをつれて出て行くわ」「お母さん」それまで2人の会話を黙って聞いていた沙智が悲鳴を上げる。妹の知恵はただ泣いている。「たかがタバコのことで、ばかばかしい」「お父さんもやめてよ」そう叫ぶと、2人して大声を上げて泣き出した。「あなたにはばかばかしいことでも、私には耐えられないことなの」「そんなにタバコが嫌なら出て行けばいい」「貴方を失いたくないの」女3人に泣かれては男に勝ち目は無い。「わかったよ」
どんな行動にも理由がある。 中学1年の夏、文化祭実行委員の集まりで僕は白瀬さんを知り、恋に落ちた。 彼女は快活で誰にでも優しく、猥談が大好きだった。文化祭準備の期間、いつ見ても彼女は友達と卑猥なジョークを言い合っては笑っていた。性的な冗談や言葉遊びを、あんなに楽しそうに話す人を僕は初めて見た。 彼女の隣にいられたらどんなにいいだろう、とよく考えた。打てば響くように、白瀬さんのジョークに応えられたら。けれども僕はうぶだった。彼女の軽口に反応できず、いつも曖昧な笑みを浮かべたまま硬直した。 文化祭が終わってからも、僕は彼女のクラスの前を通るたびに、横目で白瀬さんの姿を探した。束ねた長い髪と、自分でネタにしていた薄い胸を探した。廊下で会った時は向こうから声をかけてくれたけれど、冗談は言ってくれなかった。 僕は心を決めた。 図書館に通い、百科事典の性に関する項目を片っ端からノートに書き写した。解剖学的な名称を覚えた後は、各地の方言による呼び方も調べた。世界のジョーク集から艶話を選び、繰り返し音読して暗記した。 クラスでの実地訓練では、照れないようにするのが大変だった。あれ、入れる、出る、行く。無味乾燥な単語から猥褻な行為を連想し、ニヤニヤしたりわざと勘違いすることも覚えた。 先生からは何度も注意された。一部の女子には露骨に嫌われたし、仲のいい友人も変わった。ノートが見つかった時は親まで呼ばれた。けれど、恋に落ちたらそんな障害は無いのと同じだ。 3学期が終わる頃、僕はクラスでエロ魔神と呼ばれていた。 翌年度、白瀬さんと僕は同じ組になった。幸運に舞い上がる間もなく、彼女が野球部のキャプテンに恋していることを知った。開けっぴろげな彼女は恋心も隠さなかった。 やあエロ魔神、と屈託無く彼女は言った。 初めて白瀬さんと二人きりになった6月の放課後、僕は以前から用意していた、とっておきのエロジョークを披露するつもりだった。きっと彼女も爆笑して、僕らはウマの合う友達になれる筈だった。 好きです、と僕は言った。 白瀬さんは困った顔をして、しばらく黙った後、ごめんなさい、と呟いた。 どんな行動にも理由がある。 僕が部長を殴ってしまったのは同僚へのセクハラ発言に憤ったからではなく、それがあの日の僕のとっておきと同じネタだったからだが、説明は至難だ。 拍手と感謝の眼差しの中、僕は途方に暮れる。
「お前は一体誰だ!!」そんな陳腐な言葉を真面目な顔ではいた後、襲ってきたのは後悔だった。すぐさま冷静になっていく自分に、それでももう言ってしまったんだから仕方がない。仁王立ち、こわばった表情、握りこぶしも、全部引っ込めるわけにはいかなかった。「僕が…だれかって?」笑いながら、そうそれはまるで嘲笑。自分の絶対的優位を確信しているかのようにそいつは答えた。「よく…分かったね。」意外な答えだった。もうすこしごまかしてくれた方がこの勢いも少しは報われたのに。いや、でも、とりあえず的外れでなくて良かった。「そう…いまこの身体の中にいるのは君の知っている、もともとのこの身体の持ち主じゃない。」「な…っ!どういうことだ!」路上で二人。夕方だからだろうか。以外に人、というよりオバさんが多かった。彼らに聞かれるのは恥ずかしい。彼らはこういった、非日常的な光景が大好きなのだから。あいつはただ微笑んでいた。「答えろ…っ!あいつを…あいつをどこへやった!」私は次第に自分のテンションがこの場に合っていくのに、少し心地よささえ感じていた。「ではきくが…お前が言う『あいつ』とは誰だ?」唐突だ。あまりに唐突過ぎて、しかもあまりに核心をつきすぎて、私は周りを考えることを忘れた。いや…「忘れた」と自覚したのだから、忘れていたとはいえないが。そんなことよりも、そうだ。私が言う、『あいつ』とは…。朝から、妙だとは思っていた。あいつはいじわるだ。あいつは遠慮を知らない。あいつは愛想がない。そんなあいつが朝、この路地であって「おはよう」といって学校に着くまで楽しい、本当に楽しい話をして、授業中そっと答えをささやいて、お昼もお弁当を忘れた私に自分の食事を差し出して、帰り「一緒に帰ろう」という。おかしいだろう。「だからお前はあいつじゃない!」自分でいって、なんだか違和感がある。そう。別に何も問題はない。むしろ今のほうがよっぽどいい。私はなにがしたいんだ。でも、この姿勢を今更、この注目の中、どう戻せというんだ。「中身が違うから俺は『あいつ』ではないというのだな?」弱気な私にこいつはますます強気な態度だ。「では言わせてもらおう。お前が見てきたという『あいつ』。それが、俺が『あいつ』ではないというはっきりとした証拠になりえるのか?『あいつ』を定義づけるものが、何かあるのか?」中身はどんどん深くなっていく。物が落ちるような速さに、私は一緒に落ちて行けない。「この入れ物に対して中身とは常に目に見えない存在であり、一定の形をとどめることができないものだ。それに対し、お前はこれが『あいつ』だと、きっぱり証明することができるのか?お前はどうだ。去年のお前、五年前のお前、生まれた時のお前、全て一定の形を保っているのか?そうではあるまい。だがお前は自分を『自分である』と意識している。そうだ。何の根拠もなく。何の証拠もなく。そう。『存在』とは『意識』の上でしか成り立たないのだ。お前が俺を『あいつ』だと意識すれば、俺は『あいつ』になりえるのだ。」まるで裁判官のような人の心になにか服従心をあたえる言葉に周囲は喝采し、私は感服していた。やっぱりこの状況は恥ずかしい。自分が負けであることが明らかだ。だが私にはもう、自分の『意識』を貫きとおせるだけの『意識』がなかった。駆り立てるものもない。これ以上追求して、私がもし勝者になっても、それはそれで困るのだ。まぁいいか。私はあいまいに笑い、『あいつ』は満足げに笑って、二人、夕暮れの路地を後にした。