彼女は猫が好きです。 ⇒ She likes cat.「あれ、村上じゃん。」屋上への重い扉を開けると、そこには見慣れたクラスメイトがいた。「またご一緒します?」「なァンで俺が屋上来ると絶対村上がいんのかなぁ・・・」彼女は俺が屋上にサボリに来ると決まって先にそこにいて、いつも二人でボンヤリ50分間過ごす。と言ってもお互い恋愛対象として見ている訳ではなく、ただのクラスで一番話す異性・という程度だ。昨日の夕飯の話、バイトの話、家族の話とか。ほんとに、しょーも無いことばかり喋ってる。「知らないよそんなの。ねーぇ?」村上は猫の顔を覗き込む様にして言った。「・・・・・・あのさ、何で猫いんの?」「知らないよ、あたしより先にいたの。あーあ、あたし、いつも一番なのにね」猫の首元を掻いてやっている彼女の隣に座る。猫がごろごろと喉を鳴らす。「それは残念・・・・おいで、猫」「猫って・・・・・名前くらい、付けてあげなさいよ。それにあなたのこと、嫌がってるみたいよ?ねぇ?」村上は猫に微笑んだ。一見クールで冷たいイメージの彼女の優しさはそこにある。彼女の腕の中で、猫は心地良さそうに目を細める。「猫好きなの?」「うん、ちっちゃい頃に俺のじーちゃんが飼ってたから、村上は?」「あたしも猫は好き」「へー、意外」「どういう意味?」「・・・・哺乳類より冷血動物が好きそうだから」「失礼ねー、だから彼女が出来ないのよ」「・・・・お前の方が失礼じゃね?」「・・・・・おあいこよ」「・・・・・・・・・・・・・・・なんで猫好きなの?」「そうねぇ・・・・・自由気ままで、それでいて、飼い主とか好きな人に懐くところ?」「へぇ・・・・」「だから、ね・・・・・」そこで言葉を区切り、彼女は俺の顔を下から覗き込む。「・・・・・・何?」その仕草といたずらな瞳。急に、村上が女っぽく見える。ぅ わ 、 な ん な の こ の 感 覚 。「・・・・・・あたしも猫みたいなおんなのこになろっかなー、ってね」村上は突然猫を俺の膝の上に乗せ、すっくと立ち上がる。「ぅわ!?」「じゃ・あ・ねっ」からかう様に言って屋上から出て行った彼女の顔は、逆光で遮られて見えなかった。彼女には見えただろうか。俺の、かっこ悪く染まった顔が。「へ・・・・・・どぉいう意味・・・・・・?」いつの間にか、猫は俺の膝の上から降りてあくびをしていた。彼女は猫の様です。 ⇒ She likes cat.
※作者付記: ぅわ、なんなのこの感覚。・・・クールな女の子と、へたれな男の子の、友達以上恋人未満な小説です。
時刻はもうスグ午前零時をまわる。ファミレスで向かい合うわたしたち。あなたは携帯片手に楽しそうにお喋り。わたしは、もう随分前に飲み干したミルクティの氷の残骸を、音をたてて啜る。あなたは相変わらず電話に夢中。あなたの目の前にはわたしがいるのに。やがてグラスがカラカラに乾いくのを見て、少し哀しくなった。わたしは必要ですか?携帯の閉じる音がして、わたしは俯いてた顔を上げた。あなたは悪びれることもなく、わたしの知らない人と電話で話した、わたしの知らない話を延々と語り始める。おもしろくなぃ。一通り話し終わると、あなたは満足気に席をたった。店を出た頃には時計の針は午前一時をとうに過ぎていた。わたしは呆れることよりも焦る気持ちを押さえきれず、あなたの手に自ら指を絡めた。見上げたわたしの顔はきっと、切羽詰まったような表情をしてるんだろぅな。あたしの急かすような態度に、あなたは意地悪く笑ってただひたすら足早に歩き始めた。分かってるよ、あなたに期待なんかしてなぃけど。もうすぐ夜が明ける。ベッドの中、眠れなくて、隣りで眠るあなたを見つめる。もっと一緒にいたかったなぁ。急に寂しくなって抱きついてみた。全部欲しいなんて言わないから。わたしを愛してとか、ずっと側にいてとか、あなたを困らせたくはなぃの。だから一つだけ、わたしの我儘を聞いて?あなたが眠っているのを確認して呟いてみた。「わたしと一緒にいる時だけでぃーから、二人でいる時は、わたしだけを見てほしぃな…」なんだか涙が出そうだったから、目をかたく瞑って、いつの間にかそのまま眠りに落ちてしまった。「俺はお前のことしか見てねぇょ。 二人でいる時も 側にいねぇ時も。 しっかりしろょな。」夢現、あなたの答え。夢ぢゃなくて、現実でありますょぅに…そして、「一緒に暮らそう。」そぅ言われたのは、いつもより遅く起きた昼下がりのこと。
あたしがふがいないわけじゃないのにね、悪者扱いしてるのもあたしだけだしーなんて、自分で自分を擁護する言葉の、なんと心に響かないことか。 右手に持った携帯電話を親指で受信メールフォルダ。 開いたらあいつとあの人の名前でシマシマ模様。新しい順にメールをスクロール。「暇ならくる?」「おやすみ」「映画も観終わったしさー」「明日も早いの?」「いや別に、久しぶりだなーと思って」「今終わったよ。疲れたー」 ニヤけ顔を両方にガン見せたいわ。笑えるならね。笑えねー。 ニヤけられたらラクなんだがなあ。 赤いソファに身を預けて天井を見上げると、あいつの貼ったロックバンドのステッカー。絵の具を叩き付けたサイケなジャケットを、ぼうっと見つめる。あの人の買ってくれた赤いソファに転がって。 部屋で唯一の原色は、あたしより活き活きしてて六畳間に目立つ。あの人の静かな自己主張が具現化したみたいで困る。 それでもソファに転がっていればソファは見えないので。 あたしの部屋の中で、あの人がいなくなるのはソファの上だけという皮肉。 知らないフリしてソファに頼る。もっとふかふかになって、ずぶずぶになって、完全にあたしを包み込んで。いつの間にか溺れてしまえ。溺れてしまえれば。 自暴自棄に独りよがり。ウガって投げたクッションは天井のステッカーに命中して、あたしの腹に落ちて。これが鉄球だったらいいのに。 肋骨を砕いて、内臓を破って、激しい血しぶきが天井のステッカーを赤く染めて。 あたしは何にもしてないの、あたしは何にもしてないの。そう言いながら死ぬの。「君がそうしたいならいいんだよ、僕は大丈夫」 赤いソファに転がって。「いや、だから、好きだって言ってんじゃん」 天井のサイケを見上げて。 色とりどりのメールフォルダ、あの人とあいつの間に挟まって友人の助言。「まあ自分の好きなようにするのが一番だよ」 無責任に言い放たれた彼女の言葉が一番の鉄球。 大きく息を吐いて、クッションを腹に乗せたまま、メールを打つ。宛先は二人分。「好きとかよくわかんないんです。本当、ごめんなさい。死にます」 親指に力を込めて精一杯、腕を突き上げて。送信ボタン! ああ送っちゃった送っちゃった。 赤いソファからごろんと仰向けに床に転がる。乾いた畳が額に冷たい。「大丈夫? 飲んでるの?」「どうしたー? 酔ってんのー?」 同時にうるせえ。お前らが死ね。
「すいません、北はどっちですか?」その男は、公園のベンチで昼食を取っていた私にそう聞いてきた。頭のおかしい人間はどこにでもいるものだ。こういう手合いとはあまり関わらない方が良い。私は北の方角を指差すとあっちですよ、とだけ言った。「しかし僕はそちらから来たのです」私は昼食中なのだ、こんなやつにささやかな休息を邪魔されたくはない。「しかしそっちが北なのは間違いないですから、もう一度戻ってみてはどうですか」精一杯の親切だ。私としては今すぐここを立ち去ってもいいのだし、これでもう何処かに行って欲しい、そう思った。「そうですか…、もう何年もこうやっているのですが、僕は北に辿り着けないのです」そういってその男はポケットから方位磁針を取り出した。なんだ、方位磁針なんてものを持ってるんじゃないか。じゃあ人に聞かずにさっさと行ってしまえ。そう思ったが、しかしこの男はなぜ北に行かなくてはならないのか興味が湧いてきた。「なぜ北に行きたいんです?」そういったときその男の目が一瞬曇った気がした。「北に行かないと僕は今の状況から抜け出せないのです。もう何年もこうやって彷徨っていますが、北は見つからないのです」あまりに悲痛な面持ちで男は語る。「北に何があるんですか?そこに行けば彷徨わなくてもいいんですか?」「何があるかは分かりません。僕はそれが知りたいのです。その好奇心が今の状況を招いたのです。そこに行けばこの旅も終わるのだと思います」なんだか白昼夢を見ている気分だった。ただの頭のおかしい人間と言ってしまえばそれまでだが、この男の真剣な眼差しを見ているとそうは思えない。一体何故北を目指すのか。そして北には何があるのだろうか。「あなたも北に何があるか気になりますか?」その男は私の目を真っ直ぐ見てそう言った。「それは、まあ」その男のあまりの迫力に、なんとかその一言だけ搾り出した。「これを見てください」その男は、持っていた方位磁針を私に手渡した。いたって普通の方位磁針だが、針だけが常にぐるぐると回っている。「この方位磁針の針はさっきまでこの場所を指していました。今は回っていますね」その時はっと気がついた、針はすでに回り始めている。「あ、あの、これは…」顔を上げたが、男はそこに居なかった。もう一度方位磁針に目を落とすと、針はある一点を指して止まっていた。この方位磁針には、普通はあるはずのN、E、W、Sの文字がなかった。そう、今度は私が北を目指さなければならないのだ。
※作者付記: 方位はあくまで指針です。
ジョニーが始めて穴を掘ったのは五歳の時だった、と晩年に書かれた彼自身の手記にそう記されている。 公園の砂場で遊んでいる時、友人達がせいぜい肘ぐらいまでしか入らない穴を掘っているのを尻目にジョニーが素手で掘った穴は実に四十インチ(一メートル)もの深さがあった。 十二歳の時ジョニーの母親が他界するのだが、キリスト教を信仰する母親を土葬するための穴をジョニーは自らの手で掘った。そして母の死後、ジョニーは意識的に穴を掘るようになる。穴を掘ってはその中に一日中いる日も少なくなかった。ハイスクールを卒業するまでに彼が掘った穴は百個をゆうに越え、その中には二十フィート(六メートル)の深さになるものもあった。どの穴も彼がスコップ一本で掘ったものであった。 ジョニーは穴を掘る事を職業にはしようとはしなかった。例えば新しいビルを建てるための土地の調査、例えば原油の採掘、例えば遺跡の発掘など、選択できる仕事は無くはなかったのだが、ジョニーにとって穴を掘る事と金銭というものはイコールで結ばれるべき事柄ではなかった。果たして彼が選んだ職業は鉄鋼所の作業員であった。そこではマンホールの蓋を主に製造していたのだが、皮肉にもそれは穴を塞ぐためものであった。 ジョニーは仕事で得た収入のほとんどを掘削機械につぎ込んだ。そして安値の土地を買ってはそこを掘った。 そして、ジョニーが三十六歳の時、彼の運命を変える出来事が起こる。彼の掘った穴から新種の恐竜の化石が発見されたのだ。それによりジョニーは貴重な化石を見つけたラッキーな男であるのと同時に、目的なく穴を掘り続けてきた奇妙な男として一躍マスメディアに注目される存在となった。彼の掘る穴はある種の芸術性を伴うものとして紹介され、大勢の人が見に訪れるようになった。それをひとつのアートとして展示しようと話を持ちかける人間も中にはいたが、ジョニーはそういう類の話には決して乗らなかった。 ジョニーは七十三歳でその生涯を終えるまで穴を掘り続けた。彼の手記は最後こう締めくくられている。『山に登る人間はより高い所を目指して山に登るのだろう。それは人間が潜在的に持つ冒険心を満たすための手段であり、父なるこの地球に対しての挑戦でもあるのかもしれない。私が穴を掘るのはより深い所へ到達したいからだ。そう、私は穴を掘ることによって母なる地球の子宮へ帰ろうとしていたのかもしれない』
ある日の午後、夕日を背にスーパーから帰っていると、中学校時代の初恋の人に出会った。彼は背広を着てポマードで頭を固め、電信柱の影に潜み何かを窺っている様子。その先に何があるのかと思い、見てみるが人通りの多いこの商店街ではよくわからない。しかし、微動だにせずにまるで自分はもう一つの電信柱だと言わんばかりの姿勢は、中学校の時の彼を思い起こさせる。 そう彼はサッカー部でゴールキーパーをやっていたのだ。ゴールを守っている彼の姿は、それはもう勇ましく心のそこから恐怖を覚えた。他人にあんなに怯えたのはおそらく初めてだったと記憶している。だが彼は、決して優秀だったわけではない。ゴール前に立ち怒り狂った表情で他の選手を睨んではいるのだが、一歩もそこから動かないのだ。だから、彼の恐怖に打ち勝てた人は簡単にゴールをしてしまう。まぁ、そんな人はほとんどいなかったが…。同じチームのメンバーでさえも彼の恐怖に勝てず、「おい、須藤。動いてしっかり守れよ」とは最後まで言えなかったのだから。 そんな恐怖の大王的存在の彼に私はドキドキしていた。足がすくみ、忘れたくても忘れられない存在。それが恋だと知ったのは、友人にその思いを打ち明けた時。それからはもう、いつだって彼の事ばかりを見つめてた。だが、もちろん、身分違いな恋だと思い、告白は卒業式まで出来なかったが……。 その頃の記憶が戻ってきてか、心にまたドキドキが復活する。電信柱になりつつある彼を見ると、なんと彼も私を見ていた。「!?」 私は思わず手に持っていたスーパーの袋を下に落としてしまう。中には卵も入っていたのだが、きっと全滅だろう。だが、もちろんそんなことはどうでもいい。足はがくがくと震え、頭は真っ白だ。彼の視線といったら、目で人を殺すことも可能だと言わんばかりの鋭さ。もう視線も外せない。 私が立ち尽くしていると、電信柱になるのを諦めたのか、何とこちらへ歩いてくる。殺されると思い目をつぶった。しばらく待つと、頭に何かがのっかかる。「久しぶりだな、柊。元気してたか?」 そう言われ恐る恐る目を開けると、やさしい笑顔の彼がいた。私の頭に乗っているのは、彼の右手。私の恐怖は一気に消え、彼の笑顔のようにやさしい気持ちだけが残った。そして思い出す。彼が人見知りの強い人で、いつも睨んでいる顔になってしまっていた事を。本当の彼は凄くやさしいいい人だって事を……。
「ふぅー」トイレの個室で俺は一人息をつくここは俺の唯一落ち着ける空間である「トイレを作った人は偉大だな…」独り言を呟きタバコに火を点けようとした時『あーあー誰か居ますかー?』初めは緊急の迫った利用者かと思って無視していたが『もしもーし? 誰かー、居るなら返事してくださーい』…シツコイ「入ってます」と言うか鍵かかってんだから気付けよこの野郎!若干切れ気味だが声には出さず返事をする『おぉ、すごい!』何がすごいんだ!『本当に繋るとは…』何だ繋がるって?そこでようやく声が個室内、それも壁側から聞こえている事に気付いた「…なんだ?」声は荷物台のすぐ下、恐らく便所紙などの予備を備蓄しておく所から聞こえそれを追って行くとそこには紙コップが二つおいてあった声はそれの片方から聞こえる「…何これ?」手にとって確認したがやはりただの紙コップ、底をセロハンで止められた糸がたれているよく見ると声の聞こえる方には「受」静かな方には「発」と赤マジックで書いてある手の込んだいたづらか?まぁどうせ暇だし付き合ってやるか「もしもし? 誰ですか?」たぶんそう使うのだろうと「発」の方を口元に寄せ返事をする『その質問には答えかねますね…』「は?」『規則と言うか…、まぁ私も貴方が誰かなんて解らないんでお互い様と言う事で』「じゃあ目的は?」『ん〜話し相手が欲しかったって事で…ダメですか?』どうやらさっきの理由でいえないようだ「OK で? こんな暇人相手に何の話だ?」『…失礼な話ですが、もしも、もしもですが…怒らないで下さい?』「いいから話せ」どんだけ勿体付けるつもりだ『もしも…あなたが死ぬとしたら誰を思って死にます?』それまで意味不明ながらも明るかった場が一瞬にして停止した「は?」『答えて下さい』静かなどこか申し訳なさの混じった声が続いたスルーしてもよかった普通の人なら無視している所だろうと自分でも思ったそれでも俺は考えていた厳格な父優しい母それから…それから誰だ?頭に浮かんだのは一人の女性知らず手に力が込められる徐々に確かになっていく輪郭紙コップが変形していく女性の笑った顔が見えた気がしたぶちっ『あ…』「え」変形に耐え切れなくなりセロハンが剥れていた急いでセロハンを付け直す恐る恐る呼びかけてみる「もしもーし…」返事はないその後電話は二度と繋がらなかったが最後に聞こえた、切れた後に聞こえたあの声は何だったのだろう
片方には私。片方にはあなた。傾くシーソー。私はあなたのおかげで持ち上がる。このままで逆転するわけもなく、私が地に落ちる時はあなたがそこからいなくなった時だけ。お尻に衝撃を感じ、視界は低くなった。「痛い」「ごめん」そうあなたはいいながら、手を差し延べる。私は手をとり立ち上がる。「シーソーが平行になる事ってあると思う?」「さぁ?」特に考えるでもなく、歩きだしたあなたの背中を追う。私はまだ自分で質問した答えを考えていた。力が同じになるのは難しい。喩え同じ力だとしても、座る位置が違うと片方は落ちてしまう。私とあなたとように口約束でつながっている私達はきっと些細な事で傾いてしまうだろう。じゃあなぜ今傾いていないか。私とあなたは同じ力ではない。だけど平行でいられる理由はきっと。好きという気持ちがあるから……。
一枚の紙に人の運命が決められていく。離婚届をはさんで真知子と俊一が座っていた。「どうしても変えられんのか」ここに至って彼の態度が少し丸くなった気がする。初めは怒鳴り散らすだけたっだのに、今こうして向かい合って話をつけようとしている。私が頷くと、彼は少しむっとした表情を見せたが、なんとか自分を抑えているようだった。この人がこんなに拒むのは私が好きだからではないわ。世間体を重んじてのこと。私にそれは責められない。だってこれは、私の最期のわがまま。幼い頃から、両親や周りの人の意見に逆らえなかった。我を通して、その責任を取るのが怖かった。いつでも流されてきて、誰とも結婚しないという夢もあっけなく終わった。「どうしてまちちゃんはおよめさんになりたくないの?」近所に住む女の子達でおままごとをしていたとき、お母さん役を拒んだ理由に、周りの子がびっくりして尋ねた。「かわいいよねーっおよめさん」「ドレスきるんだよー」「おはなもいっぱいかざってーオメデトーとかいわれるの」「だって…」だって、まきちゃんのおかあさんもちえちゃんのおかあさんもあきちゃんのおかあさんもわたしのおかあさんも、みんなみんなしあわせにはみえないから。どうしてだろう。どうして誰も想わなかったんだろう。『幸せ』のその笑みになにか、悲しみとか憎しみとか妬みとか羨みとか怒りとか蔑みとか、そういう闇を背負っている気がした。母として、妻として、例えばそういう役割を得た代償にそれを背負わなくてはならないのだとしたら、私はいつまでも一人の人間として生きたいと願った。でも世の中そうして生きてはいけず、周りの好奇な目や両親の哀願の声に負け、こうして一緒になった。結婚当初、私だけが不幸を背負っているのだと思った。世界の決まりごとに縛られ、いえ、縛られていると感じてしまう自分を哀れんだ。でもある日、この人もまた不幸なのだと思った。こんな私と一緒になったことで、他でだったら手に入れられた安らぎとか光を、私を選んでしまったが為にこんな、『つまらない』日常に変えてしまった。それでも決まりごとに従って一生懸命生きるこの人は、あるいは私より不幸なのかもしれない。不幸は不幸を呼び、苦しみもまた終われない。「あなたは悪くないんですよ」つかえていた言葉が、溢れ出す。「ただ…病気を持った私といつまでも連れ添っていては…。私もあなたに…無様な死に顔をみせたくはありません」ガンと宣告された時、これは神が私に与えたチャンスだと思った。これを逃したら、二人、不幸なまま終わってしまう。「お願いです…どうか…どうか…何も言わずに聞き入れてください…」生まれてきた誰もが、幸せになれるわけではないけれど、今を生きる私たちにはそうなる権利があるから。残された時間、帰る家は必要だろうと、彼は自分の荷をまとめた。差し出された茶封筒には、黒い文字と朱印がひかる離婚届が入っていた。「じゃあ、元気で」「ええ、あなたも」いつものように玄関先で見送る。空は晴れ渡っていた。「今までお前と暮らせて、幸せだったよ」去り際あの人ののこした言葉に、涙が止まらなかった。
※作者付記: 身のほど知らずな私は最近すんげーはずかしいことをやってのけました。今まで自分の書くものが気に入らなくて恥かしくてスランプでしたが、あれよりゃなんでもましだろうと開き直れました。ありがとうありがとう。