田舎町、白い畦道、埃っぽい風が立ち上った。青々とした草原に銀をまぶした雨雲は去り、太陽が音を立てて照らす午後二時に燦然と虹が立ち現れる。車はエンスト。あと少しでたどり着く、目の前は坂道、上半身、タンクトップ一枚になって、虫が額に乗るとかいった類の何てことないことで、この状態を立ち往生と感じた。こんなボロ車だ。捨ててしまおう。熱くなった、老人の鉄製の背中を押して、脇に追いやる。すると、空が見え、雲が見え、都会のクーラー生活では感じられなかった本物の夏が彼にヒットオンする。にもかかわらず、彼は駆けはじめる。田舎を身体で感じるためでなく、都市化に侵食されて、エアコンのある我が家へ突進したくなったからだ。だが、暑さに破れて、立ち止まる。運動不足と喫煙が彼の肺を、心臓を小さくした。胸元にある臓器が小さくなると、肋骨の内だけでなく、何か別のものまで、空虚になった気分だ。想像よりも、歩きというのは、遅く、記憶よりも、自分の家が遠のいていた。都会と違って、色々な顔を持つ田舎の風景は、気持ちが良いが、ビールの入っていた彼はそれに酔った。しばらく、ぼとぼとと汗を道に落としながら、とぼとぼと実家まで歩いていた。田んぼがあり、池があり、その水を全部飲み干したいほど暑かった。暑くて、熱くてたまらないが、いくら歩けど、道は終わらない。気がつけば、傍らにボロ車。あまり、再会したくない相手だった。どこかで、道を間違えたのか、また坂道を見上げる格好。鉄製の老人の頭をぽんぽんと叩き、再会を憎み、また、とぼとぼと歩き出す。田舎町をこんなにゆっくりと過ぎていくと、自分がどれだけ、時間と空間を殺してきたのかと思われた。時間に追われ、空間に押し留められていた。田舎はその二つを真っ裸にし、ありのままを受け入れろと彼に主張していた。そんなことを考えていると、後ろから女の声がした。何も気にしない、大きな声だ。 「ねえ、椎野くんじゃない?」 彼は振り返った。だが、そこには、女の姿などなく、ただ田んぼに山が映る、二重の世界が広がっていた。風の声だろう。空耳にしては、現実的だった。それに、それが空耳でも、どこかで一度聞いた声であるはずだ。知らない誰かの声なんて、創造できない。 オレンジ色に、染め上げられ、日中に自分の家にさえたどり着けなかった彼は、さらに道がわからなくなった。人通りは、まったくなく、ついには、道の概念さえなくなった田舎。頭の中では、誰なのかわからない女の声が響く。オレンジ色に佇む彼が、頼りにできるのは、その声だけだった。それで、彼は尋ねた。田舎の気兼ねのなさで、 「君は誰なんだ?」 もちろん、返事はない。 彼は思った。整然としすぎた、都会のほうがおれには合っている。ああ、なるほど、おれは、所詮、都会の歯車か。一つ一つ凸凹を、すべてを割り切ったうえで、また、はめていこうと。そして、彼はとぼとぼと、歩き始めた。 オレンジ色を捨てた彼の背中を、星を狩る街灯が照らしていた。彼は、煙草を吸いながら思った。都会に嫌気がさして、田舎に帰ったのに。ああ、もうどこにも、帰れないや・・・。
気付くと、其処は如何やら鳥籠の様だった。「さて。如何したものか」 声は出る。其れも生前と全く変らぬ声である。生前、と云うのは可笑しいかもしれない。何故なら、私は死んではいないからだ。否、全く以って笑いを誘うような事は何一つとして無い。「ふむ」 思案、とばかりに腕を組み。 困難、とばかりに懐から出した手で顎を摩る。「取りあえず、グルリと」 そう言って私は顔を斜め上に向け、予告通りに見渡した。やはり、鉄製の古惚けた鳥籠に間違い無い様である。 私は自分の腕を見てみた。しかし其れは何の変哲も無い、私の腕である様だ。先日うっかり煙草を咥えたままの居眠りの所為での火傷の跡が痛々しい。日柄一日家から出ない不精の所為で、生まれの白さに相変わらず焼き目が付く事は無い。「鳥籠に入って居る癖に、鳥肌の一つも立ちゃしない」 相して私は再び手を顎に戻してやった。今更ながらに分かった事は、如何やら特大の鳥籠ではないらしい。それでは、もう一思案。「……如何やら、小さくなっちまった様だ」 さてはて、是は困った事である。さてしも、だからと云って対抗策が見つかる訳は無く。今度は鳥籠の外を見渡した。上へ下へと続く鉄の格子は、さながらひん曲がった鉄格子のオブジェの内部の様だ。奇妙な圧迫感と、威圧。其れはまるで一種の芸術作品の物か。「ちょいと待て?」 鳥籠の外の室内は、何やら見覚えが有りそうだ。其の所在は夢か現か幻か。こう云う時は見る視点を変えるのが大切なのだと、偉い人は大抵言う。であるからして、首を傾ける。分かってて遣っているともさ。 「おや。何かね」 落ちている文字を指でなぞった。鉛色の文字の様である。慣れない言語の様であった。筆記体とか云う洒落た技法だ。もう一度首を傾げ直すと、私の袴が目に入った。仕立てたばかりの暗いけれど新鮮な色をした藍色の物だ。出したばかりなのか糊が利いている。襞がまだぴっしりと余分な折り目も無い綺麗な状態である。新しい着物など滅多に出さないと云うのに。さて、この前出したのは何時だったろう。 其処で、ふ、と気付く。「いやはや」 私は頭を掻きながら、苦笑してしまう。そうだ、之で合点がゆく。私はゆっくりと鉄の床に腰を降ろした。どちらを向くか思案してから、やがて落ち着いた処で、停まった。一般的に云う所の「停止」であり「静止」である。「この前の展覧会で魅入った、静止画に飼われちまうとは」
「汝に問う! 貴殿の幸せとは何か!」またか…とため息をつきそうになって慌ててて口を押さえるこの人は他人のため息を見かけるだけでその日一日不機嫌になるのだ「で、今度は何です? いきなり」「応えぬかこの愚か者が!」…最近先輩はこのよくわからない口調に凝っているらしくこちらにとっては解りにくくて迷惑極まりない「そうですね…平和な日常とかですかね」「はんっ」先輩は肩をすくめて眉をしかめるとアメリカンなポーズをとって見せた「…何ですかそのいかにもな見下した態度は」「所詮、凡人は凡人ね、ひねりも何もあったもんじゃないわ」幸せにひねりを求めると言うのは何か違う気がする…「じゃあ先輩の幸せってのはどんなのですか?」「そりゃあねぇ…」「…」「…」「…」小一時間が経過…先輩は考えこんでしまったようだ…は、話が進む気配が無い!どうしよう…勝手に話し変えたらそれはそれで怒るだろうしかといってこのまま待ってたら晩飯の時間になっても考えてるぞ多分〜…怒られるのはいやだがこのまま無駄な時間を過すのよりはましだろう「あの〜…」「待って! 菊の助! 待つのじゃ!」は?「誰ですか? 菊の助って」「うぁ? あごめん寝てた」いつから!?「何の話してたっけ?」また同じことを繰り返すのはまずい「それはともかく晩御飯何にします? 買い物行ってきますから」買出しは主に僕の仕事だ先輩はたとえ自分のことでも気の乗らないときは僕に行かせている「今日は金曜日だから月見うどんね」先週はそのポジションにきつねうどんがいたような…「了解しました」いつも行く最寄のスーパーでうどんの麺と適当に野菜を何種類かそれらを持ってレジに向かうううむ、やはりスーパーでは魚屋みたいにいくらかまけてもらうというようなことは無理だろうか我が家の財政難が頭の隅を掠めるが彼はそもそもそんな外交的交渉術を持ち合わせていないあるのは精々適当な暗算力ぐらいなものであるその暗算力を駆使し見事に総計を所持金に合わせたことを確認し受け取った品を勝利を確かめるように袋に詰めていくこのとき彼は人知れず笑顔になっていることに気付かず家路へと着いた「ただいま戻りました〜」「うむ苦しゅうない、褒めて遣わす」「はいはいっと…それじゃさっそく作りますかな」料理するのは結構楽しいがこれは幸せとはちょっと違うかな…苦笑いしながら台所に立つ彼は幸せの意味を知らないだけなのかもしれない
田川善雄は麻布台で都バスを降りるといつものようにバスの後ろから車道を横断した。麻布台ビルの警備詰所で着替えを終えて警備室に入ると、13時勤務の佐々木幹夫がいた。善雄の勤務は夜8時から翌朝9時までだ。善雄の顔を見ると佐々木は挨拶代わりに言った。「5時頃にあの角で事故があってね、この会社の事務員が亡くなった。帰りがけだ。」善雄は道路を横断する時に、停まっているパトカーの姿を見たような気がした。「それで今日は社員は早めの退社だからチェックは楽だよ」と佐々木が続けた。善雄は9時から社内の巡回に入るのだ。残ってる社員には声を掛けて氏名を確認しなければならない。「じゃ、行ってくる。」9時になって善雄は佐々木に合図して巡回に出た。4階建てのビルだが床面積は広めにとってある。社員の居ないフロアは常備灯がついて奥の方はかろうじて見える程度だ。確かにこの時間にこれだけ暗いのは珍しい。一階はロビーと応接室。二階からオフィスになっている。各階で鍵をタイマーに入れて刻時する。四階、三階とも残留なし。階段を降りて二階に入ったときだ。明かりが点いている。残留者あり。歩を進めると女性が背中をこちらに向けて事務をとっている。周囲は明かりが消えてそこだけがぼうっとしているかのようだ。「お疲れ様です」と声を掛けて善雄は氏名の確認に入った。「すみませんが一応お名前をお願いします。」女性がこの時刻まで残っているのは珍しいと思ったが、善雄はマニュアルどうりに名前を尋ねた。「田中陽子です。太陽の陽です。ごくろうさま。」ポニーテールの女性は振り向くこともなく、優しい声で善雄に答えた。「ありがとうございました。」善雄は名前を書き留めると軽く一礼してから周囲を見渡し、ほかに誰も居ないことを確認して階下へ向かった。「ただ今帰りました。残留者、女性一名。」警備室の佐々木は首をかしげた。「おかしいな。残留届は出ていないよ。」「いや、確かに居ました。名前も確認しましたから。」と善雄は佐々木に答えると巡回報告書を挟んだバインダーを開いて佐々木の前に差し出した。名前を見た佐々木の顔から血の気が引くのを善雄は見た。「どうかしましたか。」佐々木は半分硬直したまま善雄に顔を向けるとやっとのことで口を開いた。「この人は、今日そこの事故で、亡くなってるよ!」
※作者付記: これは実話に基づく虚構です。
2人は昔からの幼馴染だった。同じ幼稚園、小学校、そして中学校を選んできた。 そんな2人も中3になって、そろそろ自分の進路について考え始めてきていた。 「ねぇ。司は高校どうする?もう決めたの?」 「ん〜。将来の夢もまだ見つかんねぇし、面倒くさくて決められんねぇよ」 誰になんと言われようと2人はいつも近くにいた。それだけ仲がよかった。 「司、早く決めなよ。来週志望校の調査とるって、先生言ってたじゃんか」 「あぁ…そういやそうだったけ…全然聞いてなかった」 「ねぇ。真剣に考えてるの?来週までには決めなきゃなんだから!」 「ったく、うるせぇな。綾華、お前さぁ人のことより自分のことはどうなんだよ。もう決めたのか?」 「私はね、私立の和泉女子高校に行こうかなぁ…制服かわいいし。……司?」 「…綾華、女子高いくのか?」 「何よ。私が女子高行っちゃ悪い?」 「い、いや…別に。今までずっと同じ学校にいたからなんか意外だなぁ…って。それにその高校、偏差値高いだろ?おまえ入れんのかよ」 「…司。もしかして私に女子高に行ったらいけない理由でもあるの?」 「べ…別に行きたきゃ行けばいいじゃん。綾華の好きにすれば。おまえの事なんだしさ、俺はいいと思うよ」 それだけを司は言い残して綾華の前から去っていった。 「…つ、司!?ちょっと…」 司は屋上にいた。綾華に見られたくないたくさんの涙が、気持ちがこみ上げてきたからだった。 …綾華、いつの間に女子高行くって決めてたんだろう…? 司は湿ったロープが自分の体をしめつけるような感じの切なく淡い気持ちになっていた。 「綾華…。…なんで俺は今まで気づかなかったんだろう?こんなにも綾華を好きになってたなんて…」 司は屋上のすみでうずくまって涙が枯れるまでずっと泣き続けていた…。 屋上に続く階段を急いで上がってくる音が聞こえた。 「…司。やっぱり泣いてるんでしょ?」 「泣いてなんかねぇよ。綾華、俺のことなんか気にしないで好きな高校行けよ。…あのさ。俺、本当はお前と同じ高校行きたかったんだ…」 「私も最初はそう思ったよ。でも司は…」 しばらく2人の間に沈黙がつづいた。 「…司。今から同じ高校行きたいと思わないよね…?」 「綾華が行きたいって言うんだったら別に俺はいいよ。じゃあ一緒に同じ高校行こうか?」 司は軽く笑った。 「…司、やっと笑ったね。私、泣いてる司は好きじゃないから。私の前ではずっと笑顔でいてね」 「綾香。俺…綾華のことが、大好きだ」 司は綾華のことを思いっきり抱きしめた。 「司。ありがとう」 そして一週間後の志望校のアンケートには2人とも同じ志望校が書かれていた。 「東 綾華、西山 司。お前達どういうつもりだ?」 先生の質問に、2人は互いに笑いあっていた…。