「優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい。それ以外の場所ではマナーモードに設定の上、通話はお控え下さい。Please switch off your mobile phone when you are near the priority seats.In other area、 please set it to silent mode and refrain from talking on the phone」新宿で山手線に乗り換えた田川善雄はここまで聞くと眠りに落ち込んだ。アナウンスは善雄を幼年時代の夢に引き入れた。ダイヤルの無い受話器を上げると「はい、電話局です」と交換台の女性のすました声が返ってくる。「久慈の422」「そちらは?」「2849です」「お繋ぎしますので電話を切ってお待ち下さい。」起き掛けの父に言われたとおりに、登校前の10歳の善雄は市外通話の申し込みを終えた。20分後、受話器のベルが鳴った。「久慈の422、お繋ぎします。お話し下さい。」石炭屋の父が炭鉱の社長と大声で話を始めた。父は石炭搭載の貨車の番号を書き留める。話を終わると父は洗面に戻っていった。ダイヤルの無い受話器を上げると「はい、電話局です」と交換台の女性のすました声が返ってくる。「火事どこですか」「新田町です」。ダイヤルの無い受話器を上げると「はい、電話局です」と交換台の女性のすました声が返ってくる。「いずみ幼稚園には電話がありますか」と母が尋ねる。無いという答えだった。昭和27年・・・。胸にマナーモードの振動がする。「もしもし」「あなた?今、どこ」「山手線の中だ」「じゃ、降りたら電話して」「わかった」。夜勤明けで幾分朦朧としているうちに電車は高田馬場駅のホームに滑り込んだ。西武新宿線に向かう通路は慌しい。電光掲示は急行が一分後の発車を示している。駅員が鋏をリズミカルに鳴らした時代が過ぎて久しい改札の付近には駅員が二人、少し離れたところにはトラブル対策の警備員が一人立っている。定期を改札マシンに通して急ぎ足でエスカレーターを降りかけた善雄は妻からの忘れかけた電話を思い出した。「ホームに下りたら電話しよう。」携帯を胸から取り出しながらそう思った瞬間だった。中ごろで段を踏み外した善雄はしりもちをついた。バランスを取ろうと大きく振った手からすっぽ抜けた携帯が、到着した電車に乗る一団の頭を越えて行った。「携帯はここですよー」。起き上がってホームに立った善雄の耳に親切な人の声がする。礼を言いながら善雄は自分の携帯を受け取ると、妻への電話を忘れて車中の人となった。
※作者付記: 時代を映そうと試みています。
夜。月明かりを遮断したカーテンにより、闇は繁る。とはいえ、カーテンから薄っすらと浮かび上がる薄闇が、彼らの背中を浮かび上がらせる。正確に言えば、水槽に設置した蛍光灯によるのかもしれない。彼らは、二人きり、六畳のフローリングの部屋、エアコンと、小さな机と椅子だけがある部屋のひんやりとした床に半ばうつ伏せ、座り込み、台もなしに置かれた水槽のなかの金魚を眺めていた。正確に言えば、彼は、彼女の顔を見ていた、彼女の金魚を眺める顔を。前面に映る、その娘の顔を見ても、彼の幻想に紛れて、なにも意味を見出せなかった。ただ、それは、かわいらしい顔でしかなかったのだ。だが、水槽の背面のガラスに映る彼女の顔を見ると、なにかはわからなかったが、何か意味を見出されるのだった。彼女は、金魚を見て、にっこりと笑う。彼は、彼女の顔にふと浮かび上がるあどけなさに驚き、彼女の顔を直接に見た。そこには、水槽に浮かび上がった、二枚の顔がしっかりと重なっていた。その純真な笑顔もあいまって、見失いかけた彼女の像をしっかりと捉えられた。しかし、その像はやはり非常に曖昧だった。それでも、彼はうれしく思い、彼は蛍光灯に映された彼女の可愛らしい顔を見つめた。一方、彼女は、彼のことなどまるで忘れているかのように、水槽に指を入れ、泳がせる、すると、金魚は従順に、彼女にというより、食欲に従順に彼女の指を追った。彼女と水槽に泳ぐその金魚だけが鮮やかに色を放ち、その他は灰色だった。彼女は、カーキ色の短パンと「LENNON」と白い文字で書かれた黒いシャツを着ていて、顔と腕と足が、生き生きとした仄かな赤色浮かばせており、金魚は、それに負けないどころではなく、赤々ときらめいていた。 映画を見に行った。彼はその映画の監督が好きだったし、内容がファンタジーであったため、彼女もきっと気に入るに違いないと思ったわけだ。映画が終わって、明かりがついた途端、彼女の不機嫌な顔が浮かぶ。彼は釣りをしに行って、自分の釣った魚を食べている最中に、水死体が水面に浮かんできたような気分になった。 喫茶店で、パフェを食べているとき、彼女は言った。「違うのよ」「何が?」「さあ?」 正確に言えば、彼女は、金魚の腹の上で鮮やかに色づいた、本当には灰色でしかない彼を見つめていたのだ。そうやって、彼らは、自らの虚構を愛す。だが、そうなった途端、彼は彼女でなくては、そうできなくなり、彼女も彼でなければ、そうできなくなる。彼らは金魚のようにはいかない。
キミと出会ったのは、僕がまだダイニングテーブルよりも身長が低かった頃だった、気がする。一生懸命テーブルの上の世界を見ようと首を思いっきり反らしていたっけ。そうすると、キミはいつも暖かに僕を迎えてくれた。その温もりが嬉しくて仕方がなかった。早く、いつでも、首を反らさなくてもキミが見られる大きさになりたいと只管に願ってあまりスキじゃない牛乳だって飲んだ。(キミは「牛乳は自分と相性がいい」と、よく傍に置いていたけど)でも、僕が大きくなるにつれてキミも大きくなることを知って少しだけ悲しくなった。僕は君と並べないのかな?どんなに頑張ってもキミと目線を同じにする事は出来ない。椅子の上に立てば、キミを見下ろす事も出来るのだけどそれは何かが違うのです。僕はいつでも、君と同じ目線で、君と一緒に居たいのに。スキで、スキで仕方がないから。でも、ほんの気まぐれな時にしか逢えない。だから逢えた時には、もう長い時間キミをみつめてしまうのです。僅かな時間しか逢えなくとも、判っている。キミは、僕に出会うために此処に居ると。僕は、キミに出会うために此処に来たと。「たける!またあんたは椅子の上に立って!どうしてオムライスの時だけそんなことするの!ずっと見てたら冷めちゃうでしょ!さっさと食べなさい!」・・・・あぁ。キミとの僅かな逢瀬は儚く終わってしまったようです。それでは。イタダキマス。さとう たける ごさい。だいすきなものは、おむらいすです。
※作者付記: オムライスに恋する男の子のお話です。君と黄身をかけています。
あくる日も僕は何に向かうともなしに、ただぼーっと立っていた。別に何かしたいわけじゃない。ただ、何もしないのが嫌なんだ。ススキの葉っぱだってモンスーンに揺れることができるのに、僕には風さえあたってこない。何でだろう?だから何もする気が起きないのかな。座り込んでみようかな?何もしていないんだし、腰をおろしてみれば案外楽になるかもしれない。そうしたら今度は寝転がりたくなるのかな。もっと楽になれるのかもしれない。ああ、でもだめだ。地べたに腰を落ち着けてしまったら、今度は立てなくなるかもしれない。寝転がってしまったら、目を閉じてしまうかもしれない。それで大事な瞬間、まだ見たことはないけれど、それを逃してしまったら、きっと僕は後悔するよ。そうだ、やっぱりやめておこう。でもだからって、何もしないでいるのはやっぱり辛いよね。だって何もないんだから。 だからタバコでも吸ってみようか。ちょっと歯触りの悪いフィルターを唇でつまんで、思いっきり吸い込むんだ。煙が悲しみと一緒に肺に溜まっていって、タールやニコチンが動脈の中を駆け巡って、そして最後に吐き出すんだ。目に見えるくらいの白い煙がため息みたいに吹き消されて、何度も何度も繰り返して吸えばいい。そうやって息をしていれば、僕はいつか決定的な瞬間に立ち会えるのかもしれない。 白いため息は吹いても吹いてもすぐ消える。そうか、何かしたいから寂しくて、何もしないから退屈だったのかもしれない。何かしたいわけじゃない。でも、何もしないのは嫌だから、僕は呼吸を確かめて、脈打つ心臓を感じるんだ。そうして気分を紛らわせて、明日は生きてるつもりになれる。そうしてじっと待っていれば、僕はドラマチックな瞬間を見つけられるのかもしれない。何かをしたいわけじゃない。でも、何もしないのは嫌なんだ。だから煙を作っていれば、僕は何もしていないはずがない。僕はこんなにも力強く息をしてるじゃないか。息をして、生きてるだけで、一体これから僕は何をすればいい?
「うおぉぉ!間に合えぇぇ!」プシュウゥゥ、ゴトンゴトンゴトン……その駅の本日最終の電車が通り過ぎていく車体の揺れる音が離れていくのには気付いたが階段の最後の一段まで全力疾走してしまった「はぁはぁはぁ……」変な妄想をしているわけではない単に息を切らしているだけだ「はあぁ」これはため息「嘘だろぅ…」誰に言うでもなく小さく呟いた お困りのようですね見りゃわかんだろ!って…ここは無人駅だ無論駅員などいなければここで夜を明かす人もいないだろうじゃ、こいつはここで何してるんだ?…考えても解る訳など無いので聞いてみることにした「あんたこんな所で何やってるんだ」微妙な警戒心を出しつつも聞いてみる ? そうですねぇ…待ってるんです「電車ならもう来ねーぞ、さっきので最後だ」これが違う事には自分でも気付いていたそうならさっきの電車に乗っていったはずだ いえいえ違うのです、私が待ってるのはですねぇ…回送列車が通り過ぎ轟音に声が遮られる「えっなんて?」 む、同じ台詞を何度も言うのはビデオと漫才で十分です一度で聞き取れなかったことが不満らしい「聞えなかったものは仕方ないだろ」 確かに仕方ありません、のでもう言いません、残念でしたねもう一度言うつもりは無いらしいよし、話題を変えるふりをして聞き出そう「じゃあいつまで待ってんだ?」 来るまでです、何がかは言いませんよ考えを見透かされているなかなか手強い相手だこうなると意地でも言わせたくなる少し揺さぶりをかけるか「もし来なかったらどうする?」 来るまで待ちます「…じゃあ来ないって言うのが解ったら?」 え…?想定外の質問だったらしいつまり来るのが当たり前な存在か?たいした台詞を言った訳ではなかったのに予想以上にきいたらしい表情は暗くて解りづらいが相当狼狽している悪い事をした気分になったので話を違う方向へ持っていく「あー俺なら自分から行くかな」 それもいいのかもね「立ちっぱなしじゃ辛いしな、足は歩くためにあるんだ」 …私は歩いてなかったのかな「?」どういう意味だ? と聞く前に彼女は降り口の方に歩き出した「行くのか」 ええ、歩く事に決めたから「さよか」 あなたの台詞なかなか参考になったよ振り返り最後にそう言って彼女は歩いていった最後に初めてちゃんと見えた彼女は思っていた以上に明るい顔をしていた顔を上げて気がついたが夜は明けそろそろ始発が来る時刻になっていた
どこでどう仕入れた情報だか。 まったくもって眉唾物だが、保朗(たもつ・ろう)曰く、日本各地に残る「神隠し」は『瞬空』(しゅんくう)とやらに由来するらしい。 小説に出てくるタイムマシーン然り。テレポーテーション然り。 また、この保朗、「瞬空発見!」と飛び出して、危うく幽霊に呪い殺されかけた過去も持つ。以来幽霊と瞬空の関係を解き明かそうと、さらに瞬空探しに余念がない。 保朗が何故こんなに瞬空にこだわるかは諸説あるが、一番もっともらしい理由をあげるなら、自分の子が瞬空に呑まれてしまったからだそうである。保朗に子がいることさえ疑わしいが、大統領命令よりは、まだ幾分ましだろう。「また、行くのですか」 いそいそとお出かけの準備をしていた保朗が振り返り、ごりごりと無精髭をなでながら、浮ついた声で答えた。「当然だよ、カトリーヌ」「鹿取です」 目付で、助手で、姪で、世帯主の鹿取は、明らかに軽装の保朗に、ため息と一緒に尋ねた。「で、今日はどちらへ?」「雪山(せつざん)」 鹿取の眉がぴくりと上がるのも無理はない。 この時期雪山は、積雪量が多すぎて、入山が禁止されているはず。雪崩に呑まれるか、吹雪で遭難するか、後は凍死で決まりだろう。「死ぬ気ですね?」「心配いらない、カトリーヌ」「鹿取です」 手足、肋骨の骨折はお手の物。ガスコンロが大火して顔面の毛を燃やしたり、鼻血で出血死しそうになったり、挙げ句、年増に腹上死される男など、心配するだけ無駄である。「ではな」 ナップサックを背負って保朗、意気揚々とドアを開いた。 外は闇。折しも雪が降っている。 冬に溶けてゆく保朗。 絶対そうそう、死ぬわけないが、まるで本当に、死ぬみたいだ。「保朗」 吐く息白く呼び止めた鹿取は、しまったとばかりに鼻に皺を寄せた。 ひくしゅッとくしゃみして、振り返った保朗。鼻の垂れた間抜け面に、鹿取の顔は渋い。死んで一向に困る輩じゃなし、いっそ死んでくれた方が鹿取の荷も、減るのだろうが。 保朗は眉を寄せ、続けて三度くしゃみした。「女かな?」 にやけて袖で鼻を拭くところを見ると、くしゃみは順次、良噂、悪噂、鼻炎、流感の告知となることを知らないらしい。 そんな輩に「行ってらっしゃい」など、しおらしい見送りは必要ない。ましてや「お気をつけて」などもっての他。 笑顔で、こう送り出してやれば完璧だ。「今度こそくたばれ、お元気で」