春一番が吹き抜けると、錆びれた看板は木葉みたいに揺れながら、必ずきりきりと音を立てる。ツバキ森三丁目。町内は変らない。 車輪が側溝の蓋を踏みしめる、一台のリヤカーを引く。もう十年も引いている。かろうじて通れるくらいの路地は、血管みたいに張り巡る。ときに細く、ときに膨らみ、やがてゆるい坂になる。コンクリートで固められた細い通路。生垣は珍しい。薄いブロックや板の塀が両端にそびえている。 路に沿って造られたはずなのに、塀に沿った路にみえる。うねった先に隠れるように首をもたげた街灯の下、点々と積まれた中古紙を回収する。声を張る必要はない。隔てるものが薄いから、そっとチリ紙と交換して、うねった道の向こう側に私も隠れる。 住宅がひしめいている。塀に密接し、やがて競り出た建築は、ほとんど全てがここの歴史に従属している。蔓の這った木造、塀と一体化した壁、隅の尖った小さな庭、打ち捨てられたアパート。朽ちた建築が消え、崩れた台形や菱形、均整のない区画を引き継いで新しい家が建つ。空いた土地にパズルのように当てはまる、尖った角を持て余したモダンな煉瓦造りが座る。 彩りを添えるように店がある。回転塔の止まった床屋、まだ新しい菱形の青果店、窓口が閉まったままのこぎれいな煙草屋。商店もある。開ききらない雨戸に挟まれながら、ガラス戸が半身ほど開いている。その隙間から白いカーテンが翻る。古びれた商店。晴れの日には、たまに牛乳を買ってみる。ひび入ったセメントの壁、打ち付けられた木棚にそぞろに商品が並んでいる。私は肩ほどもない小さなガラス張りの冷蔵庫を開いて、その上に代金を置く。一息ついて、窮屈なままに変らない町内を思う。 今や路は統一のない、不思議なひしめきに覆われている。十字とおぼしき岐路に立つと、うねった路の向こうから、それらが雑然と迫ってみせる。曲がった路は塀と建築に遮られ、迷路のようにひしめいてくる。町内に支配された路。気が付くたびにまったく違った装いをみせる。三丁目の看板を曲がって、緩やかな坂を登り、右に折れると、不思議と元の場所に出る。 いつものように回っていると、いつの間にか商店に出た。よく晴れているので牛乳を買った。店主が受け取ったのだろう。代金をまたいつものところに置いておく。ここで人を見たことがない。 このまえ、古新聞でジョン・レノンが亡くなったことを知った。私はいまも彷徨っている。
その家の入り口近くの石の階段を数段降りると3畳ほどの空間がある。左には野球ボールほどの石炭の塊の山、右には小型のボイラー、一方の棚には大小の瓶詰めが置いてある。もうすぐ12月を迎えるがアンナ・ヤルゼルスカには石炭の焚き付けが容易でない。通りを挟んだ家の煙突からは黒い煙がたなびいているというのに、アンナは今日も朝一番の焚き付けに失敗して午後になるまで寒さに耐えていた。だが今度はうまくやらないと。何しろ夕刻には日本から3人の客が来る。そろそろ車はワルシャワを離れて南下して、ここオストロヴィツに向かっているはずだ。それにしてもマリコの両親とその友人の3人がはるばるポーランドの田舎までやって来るとは。アンナはその巡り合わせに嘆息した。息子のフレデリックはポーランド人の妻との生活が破綻してイタリアのユースホステルで働いていたが、その時、感傷旅行のマリコと出合った。月日を経て二人は共通のキリスト信仰のもとで当地で結婚したが、マリコの両親は必ずしも賛成でないと聞いていた。だがアンナにはそれはどうでも良い事だ。共産党時代に日本人が大勢やって来てオストロヴィツの機械工場の立ち上げに協力したので、ここに住む人々には好感をもたれている。アンナとて例外ではない。とはいえ、ただでさえ客人を迎えるのは寡婦のアンナにとっては並みのことでないのに、かてて加えて相手は言葉の通じない外国人だ。アンナは瓶詰めが並ぶ棚に手を伸ばしてタバコの箱を引き寄せ、ほとんど凍える指で一本に火をつけた。石炭の方は相変わらずくすぶっていて、燃えつく様子がまだない。アンナの夫のアンジェイは共産主義のもとで事業を営んでいたが利益の大半は国家に吸い上げられた。疲労と失意と多量のウォッカが健康を蝕んで、共産主義から開放された2年後に亡くなった。アンナは一度この家を出てアパートに住んでいたが、再婚したフレデリックとマリコが荒れた家を自分達で改装して何とか住めるようにしたのでアンナも元の家に移り住む事にしたのだ。切り妻屋根の、いかにもポーランド風の木造家屋である。追想の内に一服終えて、石炭にも火が燃えついたのを認めたのでアンナは安堵した。客人が到着する頃にはスチームで部屋は暖かいだろう。やがてポーランド語と日本語の入り混じる会話が外に聞こえたと思うとドアが開いて、マリコの両親とその友人が現れた。やさしい日本人3人がそこに立っていた。
1.宇宙人〔「我々は宇宙人だ。プリミティブなノスタルジーに先導されて、この星にやってきた。」早朝、四時。ホームレスらしき男が、リアカーを引いて言っている。皆騒いだ。「ついに宇宙人が現れた!」六時、自衛隊発動。四方八方、兵器で彼は囲われる。「我々は宇宙人だ。」それでも、ひとりの行進を彼はやめない。七時、宇宙人らしき人物死亡。皆、安堵する。彼の言う「われわれ」とはなんだったのか、私が思うに、それは、人類を含む知的生命体すべてをさすんじゃなかったんだろうか。「君たち、そして、僕は、人類、あるいは、何とか星人で、ある前に、宇宙人である」と言いたかったんじゃないだろうか。彼は全体との和解を求めたのではなかろうか。だが、人類には受け入れられない。人類は、本質的に、敵を作るからだ。全てとの和解は、それぞれを消す。人類は、宇宙人である前に人類でなければ、気がすまない。人類は、人類である前に日本人でなければ、気がすまない。日本人は、日本人である前に、だれそれでなければ、気がすまない。ああ、宇宙人よ、だから、僕らは、敵を作る。君は、君の発言に寄れば、地球に帰ってきた。ここが、人類の故郷であるまえに、宇宙人の故郷だからだ。それにも関らず、君は撃ち殺された。君は生命とともに、アイデンティティーを剥奪された。事も収まったのち、「あれはなんだったんだ」と言い、人々は、こう答える、「どうでもいい」。だって、世界は無関心と悪意の塊だもの!〕2.文化会館「・・・そんな寂しいことがおきて欲しくないので、宇宙人は現れない!」と僕は叫んだ。「いや、宇宙人はいるよ。君、宇宙人の存在を願う、僕らって一体なんだね?」と科学者のお兄さんは言った。「そうか、願うのか、僕らは。」「願うのさ、僕らは。だから、願いの矢を僕と飛ばさないか。」 文化会館の前庭で、空に向かって、ペットボトルロケットが飛んでいった。僕には、それが、どこまでも、どこまでも、飛んでいくように思われた。見えなくなるまで、僕は空を見つめた。そうか、僕には意味もなく価値もないのか。だからこそ、僕も願いの矢として、どこまでも、どこまでも!3.手紙 僕らは願いの矢。誰に放たれたのかもわからない願いの矢。矢は混沌に境界を引く。それは我々同士を分かつのではない。それは、私と宇宙との境界線。 だから、哀しい顔をしないで。僕が死のうとも、君が僕を覚えているうちは、僕は願いの矢として、どこまでも、どこまでも、飛んでいく。君よ、君のお腹の子に、僕の引いた境界線を見せてやってくれ、見上げれば、僕の引いた線はいつまでも空に見える。
※作者付記: 不器用ですみません。我々の願いは、どこのどういったエネルギーが為させるんでしょうか。有望なし、だのに、常に何かを願っている。・・・神秘。
俺は現在危機に瀕しているいわゆる空腹という危機に…意気揚々と山に向かったはいいが思い切り足を滑らせ荷物を崖に落としてしまうなんてベタなんだと自分を呪いつつ通ってきた道を見失い山中を彷徨っているという現状「何か食い物…」うわ言の様に呟いていた泳いだ視線が捉えたのは地蔵…ではなくその手前のお饅頭「神の恵みだ!」思わず叫んでいた一応拝んだ後に饅頭に手を伸ばすとべしっ「あてっ!」なんだ!?「これこれ若いの」手を押さえながら顔を上げると地蔵が笑っていた顎が外れそうになるのを手で押さえる「広い世の中じゃわし見たいのも珍しくはなかろうて」そ、そういうもんなのか、世界は広いないやそれよりも今は!「あの…その饅頭食べちゃダメですかね」「おぉ、食え食え」「じゃ遠慮なく…」べしっ「痛いって!」地蔵は笑っている「食っていいんじゃなかったんですか?」ちょいちょいと地蔵は持っていた杖ですぐ隣の木を指す木には何やら文字が彫ってある『此処に供えられし物は地蔵に出来ぬ事を示してから頂け…』地蔵はにんまりと笑う「つまり出来ない事言えたらくれると」地蔵はうんうんと頷いているふっ、それぐらい大した事ない「よ〜しやろうじゃないですか」んでもってさっさと食事にありつくとしよう「そこから歩くとか」地蔵は笑顔で俺の方に歩いてきた「じゃあ空を…」言い切る前に俺の顔の高さまで浮いて来たくっ流石にこの程度ではダメか問答は数十にも至ったがいまだ俺の手に饅頭はなかった「日本狼を呼び寄せてみろ!」これならどうだ!地蔵がトントンと杖を突くと何処からか犬っぽい容姿の獣がわんさか集まってきた、しかも敵意丸出しで…「い、今の無し、無しにして!」言った途端に犬達は茂みの中へ帰っていった「び、びびったぁ…」「ほれ次は何じゃ」この絶対に負かしたる!目的と方法の位置がずれ始めていたそのとき俺の中にある考えが浮かんだ「じゃあその饅頭お俺に寄越すってのは出来ますか?」…沈黙数秒「…かっかっか」笑われてしまった…「旨く考えたな小僧、いいだろう持って行け」にひっと笑い返す「んじゃあ遠慮なく」口の中に放り込むと餡の甘い味が俺を満たしたなんとなくだがこれで何とかなる気がした「俺はもう行くね」手を振って歩き出し見えなくなった辺りで思いついて振返り叫んだ「出来ない事なんてこの世にないと思うよ!」地蔵に聞こえたかは解らないが俺は満足して無事山を降りましたとさ
間違いなく、私は死ぬ。午前か午後の12時にね。近所の小学校の鐘が鳴るんじゃない?「でもそれって間抜けじゃない」「まぬけ?」「うんだって学校のチャイムは12時15分に鳴るでしょ」知らないねぇ、と心で目を伏せてみたところ、一瞬のざわめきは消えた。そんな風に思えた。ざわめきは一瞬だったように思えた。「洗面所に緑色した安全カミソリがあるの、想像して」「緑色?ピンクじゃなくって?ヴィーナスなんとかっていうやつ」「違う。カメレオン色だよ、薄すぎるオレンジのスムーザーがついてて」「ああ。何色にでも変化できるやつ」「は?何を言ってるのかさっぱりですけど、ちょっと頭大丈夫?」私は立ち上がった。まず窓の外を見てみる。人を幸せ気分にさせる桃色雲はとっくに消えていた。その次に冷凍庫まで二、三歩歩いて、かちかちに凍らせた繊細なチョコレートを箱ごと取り出して元の位置に戻り、ごっそり何袋かつかんで相手に渡した。彼女は両手でお皿を作ってそれらを受け止め、声に出して笑った。「で、今何時」「わかんない。煙草吸ってもいい?」「吸えばいいじゃん別に」突然、彼女が笑い出した。「なに」「ふは、ふ、あ、あははははは」「あふ、ふ、ふぅー。ごめん、はーぁ…ふーぅ。ごめんごめん」「なによ」「いやあのさ、覚えてる?かなり昔の話になるけど」「うん?」「まみみがさ、あの子が、ニワトリの真似したこと」そう言ってから、彼女はまたひとしきり笑った。「まみみがね。あー覚えてる。あの日すごく暑かった」「最悪だったよね。みんなびっしょり汗かいてさ、頭おかしくなって」「確かに」私に思い出せる光景。女だらけで暑いの何ので、狂ってた。香水の匂いが混じってものすごく臭かった。「で、まみみってほら」「あー可愛くて清純ぽい」「そうそう魔性だけどね実際」「そうねー。だからだね、余計みんな笑ったよ」「ていうか、でも思い出せないんだよ。なんでニワトリの真似なんかしたのか」「…今何時?」「なんでだっけ」「披露したかったんじゃないの」「違う。思い出せない」「いいじゃん別に。それより今何時なのよ?」「んーそろそろあたしの彼が迎えにくる、くらいの時間」「って何時。あんた12時過ぎてたらどうしてくれんのよ」「また死にそこないでハッピーエンド」「それに、」「それに鐘も鳴らない12時でしょ」「その辺はよくわかんない。けど早く時間を教えてもう時間がない、早く!」「ちょっと待って」彼女は洗面所の安全カミソリと銀の腕時計を取ってきた。「はい、今12時ぴったり。どうする?」「死にそこないのハッピーエンドにする?」間違いなく、私は死ぬ。明日、午前か午後の12時に。
彼は変形したフォークリフトを見ていた。とても大きな瓦礫の山の上から見ていた。日が傾いていた。それが朝日なのか、夕日なのか彼にはわからなかった。ただ、その色が余りにも空の色とは異なるために、彼はそれが敵であると思っただけだった。ただ、その敵は余りにも大きく、余りにも遠かった為、彼には為す術がなかった。彼ができることといえば、ただ、それを見つめることだった。それが敵であっても意味などないことに彼は気づき始めていた。全ての出来事が閉じられた円環の中で循環しているだけだと彼は感じ始めていた。そして、そこから逃げつづけることでしか、自己の意識というものを保持しつづけることが難しいことも。しかし、彼は逃げない道を選んだ。ただ、彼は出来事も起こさなかった。彼はただ見物することにしたのだ。閉じられた円環の内部にありながら、彼は内部にあるということを引き受けながら、ただ、見物者になった。瓦礫の山の上はとても冷たい匂いがした。変形したフォークリフトは彼に何かを訴えていた。彼が何も感じなかったわけではない、彼は何かを感じてしまう自分がいることを知っていた。彼は視覚が感情を生み出すメカニズムを知っていた。それが科学的なものであることを知っていた。それは視覚だけでなく、聴覚も、嗅覚も、触覚も、全ての感覚が科学的に感情を生み出すことを知っていた。だから、彼が何も感じなかったわけではないのだ。彼は何かを感じている自分を放棄し、そこに意味を付随する行為を積極的に否定したのだ。彼はある意味では言語の一部を放棄したといってもいいのかもしれない。彼は世界が言語によって規定されていることを知っていた。その言語の一部を積極的に放棄することにより、言語が乗っ取った脳の機能を一部でも取り戻そうと勤めたのかも知れない。しかし、それは言語以前の生物に対する憧れから来るものではない。とじられた円環の内部にあるということを知らずに生きることを望んでいるわけではないのだ。彼は世界をもっと単純化したかったのかも知れない。それは閉じられた円環の中の循環を本質としつつも、その円環さえ破壊する力を持ってしまった人間に対する嫌悪のためではない。彼は複雑なままの世界を見物しつづけるという行為が単純なそれを見物しつづける行為よりも苦痛であることを知っていたのだ。彼は変形したフォークリフトを見ていた。彼が僕でないことをどう証明できよう。
※作者付記: 読んでいただければ幸いです。
ことを円滑に運ぶなら、イカルの説法はなっちゃない。 デートに万華鏡球が御光のごとく照らす店は悪くない選択。けれど、天女様らが舞い踊る社殿には一日とおかず参拝し、弁天様らが注ぐ御神酒をほいほいと飲み干すイカルを、真摯に見せるにはからきし力不足。あたしへの念誦は常世の彼方だ。「煩悩ですから」 うそぶくイカルに、「じゃあ禊が必要で?」とコップの冷水を浴びせてみても無駄である。「浄化完了」と一笑されて「では心おきなくホテルにでも」 憎らしい。 言ってやれ、言ってやる。「わたしの産土神は遠くにあって近くになく、地震、雷、火事、親父、セクハラ、裏切り、友情に出会い、別れや哀しみをみんなひとりで背負わなきゃいけない。その上、まだあんたはあたしに乗りたいと?」 イカルは大袈裟に手を合わせ、神妙に目を閉じて曰く。「昨夜、神獣件(くだん)に神託賜ったところ、我々の相性度は霊峰富士を越え、特に体の方はチョモランマもびっくり」 目を開き、「だからやっぱりホテルに行こう」と抜かす。「私をお前の中に鎮座して奉れば良いことがあるで候」などと、性懲りもなく続けるイカル大明神に、一矢放たねば気が済まない。 肘をついて、頬を預け、ひとつ口上を。「あたくしも今朝、霊獣白沢より神託を受けまして候」 おぉそれでそれでと芝居がかって身を乗り出す大明神に、「本日、大変危険日也」 斬り捨ててにやりと笑えば、イカル大明神は、ひとつ瞬きした。すとんと背もたれに背を預け、しげしげとあたしを見る。 そして、ニタリ。 目を疑うあたしをよそに、自分の衣服をごそごそ探る。 ジャ、ジャ、ジャ、ジャ〜ン。 効果音とともに取り出したのは、ぎょっとする程小さいダイヤがはめ込まれた指輪。エンゲイ次リング的に喩えるならば、光芒が滅法まばゆい。 手をかざしたあたしに、「千福」とその指輪を差し出し、「万福」と自分の薬指を見せて、 いざ。 四角い部屋のぐるぐる回るベットの上で、千福をはめたあたしと、万福をはめたイカル。互いに拝し拝されながら、あたしが千福でイカルは万福とは、ちっとも納得がいかないけれど、二時間勝負で常世の彼方。
職に就かない家人が一人いるというだけで家庭の雰囲気はぎすぎすしたものになるが、それが3年も続くともう殺伐。働かない当人、すなわち私には毎日が針の筵。母は論理的解決手段が尽きたのか、遂に思いあまって本当にいるかどうかも判らない神仏に救済を求め、近所の霊能者に私を連れて行った。 さて、その近所の霊能者榊原宗春とは、2年程前までは全く客が寄り付かなかったが、昨今のスピリチュアルブームに巧く便乗すると客が押し寄せ行列ができ、あれよあれよという間に家は増築改築、本人も肥え太った。威厳が出てきたと人は言うけれど、私には儲かった金で旨い物を貪り食っている俗物にしか見えない。現に私達の前に現れた宗春はまるで脂身が和服を着たような男。それでも温和な表情と全てを包み込むような話し方が人を惹き付けるのか、母はすっかり魅了されている。 宗春曰く、人はそれぞれ使命を持って生まれて来るらしい。では私の使命はと聞くと、それは自分で見付けるものだと大仏の微笑みでひらりとかわす。いや、その使命さえ見付かれば私だってもっとましに生きていけるのだよ。次に宗春、私の守護霊は祖母だと言った。祖母が亡くなったのは3年前。私の人生が転落し始めたのもその頃から。そう反論すると、祖母は獅子が我が子を千尋の谷底に落とすように敢えて私に試練を与えているのだと言う。でも、祖母は生前私を猫可愛がりしていたし、他人にも自分にも甘い人だった。死んでキャラ変わり過ぎっていうか、絶対別人じゃん。それでも母はうんうん頷き、涙まで流して感動している。人はこうやって宗教に嵌るんだと私は感心して眺めた。 家に帰ると少し気が楽になった母は買い物に出掛け、残された私は縁側に。そこには先客、飼い猫のタマが寝転がっていた。「おい、お前の使命は何なのだ」と脇腹をつんつんしても満腹なのか見向きもしない。そういえば何かで読んだのだけど猫は可愛さだけで生き延びてきたとか。なるほど、寝顔を見ているだけで癒される。ってことは、こいつはこうやって寝ているだけで人を癒すという使命を果たしているのか。夜は外でぶらぶら、昼は家でごろごろ。やっている事は私と同じだというのに。よっぽど前世で良い事をしたのか、守護霊が良いに違いない。私はタマの横に寝転ぶと天に向かって手を合わせ、何とか来世は猫で、と本当にいるかどうか判らない神様と守護霊の祖母にお願いする。