口の中で転がす黒糖飴は、どろりとした甘さで私の意識を紛らわせる。朝のプラットホームは、サラリーマンや学生で溢れていた。私は無表情で、電車を待つ。カンカンと警笛が鳴り、線路の奥から電車が入ってくるのが見えた。プラットホームに減速しながら入ると、ブレーキを掛け停車した。ドクドクドク。心臓がキュッと縮む。私の全身を嫌な感覚が走った。 扉が開く。それぞれの立ち位置から、誰もかれも、吸い込まれるようにして大きな塊の中へと消えていく。客のいないホームの中で、私と、駅員だけその場にポツンと残っていた。駅員は私に気づいていないのか、確認作業に勤しんでいる。扉が閉まり、一瞬目の前の乗客と目が合う。怪訝な表情を浮かべたので、私は視線をすっと逸らした。口の中には甘い味がべったりと残っている。家を出るときに飴を口に入れるのは、もう習慣になっていた。 電車は急いでいってしまった。私はガランとしたホームに突っ立って、しばらくぼんやり空を眺めていた。……いい天気……。「お嬢さん、学校行かないんか?」突然、生き生きとした声がして、散り散りだった意識は引き戻された。見ると、電車を見送っていた駅員が私の側に立っている。気づかなかった。何度となく目にする、年配の駅員。挨拶以外で話しかけられたのは初めてだ。「あ、はい……」私は緊張で、蚊の泣くような声を出した。「どっか悪いとか?」首を横に振る。「そうか〜、今日は天気いいね〜」駅員はそう言うと、空を仰ぎ見た。プラットホームの周りには田んぼがあって、桜の樹が植えられている。八部咲きの枝には鶯が止まっている様で、鳴き声が耳に入ってきた。「仕事を休んで日向ぼっこでもしたいもんだ〜」そう言うと駅員は、ハハハと笑った。ふと緊張が緩む。「早すぎるんです。みんな……」ぽつりと口をついて出た言葉。口にするなんてありえないなと思う。学校の中では、追いついていくのに精一杯、誰にも言えない泣き言だった。駅員には、なんとなく言ってもいい様な気がした。「お嬢さんはそのままでいいじゃない」ぱっと見た駅員の顔。目の端に出来た皺がなんだか優しかった。「おじさん、のんびり好きだよ〜」「飴どうぞ」私は提げていたカバンから、飴を取り出すと、駅員の前に差し出した。「ああ、黒飴やね〜。お嬢さんなかなか、渋いね」 駅員と別れてから、のどかなあぜ道をテクテクと歩き出した。足元にはつくしが咲いていた。
※作者付記: 読んでいただいて、ありがとうございます。
満開の桜の下で、白拍子が踊る。風の調べに身を任せ。 その光景を私が見たのは、雨が上がった直後の夜だった。 白拍子は、朱色の帽子を被り、僅かに紅の風合いがついた色合いの水干に身を包んでいる。足は何も履かず、新雪のように真っ白な肌で、土をしっかり踏みしめていく。(雨上がりの時というに、そんな事をすれば……) 私が憂いた矢先に、白拍子の足元で泥が跳ねる。新雪のように透き通った肌に、雨水と泥が絡みついた。 白拍子が足を止める。右手をゆっくり持ち上げ、絹糸のように滑らかに整った指先を、雨雲へ隠れた月へ向かって大きく伸ばす。(――新しい舞いか?) 少し興味を覚えた私が踏み出そうとした矢先、白拍子が振り向いてきた。「?! お前は――!」 私の喉から、声が迸る。唇を突き破って、言葉を紡ぐ。 そんな私を見て、白拍子は……いや、白拍子の姿のあの人は、小さな唇でにこりと微笑んだ。 風が吹く。 駆け出そうとした私を追い飛ばすかのように、あの人を守るかのように、桜の木から突風が吹く。 枝が揺らぎ、大量の花びらが飛んでくる。その中の一枚が、私の目の中に、飛び込んだ。 激痛が走る。視界が遮られ、あの人の姿が見えなくなった。 頼む。頼むから、見せてくれ花びらよ。私の目なぞ、後で幾らでもくれてやる。 だから、お願いだ。あの人の姿を、もう一度私に見せてくれ! その願いへ被さるように、懐かしきあの人の声が、凛と響いた。―― 今一度 咲き誇れや 桜花色 月も常夜(とこよ)も 乗り越えゆかん ―― 雨雲を蹴散らし、月が顔を出す。 雪色の月光が場を照らし、私の目に張り付いていた花びらが掻き消えた。 ……目の前に居たあの人は、すでにいない。 あの人が傍にいた桜の木は、真っ黒焦げの残骸と化していた。 桜の花びらは、一枚も落ちてない。ただ、雨風に晒された残骸の表面が、漆の如くしっとりと輝いている。「そうか……お前は咲きたかったのだな」 何故忘れていたのだろう。あの人が亡くなった豪雨の日、開花寸前だったこの桜も落雷で燃え尽きていたのを。「私は……もう一度あの人を抱き締めたかったよ」 残骸の表面を指で押すと、ぐじゅりと凹んで指先が埋もれた。「――今一度 咲き誇れや 桜花色……」 黒く汚れた指先を見つめ、私は静かに口ずさむ。「……願い空しく 死は死のままで――」 その時、私の頬を撫でるように小さな風が吹いた。
※作者付記: 作品内の短歌は、オリジナルです。
抹茶プリン、食べません?あ、はい。では、いただきます。コーヒー、飲みません?あ、はい。では、ホットでお願いします。お土産のクッキー、食べません?あ、はい。では、有難くいただきます。テレビゲーム、しません?あ、はい。では、手加減してくださいね。晩御飯、一緒に作りません?あ、はい。では、かぼちゃの煮物を。一休み、しません?あ、はい。では、すこし休憩します。夜の散歩、いきません?あ、はい。では・・・・・あ、う。寒いですか?上着貸しますよ?あ、ありがとうございま、す。公園、よっていきません?あ、はい。では、いきましょう。キスしたいので、いいですか。あ、はい。・・・・・ぇ?では、遠慮なく。彼女はいつも、同じテンポで答えようとする。だから彼は「確信犯的」な計画で、困らせてみました。もちろん、彼にとっての幸せのために。
※作者付記: 初挑戦です。こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。お願いします。声にしたら挨拶全部、裏返ると思います。緊張してます。彼と彼女のテンポ、どちらが一枚上手なのかな?みたいな流れを書いてみました。こんな彼氏、敵に回したくはありませんね、何思いつくか図りかねます;最後は強引で、ちょっと自分で恥ずかしいです。では、tamakoマメでした。
あの人と会うのは数ヶ月ぶりだ。“遠距離恋愛”と言うには近すぎて、けれど、日常的に会いに行くには遠すぎる、中途半端な距離。……正直、私はこの距離が不安だ。 私は会いたくて会いたくてたまらないと言うのに、彼は私が彼を思うほど私を思ってくれていない。 連絡をとるのもいつも私からで、こんな風にデートするのだって私が段取りしないと彼からは絶対に「会おう」なんて言ってくれない。彼は多分一緒に歩いてて私が突然隣からいなくなっても、きっと気付かない。 会いたくて会いたくてたまらなかったくせに……。風船みたいに膨らんだ「会いたい」がシューっと音を立てて萎んでいく感覚。 ―――もしかしたらもう嫌われているのかもしれない。私よりもっと扱いやすくて可愛い人を好きになっているのかも―――…。 醜い感情に汚染された私は、きっと今、世界で一番醜くて汚い。 立ち竦んだままの私の目の前に、彼の影が見えた。きょろきょろと辺りと見渡しながら、時計を一旦確認して、それから携帯電話を覗き込んでいる。 私の携帯が震えた。条件反射で私は通話ボタンを押して、初めてかもしれない彼からの電話を受け取った。「もう着いた?」 開口一番の彼の台詞はこれだった。「ねえ。一つ聞いても良い?」「何?」 私は一呼吸置いて、震える手で携帯を強く握り締めた。「会いたいって……思っててくれた?」 彼の声が聞こえるまで、長い時間を要した気がした。電話越しの彼にまで鼓動が聞こえてしまいそうなほど、今の私は緊張していた。「何言ってるの?」 その言葉で、もう一度口を開こうとしたとき、彼の声が響いた。「じゃなきゃ、時間作って待ったりしないよ」 私はすぐに電話を切って、困惑気味な横顔へ向かって走り出した。 人通りが多い駅ビルの前。通行人の皆様ごめんなさい。私は大好きな人を目の前にして我慢できるほど大人ではなく―――寧ろ、ただ身体が成長しただけの、中身はまるで子供です。 自分の足がもどかしい。一歩一歩近づいていくこのスリル。ぞくぞくする。 その体温に触れたとき、私と言う人間が弾けたみたいに感情全部が彼に覆われた。細胞一つ一つ、髪の毛先一本一本から足の爪先まで全部、ぜんぶ、ゼンブ―――。 ああ。この人だ。ずっと会いたかった。「会いたかったよ」 私ではなく、彼がそう言った。強烈に抱き返されて、背中に感じる体温に愛しさを感じた。寂しさなんて、吹き飛んだ。
『また来た』男は立ち上がり、サングラスをかけドアを開けた。「今日は肉じゃが作ってきたから一緒に食べよう!」「・・・新聞は取りませんよ?」「バカ!そんな話しするつもりないよ!」と言って部屋に上がり込んできた。おばちゃんはいつも強引だ。でも、男はもう慣れた。そそくさと流しに行き食器や箸など二人分用意した。「おばちゃん。選挙は興味ないからね。」「本当にあんた可愛くないねぇ。選挙は来年の夏まで無いよ。たまにはニュース位見なさい!大学生なんだから。」食器をテーブルに置き、冷蔵庫からジンジャーエールを出した。「相変わらず女っ気の無い部屋ねぇ。きっとサングラスが悪いのよ!恐く見えるから。」「関係ないですよ。サングラスは。」「モテないよ〜そんな事だと!そうそう今日の肉じゃがは、かなりの自信作!」 2年前の引越してきた日、おばちゃんの方から挨拶にきた。挨拶に行くのは僕の方なんじゃ?と思いながら挨拶を交わした。それから、ちょくちょく男の部屋に来るようになった。ご飯を持ってきては、新聞取らない?だの選挙に協力して欲しいだの男としては、うざいだけなのだが、おばちゃんの人としての部分は嫌いじゃなかった。 おばちゃんは、ある新興宗教の信者だった。10年位前に入会して、今じゃかなりの幹部らしい。旦那さんが事業に失敗して多大な借金を作り、愛人の存在も発覚。そして愛人と夜逃げに、一家離散。残ったのは借金だけ。そして返済のため朝昼晩と働くが利子にも追いつかず体を壊し入院した。その病院の同室に居た人に新興宗教の話を聞き、弁護士も紹介してもらって借金はある程度解決。今は親類への借金が少し残っていて返してるらしい。そんなきっかけで入会したとか。なんだか冴えないありきたりな話。「あんた、入会しない?」「おばちゃんが幸せだとは思えない。」そんな勧誘と断り文句が1年位前まであったけど、最近じゃ全くしなくなった。脈なしと思ったんだろうか。でもこうやってご飯を持って押しかけてくる。「どう?美味しいでしょ?うちの息子も肉じゃが好きでね。」「ちょっと味濃いかも。」「あらそう?それじゃ今度は味薄くするね。」「でも旨いですよ。」「ありがとう。」サングラス越しのおばちゃんは微笑んでいた。素敵だった。今度は、サングラスをはずして出迎えようと男は思った。今日も、一家離散した家族のために、おばちゃんはワンルームの部屋で一人祈っている。
ある日の昼下がり。おれの部屋で。暑い日。「……でもさ、」涼子はまだしゃべり続けている。「一体、何してたの? あの後。由紀ちゃんと、佐織もいたんでしょう?あと、浩介と満か。」「浩介と由紀はすぐ帰ったよ。満は来てないし。」言わなきゃ良かったと後悔する。でも、黙っているのも腹立たしい。「へえ、じゃあ、あなたと、佐織だけ? 佐織、残ったの?」涼子がいぶかしげにたずねる。眉間にしわを寄せて。付き合って三ヶ月。色々な表情が見えてきた。「佐織は、ちょっとだけいたかな。すこしだけ、くだらない話して、帰った。」「くだらない話って何?」普段からこんな明晰な君なら、冷蔵庫の中の野菜を、しなしなには、しないはずだ。「くだらないものは、くだらないんだよ。」「そんな言い方ないでしょ! ......あたしに言えないこと?」言いたくないだけだ。「何で黙ってるの?」ああ言えばこう言う。何も言わなくても、言われる。「だって、おかしいよ。夜の砂浜で、男のヒトと、女の子が一緒に、一時間もいるなんて。それ、立派なデートだよ。お酒も入ってたんでしょ?」おれはもう、だんまりを決め込むことにした。全て、不快なこの部屋のせいだ。なにもかも。窓の外は、白い熱に浮かされているようだ。それに比べて、この部屋はじめじめと薄暗い。どこからか、せみの鳴き声が聞こえる―。沙織は浴衣を着ていた。紺地に泳ぐ金魚。似合ってた。いつもより、少し優しかった気がした。おれの話くらいで、よく笑った。月と、金魚と、彼女の皮膚だけ、夜の浜で白く光って見えた。彼女は......。「ねえ、聞いてるの?」現実。「女の子と、お酒入った男が、誰もいない夜の砂浜で、何してたのよ!」いつの間にか、かなり具体的になっている。「花火の後片付け」「え?」「実は、花火終わった後、ごみがかなり散らかってたから、気づいたおれと佐織で、片付けたんだよ。一応幹事だし。で、お疲れ様でちょっと酒飲んで、帰った。」「下手なうそだね。」信用がない。「いいよ。佐織にメールしてみるから。でも、旅行中にメールされたら、迷惑かなあ。」勝手にしろ。「あの子が満と付き合うなんてねえ。まだ2ヶ月だもんなあ。邪魔できないなあ。」どうして彼女は、あの日、すぐ帰らなかったんだろう。もう、会ってくれないと思っていた。あの日は、二人で、残った苦い酒を飲みながら、浜辺で、たいしてきれいでも無い、大きいだけの月を見て、そして帰った。
※作者付記: 夏はなぜか、色々な人間関係が、前に進んだり、後に戻ったりするものです。気持ちの面でも薄着になり、自分の内面が外に出やすくなるためでしょうか。この作品ではそんな正直な季節の一場面を描いてみました。
折角の十五夜を雨雲に邪魔され安っぽい望遠鏡から顔を上げため息ささやかな趣味の時間を邪魔したお天道様を恨めしそうに眺めている「はぁー」まぁコレが最後というわけでもなし諦めて部屋に戻ろうとすると「どうかしましたか?」声に驚き振り向くとそこには生首があった「うわぁ!」「わ、なんですか?」否逆さまに屋根にぶら下がった女の子だった、ポニーテールが逆立ち状態だ「君何、君誰、君あっとえっと…」「まぁまぁ落ち着いて深呼吸深呼吸」すぅーはぁー「落ち着きましたか?」逆さのままで喋っていて辛くはないのだろうか?そんな疑問が浮かぶ程度には落ち着いてきた「少しは…」「よっと」女の子はくるりと前方宙返り綺麗に着地を決めポーズをとるとこちらを向き直った「おぉー」思わず拍手「あはは…で何をため息なんてついていたんです?」照れた様に頭を掻きながら彼女は近づいてくるこれはたぶん夢だなと割り切り会話を続けることにした「いや月が見れなくて残念だなって思って」「月ですか」「月ですよ」「月なんていくらでも見れるじゃないですか」「いや満月はいつも見れるわけじゃないじゃない」「そうじゃなくて…ホラ」彼女はそういって手を差し出した何か持っているのかと思い彼女の手に自分の手を重ねる親をカウントせず産まれてはじめて触った異性の手は薄いという感想が浮かんだ「うわっ」万物は地に引かれるという物理法則を無視して体が浮かんだ夢と解りきっていても慌てる物は慌てる自制がきかないままどんどんと上昇していく彼女の手に引かれるように床がどんどん離れていき見る間に家の屋根どころか町全体を見下ろす形となった「上…」その声に釣られて空を見上げるといつの間にか雨雲を突きぬけ眼前には明るい月が浮かんでいた「うわぁ…」「ね、見れたでしょう?」「…」このとき僕は月ではなく彼女の微笑む顔に見とれていた「綺麗ですねー、眺めたくなるって言うのもわかる気がします」手の力を少し強めると彼女を引き寄せ腰に手を回した「へ?」「あのさ少し…踊ってみないかい?」訳のわからない台詞をほとんど勢いで言ってしまった彼女も言葉の意味がわからなかったように呆然としている今の台詞は多分マンガか何かの影響だ「え、ここで…? それに私踊ったことなんて…」「僕だって空を飛んだのは初めてだよ」変に口が回るやっぱり夢だけれど…たとえ夢でも月明かりの下彼女と踊ったことは忘れられないことだろう