第58回体感バトル1000字小説部門

エントリ作品作者文字数
01a happy ending久遠1000
02報道teek-wa-boo935
03歌舞伎座中津川渉1000
04路地武田若千994
05いたずら電話jeje921
06神様のアモーレ青木優1001
07今、話題の問題セニョリータ長谷川901
08六月、梅雨、ロボットの見る風景は安東 芳治839
09博士と幽霊と土目1000
10蛍光灯レイン。21世紀少年1000
11穴的なものそうざ751
12アクア大山きのこ1000
 
 
 ■バトル結果発表
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エントリ01  a happy ending     久遠


 この部屋で、一緒に暮らそう。私がそう決めたのは、確信があったから。
 丘の上、新築の小ぢんまりとした佇まい。クリーム色の壁と、猫の額ほどの庭。“可愛らしい”と言う形容がぴったりだった。
「ここが良い」
 私がベランダから動かないで、その間家の中を見て回っていた彼にそう告げると、彼は「じゃあ、そうしよう」と同意してくれた。

「そこが気に入ったの?」
 彼が私の好きな紅茶を片手にベランダにやってきた。ベランダのすぐ下は狭い庭になっていた。植物が好きな彼に、その庭の手入れを任せている。
 このベランダにはミニバラが生息している。これは私と彼の共通の好きな花だ。
「うん。凄く」
 私はにっこりと笑った。

 子供が生まれた。男の子と女の子で、二人で二階のベランダがあるこの部屋を取り合った。勿論自然に私はこの部屋から立ち退くことになった。でも、時々この部屋から彼と一緒に紅茶を飲みながら町を見下ろした。
「お父さんとお母さんは、どうして結婚したの?」
「お父さんがお母さんを愛しているからだよ」
 彼のその声は恐ろしいほど優しくて、私は未だその声にドキドキしていた。

 子供が成人して、また私の部屋が戻ってきた。肩も腰も痛いけれど、ベランダからのこの景色を眺めることを考えると階段を上るのも苦じゃなかった。
「そこからの景色は相変わらず?」
 庭から彼が声を掛けてきた。頬に泥をつけていて、いくら年を取ってもどこか子供っぽかった。
「相変わらずよ」
 町並みは変わってしまった。それでも、私の目に映る町はいつもどこかに面影を残していて、ミニバラの甘い香りも変わっていなかった。

 私達の子供が近くに引っ越してきた。
「おじいちゃんもおばあちゃんもしわくちゃだね」
 彼の頬を引っ張りながら孫が笑った。彼も私もすっかり風貌を変えてしまって、けれど彼は町並みと同じくその優しい面影を残していた。
「ねぇ」
 老いた足腰で階段を上るのはもう辛かった。それでも私達は調子のいいときは紅茶を持って二階に上ってベランダから町を眺めた。
「なんだい?」
 しゃがれた声で彼が聞いた。
「生まれ変わっても、ずっと一緒にいましょうね」
 彼は私の手にしわしわの手を重ねた。
「私は、生まれ変わっても君を愛しているよ」
 手を強く握り返して、私達は肩を寄せ合った。

 遠い昔にこの家に来たときのことを思い出した。あの時の私は、確かにこのベランダで二人で肩を寄せ合う姿を見たのだ。







エントリ02  報道     teek-wa-boo


 朝起きて、飯を食べながらNHKをつけたら、ニュースが流れていた。
 見出し、イラクの爆弾テロ、ジャーナリストら、死亡。
 内容「イラクで爆弾テロがあり、ジャーナリスト一名と米兵五名が死亡しました」。

 幸い日本人は含まれていませんでした。
 いや、そうじゃないな。
 米軍にだって、日本人や日系人はいる筈だ。
 だとしたら大変だ。
 そもそも、日本はアメリカの属国ぐらいにしか思われてないんだから、自衛隊員が死んだって、向こうの記者は「米軍」が死んだと報道するかも知れない。
 いや、そうじゃないな。
 天下のNHKだ。
 ひきこもりの方じゃなくて、ほうそうの方だ、包装じゃない、法曹じゃない、放送だ。
 ニュースソースをきちんと吟味しているだろう。
 日本大使館に問い合わせて、米軍に問い合わせて、特派員を総動員して、それでやっぱり日本人がいない事を確認したんだろう。
 だったら安心だ、米兵は死ぬものだ。
 イラクで毎度死んでいる。
 ニュースヴァリューもない。
 今日報道されたのは、ジャーナリストがいたから。
 人の命の重さは人によってまちまちだ。
 最重いのは自分自身だとして。
 一番軽いのは、物語の登場人物。
 次に軽いのは、敵。
 次に軽いのは、死刑囚。
 次は、次は、で辿って行くと、兵隊よりもずっと上の方に、ジャーナリストはいるんだろう。
 五対一でもジャーナリストの勝ち。
 十対一、二十対一、もう一声、三十対一。
 そろそろ紛れるだろうか。
 兵士ら死亡、と、見出しが付くだろうか。「ら」はひっくりかえるのだろうか。
 兵士らはそれを分かっているのだろうか。分かるかも知れない。米兵なら分かるかも知れない、でもイラク兵はどうだろう。かつての日本兵はどうだろう。フランス外人部隊ならどうだろう。アフリカの、どこかの内戦地域の兵士と呼ぶ事も出来ない、ただ、銃を与えられたばかりの生兵ならどうだろう。
 人間は、どう改造されると、自分の命がジャーナリストの何十分の一、何百分の一、何千分の一である事を受け容れるのだろう。

 空っぽになった茶碗、汁椀、皿を、流しに置いて。
 血なんかとは全然違う色合いの、でも文字にすると同じ「赤」としか表現出来ない、リモコンのボタンを押して、テレビを消し、今日の仕事を始める。







エントリ03  歌舞伎座     中津川渉


明電舎の暗く高いレンガ壁の上にはギザギザのガラスの破片が見えている。その壁を右に眺めて初めての東京の朝を歩む善雄、6歳。戦後10年も経っていない。母と歩むその善雄の目の先には小さな駅が見えてきた。国電大崎駅。

夕べは東京の食事を取ってから8時に寝かされたが、人の出入りする物音と話し声が遅くまで聞こえていた。

善雄の父母が戦中の疎開先、碇ヶ関で親しかった古川一家の東京の家は、古川が勤める会社の社宅だった。しかしその一軒の家には無縁の2世帯が住んでいた。それが当時の住宅事情である。夜8時には同じ屋根の下の別の主人が帰宅したり、奥さんは食事を作ったりで、そのざわめきが善雄の寝つきを悪くした。

それでも、善雄は慣れない革靴を鳴らせて上機嫌に歩いていた。何しろここは東京、いなかとは違う。昨日は、馬車のいない街中を電車が走っているのを見た。黄色いそれは都電というのだと後で知った。

大崎駅のホームに入ってきた外回りの長い電車はは黒に近いこげ茶色だった。電車はおもむろに出発すると始めのうちは「うぉーん」という、腹に響く大きな唸りがした。こっちは国電というものなのだと善雄は知った。

走る電車の中で、上を向いて善雄が何か言おうとすると母は顔を寄せて小声で言った。「しゃべっちゃだめ」。しばらくしてまた口を開こうとすると「しっ」と言う。母は善雄のいなか弁を聞かせまいと周囲に気兼ねしたのだ。しかし帰り道には、都電がごろごろ走る銀座で貰った風船が、国電の中でうぐいすの鳴き声をたてたので周囲が笑った。母も苦笑した。

椅子に座って舞台に見入る古川婦人の膝と母の膝を借りて寝ていた善雄が目を覚ましたのは演目がやっと半ばを過ぎた頃だった。「まだぁ」「まだよ」「ふぅーん」悲しそうに再び寝入ろうとする善雄の目に映るのは歌舞伎のお富と与三郎。天井から雪が舞う。

夜が来て朝が来た。また夜が来て朝が来た。

昨日は東京駅前に地上38階の新丸ビルがオープンした。休日、好天。還暦も遠くない善雄は、ぶらりと都心に出たついでに歌舞伎座の前までやってきた。團菊祭五月大歌舞伎がじきに始まる。「与話情浮名横櫛」などの演目が並び、十二代目市川團十郎の大見得弁慶がこちらを睨みつける。平成は19年となり、昭和で言えば82年。大崎の明電舎は移転した。東京駅は高層ビルに囲まれた。だが、歌舞伎座は建物も演題も変わりがない。変わったのは、演ずる人と見る人だ。







エントリ04  路地     武田若千


「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイストパンより捩じれて倒れていたってさ、なあ」
 知らない痩せた男が、わるわると話しかけてくるので急いでその場を去る。何故知らない人間に話しかけたがるんだろうかと訝る。
 角を曲がると太った婦人がやけに小さな口をいっぱいに開けてオペラを歌っているのに出くわす。
 「ら」と「わ」のちょうど中間くらいの発声が路地いっぱいにバラバラと降ってくるのがたまらず、急いで別の道へ入った。
 高い塀に囲まれた細い路地がくねくねと迷路のように入り組んでいる、そのどこか。歩いているうちにどちらから来たのか分からなくなる。
 灰色で大きくて細い猫が、塀の上をつつつつと滑って行く。猫はちらりと一瞥を投げて、そのままつつつつといなくなってしまう。
 猫が去って行った方へあてどもなく歩いて行くと、花売りの男が待ち構えていたように路地をふさいで立っている。
「旦那、旦那。お花をいかがです、ほうら、綺麗でしょう」
 咄嗟にいらないよと答えたが、どう見てもその辺に咲いていた野辺の花をざんざん切り取って来たような感じだ。
「お花、欲しいでしょう、買っていったらいいですよ」
 いらない。と答えるが、花売りの男は諦めない。
 行く先の道は花売りの男がふさいでいて通れない。それならばと来た道を引き返す。花売りが後ろをついてくる。
 またじぐざぐ歩いて行くとオペラがだんだん近づいてきて、先ほどの婦人が歌っていた角まで戻って来た。はじめに話しかけて来た痩せた男が太った婦人に向かって何か話しかけている。
「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイス」
 婦人の歌にかき消されて、痩せた男はしばらくもごもごと口を動かしていたが、こちらに気づいて近づいて来た。
 後ろをついてきた花売りが、勢い良く前に飛び出して痩せた男に話しかける。
「旦那、旦那。お花をいかがです、ほうら、綺麗でしょう」
「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイストパンより捩じれて倒れていたってさ、なあ」
 二人は口をつぐみ、お互いの顔を見合わせる。
 痩せた男は花売りから花を買い、花売りは花が売れると痩せた男の示した道へそそくさと歩いて行く。
 痩せた男はオペラを歌い続けていた婦人に花を差し出し、婦人は仰々しくゆったりした動作で両手を広げ、さらに一オクターブ高い声でお礼の歌を歌う。
 その声は路地の高い塀を越えて、空へと突き抜けて行った。







エントリ05  いたずら電話     jeje


雅樹はテーブルの上に携帯電話を置いた。

「誰?」と台所から妻の真紀が言った。

「いたずら電話だよ。非通知設定だからおかしいとは思ったんだけど。電話口で、はぁはぁやってるやつ」

「聞いていてあげれば良かったじゃない」真紀は台所から笑って言った。

「そういえば」雅樹は不意に、昔何度もかかってきたいたずら電話のことを思い出した。

「昔さ、毎日毎日いたずら電話をかけてくるやつがいたんだよ。それも、その頃付き合ってた彼女といるときにきまってさ。女の声で、あなた今浮気してるでしょうって」

「本当に知らない人だったの?」

「なんだよ、疑ってるのかよ。本当に覚えのない相手だったよ」

「着信番号は出ていたんでしょう? そんなに毎日かかってきてたんなら、かけなおしてみればよかったじゃない」

「かけなおしてもみたよ。番号は表示されてたからね」

「相手はなんて言ったの?」真紀は雅樹の正面の椅子に腰かけて言った。

「電話に出たのはどこかの知らないおじさんだったよ。それで、毎日あなたの番号から電話がかかってくるんですが、って言ったらさ、そんなはずはない、って言うんだよ。自分は一人暮らしだし、誰にも電話なんか貸したりしないってさ」

「それじゃ、その相手は存在しなかったてこと?」

「まあ、そういうことになるね」

「でも、電話は確かにあったのよね?」

「あった。そのときの彼女もそのことは知ってる。一緒にいるときにかかってきてたからね」

「そう、いつも一緒で仲が良かったのね」真紀はトゲのある口調で言った。

「なんだよ、そんなことで妬くなよ」

「わたしの性格知ってるでしょ?」

 そう言うと、真紀は黙り込んでしまった。

 真紀の人一倍嫉妬深い性格は今始まったものではなかった。雅樹は、ふうっと大きな溜息をつき、椅子の背にもたれかかった。

 そのとき、テーブルの上の携帯電話が鳴った。

 雅樹は携帯電話を手に取った。着信表示には、「真紀」と表示されていた。

「出ないの?」

 真紀は黙って雅樹を見ていた。

 雅樹はしばらく迷ってから、通話ボタンを押し、携帯電話を耳にあてた。

「ねえ、私本当に嫉妬深いのよ」それだけ言うと電話は切れた。

 雅樹は真紀を見た。

「私って、本当に嫉妬深いわね」

 真紀は微笑んでいた。















エントリ06  神様のアモーレ     青木優


わしは神様。下界を覗いてちょっといたずらするのが趣味である。
今日の獲物は誰にしようか。


大智正矢はここ三ヶ月ほどの間大学に行っていない。
春休みもとうに終わり、誰もが五月のいくらか湿った空気の中でひいひい言いながら勉強やアルバイトに身を挺しているというのに、大智正矢には全くその気配がないのだ。というのは、彼はデイトレードで毎日確実に金を手に入れてきていたからだ。自身の脳みそと、指先と、画面を眺めるだけの視力があれば金はいくらでも手に入る。アルバイトはもちろんのこと、大学に行く意味も薄れてきていた。

ところが最近、思うように金が入らなくなった。
こういうことはよくある。この三ヶ月上手く金を稼げていたのだから、
もうやめてもいいかもしれない、と大智正矢は目を休めながら思った。
50万以上の金が手元にある。大学に戻れば、それこそすぐ交際費に飛んで行きそうな金である。なんて無意味なところなんだろう。

とは言え、このまま引きこもっていれば、運動不足でぶくぶく太り、最終的にひとり孤独に死んでいくことになるかもしれない、という考えがにわかに彼を不安にさせた。

「ここはいっちょ、当たり屋にでもなるかぁ」

そう言って彼は汚れてもいいように部屋着のままで、外へ飛び出した。日が傾きかけている午後三時、目指すは2丁目の大通り。

「あ!あれはまさしく気の弱そうなおっさんだ。よし、ゆすろう」

キィィー!ドカーン!!

「やばい、やっちまった」

運転手は車を降りて様子をうかがおうとした。

「すいません。大丈夫ですか?」
「いたたたたたたたー。こりゃ骨折したよ一生車椅子生活だよー。おっさんどうしてくれるんだ、治療費100万円払ってください」
「すいません。治療費はもちろん払います、一生面倒見させてください」

運転手はそう言いながらも、心底困り果てていた。


「あちょー」

神様は運動不足を解消するため、太極拳の練習をしていた。

「また2丁目の交差点で不届きの輩が何かやっておるようじゃな」

「えい!」

もめている正矢たちの前には、犬が現れた。正矢はそれを見ると一目散に駆け出していった。彼は犬が大の苦手だったのだ。
「おぉゴン、こんなところにいたのか」
運転手は愛犬との久しぶりの再会に身悶えた。

一方、正矢は、怖くて走りまわっているとなぜだか爽快感を感じた。
「やっぱ体を使うのは気持ちいいな。明日からバイトでも始めてみるかぁ」

「うむうむ」
神様は満足そうだった。







エントリ07  今、話題の問題     セニョリータ長谷川


暑い日は、かきごりを食べる。
しかし、食べ過ぎると、頭が痛い。
しかも、お腹を壊す。
しかも、あっという間に夏休みが過ぎる。

ある日、僕は神社の屋台でカキ氷を注文しようとしたが、
となりのやきそばを注文した。

ある日、僕は冷凍庫から、カキ氷のアイスを食べようと
したが、やめて冷凍食品のピラフを食べた。

ある日、僕は友達と花火を見に行った。
また、屋台でカキ氷を食べようとしたが、友達とホットドックと
チョコバナナを食べながら、花火を見た。

ある日、僕は親戚一同が集まる場所で、カキ氷が出たが、
それを食べず、寿司を食べた。

ある日、宿題をやりながらカキ氷を食べようと冷蔵庫に向かったが、
なく。結局、コーヒー牛乳をがぶ飲みした。

ある日、深夜番組を見ながら、流石にカキ氷は食べたいと
思わない日に限って、冷蔵庫にはカキ氷しかなく。
しかたなく、カキ氷を食べた。

ある日、いい天気なので、空を見上げながら、歩いた。
帰りに、疲れたので、ジュースとアイスを買い、食べながら歩いた。

ある日、同級生にあったので、一緒に買い物とご飯を食べた。
デザートにカキ氷が出た。お腹を壊さないかと心配したが、帰りはおしゃべり
しながら、帰って平気だった。

ある日、汗がいっぱいでたので、お風呂に入り、贅沢にも
お風呂のなかで、ジュースをガブガブ飲んだ。
おいしい。その後カキ氷を食べた。おいしい。

ある日、24時間の番組を見ながら、
24時間ずっと見て、ジュース飲んで、ご飯食べて、夜中はアイス食べながら
ずっと見た。

ある日、深夜映画を見ながら、
ジュースを飲んで、アイス食べながら、ずっと見て。寝た。

ある日、ホラー映画を見ながら、
ジュースを飲んで、アイスは飽きたので、食べずにずっと見て。寝た。

そして、残りの日は、宿題の残りをやり、
その間、ジュースを飲んで、ご飯食べて、デザートを食べながらやった。

そして、最後の日、僕はすごい事に気づいた。
夏休みはあっという間に過ぎるっと言う事と、
体重が、13キロ増え、太った。
結論は、メタボリックになる人は、きっと自分に一番甘い人なんだと
言う事がわかり、宿題の課題に「メタボリックと私」っと言う題名で提出した。
先生は、私を見て。合格点をくれた。







エントリ08  六月、梅雨、ロボットの見る風景は     安東 芳治


 「十三番駅、十三番駅」
構内のアナウンスが急き立てる。ゾロゾロと慌しく開いたドアーから、ギュウギュウに詰まったカラスノエンドウの種のように、僕らはホームに押し出された。みんな文句ひとつ言わない。無表情だ。お互いの体をくっ付け合いながら、喧嘩もせずに階段目掛けて黙々と歩いていく。早く外に出たい。いつ直下型地震が来るかもしれないし。
外は眩しい。でも空気が重たい。水を溜めた洗面器の様だ。異常気象でも地球が公転している間は、季節は巡って来るんだ。特別の感情は僕にも一緒に歩いている誰にもないんだろうけど。何故だか解るんだ。コンクリートとアスファルトで地面を覆われた都会の梅雨は、鬱陶しいだけだから。
僕が会社に近づいた時だ。何かが鳴いている。蛙だ。蛙がビルの壁に張り付いて鳴いているのだ。雨蛙だ。でもそれはロボットなんだ。もう生き物はいなくなったんだから。それは湿度センサーが付いていて、雨が近づいたのに反応して鳴いているだけなのだ。いや鳴いているんじゃなくて、振動素子が振動して音が出ているに過ぎないという事だ。
もう愛する小さな生き物はいない。ビルの間に蛙が住めるわけもないのだ。僕は急に腹が立ってきた。僕の記憶の片隅に残っていた原風景が蘇ってきたからだ。梅雨に田舎の庭先に、おばあさんの植えたアジサイに、普段どこにいるか解らないのに、雨が近づくと葉っぱと同じ色の雨蛙が突然泣き出すんだ。そうして今頃は田植えの時期だ。僕を作った人間が、僕の記憶をロムに書き込む時、消すのを忘れたんだ。
これは生きると言うことじゃない。僕は悲しくなってきた。僕は涙が溢れてきた。僕には未だ心が残っているんだ。僕は僕の胸にあるスイッチを切った。それは僕の死を意味する。でももういいんだ。
僕の歩みは徐々にギコチナクなり、そうして路の真ん中で僕は止まった。でも誰も気にしない。皆会社に急ぐだけだから。同じロボットだから。皆黙って僕を避けて通り過ぎていく。そうして皆駆け出した。
雨が降ってきた。







エントリ09  博士と幽霊と     土目



とある所とあるとき博士は幽霊に出会い幽霊もまた博士に出会った
『あのー驚かないんですか? 一応僕幽霊なんですけど』
「下らん幽霊なんて物信じておるのか君は」
博士はふんぞり返って一蹴する
『はぁまぁ自分のことですし』
幽霊は頭をかこうとしたが手が頭を突き抜けた
自分の手を眺めなおしてふむと頷くととりあえず腰の当たりにめり込ませておいた
「実に下らん! 私にはもっといろいろなことを考えるために時間を使っているのだ」
博士の傾きが増す、このままいくといつか倒れてしまいそうだと幽霊は思った
『そんなこといわずに僕のことも考えてくださいよ』
「ふむ、考えもせずに放って置くのは性に合わん。 よし、少しだけだぞ」
本当に少しだけだぞ? と念を押してから博士は話を進めた
「ではまずお前の名前は? 何事も呼称という物は大事だ名は体を表すとも言うしの」
『それがないんです』
すまなそうにして言う幽霊に博士さして気した様子もなくふむとだけ唸った
「それは忘れたのかね? それとも元からないのかね?」
『どうなんでしょう? 生まれたときから幽霊だった物で』
「むむむ…これは興味深い生まれたときから幽霊とは…君は死んで幽霊になったのではないのかね?」
博士は某石造のようにあごに手を考え込みはじめた
幽霊はその様子に少し嬉しくなり饒舌になってきた
『はい、気が付いたときには街中を漂っていました』
「ふむ、では一番最後の記憶はいつだね?」
『昨日の様な一昨日の様な、なにしろ眠りもせずに一日中漂っているので日にちの感覚がないのです』
「名前もない昔もない死んでいるから未来もない、それでは君には何があるというのかね?」
うーんと一言唸ってから幽霊は応えた
『何にもありませんね』
首をフルフルとふるってアメリカンなポーズをとって見せた
『何もない…何もわからないから僕は幽霊でいられるのかもしれない』
後ろを向いて空を見上げると幽霊はそんなことを漏らした
ふむと唸った後博士は俯いてぶつぶつと呟き始めた
『何か思い浮かびましたか?』
「あぁ…一つ解った」
『ホントですか』
喜びよりも驚きに満ちた声が出た
『教えてください僕が何なのか貴方に解ったこと』
あーと言葉に詰まったときの声を出しちらりと横目で幽霊を見ながら博士は言った
「…どうやら君は頭を打って死んだらしい、後頭部に血の跡があるし足下がふらふらしっぱなしなのはそのせいだろう」
幽霊はがっかりした顔をした後天に昇って行った









エントリ10  蛍光灯レイン。     21世紀少年


部屋の電気が切れてから5日経った。

蛍光灯が寿命だったのか、それとも蛍光灯の豆が寿命だったのか分からないが、とにかく電気が点かない。会社に帰りに買おうと思うのだけど、つい忘れてしまう。だから帰ってきたらまずテレビとPCの電源を入れる。今、部屋の照明器具はそれだけだ。でも、不思議な事にそれだけの照明でなんの問題も無く生活が出来る。所詮、一人暮らしのサラリーマンの部屋なんて、会社から帰ってきて風呂に入って寝るだけのスペースに過ぎない。しかし、今日は違った。

本を買った。その本は人類史上最も白髪の似合うポップキングの哲学書だ。早く読みたい。読みたいのだけど、この明るさで読めない事も無いのだが、読みづらいし第一、自慢の視力が落ちてしまう。しょうがない。近所の喫茶店に行く事にした。

相変わらず外は雨が降っていた。ここ3日間、気が狂ったように雨が降っている。雨の日はあまり好きではない。統計学的にも雨の日、つまり低気圧の日は鬱が増えるという結果もある。雨の日が好きと言う人は晴れの日、余程ハイテンションなんだろうと思う。そんな事を思いながらポップキングの哲学書と財布、CDウォークマンを鞄に入れ、赤い傘を差して部屋を出た。3歩ぐらい歩いただけなのに、靴もズボンの裾もずぶ濡れになった。歩く度に靴はグチャグチャ音を立て、ズボンの裾はペタペタと足に張り付く。気持ちが悪い。だから雨の日は嫌いだ。

喫茶店に着いて、アイスコーヒーとスィートポテトを注文した。ここのスィートポテトは結構好きだ。とてもジャンクな感じのスィートポテトだ。アイスコーヒーにガムシロップとポーションを入れ、スィートポテトを一口食べた。そして、CDウォークマンのスイッチを入れ、ヘッドフォンを着けて、タバコに火をつけ、本を読み始めた。ポップキングは声高らかに「僕は退屈なことが好きだ。 同じものが何度も何度も 繰り返されるのが好きなんだ」と宣言していた。

変わらない毎日。下らない日常。退屈な現実。単調な生活にドラマなんて起こるわけでもない。ポップキングを羨ましく思った。外を見れば雨は止んでいた。本を閉じ会計を済ませ、喫茶店を出た。赤い傘は忘れた振りをして店に置き去りにした。ちょっとしたドラマの演出だ。携帯を出し簡易音声メモに「これから激安の殿堂に蛍光灯と蛍光灯の豆を買いに行って来ます。」と録音し、雨上がりの町を歩き始めた。町は雨臭くて鼻にツンと来た。







エントリ11  穴的なもの     そうざ


 そこは縦穴状の空間だった。俺は、壁面から勢い良く生え出した枝のようなものに必死に獅噛み付いていた。但し、枝と言っても葉など一枚も付いておらず、黒々と艶めき、撓りつつもほぼ直線的に伸びているだけだ。
空間内の湿気が意識を朦朧とさせる。更に、下方から冷たい風が、上方からは逆に暖かい風が、規則正しく交互に吹いて来て、体温と体力を容赦なく奪って行く。
俺は何をしているのだろう。上へ登りたいのか下へ降りたいのか、それさえ判らない。
 兎も角も、差し迫っているのは堕ちる恐怖だった。
 俺は恐る恐る下を見た。ぼんやりと光が差し込んでいる。上ではなく下に開口部があるのだ。しかし、光の先に何があるのか、何処へ通じているのか、全く計り知れない。何も判らない状況そのものが、更なる恐怖を運んでくる。
 とは言え、じっとしていても埒が明かない。上より下へ行く方が労力を要さない筈だ。それだけが、唯一確実な事だろう。
 俺は痺れる手を酷使しながらヌルヌルとした壁面に慎重に足を掛け、少しずつ下って行った。忽ち汗が噴き出す。額を流れた脂汗が睫毛の上で止まった。堪らず拭おうとした瞬間、足が滑った。何とか手近な枝に獅噛み付いたものの、突然、周囲の壁が激しく蠢動し始めた。戸惑う暇もなく、上方から粘性を持った液体がどっと流れ落ちて来て、俺は轟音と共に押し流されてしまった。
 ――ひっくしょおぉん!――
 俺はファミレスにいた。長椅子に凭れたまま転寝をしていたようだった。目の前には、付き合って三ヶ月の彼女が座っている。彼女は大きな音を立てながら鼻をかむと、風邪ひいらかみょ〜、と黄色い乱杭歯を見せて笑い、再びスパゲッティをズルズルと啜り始めた。
 俺は何をしているのだろう。何でこんな女と一緒にいるんだろう――そうか、そこに穴があるからか。







エントリ12  アクア     大山きのこ


 雨上がりの歩道を少女はひとり歩く。脇を通る車を尻目に、トロトロと。黒を混ぜた濃い紫のキャスケット帽に水色のパーカー、紺色のパンツ姿。家を出る寸でに鏡の前で少女は自分の姿を確認した。そこには不安な面持ちの少女がいた。(良かった……)少女は自分がちゃんと存在しているのかが不安でしかたがない。一歩出てしまえば外の空気に紛れるのだが、家の中にいる内は、どうしても自分自身に目がいってしまうのだ。
 雨で一掃された空気は澄んでいて、息を吸い込むと気持ちがいい。少女のさっきまでのうつらうつらとした思いは、いつの間にやら消え失せていた。窮屈そうな車内に身体を押し込めて、忙しなく車が走っていく。少女は腕を大きく振った。スイスイ泳ぐ魚の様に、足取りが速くなり、なんだか身体が軽い。水を与えられた葉の緑が一層生き生きと少女の目に飛び込んできた。灰黄緑の空さえも心に染み込んで、目に映る自然の色合い全てが美しい。心の面積が広がっていくのを感じた。
 少女は人間である事を思わず忘れそうになる。(もしかしたら、私は人間ではないのかもしれない……)そんな思いが頭をもたげる。少女には幼いころの記憶がない。ボトリと抜け落ちていた。だから、なぜここにいるのかさえ不思議なのだ。両親は確かにいるのだけれど、少女の事を聞いても何も語ってはくれない。聞いてはいけない様な空気を感じ少女は知る事を諦めた。
(雨の匂いは懐かしい。なぜそう感じるのか分からないが……)ふっと薄い膜が頭に掛かりはじめたので、少女は気分を変えようと足元に視線を落とす。昨日青かった紫陽花が、今日は薄い紫に変化していた。雨粒が紫陽花の葉の上でキラリと光る。その様をジッと眺めていると、雨粒の中に景色が浮かんで見えた。(不思議)少女は自分の身体より遥かに小さなその雨粒に、すっと吸い込まれていくような気がしたのだ。
 透明な水色の中は温かかった。まるで羊水の中にいるみたいに、心地いい。辺りに小さな光の塊が浮かんでいる。(私はやっぱりサカナなのかもしれない。サカナなんだ)少女にはそう思えてきた。小さな光は大きな光の集合体へと姿を変えた。(不思議。肉体の感覚がまるで無い……)いつしか少女自身もその一部となっていった。
 空間には、跡形も無く。アスファルトに水たまりがひとつ出来ていた。それが丁度水鏡になり青い晴れ空がうつっていた。空には同じ空が穏やかに広がっている。