ぼやけていた。私の現実はいつからか、壁に掛かった絵画の様なものだった。目の前で起こる物事をはっきりと実感として感じることをしなくなっていた。 澄んだ空気の夜空をなんとなく見ていた。一日を終え、心身ともにくたびれた私は、台所の裏口を開けてタバコの紫煙を吐き出す。星は雲に隠されて、あぶれた星がぽつんと光る。鼻の奥に微かに甦る匂い。それは稲穂の匂いだった。途端に私の心は小学生の私に戻る。そう意識だけ度々、戻りたがるのだ。なにか忘れ物を取りに行くみたいに。 まっすぐに伸びた長い通学路をひとり歩く。背負ったランドセルにはその日ある授業の教科書が律儀にびっしりと詰まっていた。担ぐとズシリ重く身体が思わず後ろに反る。だけど、そのうち慣れてくると身体の一部のようになる。不思議と重みが心地いい。辺りには刈り入れされた田んぼがちらほら。私が田んぼの真ん中に伸びた道を歩いていると、稲の匂いがフワリと私の身体を包んだ。その時嗅いだ匂い。 夕暮れの道を、ひとりトボトボ歩く私。書道教室の帰りだった。一緒に帰る連れもなく、むしろひとりの方が窮屈さから開放されて楽だった。歩くのは嫌いじゃない。さまざまな事を考えていた。通学路は誰にも邪魔されない私だけの世界で、人の気配が感じられない田畑や砂利道が居心地よかった。 昨日からはじめた仕事での事、面識のない人が大勢集う場面の中で、私の心はあぶれていた。居心地が悪く、ソワソワしていた。恐い、恐いよ。私は受け入れられないんじゃないか……って、途端にクゥーっと小さくなった心がその場から必死に私の存在を隠そうとする。 それは刈り入れ時の田んぼでの事だった。作業する近所の子の両親や親戚を前にして。近所の子の横で、私は顔をあげられずに俯いたままだった。「なんできたん!来るなと言うてたやろ!!」「だって〜……つまらんくなったもん」そんなやり取りを、私はその場にいるのに遠くで聞いていた。恐かった。私は受け入れられないんじゃないかって……。そう感じたら、急に私が小さくなった。そんな場面に出くわすと、その時の私が出てきては暴れるものだから、私の心は成長しないのだろう。 夜風にあたりながらぼんやり考えていた。込み上げる熱いもの。今にも叫び出しそうな思い(私はここにおる!)ふと、耳に入る虫の音がそんなもやもやをすーっと沈めた。今日はもう終わったんだ。また明日一日やってみよう。
ふと、僕は思った。 僕がしたことは、後世に残っているのだろうか? まぁ、死んでから考えたって仕方ないことだが、僕はそれなりにいろんなことをしてきたつもりだ。 ―――結局は、殺されてしまったが。 僕はこの日本を良い方向に導こうと、様々な努力をした。 自分で言うのもなんだが、僕はそれなりに国民に貢献できたと思っている。 ―――死んだ現在でも。 だが、僕の全てはあの日に壊れてしまったのだ。 そう、僕が殺された日。 あの日は、空が青く晴れて、清々しい日だった。 毎日こんな陽気が続けばいい、と柄にもなく思った程だ。 なのに、それは見事に打ち砕かれた。 「今まで、有難う」 その言葉が聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。 僕は死ぬ前、そんな言葉を聞いた気がしたのだ。 僕は、生まれた時以来の泣き声をあげた。 追い詰められ寺に立てこもり、火をつけられ諦めた時だった。 後悔はしない。 そう、決めていた。 ただ、その声が聞こえた気がしただけで、僕は全てから救われた気がしたから。 そして僕の名は、後世に大々的に刻まれていた。 成人の名、「織田信長」として。
※作者付記: 初投稿です。1000字どころか500字未満とは!無駄に改行して、文字数のことは全然考えていませんでした……。1000字って意外と長いんですねぇ。
私から色が消えてしまってから、何時間たったのだろうか。青空を見上げて、何故か違和感を感じたのは、もうずっと前のことのように思えた。目を擦ったら視界がかすれてぼんやりしてしまったけど、異変に気付いたのは自分の手の平を見たときだ。(灰色?)どこで汚したのだろう、私は何も触っていないはずだった。ズボンでごしごしと手の平を擦る。一息をおいてもう一度手の平を見た。変わらず灰色の手はそこにある。思わず、「なんで?」と呟いてしまった。怖くなって、今度は両手を同時に見たけれど、ドロドロのコンクリートに手を突っ込んだように、見事な灰色に染まっていた。全身に悪寒が走った。長袖の制服を肘まで捲り上げて、私は絶句する事になる。声も出せずに息を呑んだ。灰色、灰色、手の甲から肘までコンクリートが続く。思わず私は、虫を払うかのように自分の手を投げ出した。いやな汗がじわりと額に滲んだ。落ち着け、落ち着け。何か目の錯覚だ、きっとそうだ。とりあえず、早く家に帰ろう。私はなるべく自分の腕を見ないようにして、制服の袖を下げた。コンクリートで整備されている、住宅街の細い道を歩き始める。そこで、前方から人の姿が見え始めた。ふと目を凝らす。顔が確認できる頃、私は立ち止まった。ほとんど反射的だった。かおが、灰色?私はハッと口元を押さえた。前から来るおばさんが訝しげな目で私を見る。肌が灰色だった。「な…」に?これは、一体、「どうかしたの?」少し太った、きっと買い物帰りだろうおばさんが近づいてきた。私は拒むように手を前に出す。その時また自分の手の甲が見えて、不気味になった。わたしはおばさんを無視してその場から走り出した。人間の顔の色じゃない、全てコンクリート、気持ちが悪い。今日は目が疲れてるだけ、そう、それだけ。何度も頭の中で繰り返して、流れていくいつもの風景をみながら考える。大丈夫、一日寝ればすっかり直るはず。だけど、そう考えれば考えるほど、流れてくいつもの風景に違和感を覚えた。どんな違和感かは、自分の家の前に来て分かる事になる。あれ?ペンキ、塗り替えたっけ?今まで濃い茶色のような、レンガの色みたいな家が、濃い灰色に…灰色?私は目を瞑って、ドアの前で座り込んだ。それからの経路は、よく覚えていない。私はどうやら色を失ってしまったらしかった。簡単に言えば色覚の異常、だけどそれとは少し違う。私の目は動物になったのだ。
全ての荷物を部屋に運び終え、空気を入れ換えようと窓を開く。三月中旬の風は徐々に暖かくなってきてはいるものの、虫が入ってくるような季節でもないから網戸もいらないだろう。「よっと」 大の字になって寝そべると、畳の匂いが祖母の家に帰ってきたようで、くすぐったかった。 大学卒業後、歌手になってやると実家を出た。父とは一言も言葉を交わさず、母には猛反対され、兄だけが一言、頑張れと見送ってれた。当ても無く上京し、この部屋を借りた。 今時探せばまだあるもんだなー、てな感じの六畳半のボロアパート。ここが今日から私のアジトだ。こんなアパートでも一ヶ月で諭吉が約六人も飛んでくんだから、一人暮らしってのは大変なもんだ。ロフト付きデザイナーズマンションは彼方へ消えた。 将来に不安が無いって言ったら、嘘になるに決まってる。ホームで電車を待っていた足は震えていて、電車が動き出してからは涙が止まらなかった。それでも夢を諦める事なんて考えられない私は、本当にどうしようもない親不孝な性格をしていると思う。 空が明るいうちに必要なものだけでも出して置かなきゃ。これからは、全て自分で行わなければならないんだ。膨大な量の段ボールが、私にとっての課題に思えて身体が震えた。 早速CDコンポを取り出そうと、適当な段ボールを開く。 一つ目の段ボールは、冬物のセーター。この箱はそのまま閉まっておこう。 二つ目の段ボールは、ボロボロのぬいぐるみ。昔、兄に買ってもらったものだ。兄の顔を思うと心が重くなる。とりあえず保留。 三つ目の段ボールは、小さい箱の割にずっしりと重い。こんな段ボール、あったっけ。 開いてみると、「……あめ?」 のど飴が、箱一杯に入っていた。それらをかき分けていくと、段ボールの底に小さなメモが置かれていた。『喉を大切に』 それを読むと、クシャリと丸めて窓から外に投げ捨てた。「応援するか、反対するか、どっちかにしろっての……」 目尻に浮かんだ涙を拭いて、飴を一つ口の中に放り、またCDコンポを探しはじめた。 涙がポロポロと溢れていた。『とっとと帰ってきなさい。待ってるから。 父』「絶対、成功させて笑顔で帰ってやるんだから……」 いつか、十倍の数ののど飴を送りつけてやる。 震える手で段ボールを漁り続ける。 窓から入り込む風が、もうじき夜になる事を告げている。 涙は止まらず、まだCDコンポは見つからない。
小さい頃、お泊まりでぼくの家に友達が集まった時、テレビの放送が終わるかどうかで、賭をした事がある。「終わるよ」「おわんないよ!」「おわるよ、そうじゃなきゃ、テレビらんがおかしいだろ」「つぎの日のあさにつづくだけだよ」「そうだそうだ」 ぼくは、終わる方に賭けた。後に私立中学に進学したアツシも、ぼくについた。タカフミとヨシアキは、終わらない方に賭けた。 アツシは、馬鹿馬鹿しい、という顔をしつつもぼくの耳元で囁く。「放送が終わるのを、見た事はないんだ。それはちょっと楽しみだね」 ぼくたちは、ぼくの両親にお休みなさいを言ってから、明かりを消し、そしてテレビを点けた。 いつもは、居間として使うテレビのある八畳間に、布団が四つ敷き詰められている。 そこへ、ぼくたちは思い思いの格好でごろ寝をして、テレビを眺める。 十一時になり、ちょっとエッチな番組が始まった。 噂には聞いていたけれど、実際に観るのは初めてで、でも、期待していたようなエッチな場面っていうのは、呆れるほど少なかった。「これでどうしろって言うんだ?」 アツシが言って、タカフミが笑った。 ヨシアキとぼくは、何がおかしかったのか、その時はよく分からなかった。 次の番組は、退屈なニュースだった。ぼそぼそと喋るアナウンサーに、たちまちぼくは眠くなって来た。「ヒトシ、起きろ」 アツシに揺り起こされる。「だいじょうぶ、ねてない、ねてないよ」「ウソつけ、ねてたぜ」「ねてたぞ」「そうだねてた」「ねてないっての」「じゃ、でかいおっぱいのヌードも見てたか?」「お、おう」「ねえよ、そんなの」「ひっかけかよ!」 ニュースが終わって、それから次の番組が何だったかは――分からない。 ただ、「ずっとおきていたけど、ばんぐみはおわらなかった」と言い張ったタカフミのせいで、「終わらなかった」組が結局勝ちになった。「そんな事も、あったなぁ」 ぼくは布団にもぐりこんだまま、プレステのコントローラーを置き、ラジオのボリュームを絞る。 ラジオは、トラックドライバー向けの歌番組に変わった。 下宿屋の二重窓は、雪明かりではなく、確かに日の出の陽光に白み始めていた。 多分、今の下らない夜更かしも、あんな風に思い出す事が来るんだろうか。 そう思うと笑えて……ちょっと、泣けた。
目の前にいるのは馬鹿である誰がなんと言おうと馬鹿である今日も街の真ん中で「ボアー!」とか叫んだ馬鹿であるもう馬鹿を通り越してかわいそうな人にも思えてくるが長い時間をかけて付き合ってきた私としては馬鹿以外には阿呆くらいしかコレの表現方法を持ち合わせていないしかしこいつは成績が極端に悪いわけでもなく一般常識を備えていないわけでもない1足す1も解るし他人に迷惑をかけてるような事もしないでは一体こいつは何故馬鹿なのか?こいつの何が馬鹿なのか?「というわけでアンタのその頭の悪さを調べようと思うわけよ、異存は?」「はい!」元気に手を上げる馬鹿「どうぞ」「おやつはゼリーよりプリンがいいです! 殿はプリンを所望しておられます!」「却下」「ぅーギブミープリン〜」メモに馬鹿はプリンを好むと記したゼリーを横に置いたまま続けた「とりあえずはあんたがどの程度馬鹿なのかを確かめておくわ」「ふっ程度で示せるかな?」何をかっこつけている、しかも髪を撫で付ける仕草が様になってない「これはなんと読むでしょう?」ダッシュボードには『薄、鯰、梟』馬鹿はダッシュボードを受け取るとそれぞれの字の下に中々に達筆な絵を描いた「…」あってはいるが読みは何かと聞いたのだがまぁ読みがわかっていなければ描けないだろう「正解? 正解?」メモに中々達筆と加えておく「はぁ…次」私は定規を使って直角三角形を描くと二辺にだけ線に対する長さを書き込んだ「残りの一辺の長さはいくつでしょう」馬鹿は方目を閉じて親指と人差し指を線に合わせためつすがめつ…「5!」お前今計ったろ答えは合っているが過程が明らかに間違っているメモに目測が鋭いと書いた「じゃぁ最後の問題です」「それできたらプリン食べていい?」きらきらと期待に満ちた目を輝かせている無視して進める「私は今プリンをあげようと思っているでしょうか?」コレの正解は×だ本当に思っていれば間違いだとしてももらえるし、思っていないのならば正解になるという寸法だ「ゼリーを食べたいと思ってる」…確かに私はゼリーを食べたいと思ってるよそれがどうして解ったのかは知らないが答えではないが間違った発言でもない「ねぇープリン食べていー?」あからさまな馬鹿発言に眉根を寄せながらもプリンを差出してやると馬鹿は高らかにそれを掲げ小躍りしては座りなおしそれを食べているため息をつき最後に私はこうつづる『馬鹿と天才は紙一重』
――あなたのネガイは何ですか? お金のトラブル・痴情のもつれ・黄泉返りまで。 全てのネガイをかなえます。 気になる方は下記までお電話ください―― 見るからに怪しいダイレクトメール。差出人は「幸福一匙請負人」名前までもがふざけてる。 もちろんはじめはウソだと思った。それでも電話をしてみたのは、気の迷いとアナタヘの信心。裏切りにあった心は弱くなるの。信じていた。いくら周りが悪く言おうと、私だけがアナタを信じていた。 電話でしたのは、私のネガイとお金の話。お代はたったの二千円。私のネガイは彼に帰ってきて欲しい。彼をとった女が赦せない。 次の日『〇〇さん(二十)は車にひかれ――』地方のローカル番組に三十秒だけ流れたニュース。死因は〇〇さんのとびだし。 さぁ、彼が帰ってくる。服を上等な、しかしハデでもケバくもなく、上品で若々しいものにして、食事はいつもよりツーランクUP。なれないフランス料理をつくった。 だけど、まてどもまてども彼は来ない。きっと彼にはまだ女がいたんだわ。 ヤケになって飲んだ酒が体中をまわっている。 酔いさましと思ってベランダに向かう手にはケータイ。もう一度電話してやる。 ベランダに出て、番号をプッシュ。でない相手にいらいらしだした頃に強風が吹いた。体がすべる。頭が下になって、あとは重力におまかせ。 私の部屋は十二階。落ちたら無事なわけがない。でも、わたしは冷静だった。 あぁ、こういうシステムなのね。それとも誰かも私の死をネガッた? そうだとしたら幸福一匙請負人。アナタは仕事をしすぎているわ。