滑り台に寝転がって夜空を見上げた。 空は生憎曇り空。 これで星が一個でもあれば気分は最高なのだけれど…、と思いつつまた空を見上げる。 時刻は深夜一時を回って、遠くで地元の不良達のバイクの音がするけれど、私はスタンスを崩さない。 否、崩せない。 背中は滑り台と同化してしまった様に動かないし、腕はだらしなく垂れ下がる。 「つまんない…。」 口に出して言ってみたら何だか面白くて、何度も何度も繰り返した。 「つまんなーい。あーあ、ほんとつまんなーい。」 木が風に揺れる音が一瞬車の排気音に聴こえて身を乗り出したけれど、そこにあるのは変わらない風景。 今日は随分と風が強い。 おまけに寒いし。 こんな時は家に帰って熱々の珈琲を飲むのが最高なのだけれど、近所の喫茶店で嫌と言う程あらゆる種類の珈琲を飲んだ後だからそんな気にならない。 気付いてフッと笑ってしまった。 私が家に帰る理由は珈琲を飲む為だけか?と。 他に理由は無いかと探してみても、帰りたく無い理由なら渦に飲み込まれる位沢山有るのに、帰りたい理由が無い。 じゃあ帰らなくていいじゃないか。と勝手に自分の中で決めて、また滑り台と同化する。 ゾクゾクと寒気が這上がって来ても、尿意を催しても、やはり帰る気にはなれない。 テレビか何かで以前目にした、『帰宅拒否病』という簡潔な病名が浮かび上がった。 種類にすると鬱病の一種らしい。 嗚呼、成程。今の私が正にそういう状態か。と一人納得して 「鬱病ねぇ…」 と呟く。 呟いたところで何も変わらないのだけれど。 さて、そろそろ家に帰りましょうか。 今日もくだらなくせわしない一日だったなぁ。 ま、こんな日が毎日続いてもいつかは違う一日が来るだろう。 十年下らなくても、一日は楽しい日があるだろう。 さて、平凡でくだらなく何の変哲もない私の一日はそろそろ『帰宅』という形で幕を閉じそうだ。 もう朝になっているけれど、私はおやすみなさいと言って寝る。 世界の昼夜を逆転させた勝利感を、この胸に収めて眠る。
※作者付記:16歳の頃、家出した公園で書いたもの。
芳子に別れを告げた。彼女は、取り乱し、泣き喚いた。 「寛樹がいないと、私、生きていけない!!」 「本当に?」 「本当だよ!!」 彼女に真偽を問うたところで、それが真実かどうか疑わしいので、俺は、自分で確かめてみる事にした。試しに、二週間会わない事に決めた。 二週間後、何の連絡も入れずに、彼女の部屋を訪れてみた。芳子はまだ生きていた。それどころか、牛乳を飲みながら、お笑い番組を見ていた。生を楽しんでいる。だが、彼女は俺の顔を見た途端、泣きそうになった。 「どうして連絡くれなかったの!?」 「だって、俺達、別れただろ」 「いや! 私は別れたくない!!」 「でも……」 「私、寛樹に会えなかった二週間、寂しくて死にそうだった」 「本当に?」 「本当だよ!!」 死にそうだった、つまり、死に至るまでの寂しさまで、あともう一歩だった。会うのが早すぎたのだ。俺は、さらに一ヶ月間、彼女と会わない事にした。 一ヶ月後、彼女の部屋を訪れた。芳子はまだ生きていた。彼女の隣には、俺の知らない男が座っていた。芳子は、その男を部屋から追い出すと、慌てて弁解した。 「誤解しないで! ただの友達だから。私が落ち込んでたから、慰めてくれてたの」 「別にいいよ。お前の自由だから」 「違うの! そんな言い方しないで。私は寛樹の事が好きなんだから!!」 「……」 「お願い! もう一度、考え直して」 「ごめん」 「……寛樹と別れるくらいなら、ここから飛び降りて死んでやる!!」 「本当に?」 芳子は俺の問いに耳を貸そうとせず、泣き叫びながらベランダに出た。俺は、しばらく待っていたが、芳子は飛び降りようとしない。彼女は、腕を拱いて佇む俺を睨みつけた。 「……止めてくれないのね」 「……」 「分かった。もういい! これで終わりよ。出て行って!」 俺は退散した。俺がいなくても、芳子は生きていけるという事が実証された。そう思うと、それはそれで、何だか悲しくなった。急に、芳子の事が恋しくなった。俺は恥を忍んで、彼女に会いに行った。 「何の用?」 「俺……。やっぱり芳子とやり直したいんだ」 「何よ、突然。もう、寛樹への気持ちは冷めたの」 「分かってる。俺、お前が許してくれるまで、ずっと待つから」 「じゃあ、10年待って」 「10年だな!! 分かった、必ず待つよ」 俺は、自分の言葉に責任を持つ自信がある。芳子は、しばらく考えて口を開いた。 「取り消すわ。やっぱり100年待って」
男は二階の窓からいつも外を見つめている女に恋をした。 その屋敷の主人は偏屈やの人間嫌い、誰も屋敷へは近づけない。 男は女をただ見つめることしか出来ず。 触れてみたい。声はどれほどに美しいのだろう。 思い詰めた男は屋敷に忍び込む。 泥棒だと思った主人は警察を呼ぶ。 しかし女は主人が作った蝋人形で、彼の想いは行き所無く宙を舞い、警官は呆れて帰って行く。 翌日から町中で“人形に恋をした男”と噂され、男は笑いものになってしまう。 そんな話をご存知だろうか。 “恋は盲目。ちっとも動かない女を、人形だと気付いてもいいものなのに。” そんな意味合いがあるのだと聞いた。 屋敷の主人は、人間嫌いだけれど人恋しく、蝋人形の女を作る。 男は、現実の女よりも、蝋人形に恋をする。 ねぇ僕は、動かない人形では満足出来ない。 君は動く。 その美しい足で大地を踏み。美しい黒髪を靡かせて歩く。 僕は君に触れることも出来るし、君の声で目を覚ますことも出来る。 ただ何故、君なのか。 君は笑って僕に言った 「私、二十歳までしか生きられないんだって。そのうち歩けなくなって、死んでしまうんだって。」 僕はそんな時いつも君を真直ぐ見つめる。 “死”なんて想像も出来ない僕は、君を見つめることしか出来ない。 君は屋敷の二階になんていないのに、すぐ隣にいるのに。 そんな僕なのに、君は微笑んで冗談を言う。 「私が死んだらガラスの棺に入れて、毎日私にキスをして。いつか目を覚ますかもしれないからさ。」 ねぇ僕は、人形では満足出来ない。 動かない君では満足出来ない。 そう思っていた。 でも、分かってしまった。 恋は盲目。 呆れた警官は馬鹿だ。笑った町人は大馬鹿だ。 ただ君に会いたくて、君の病室に忍び込む。 ちっとも動かなくなった君にキスをする。 やっぱり君の目は覚めず、僕の想いは行き所無く宙を舞う。 君の彼氏は、君はいないけれど君恋しく、ガラスの棺を作る。 君の彼氏は、君のいない現実よりも、君の幻影に恋をする。 そう。恋は盲目。 君しか見えない。 僕は毎日キスをする。ガラスの写真立てに向かって。 町中に笑いものにされたって。
リトル・ガールはピストルを持っている。それは大抵右のポケットにナリをひそめていて、自分の出番を静かに待っている。クールなリトル・ガールの相棒。勿論彼には名前がある。モンスター。そしてそれはそのままリトル・ガールの心だ。悪・悪・悪。ムカつく奴等は皆殺し! それがリトル・ガールとモンスターのモットー。 リトル・ガールについて。リトル・ガールが産まれた日、教会に赤ん坊が捨てられた。美しい女優が事故で死んだ。どこかの海では竜巻が起こった。そしてそれに巻き上げられた大量の魚がどこかの国に降り注いだ。街にぶち撒かれたそれは回収作業が間に合わず長い間異臭を放った。 絶滅危惧種の動物が最後の一匹になった瞬間。星が燃え尽き消えた瞬間。最後の一葉が落ちた瞬間。リトル・ガールは産まれた。それがモンスター出現の原因なのかは解らない。ただ彼女の胸には黒い空洞があるだけ。 ママとパパが夜中に喧嘩していた時。お気に入りのぬいぐるみ「シロクマのマグー」を同級生に奪われた時。学芸会でシンデレラ役を貰えなかった時。バカな奴等にソバカスをからかわれた時。容赦なくリトル・ガールはモンスターをぶっ放してきた。 バン! バン! バン! バン! 撃たれたものは全て倒れリトル・ガールに許しを請いながら死んでいった。リトル・ガールは今や累々と積み上がった屍の上に立つ最高にクールな女の子だ。 モンスターについて。彼はリトル・ガールを愛している。なぜなら彼女がいなければ彼は存在出来ないからだ。これが意味する所はつまり、モンスターは架空のピストルだという事。リトル・ガールの想像の産物だという事だ。欲望と苛立ちと暴力への憧れ。それがモンスターを構成する全ての要素だ。 未熟で世間知らずで自意識過剰な少女の精神の象徴。少女の支えであり自信であり同時に激しい幼さを露呈する黒く硬い塊。 今日もモンスターはリトル・ガールの右ポケットで出番を待っている。眠る様に静かに。彼女の心が暴れ出せばモンスターも同時に起動する。 いくら怒りに任せて人の心臓を撃ち抜こうと、彼女の中に腐った死体が増えようとも、全て含めて彼は彼女を愛している。 リトル・ガールはピストルを持っている。リトル・ガールの最高の相棒。モンスターは彼女を愛し彼女もモンスターを必要としている。永遠の共犯者。 少女も心もピストルも、全て等しく横並び。 リトル・ガール・モンスター。
代々木から新宿に向かう一歩手前で、山手線がゆっくりと停車した。 半分居眠りをしていた岸田貴之は目を開く。 乗客達は携帯電話を出して、操作をし始める。遅れる連絡、ウェブで状況把握、運転再開までの時間潰し等、様々。 岸田も自分のバッグから、予備校のロゴの入った合格お守りの付いた携帯電話を開く。 車内放送が流れる。 『――気象庁によりますと、震度六強、マグニチュード八.六、現在山手線全線で運転を見合わせております』 「六強?」 「よく脱線しなかったな」 「気付かなかったよ。列車の揺れと間違えたか?」 知人と乗っている者は、口々に言い合う。 携帯電話は、圏外だった。 一時間ほど続報がない状態が続いき、痺れを切らした乗客の一人が非常レバーでドアを開け、降りた。岸田達はそれに従った。 新宿駅方面へ向かう道路は、人の流れが出来ていた。 倒壊した建物や、火災の煙らしきものは目に付かない。 「壊れてないね。意外と耐震基準守られてるんだ、感心したよ」 「そうでもない。ウチの会社の中、書類がひっくり返ってん」 近くを歩く人が話している。 コンビニの商品棚から商品が散らばったり、ビルの脇に植木鉢が落ちていたりするのが見える。車道は、地震予知システムのお陰か、都会の渋滞のお陰か、派手な接触事故も起こさずに停車した自動車が、ドアを開けたままで放置されている。 『慌てず、ゆっくり歩いて下さい』 ファーストキッチンの時計の前で、拡声器を持った警官が二人、交通整理をしている。 『車道は緊急車両が通ります、歩道を歩いて下さい』 岸田達は横断歩道を渡り、駅前から都庁方面へ歩き中央公園へ到着した。 大きな倒壊も火災も、目には付かなかった。ただ時折、救急車のサイレンが聞こえていた。 中央公園にはシートが敷かれ、皆、畳一畳もないスペースで座ったり横になったりしていた。 『災害用物資は、後から配布します! 店に買いに行こうとすると倒壊等に巻き込まれる恐れがあります。安全が確認されるまで避難所から出ないようにして下さい』 消防のロゴの入ったシャツを着た男たちが、避難者達の対応をしている。 岸田は、隣りの人に触れないように、シートの上に座って、それからすぐに仰向けに寝転がった。 「良くも悪くも」 バッグから問題集を取り出す。 「現実の世界は頑丈だなぁ」 挟まっていたE判定の模試を見て、岸田は大きくため息をついた。 青く、広い空だった。