今日も、明日も、明後日も、君がいてくれれば良いと想います。 独りぼっちで部屋に立つと、家具や置物はみんな黙って私を見つめる。その視線は冷ややかだ。 主人の居なくなった部屋は、他人を受け入れたくないと主張しているようだった。 居心地の悪くなった私は、部屋を出て居間で休憩している義姉のもとへ向かった。 いちご大福を頬張りながら湯のみに茶を注いでいる義姉の正面に腰を降ろす。 「義姉さん。あの部屋はどうするの?」 「あの部屋って、どの部屋よ?」 「“お祖母ちゃんの部屋”だよ。」 祖母が亡くなって、祖母の住んでいた本家は改築され、兄は社長就任と共に許嫁であった義姉と結婚し、夫婦で本家に住むこととなった。 祖母の生前、この家には祖母が大切にしているモノを仕舞って置く部屋があった。 宝箱ならぬ宝部屋だ。 私は本家に遊びに行く度に、「ねぇ、おばあちゃんの部屋に入っても良い?」と祖母にねだったものだった。 「宝箱のような部屋だったのに、祖母が亡くなってから雰囲気が変わったな。」 私が溜息を吐くと、姉は眉根を寄せた。 「あんた、あの部屋ちゃんと見たことあるの?」 「ちゃんと?」 「無いのね。いらっしゃい。見せてあげる。」 義姉が立ち上がって廊下に進んだので私は後を追った。 “おばあちゃんの部屋”は相変わらず他人を寄せ付けない雰囲気をかもし出している。 敵に囲まれている気分になって、思わず義姉の服の袖を掴んでしまった。 「何よ、いきなり。気持ちが悪いわね。引っ付かないで。」 そんな憎まれ口を叩きながらも、義姉は私の手を払いはしなかった。 ごそごそと箪笥の奥を探っていた義姉が、綺麗な漆の重箱を探り出した。 「ほら、開けてごらんなさい。」 私は一瞬、戸惑った。何か、開けてはいけない気がした。 その箱が出て来た瞬間、部屋の空気がざわついた様な気がしたからだ。 義姉は無言で待っている。 私は軽く深呼吸をして、義姉の服から手を離した。 カタッ 澄んだ音がして箱は開いた。 中には手紙が入っていた。 すべて祖母の書いた手紙だった。 それは誰かに宛てた恋文。 何枚も。何枚も。 届けるつもりのない手紙。 届くはずの無い想い。 その名は祖父のものでは無くて、日付は祖父の生きていた頃のものだった。 そして、たった一通。 差出人の異なる手紙が入っていた。 「今日も、明日も、明後日も、君がいてくれれば良いと想います。」 ただそれだけの文面。しかし私は泪を流していた。 この部屋は宝部屋などではなく、秘密部屋だったのだ。 義姉は、泣いている私の背中に手を置いて優しく呟いた。 「あんたは大切な義弟よ。」 あなたの気持ちに応えよう。義姉さん。あなたが秘密部屋など作らずに済むように。 私は 今日も、明日も、明後日も、ここにいる。 あなたの側に寄り添えなくとも。
それは突然の告白だった。 「俺、ずっとお前の事が好きだった」 「……え?」 いつものように、講義を終えた帰り道、お茶でもしようか、って喫茶店に入り、コーヒーを注文した直後の事だった。あまりに唐突で、一瞬、何が起こったのか分からず、もう一度聞き返した。 「……え?」 「俺、ずっとお前の事が好きだった」 雄貴は、今まで見せた事がないくらい、真剣な目をしていた。その力強い視線に耐えられず、思わず俯いてしまう。彼は、こんなにも男らしい顔をしていただろうか、不意に思う。 雄貴とは、幼稚園の頃から一緒だった。いじめられて泣かされた時、雄貴は、男らしく立ち向かってくれた。遊びに夢中で、とっぷり暮れた道が恐ろしかった時、彼は、優しく手を繋いでくれた。大丈夫だよ、って雄貴が微笑みかけてくれるだけで、大きな安堵感に包まれたのを覚えている。 小学生になり、中学生になり、高校生になっても、2人は一緒だった。お互いの恋人と4人で、遊園地に行ったり、カラオケに行ったり、とても素晴らしく楽しい青春時代を謳歌した。笑顔の思い出の中には、必ず雄貴がいた。腐れ縁と言うよりは、唯一無二の親友と呼ぶに相応しかった。 そして現在、一緒の大学に進学し、幼い頃と何ら変わりない関係が続いている。そう、たった今、この瞬間までは。 いつの間にか、目の前に置かれていたコーヒーを手に取る。随分と冷めてしまったようだ。お互いに発する言葉もないまま、時間だけが刻々と過ぎて行く。雄貴の顔を見る事が出来ない。知らなかった。気づかなかった。純粋な友情だと信じていたのに。どうして? なぜ? 雄貴に投げかけたい言葉を飲み込む。どうしてこのまま、親友のままでいさせてくれなかったのか。 「いきなり、ごめん」 長い沈黙後の雄貴の言葉に、ビクッとなる。 「ずっと黙ってようと思ってたんだけど、隠し続けるのも辛くてさ……」 「……」 「俺の気持ちを知って、お前が離れていったとしても、それを受け止める覚悟はしてきたから」 「……」 「……」 「……コーヒー、冷めるよ」 「え?」 「はい」 軽く微笑み、角砂糖を1つ手に取ると、雄貴のコーヒーカップの中に落とした。雄貴は、泣きそうな情けない表情をしていたが、同時に、とても穏やかでもあった。口をつける事なく、砂糖が溶けてゆくコーヒーをじっと見つめながら、雄貴は、やっと絞り出したような声で呟いた。 「ありがとう。淳史」
小説家。一旦そのステータスさえ得られれば、才能が晩年の黒沢明レベルまで 枯れ果てても、出版した本が2000部も売れなくなっても ワイドショーで辛口コメンテーターとして食って行けると言う 天国のような職業らしい。真に素晴らしいことだ天国はこの世にあったのだ! 深刻な顔つきで陰惨な事件を戦後教育のせいにしてみたり、 基地内でゴルフしている自衛官をしたり顔で皮肉ってみればあら不思議。 懐には十万単位のお金が飛び込んでくる算段だ。 世の中にはうまい話があるものだ。まるでマルチの上層会員だ。 コメンテーターとしてのテレビ出演ともなれば地元の名士や政治家も 黙ってはいまい。彼らの主催するセレブパーティーなどには モチロン文化人気取りで出席し聞きかじった英語交じりの挨拶をかますのだ。 英語がよく分らん時はリスペクトする○○先生にインプレションを受けましたとか言っとけ、どうせ誰も聞いてやしないのだ。 会食ではとりあえず「キャビア食って魚介類にはワインは合わんな」 とか言うのだ。モチロン美味しんぼの受け売りだ。言ったもん勝ちだ。 肝心のテレビで毒を吐いて行くのだ、みんな権力叩きが大好きだ。 その相手が自殺に追い込まれても三日で慣れる。 死刑反対派の偉いセンセイ方もそうやって何人も殺しているのだ 気に病むことはない。間接的な人殺しは誰も責めることはないのだ。 そんな生活を二、三か月も送りれば、自宅にワインセラーを置いて ワイン薀蓄を語りだす一歩手前であろう。小説家は誠に偉大なり! この様に成り上がるその手法はさながら現代の錬金術。 流石のホリエモンもこの手には気づかなかったに違いない。 漫画家は競争が激しいが小説家なら文壇に入って水割りを作ってれば いずれ自分の番がやって来る。テキトーな随筆を書きなぐりつつ 講演会とテレビ出演の二毛作で銀座で山買う(吉幾三)のだ。 しかし・・・そうなるには一発は当てねばならない。 女の小説家ならエロ小説書けば、エロおやじ評論家が下半身をおっ立てつつ 恵比須顔で絶賛されるが男の場合は難しい・・・。世は女社会か・・・。 そんな事を思いつつ、パソコンのキーを叩く私の気持ちは軽やかだった。 この駄文の受けるであろう境遇は不毛であろうが 己の腐った内面を書き出せば気分は健やか、精神衛生の秘訣であろう。 こんな駄文を書いているからこそ、私は幸せだったのだ。南無。
今から15年前の夏のことである。 北海道の夏は涼しいなんて、そんな馬鹿を言っちゃあいけない、地面からの照り返しが少ない田舎でも、汗はだらだら額を垂れるのだ。そんな灼熱じみたアスファルト上に、烏にでもやられたのか、首だけのクワガタが無残にも転がっていたのだ。 立派な顎、ノコギリクワガタである。 「お、まだ生きてる」 「可哀相だね、家につれて帰ろうよ。兄ちゃん」 私は何故かそう感じたのである。 その虫は必死に動いていた。一対しか残されていない足では、移動することすら、何も出来ない。唯一出来るとすれば、もがく事だけである。 それでも生きていた。本能であったかもしれない、人間のように自殺を出来なかっただけかもしれない。だが人が虫の気持ちなんぞ、知る術は無い。 当時8歳の兄は二つ返事で承諾した。とても優しい人であった。 虫籠には本日の戦利品とも言うべき、クワガタが数匹。私はその中に首だけの弱々しく足を、手招きしているかのように動かす虫をそっと置いた。 そして家路に着く。かごを揺らさぬよう慎重に。 だが、所詮は死に損ないの、畜生にも満たないたかが「虫」の一匹である。 観賞用の、土と枯木を入れてある大きな虫籠で、一日も経たないうちに、腐った苺の近くで動くのをやめた。なんとも寂しい姿であった。 兄は虫籠から死骸を取り出し、家の近くの原っぱに私と二人で墓を作って埋めてやった。 「よかったね」 「ああ、これで天国にいけるさ」 兄が微笑んだ。 そしてまた虫取りの冒険に出発。 冒険? 鼻で笑い飛ばそうか。 それは只の狩りでしかない。小さな虫籠にクワガタを突っ込んで自由を奪い、死ぬまで見世物にする。死んだら死んだで、自己満足でしかない墓をおっ建てる。 偽善。 それでも当時の私は、自分が聖人君子にでもなった気で、虫の墓を建てた。気が付けば原っぱは墓だらけになり、だが自分の凶行には気が付けないでいたのである。 虫籠とは、骨壷となんら変わらない。人間に捕まった瞬間にそれは死んでいるのと同義である。 短い命なのだ、それを邪魔する権利なんぞ、お神にだってありえない。在って善い筈が無い。 ああ、そうか。これが悔いるということなのか。これこそ正に喜劇である。 両足を失い、自由に外を歩き回れず、陽にさえ当てられない、束縛された白い豚箱の中で、私はようやく気が付くことができたのだ。 あの虫けらは私なのだ。畜生にさえ劣る。
※作者付記:あくまでもフィクションです。
「なんという非教育的な話だ!」 文部大臣が新聞を置いて、嘆息します。 「どうなさいましたか、文部大臣」 秘書が尋ねます。 「この本だ!」 文部大臣は、新聞の書評を指します。 「カチカチ山ですか? 文部大臣」 「何とも恐ろしく、教育的要素が皆無な話だとは思わんかね!」 「その通りです、文部大臣」 「この書評から推察するに、絶版にするかさもなければ適切な表現に改めなければならない悪書だ!」 「その通りです、文部大臣」 「そもそもお婆さんが殺されるシーンがあるとは何事だ! 純真無垢な小国民は何だって真似をするように出来ているのだ、これを読めば必ずお婆さんを杵で殺す小国民が出て来るに決まっている!」 「その通りです、文部大臣」 「多少からかわれたからと言って、捕まえてたぬき汁にしようというお爺さんの考えも間違っている」 「その通りです、文部大臣」 「ウサギの行っている事に至っては、私刑も同然。こんな無法な話を、法治国家である大日本の小国民に読ませて良い筈がない!」 「その通りです、文部大臣」 むかし、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。 お爺さんがいつものように畑で仕事をしています。 「一粒の種、千粒になれ、二粒の種、万粒になーれー」 それを見ていたタヌキがからかって言います。 「一粒の種、一粒のまま、二粒の種、腐ってしまえ」 「なんて事を言うんじゃ!」 お爺さんは怒鳴って追い払いましたが、タヌキは、翌日も、その翌日も、からかい続けました。からかいは五年に及び、お爺さんはついにカウンセリングを受けなければならない程に心が傷付いてしまいました。 お爺さんは、タヌキの行動をビデオで撮影し、日記も添えて警察に言いました。 優秀な日本の警察はすぐにタヌキを逮捕し、タヌキは傷害罪で執行猶予は付きましたが有罪判決を受けました。 タヌキは、それ以来お爺さんに近付く事はなく、罪を重ねる事もありませんでした。 日本の素晴らしい警察と裁判が、お爺さんとタヌキの二人を救ったのです。もしも、これが他の二等、三等国で起きていたら、血なまぐさい惨劇に発展していでしょう。 日本だからこその、素晴らしい結末なのです。 ばんざい、ばんざい、にっぽん、ばんざい。美しい神の国、にっぽんばんざい。にっぽんならば、世界をよくする事が出来るのです。 にっぽんよいクニ、カミノクニ、セカイでイチバンツヨイヤツ、オラァワクワクシテキタダ……。
僕は面を被る。手製の。兎の。僕は“ダット”だから。足が速く、先生に怒られそうになると一番に逃げ出す。 他の参加者は馬と豹と虎と山羊の5人。素性は解らない。 秘密裏に行われる真夜中のレース。 参加資格はこの水ノ足団地5号棟に住んでいる小〜高校生、という事だけ。優勝者は伝統ある「5号棟秘密結社」への加入が許される。 面を被るのも伝統の一つだ。目的はまず顔を隠す事と、あとかっこいいから、………って噂だ。 いつの間にか黒々したデカい影が正面に立っている。外灯で逆光になってよく見えないけど、オオカミの面を被ってるみたいだ。 ゆっくりオオカミは手を挙げた。 「ヨーイ」 低い声にドキッとした。それは周りも同じだったみたいで、山羊なんかはウヲ、と声を漏らした。 ビシッと腕が振り下ろされて、僕らは一斉に飛び出した。 コースは単純。スタートは団地の東出口。一気に最西の5号棟へ走り、外階段を上へ駆上がる。8階の屋上がゴール。かなりキツい。 レース内容はいつも違う。その都度欲しい能力を持った奴を探す為にやるらしく、今回は足の速さと根性ある奴を見つける為、だろうか。 僕らは最初から全速力で先を目指した。階段は狭いから、前にいないと後ろから抜くのは困難だからだ。皆がバテなければ階段に入った順でそのままゴールされてしまう。 獣達は走る。指定された黒いTシャツ半パンで、白かったり黒かったりする手足をガンガン振って。 シンとした夜の団地には獣達の走る音と荒い息しか聞こえない。 ドッドッっと心臓がめったに立てない音を出している。緊張と興奮からペースも何も考えられない。 ブレる視界がコマ落としの映像のようで、潤んだ目に滲む光が美しい。 2着で階段へ入った僕は前後に獣の足音を聞きながら上を目指す。段を踏む反動が次の足を出す力になる。手摺を掴み方向転換しながら足を前へ上へ運び続ける。全身バネみたいになって段差を越える。 多分4階の踊り場、でトップを抜いた。直後前方にオウムが現れて、擦違いざま「やるな」と言った。 そして僕の背中に叫んだ。 「走り続ける事こそ真理! 」 その高らかな声に押されるように足が軽くなる。 ランナーズ・ハイ! 足から背中へ普段感じない感覚が起こる。「ふあぁ」と緊張が声と共に抜ける。 見えるのはまだまだ続く階段と美しい夜の風景。 僕はこの日初めて、逃げる為じゃなく勝つ為に、必死で走り続けた。