5時間目の美術の時間、風景画を描くために、学校の外を眺めていた。俺の学校は、ほとんど緑で囲まれていて、描ける物と言えば、せいぜい木や山ぐらいしかない。適当なモデルを定めると、パレットにいろんな色を乗せていく。ふと、ほぼ7割を占めるであろう緑色だけが、見事に切れている事に気がついた。 (よりによって緑が……。仕方ない、自分で作るか) 俺は、赤と青を混ぜて、緑色を作った。画用紙に葉っぱの色を塗っている時に、友達の靖男が俺を呼んだ。 「よぉ。俺、緑色なくなっちゃってさ。ちょっと貸してくれない?」 「あぁ、俺もちょうど切らしたんだよ。混ぜて作れば?」 「そうだな。緑って何色と何色混ぜたらいいんだっけ」 「赤と青だよ」 「サンキュ」 俺は、再び作業に戻った。すると、しばらくして、靖男がまた現れた。 「何だよ、違うじゃん」 「何が?」 「赤と青混ぜたら、紫になったぜ。さっき、他の奴に聞いたら、青と黄色で緑になるんだって」 「マジで?」 靖男は用件だけ言うと、さっさと去って行った。俺は、パレットの上にある緑色を凝視した。確かに赤と青を混ぜて、ここに緑が存在している。俺は、半信半疑で青と黄色を混ぜてみた。緑色が現れた。 (あれ? 何でだ?) よくは分からないが、まぁ、とにかく緑を作れたのだ。それでいい。さて、次は空の色を塗ろうか。俺は、青と白を混ぜた。緑色になった。 「……」 さすがに、これはおかしい。試しに、赤と黄色を混ぜてみた。緑色になった。黒と白を混ぜてみた。緑色になった。 (何だこれー!? どういう事だよ。何で、緑にしかならないんだ?) 普段は使わない脳みそをフル回転して考えてみるが、こればかりは、説明がつかない。 「ねぇ。緑色、貸して」 頭を傾げている俺の目の前に、藤沢がやって来た。どきりと心臓が高鳴る。 「あ……。お、俺も持ってないんだよ。青と黄色を混ぜるといいよ」 無駄に挙動不審になる。 「そうなんだ。ありがとう」 笑顔が眩しい。去って行く彼女の後ろ姿が、とても神々しく見えた。いい子だな、藤沢みどり。……ん? みどり……。緑……。あ、そうだ。俺は同じクラスの藤沢みどりの事が、ずっと好きだったんだ。まるで自覚がなかった。 その日の放課後、俺は藤沢を体育館の裏に呼び出した。 「ごめんなさい……」 あっさりフラれた。 次の美術の時間、赤と白を混ぜると、緑色になった。やっぱり、そう簡単には忘れられない。
ナスタチウム。 原色の赤・黄の花弁。葉はむらのない黄緑色。 しっかりとした感じの草だ。匂いはない。 花も葉も、噛んでみるとぴりりと舌を痺れさせ、マスタードのように鼻にぬける。 町のはずれにひっそりと店を構える小さな花屋に、三日前から勤めている。 店内は暗く狭い。 春の花苗はすべて店の外の路上で販売する。 小春日和で路上には陽炎が立った。 ぼわりと白い太陽に向かって、苗は伸び続ける。 「こら、商品を食べるんじゃない!」 ナスタチウムの葉をかじって辛さを堪能していると、店長が奥から怒鳴った。 「気付け薬です」 振り向いて返事をすると、 「眠いんならコーヒー飲め、コーヒー」 だみ声が返ってきた。老いた店長は外に出てこない。 私は外で、店長は中で一日を過ごす。 しかし、コーヒーではだめなのだ。 私はよく幻を見る。 この花屋は特に多い。 今、私の傍らに屈み、パンジーを眺める白い服の女。 毎日来る常連だが彼女の足元には影がない。 ナスタチウムの葉を奥歯にはさんでぐっとやる。 すると女はかき消える。 実際消えるわけではなく、見えなくなるだけ。 それでも私は見たくないので葉を食べ続ける。 今日も何十枚かの葉を頂戴し、一日が終わろうとしていた。 私は外に出ている苗を店内に運びこむため、しゃがんだ。 「春の嵐がきますよ」 突如背後から声をかけられた。 振り向くと男が立っている。 頭上では黄色いライトが、強い光で路上を照らす。 男に影はない。 男は合成した写真のように佇んでいた。 葉を噛むと、例に洩れず消えた。 「春の嵐がきますよ」 吐息とともに、再び耳に囁かれた。 また背後に立っている。 辛みを舌が認識している間は消えているのに、数分後にはすぐに現れて私の後ろに立つ。 振り向くと、にいっと笑う。 気味が悪くなった私は慌てて葉を口にし、そして吐きだした。 食べ過ぎたのか、いがらっぽくて受け付けない。 それでも数枚摘み取って握り締め、店長の元へと走った。 店長は机に向かい、じっとしていた。 「どうした、苗はもっと奥へ入れてくれ」 店長は目を上げない。 私は急いで帰り支度を整えた。 店長も古びた鞄を脇にかかえる。 皺のある手を電源に伸ばし、ぽつりと言った。 「春の嵐がくるな」 どきりとした。 ぱちり。 店は暗闇に包まれた。 私はそっと葉を噛んだ。 目が慣れはじめる。 店の中を見回した。 店長は、どこにもいない。 雨が降りだす音が聞こえた。
ねえ、ただ、ずっと会いたかったの。そんな自分勝手のワガママはちょっぴり心痛い叶い方したけれど、でも、あたしは泣かなかった。 どうしようもない気持ち抱えた心の中で、あたしは強がった。 ほんの少し手を伸ばせば、あなたはまだ振り向いてくれたかもしれないけれど・・・・ 下北の街角であなたをみつけた。 あたしとはまったくタイプの異なるオンナノコと微笑んでいた。 あたしだけ止まった気がした時間の中で 隣のオンナノコだけと目があった。 気づいたのかもしれない、哀れむような目であたしをみてすぐ逸らした ‐‐‐「アタシノ彼ダカラ」・・・。 ココロ閉ざそうとするほどに、 忘れようとするほどに、 初めてあなたに触れた瞬間が甦って・・・ 後悔なんかじゃないの、もっとずっと好きでいたかった。愛していたかった。 あなたの「ヒロイン」はわたしだけじゃない、 わかったその瞬間でさえも、あなたを愛してた。 あなたは私を好きでいたことを、思い出にしてくれていますか? 自分の中できちんとした思い出になるまで、 あなたを好きでいていいですか? あなたを愛していていいですか? あたしは逃げない だからもう、泣かない。
月明かりの、異常に明るい夜、桜並木の河川敷。君と交わした甘い約束。 全てが色を失う闇の帷が降りる中、桜の花弁が紅く舞う。罪の色。 「ねぇ、秘密よ。」 「うん。」 「絶対に誰にも言わないで。」 「うん。言わないよ。」 「二人だけの約束よ。」 フタリダケノ、ヤクソク 桜には魔力があると聞く。 僕は桜の魔力に魅入られたのだろう。 そうでなければ、僕は甘い約束に、罪悪感を覚えたはずだ。 「幸田さん、また何かおかしな宗教に入ったみたい。何度目かしら。」 いつも母は朝食で、“世間話”を僕にする。 「娘さんが亡くなってからやっと1年でしょ、落ち着いたと思ったら、今度は旦那さんがご病気で、入院なさってるんですって。宗教に没頭する気持ちも分かるけれど、でも限度ってものがあるわよ。」 「そうだねぇ。」 「そうよ。それに最近は“娘は殺された”なんて言ってるのよ。今更そんな、ねぇ?」 僕は持っていたコーヒーカップを取り落とすところだった。 「そんなこと言ってるの?」 「そうよ。こんな言い方悪いと思うけれど、ちょっと気がおかしいとしか思えないわ。お隣の勝田さんも言っていたもの。」 「そうか。僕、そろそろ学校に行かなくちゃ。」 「そうね。いってらっしゃい。気をつけてね。」 玄関のドアを出て、母の“世間話”から開放されてからも、今日の僕はずっと母の声が頭の中で響き続けていた。 “ムスメハコロサレタ”“ムスメハコロサレタ”“ムスメハ・・・” 嘘じゃない。僕は幸田真希が殺されるところを見た。月明かりの眩しいあの夜。 前日の大雨で増量した川に向かって、幸田真希の背中を押した美しい手を・・・ あの日、窓から幸田真希と一緒に歩く彼女を見て、二人の後を追いかけた。 コンビニに行くと言って家を出た。 僕は、彼女が好きだった。 教室に向かう前に、理科教員室を覗くと、彼女は一人で机に突っ伏していた。 「おはようございます。咲峰先生。」 僕の声に、ピクリと動いて、咲峰先生は顔を上げた。 「おはよう。芯君。」 「今日、幸田の噂を聞きました。」 「そう・・・。」 「先生?」 「もう、駄目なんですって。彼。」 「幸田の、お父さん?」 彼女は虚ろに窓を眺めて、蚊の鳴く様な声で呟いた。 「罰が当たったのね。真希さんを殺したから。」 あの夜。 幸田が先生を呼び出した。勿論、自分の父親との不倫を止めるよう食って掛かったのだ。 言い争い、つかみ合いになった結果、幸田は川に落ちた。 僕は、月夜に浮かぶ先生の横顔に、紅い桜の花弁に、ゾッとするほど魅せられた。 恋が愛に変わった瞬間。 僕は、先生を後ろから抱きしめて、耳元で囁く。 僕はこの瞬間を待っていた。 「先生。二人だけの秘密です。これかもずっと。」
いつの間にか、彼の言葉もとぎれがちになっていた。 私の頭もぼんやりとしている。 大量に飲んだ睡眠薬のせいか、それとも飲み干す為に使ったチューハイのせいか、それともこの車内に満ちた……ふぅ。 自殺サイトで知り合った四人。 金もなく、希望もなく、そして肉体にも様々に欠陥を持っていた。 若いんだから、と、人は言うのかも知れない。 だが、あなた達は、棘のような、針のような言葉を投げかけただけ。 人間らしい働き口一つ、紹介してくれたろうか。抜け出す為の知識の一つも教えてくれただろうか。 ……いや、恨む気はない。 あなた方もまた、それ以上の何かを我々に提供出来るほどに余裕もないし、そんな義理もないし、一歩間違えば私たちと一緒になってしまうと、恐ろしくて仕方がないのだから。 しかし……金がないというのは、本当に辛い。 この車も、レンタカーで借りるしかなくて、みんなでやっと金をかき集めて借りられたぐらいで。 金、金、全てが金……そんな筈ないって……考えて、た、のに……結局手足は金に縛られ結局……。 次は、もっと……恵まれた家と、環境で生ま……れ……たか……。 「あっっぢいいいいい!」 ついに耐えきれずにドアを開けた。 開いたドアから冷たい外気が流れ込む。 「暑い、暑い、暑いよ、畜生!」 「馬鹿野郎、何しやがんだ、台無しじゃねーか!」 「死ぬ、暑い、死ぬ!」 「死にに来たんだろうが、この口だけ野郎か! んの野郎、絶対死ねるって言ったじゃんかよ! 暑いばっかりじゃねえか!」 「七輪買う金なかったんだ、仕方ないじゃない!」 「だからって、何の用意も無しで死ねる訳なかったんだ、畜生!」 「子供はよく死ぬでしょ!」 「やっぱ、大人と子供じゃ違うんだよー」 言い合う四人と自動車を、初夏の太陽がギラギラと照らしていた。
ブータは身長165cmで体重80キロあって、半年前バイトを辞めてからずっと家にいる。 ブータは私の恋人で、ブータが集める漫画やDVDやゲームで私達の狭い部屋はもう沈みそうだ。世間に二度と浮かびあがれないようなそんな部屋。 私が仕事から帰るとブータは大抵ゲームをしている。背中を丸めて、レベルを上げたり、モンスターやアイテムを集めるのに必死だ。 ポイとプリンを投げてやると、「まりがたしー」なんて言う。 私はお風呂に入ってご飯を食べて、ゲーマーブータを置いて先に寝る。 「ありえないですよぉー。男は稼いでなんぼですよぉー」 「いー加減安心させて頂戴よ。もーいい歳なんだからね?」 昔は気にしなかった後輩や母親の言葉が最近はグサグサ刺さる。歳なのか、ブータへの愛が減ったのか。 実家から米を貰って帰った日、ブータは戦隊モノのDVDBOXを買ったと言ってご機嫌だった。値段は怖くて聞けない。 友人と飲む。自称出来る男、な彼はブータの事を「甘えてんだよ。同じ男として信じらんないね」と評した。その後はグルグルよく回る口で、自分の「出来る」仕事ぶりについてたっぷり語った。 約2時間の自慢話に疲弊して帰った日、ブータはお菓子を食い散らかしたまま、ジョジョの奇妙な冒険を一気読みしていた。私は疲れて「今何部?」とか「どのスタンドが欲しい?」とか、聞かない。 「これ、一緒に行かない?」 同じ課の男前で仕事も出来る素敵な上司が一枚のチケットを差し出した。ちょっと通好み的な海外アーティストのライブチケット。 「えーっいいな先輩!勿論行くんですよね」 「行きなさいよ!捕まえて来なさい!」 これまた月並みな意見に後押しされて私はデート服を引っ張り出す。 スカッと晴れたライブ当日。めかして家を出ようとしたら宅配便がきた。 部屋の中からブータが出て来て受け取る。 「また何頼んだの?」 冷たく聞いた私に構わず、ブータは嬉しそうにその場で箱を開けた。 「ほれ!」 ジャジャーンといった風情で出て来たのは、私の永遠のバイブル、ガラスの仮面だった。 「あわわわわ……」 「リカちゃん引越しの時泣きながら売ってたからさ…ヤフオクで安く落としたんだよ」 30分後。部屋着、スッピンに戻った私はブータの腹枕でガラスの仮面を読んでいた。 「陽太ー、ありがとう」 感動した私は思わず本名でブータを呼んだ。 …結局私達は、似合いのカップルなのだった。めでたし。