割れた花瓶、散らばった花、仁王立ちする女性 そして床に正座する俺 判決の決まっている囚人と裁判官のようである 「オイ」 彼女の台詞にビクッと肩が跳ねる 背中にいやな汗が流れ出した 「今私の目の前には元お気に入りの花瓶だったものがあるわけだが、 これについて何か言いたい事があるなら3つまで発言を許可する」 人間の声帯はここまで冷ややかな声が出せるのか 一語一語が寒波のように俺の体に突き刺さったが 俺は勇気を振り絞りすでに乾ききった唇を動かすべく知恵を絞った そもそもリビングのドアに対して死角になるような位置に花瓶があるのが悪いんだ レイアウトや間取りには余裕があるし確かに日向を選ぶとそこしかないのかもしれない けど やはり部屋は使う人あってのものなんだからそこを最優先させるべきなんだ 故に俺に非は無い! アイアムジャスティス! よし! すぅっと息を吸い込みゆっくりと吐き出すと俺は目をあけ口を開いた 「そもそ…」 俺の発言は無常にもそこで途絶えた そう、俺の目は見てしまったのだ、笑顔を こめかみに血管を浮かばせ据わった目をしトントントントンとリズムを指ではじきなが らにじみ出るように作られた笑顔に俺は思わず言葉を失った 本能が俺に告げる 居直りは無理だ… スッと女王様の指が一本持ち上がる 第一警告である 命の危機を前にして脳がフル回転する 逆切れとも取れる正当化が無理な以上、話を逸らす、話題を変える、誤魔化すといった 手しか浮かばない 問題はそれでこの危機的状況を打破できるかだ チャンスはまだ二回あるダメ元でも行くしかない よし! 「そういえば知ってる? 隣んとこの猫赤ちゃん産んだんだって、今度見せてもらおう よ、後駅前のケーキ屋さんの新作が美味しいって、今度買って来るね、ケーキって言えば最近焼いてなかったね、自分で焼くのもいいかも、でもクリームダメなんだっけ、作るとしたらシフォンケーキとかパウンドケーキかな? あぁ、もうこんな時間だね、そろそろ相撲の時間だよね」 僕は一息にそこまで言い切った 最後にいつも見ている相撲の話題を持ってくることで注意を逸らしたはずだ 千秋楽が近い今の時期を見逃すとは思えない ちらりと顔を盗み見ると さっきまでのひくついた顔からあきれ果ててしょうがないなぁといった顔になっている よし! 今しかない! 「ごめんなさい」 夕焼けをバックライトに俺は人生で一番の謝罪を繰り出した はぁ… お 「やっと殴れる…」 それが僕の聞いた最後の言葉だった
「どうして」なんて、無意味な言葉。 なぜそのことに気付かない? プァーっと 車のクラクションが長めに鳴って、出棺の合図とされた。 どこもかしこも黒い服で埋め尽くされている。 こんなにも皆が同じ色の服で統一されているのを見るのは高校以来だ。 こんな異常な光景を、あの頃は何とも思っていなかったわけだ。 霊柩車と遺族の乗ったバスが見えなくなって、参列者は鼻を啜りながら帰路へと着いた。 “お葬式”は終了だ。 昨日、僕の携帯に電話がかかってきた。同期入社の田辺からだった。 電話に出るなり、田辺は神妙な声を出した。 「松本が、死んだ」 「そうか、俺は今日、休みなんだから仕事させるなよ。松本には生き返ってもらえ」 「いや、仕事の話じゃあない。本当に、死んだんだ」 明日、葬式があるが、同期全員で通夜にも行こうということだった。待ち合わせ場所と時間を聞いて、電話を切った。 松本が…。 同期の中でも、彼女は明るく、面倒見もいい人だった。 笑い声が大きな人で、笑っているとすぐに分かった。 「どうしてっ」 松本の実家に向かう車内で、同期の女の子二人はすでにしゃくりあげていた。この二人は松本と仲が良かったようだ。 運転をしながら、田辺は大体の事情を話してくれた。出社してこない松本を、先輩の桧垣さんが心配し、アパートを訪ねたこと。玄関の鍵が開いていたこと。松本は自殺だったこと。 「悩んでいたなら、話してくれればよかったのに」 「悩んでいる素振りなんて、無かったわよ。何で、自殺なんて…」 後ろの二人は“どうして”を連発し、自分達に非は無かったと確認し合っていた。 「原因は、何かしら…」 「原因?」 僕は質問した。 「そうよ。何かあったから死んだんでしょ? 遺書も無いし、原因が解らないわ」 そうか? 死ぬのには原因が必要か? 僕は思うのだけど。松本は、死にたい原因が解らないから、死んだんじゃないだろうか。 死にたいと考える原因が見付からない。原因が解れば改善出来るのに、解らない。 だから死んだんじゃないか? 僕にも、時々、突然やってくる。突然、生きていたくないと思う。原因なんて無い。 なぜ、そんなことに気付かない。 死なんて、ふと気付くと、すぐ後ろまで迫ってきているものなのに。 誰にでも、すぐ隣りに死はあるよ。確かに存在しているよ。 松本、君なら、解ってくれただろうにね。 見上げた空は、真っ青に晴れ渡っていて、喪服の黒が際立って見えた。 あぁ、ほら、次は、僕かもしれない。
大気にはまだ暑かった頃の日差しの面影が残っているが,軒先を吹き抜ける風には秋の気配が漂っていた。 縁側で横になる母の顔を見やる。あの日以来めっきりと老け込んだその顔には歳相応以上の心労が刻まれている。自分のことをかわいがってくれていた母の笑顔を思い出しながら,静かに傍らに腰を下ろした。 静かに寝息をたてる様子はまるで子供のようで,起こさないよう静かにタオルケットをかけてやる。自分も昔縁側で寝ていたとき,目が覚めると寒くないようにタオルケットがかけてあったものだ。その気遣いの優しさに気づいたのは,やはり自分に子供ができた後のことだった。 懐からタバコを取り出そうと手を入れたが,ふとないことに気がつく。 仏壇の前においてあったことを思い出したが,とりに行くのは後でもいいだろうと床につきかけた手を引っ込めた。 蜩の声を聞きながら,昔よく駆け回った庭を眺めていた。この狭い庭が,あの頃はとても広いまるで冒険の世界のように感じ,日が暮れるまで庭先で遊んでいた。息子は平成生まれでそういった遊びはほとんどしたことがないことに思い至り,もう少し外に連れ出せばよかったな・・と少しだけ後悔を覚えた。 「家を出る前に,もう一度だけ息子の顔を見ておこう」 縁側に背を向け息子が横になっているだろう茶の間に向かった。高校2年になる息子は,背丈だけならすでに自分を追い抜いて立派な高校球児へ成長していた。 「・・・来年こそは甲子園にいけるといいな」 地区大会最終戦に破れ涙を流す息子に声をかけたのが,つい最近のことだったのだがひどく懐かしく感じる。 「来年こそは」 この言葉がきっと懐かしさを引き立てるのだろう,と苦笑いをしてしまう。 これからの事を考えると少し胸が痛んだが,自分も父を若くに亡くしたことを思い出し,息子の寝顔にそっと触れる。少しだけ呻いたのを見て慌てて手を引っ込めたが,どうやら少しだけ寝返りを打ったようだった。起こさないようにと息子にも優しくタオルケットをかけてやり,最後にもう一度その寝顔を覗き込み,ふっと息をついた。 「そろそろ行くか」 家を出る前に仏壇の前においてあるタバコを取りに向かいながら,縁側で横になる母と茶の間の息子を同時に視界に納める。二人を包むタオルケットを眺めるその顔には安らかな安堵が浮かんでいた。 目を覚ました二人は,部屋の中に微かに残る匂いを感じた・・・。 それは嗅ぎなれたマルボロの匂いであった。
※作者付記:初めまして、今回初投稿させていただきます。 文法が間違っているかもしれないので、もし気になる方は一言よろしくお願いいたします。
ベッドの中。明日は高校入試だ。今日くらい早く寝ようと、9時にベッドイン。携帯を手にとり、ちらっと時間を確認する…10時26分。心臓がハイテンポで動き、頭の中は悪いイメージばかり。…眠れん。大丈夫、やれるだけのことはやった。そう言い聞かせ、まずは深呼吸。ベッドの脇からは、小音量のBGMが聞こえてくる。僕を応援してくれているようだ。 ―負けないで、もう少し。最後まで走り抜けて。どんなに離れてても、心はそばにいるわ。追いかけて遥かな夢を― 筆記試験と面接も終わり、ほっと一息。自販機でホットココアを買って、友人と入試会場を出た。電車の中では、糸がプツリと切れたかのように、夢の世界へ… 「ほら!起きなさい!」 「ん〜もう着いたの?」 目を開ける。視界には、スライド携帯一つと、少々目の引き攣ったお母さん…。一瞬で状況把握…夢かっつの。 「何言ってんの〜もう〜。朝は忙しいんだから、早く起きてきなさいよ」 階段を下りていく音が頭に響いて、心地が悪い。それに、今日は受験日だよね?もう少し、気遣ってくれてもいーじゃんか。 モヤモヤしながら、毛布を退ける…さっむぃ…。機嫌のよくないまま、朝ご飯を済ませる。時間を気にしつつ、身支度開始。鏡の前に映る僕を見る。なんて自信のない顔だ。そんな自分にムカついて、いっちょビンタを喰らわせた。少しは加減してくれよ、とバカみたいに一人芝居。 そろそろ出るか。玄関に向かった。お父さんにお母さんにお祖母ちゃんまで。 「じゃっ」 弱気なりの力強さであいさつ。 「ちょっと待って。はい、これ」 手にいろいろ持たされた。 お父さんからは合格祈願カイロ…うん、暖かいし、縁起がいい。 お母さんからはキットカット…「きっと勝つ」みたいな? お祖母ちゃんからはお守り…わざわざ買って来てくれたんだ。 「じゃっ行ってきます」 「行ってらっしゃい」 三人だけじゃない。最後には姉兄たちも見送ってくれた。 外に出ると、お隣りのおばちゃんも見送ってくれた。 どこにいるか分からないが、小鳥のさえずりが聞こえる。 頭上には雲一つない青空が広がっていた。 そうか。お前たちも応援してくれるのか! 自然と笑みがこぼれた。いつもより新鮮な気持ちだった。 ―行ってきます!― 今までなかったよ。心の中が「ありがとう」でいっぱいだった。 優しく背中を押された。空に飛び込むように、坂道を駆け登った。
誰とでも寝ると私たちのクラスで噂になっていた彼女は、結局、物語みたいに妊娠して堕胎する事も、不治の性病にかかる事もなかったけれど、出来婚はした。 けど結婚式のスピーチを頼まれた友達が、ネタ混じりにその武勇伝のほんの一端を口にしたから、夫婦仲はギクシャクして、結局離婚したそうだ。裁判費用をケチったせいで、彼女はボロボロに負けて、養育権も慰謝料も手に入らなかったのだとか。 元々顔が良くはなかったけれど、出産後には一層体型が崩れて頬に肉が付いて、オバサンと呼ぶ事に何の抵抗もない容姿になっていた。 自業自得だよ、とクラス会の二次会で陰口を叩くクラスメイト達も、オバサン、オジサンになっていた。 酔った足で一人帰り、部屋で今日配布されたクラス会の名簿を見る。 あの人はあっちに就職して、この人は結婚して、ああ、この人は死んじゃったんだとか、思わなくはないけれど、正直どうでも良い。 あの頃は、専ら部活に熱中していて、毎日楽譜に向かってばかりだったから、クラスの誰かと話をした記憶も怪しい。だから、名前の文字を見ても、顔と素直に繋がらない。実際のところ、クラス会でも名前の出て来ない人が半分以上いた。 彼女の誰とでも寝るとかいう噂も、女子に嫌われていたという事実も、実際のとこ、五時間前に聞いたのが初めてで、何となく話を合わせていただけだった。 クラスメイトの中に、意中の異性でもいたらドラマチックなのかも知れないけれど、それは全部部活の中で起きた事ばかりで、クラスという括りに愛着が全く湧かない。 何一つ愛着のない場所。 自分でいたくていた訳でもない場所。 名簿をまた見る。 多分、誰がどうなっても心を動かされる事のない、別の物語の人々。 別の。 全く別の。 物語は、一体、世界にどれだけ溢れているんだろう。 一人一人に物語はあるし、多分、誰にも自分が主役の物語があるのだろう。多分、今日の物語の中の私は、役名「旧友G」ぐらいで、台詞もガヤしかなかったりするんだろう。 多分、帰り道ですれ違ったカップルにとっては「酔った通行人C」で、駅員にとっては「客達」ぐらいかも知れない。 それって案外悪くない。 なくても良い存在だからって、あっちゃいけないって訳でじゃ、ないんだから。 ……誘われたら、次回も行ってみようか。 ゴールデン洋画劇場で、好きな映画をやってなければ。 ああ、それ、あの頃の呼び名だっけ。
朝の日差しが心地好いなぁ。あぁ、まだ寝ていたい。でも、朝の光の粒が、妖精に姿を変えて、私を急かすのよね。起きろ、起きろ、寝ぼすけ……。ん? 遅刻だぁぁぁ! やばい、どうしよう。化粧してる暇ないな。とりあえず歯磨き……カランカランッ。あぁっ! 歯ブラシが排水溝の中に……。もうっ! 絶対、取れないよ。仕方ない。素っぴんは愛嬌で、口臭はガムで誤魔化すしかない。服は……汗臭っ! これ昨日の服か。もうこれでいいや。考えてる暇ないし。 ハァハァハァ。急げ、急げ。電車……。あ、待って、行かないでー……あぁぁぁ……。無情ね。追い縋る私を置いてくなんて。ハァハァハァハァ息が臭い。ガム、ガム、っと。あ、電車が来た。ラッキー。駅に着いてダッシュすれば、バイトに間に合うかも。 うぅ。苦しい。肉圧って、凄いのね。身動き、全く取れない。いつもの電車だと、空いてるのに。あ。誰かの足、踏んじゃった。ごめんよ。ってか、目の前のおじさんの髪型が笑える。ぷぷぷぷ。あぁ、声が漏れそう。我慢、我慢。ぷぷ……息、くさっ。あ、まだガム食べてなかった。この車両の皆様、ごめんなさい。悪臭の原因は私の口です。 着いたー。さぁ、ダッシュだ。って、もう、人多過ぎだから。痛っ! あっ、サンダルの紐、切れちゃった。誰よ、サンダルの踵、踏んだの……あ、バーコード乱れ髪のおっさんだ。ま、心の中で笑っちゃった罰として、許してあげよう。 もうこうなったら、裸足になるしか。改札出てー、ヨーイ、ドンッ!! それ急げ、やれ急げ。まだ間に合う。痛っ、小石踏んだ。何のこれしき。減給の痛みに比べたら、屁よ。ゼェゼェゼェ。あと……もう少し……着いた!! ギリギリセーフ。 ん。開かない。ドア閉まってるし。え、何で。あ。今日、会社、休みだった。冷たっ。雨だぁ。もう最悪〜。有り得ないよ、何、この不運。神様が退屈しのぎに、下界の僕の中から私を選んで、楽しんでるのね、きっと。神よ、笑うがいいわ。私は、こんなにもボロボロ……。 「あ、池田さん」 「ん?」 「お疲れ。池田さんも間違えて来ちゃったんだね」 松井くーん!? 何、これ、運命? 神も、粋な事するじゃん。鞭と飴ってか。いやーん。松井くん、最高に素敵。 「雨、降ってきたね。ここで少し雨宿りしてから、行く?」 「はい!」 一つ屋根の下で、愛愛傘。幸せ〜。いつでも私の口唇を奪ってもいいわよ……って、駄目だ! くさっ。