ある日の夕方、高名な育児カウンセラーであるエヌ氏のもとを一人の女性が訪れた。 「今日はどのようなご相談ですか」 「お恥ずかしいお話なのですが、家庭内での問題なんです」 おずおずと、女性は切り出した。 「となると、ご家族の問題ということですか」 「彼のことなのですが……」 と言って女性が遠慮がちにテーブルに置いたのは、一枚の写真だった。父親の膝に乗せられた活発そうな男児が無邪気に微笑んでいるという、ありふれた家族写真である。 エヌ氏はその写真をじっくりと見つめて、 「息子さんですね」 「はい」 「彼を膝に抱いているのは、ご主人ですか」 「そうです」 「おいくつですか」 「今年で三十四歳になります」 「いや、息子さんのほうですよ」 「先月で五歳になりました」 「ちょうどやんちゃ盛りの頃ですね」 「昔はおとなしくて素直な性格だったのですが、最近はやけに反抗的になって、私の言うこともほとんど聞かなくなってしまったのです」 「そうですか」 「私は一体、どうすれば良いのでしょうか」 「ご心配はいりませんよ。きっと、よくある反抗期でしょう」 「反抗期……」 「時が経てばきっと解決しますよ」 「反抗的になっただけではないんです。家に帰るのもどんどん遅くなって。友達とどこかで遊んでいるみたいなんですけど、やっぱり不安でして」 「大丈夫ですよ。そのくらいの年齢というのは、友人との関係のほうを優先したくなる時期なんですよ」 「そういうものでしょうか」 「ただ、あまりにも約束を守らない場合には、少しばかり罰則を加えたほうが良いかもしれませんね」 「罰則?」 「ええ。たとえば、決められた時刻までに帰ってこない時はベランダに放り出してしまうとか」 「そんなことをしたら凍え死んでしまいますよ」 「一晩中放置するならともかく、十分や二十分で人間は凍死しませんよ」 「本当に、大丈夫なんですね」 「ええ、私が保証します」 「ありがとうございました」 安心したような笑顔で一礼すると、女性は退室した。 翌日の朝刊の片隅に、次のような記事が載った。 (昨夜未明、エフ市内にあるアパートの三〇五号室のベランダで、三十代中盤とみられる男性の凍死体が発見された。調べによると、男性は昨晩深夜一時頃に泥酔して帰宅し、その姿を見て激怒した妻からベランダに閉め出され、眠り込んだまま凍死に至ったという)
しんしんと雪の舞う中傘もささずに彼女と二人歩いている 眠いからイイとふざけた事をぬかす彼女を引っ張って昼飯にする所である あいにく部屋にはマヨネーズぐらいしか食料がなかった さっきまで「マヨネーズだけでいいよぅ」と訴えていた不健康児は ようやく諦めたらしく出来うる限り眠気と体温を逃すまいと半冬眠で動いている 「雪ってどうして降ってくるのかなぁ?」 隣をマフラーを捕まれ連行される彼女が独り言のように呟いた その様子を怪訝に思いつつもそれは俺に対する質問のように聞こえたので 数歩進んだ辺りで口を開き 「空気中の水分が結晶化して重くなると降ってくるんだよ」 「ふーん」 うっ不機嫌 多少の誤解釈もあるかと思うが出来うる限り簡潔に解りやすくまとめたのになぁ… しかも若干不満げ 「私はてっきり寂しがりの雪が人恋しくなると降ってくるのかと思ってた」 「あ、そういう話?」 「そういう話」 どうやらロマンスある回答を期待していたらしい ならばそれに答えねば男が廃ると言うものだ 「けど雪は触ると消えちゃうよ? ほら」 目の前を舞っていた雪に手を伸ばすと雪はいつ溶けたかも解らずに消えていた 「そう、雪は神様とそういう約束をしたの」 …ほぅ 俺が二の句を期待して黙っていると彼女がつらつらと語りだした 「冷たい雪は初めは自分が寂しがりなことに気がつかなかったの」 まるで自分のことでも話すかのように流暢な言葉に聞き入ってしまう いつも半眼な彼女は今にも凍死しそうに見えるのに その言葉だけはなぜかはっきりと聞こえてきた 「でも始めて人に触れた時、その暖かさを知ってしまった…」 ”暖かさ”と言う所でとも悲しそうな目をする どうして彼女は生きてすらいない物にまでそんな感情的になれるのだろう? それはきっと彼女が優しいから… 「だから雪は少しでもそこに留まろうとしてどんどんどんどん積もってくるの」 手で器を作りそこに雪を溜めようとする彼女 その光景はなんだか絵になって なのになぜか物悲しくって 「…なんだか悲しいね」 と呟いていた 「そぉ?」 さも嬉しそうにこちらを見上げてくる彼女 気恥ずかしいので目を逸らす そのついでに物憂げに空を眺めると 降ってくる雪に隠れて昇っていく雪が見える気がした 「…今溶けてった雪は悲しくなかったのかね」 「悲しくなんてないよ、だってあなたに触れてもらえたんだもの」 彼女はそう言い冷たくなった俺の手をそっとつかんだ 俺は彼女の手のぬくもりに触れ、成る程なと思えた
街を歩いていると、見知らぬ女性が話しかけてきた。 「あの〜」 「はい?」 「それ、私の眼鏡なんですけど……」 「え?」 女性は、申し訳なさそうに、僕の眼鏡を指さした。 「……いや、あの。この眼鏡、僕のですよ」 「いえ、私のです。返していただけませんか?」 「……そう言われましても」 何が何だか。この眼鏡は間違いなく自前。この女性は何か勘違いをしている。 「お願いです。返してください」 「でも……」 女性は、さも迷惑そうな表情をした。何だか、僕が悪者みたいだ。まぁ、どうせ安物だし、僕は眼鏡を渡した。眼鏡を手にし、去って行く女性の後ろ姿を見ながら、僕は「もしかして、新手の窃盗かな」なんて思っていると、今度は、お洒落な男性が話しかけてきた。 「あの。そのカバン、返してくれませんかね?」 「は?」 「俺のなんですよ、そのカバン」 「いやいや……」 今度はカバン? 何なんだ、一体。さすがにカバンはやれない。中には財布も入っている。 「早く返してくださいよ」 「いや、でも。このカバン、僕のなんで」 「は?」 見るからに苛立ち始めた男性は、僕を睨みつけた。その気迫に押される。でも、僕は悪くない。悪くはないぞ。 「いい加減にしてください。早く返してくれないと、警察、呼びますよ!」 「警察!?」 呼べばいい。呼ばれたって、僕は悪くない。けれど……。弱気になった僕は、いつの間にか、男性にカバンを渡していた。何をやっているのだ、僕は。呆然としていると、今度は、イカツイ男性が話しかけてきた。 「そのクツ、俺のだから、返せよ」 「……はい」 抵抗する気力も失せた。僕は素直にクツを渡した。こんな調子で、服や下着も、次々と“自称・持ち主”に奪われ、僕は素っ裸になってしまった。大都会の街の真ん中で、丸裸。死んだ方がマシ、とはこの事を言うのかな。無一文で、裸で。僕はこの状況をどうやって切り抜ければ良いのだろうか。 しかしながら、軽くパニックに陥る僕を、行き交う大衆はちらりとも見ようとしない。周囲があまりにも普通なので、僕は、何の抵抗もなく街中を歩いた。何だ、この気持ちは! とても気分がいい。流行に飲み込まれ、似たり寄ったりのファッションで身を包んでいた僕は、もういない。そうだ。これこそが、裸である事こそが、誰にも真似できない個性なのだ! 僕は、これまでになく、闊歩し、ふと、ショーウィンドウに映った、自分の姿を見た。 「……」 あ、変態だ。
「えー、亡くなった中学生は、仲間達とネクバン遊びをやって遊んでいたとの事ですが」 キャスターは深刻な面持ちで解説者の方を向く。 「ええ、これは、単なる事故ではなく、いじめの可能性も視野に入れて捜査をするべきだと思われます」 解説者は言葉を選びつつ、ゆっくりと答える。 「無論、子供の遊びの中で起きた事ですので、確実にいじめと決め付ける事は大変危険だとは思います。これは、我々マスコミも自重する必要があると思いますが」 モニターには、はにかんだような笑顔でVサインをしている、被害者の少年の姿があった。 「しかし……危険の予見は出来なかったんでしょうか? 学校の教員はどう見ていたのでしょう?」 「ええとですね」 解説者は資料をめくる。 「担任の教諭は、ネクバン遊びの存在は知っており、行わないように指導はしていたようです。けれど、実際に行っている現場に居合わせた事はなかったようです。子供達も、隠れて行っていたようですね」 「そりゃあ、禁止されれば隠れて行うでしょうが……けれど、子供達自身も危険性の認識はなかったのでしょうか」 「遊びにはある程度のスリルを求める事もありますから、むつかしいかも知れません。中学生では、まだ人が死ぬという事自体、分かっていない事がありますからね。その辺りも含めて、今後は指導をしていくべきだと思います」 「そうですね……それが分からずに、ただ無邪気に遊んでいたら事故を起こしてしまって、意図せずに加害者になった、というのではそれこそ子供も気の毒です」 キャスターはカメラ目線になる。 「テレビをご覧の子供の皆さん、ネクバン遊びは止めましょう」 実際に使われたのと同じロープを手に持つ。 「ネクバン――ネックバンジー遊びは、そもそも、日本で今現在も死刑にも使われている方法で、大変危険です!」
女「久しぶりね」 男「あぁ。別れてどれくらいかな」 女「一週間かしら」 男「もうそんなに経つのか。君が僕のところからいなくなって。君はなぜ行ってしまったんだ?僕はそれが気がかりで仕方ない」 女「私だってあなたとずっと一緒にいたかった! でも、神様はそれを許してはくれなかった」 男「悲しいよ」 女「悲しいですって!? よくそんなこと言えるわね! あの女と一緒になったくせに!」 男「違う! あれは仕方が無かったんだ!」 女「ふん! なによ! 理由なんて何にしろ、あなたは楽しそうじゃない!私、見てたのよ! あんなピンク色の香水のきつい若い娘と一緒になって鼻の下伸ばして!」 男「そ、そんな! 僕はそんなこと」 女「いいえ! そうよ。こんなボロボロな私のことなんてこれっぽちも想っていないくせに!」 男「ボロボロじゃない! 君はきれいだよ!」 女「きれいなんかじゃない。働いて働いて擦り減って。こんなおばさん」 男「僕はあんなピンクの娘よりも真っ白な君が好きなんだ!ひたすら真面目に働く姿、僕は大好きだよ」 女「え?」 男「僕は寂しかった。君がいなくなってから。彼女はあまり働いてくれないし、働いても君と比べたら仕事なんて全くだめ。僕はヤキモキしてたんだ。こんな時、君がいてくれたらって…」 女「えんぴつさん」 男「そうだよ。あんな香りばっかりのピンクの消しゴムじゃなくて、よく消える君がいいんだよ!」 女「……」 男「あぁ。もう時間だ。そろそろ筆箱に戻らないと」 女「あの、ピンクの消しゴムのところへ戻るのね。こんなに擦り減ってさえいなければ、私は机の引き出しなんかに行かなくて済んだのに」 男「……」 女「ほら、行って! あなたが行ってくれないと上手にバイバイできないじゃない」 男「あぁ。分かった。じゃぁ」 女「行っちゃった」 数週間たって、再び遭遇した。 女「え、えんぴつさん!? どうしたの、ボロボロじゃない!こんなに短くなって」 男「僕は君と別れてから仕事に打ち込んだんだ。君のいない悲しさを忘れるために」 男「数式、数式。漢字の書き取り、書き取り。ある時は落書き。そして、マークシート塗り潰し!でも、君を忘れることはできなかった」 女「そんなに働いて。キャップつけないと持てないじゃない! バカっ」 男「ははっ。でも、どうやらこれで君と一緒にいられるみたいだ。この机の引き出しの中で君と一緒にいられる」 女「えんぴつさんたら」